金鹿亭にて
「だいぶお疲れみたいですね、勇者様。あるいはオルレアン公とお呼びした方が?」
「勇者様でいいよ。ウォルファートさんでもいいや」
スーザリアン平原の西の端にリールの町がある。メイリーンに双子の世話をお願いして一時休息をとることにした俺が入ったのは、そのリールの町に何軒かある昼は定食屋、夜はパブというよくある店のうちの一軒だ。
金鹿亭という名のこの店、リールの町に駐屯中からよく使っている。その名の通り、金色に塗られた鹿の絵が塗られた看板が目印だ。木造の床や壁には長年営業してきた証にか、煙草の煙りで燻されたような、くすんだ茶色の染みがある。
「けど、いきなり子持ちになったらびっくりですよね。大魔王を倒していざ安穏な生活という時に......大丈夫ですか?」
そしてさっきから俺に話しかけてくれるのはこの金鹿亭の看板娘のアニーだ。白に近い金髪をアップにした彼女は、朗らかな笑みと丁寧な応対で人気がある。俺から見たら十七歳の彼女はまだまだ子供なのだが、まあ可愛いとは認める。
今着用している、胸の下あたりで切り返しのある裾の長い木綿のドレスがそれなりに高級感のある服になれば華やかさも増すだろうがと、ラチもないことを考えた。考えただけでプレゼントしてやろうとまでは思わない俺は、ケチなのかもしれない。
「全然大丈夫じゃねえ。乳母をしてくれる人は見つかったが、生憎一人しか確保出来なかったしな。あと、普通の炊事洗濯をしてくれる人が必要だが、その手配まで手が回ってないんだよ」
卓の上に差し出されたメニューを見ながら俺はアニーに答えた。胃袋は早く飯を寄越せと叫ぶが、だからといって懸案事項を放り出すわけにはいかない。ある意味、アニーに話すことで自分の考えをまとめている部分もある。
「あれ? その乳母の方は家事まではしてくれないんですか? あ、ご注文決まりました?」
「とりあえず、二人分の育児だけしてくれと言っている。ほら、母乳あげたりおしめ変えたり、あとなんだ、定期的に決まった薬を薬師に貰うやつあるだろ」
鶏のハーブソルト焼きを注文しながら俺はアニーに説明する。
「ああ、赤ちゃんの体質強化に行われるあれですね。祝福の薬草ですか」
「それだ。あれが生まれてから二歳くらいまで結構な頻度であると聞かされて、ぞっとしてる」
得心いったと言わんばかりの顔で頷くアニー。俺も今回初めて知ったが、赤ちゃんというのはとかくちょっとしたことで風邪を引いたり病気になる。それを防ぐために定期的に薬師に薬をもらい、飲ませるものなんだそうだ。
これは対症療法的な薬の投与ではなく、じわじわ数年かけて病気への免疫力を育てる為にやるらしい。"無事に元気に子供が成長しますように"という願いをこめて行われるので、祝福の薬草と呼ばれるらしい。
「~だそうだ」とか「らしい」と言っているのは、これは俺がここ数日で無理矢理詰めこまされた知識だからだ。正直話半分で聞いていたからうろ覚えで(へー、そんなもんがあるんだ)と聞き流していた。
仕方ないだろう、誰だっていきなり双子の世話を押し付けられたら頭が混乱するよな。だから俺を責めてくれるな。
赤ん坊に手間がかかるのは覚悟していた。だって何にも出来ないんだもんな。けれど薬を定期的に与えたりなどは念頭になかったから、最初に思ったのが「めんどくせーなー」だ。
「今、勇者様、めんどくせーなーて言いたそうな顔してますよ」
「ピンポン、大正解」
アニーにヒラヒラと手を振る。定期的にてことは、いつそれがあるのか覚えておいて日程管理しなくちゃいけないわけだ。ちょいと子連れで用があるから......なんてのも出来ないし、ましてや俺がメイリーンに預けている間に息抜きなんてのも難しい。それなりに重要なので親本人が来るのが普通らしいからだ。
「あーあ、まだ身の回りの世話してくれる人も決まってねえしなあ。なあ、アニー。お前やらない? 炊事洗濯掃除がある程度出来りゃいいよ」
「えっ、ほんとですか? でもあたし、ここの給仕の仕事あるし、やっぱり無理ですよ。他にいないんですか?」
アニーにもフラれたか。俺は髪をかきあげながらため息をつく。
「戦後だからよ、町の復興やら耕作地の整備やらで、人手が足りねえんだよ。まあ、ある程度年のいったおばさんなら手が空いてなくもないんだが」
「ならその人達でいいんじゃないですか、何を悩むことが?」
「どーせなら若い女の子に家事見て欲しいんだけど」
俺の言葉にアニーはハハ、と力無く笑った。なんだよ、男なら普通だろうが。それに俺は素人には簡単には手ださねえよ。
そんな愚痴とも相談とも分からない話をしているうちに、俺の頼んだメニューが来た。まあなんてこともない定食なのだが、まともに調理された暖かい飯というだけでご馳走だ。双子の世話に追い回されたせいで、右手でパン掴む一方、左手でシュレンをあやすというような慌ただしい食事......いやもうあれは食事じゃねえな、ただの補給だ、しか出来なかったのだから。
「冷めないうちにどーぞ、勇者様」
「遠慮なくいただきまーす!」
アニーに答えながら、俺はホカホカと湯気を立てるチキンにフォークとナイフを突き立てた。軽い塩を振っただけのチキンは柔らかくすうっとナイフが通る。あー、たまらん。ぶっちゃけ牛の方が好きだが、昼飯ならチキンくらいでいいや。
そして一口目を口に放り込む。ああ、生きてるって素晴らしいぜ、けどあれだな、金も地位もあるのに育児に追われまくって、まともな飯が三日ぶりの俺っていったい何だろうと思わなくもない。
「エールも頼む、一杯でいいから」
「たくさんという意味ですか?」
キョトンとした顔でアニーが聞く。普通にしていればそこそこ可愛いとはやっぱり思う。
「いや、ちが「グラス一つだけって意味よね、勇者様?」
アニーの言葉を否定しようとした俺の声に、誰かの声が重なった。背後からだ。卓に座ったまま振り向く。俺の数歩後ろにその声の主がいた。
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女だった。旅人がよく着るタイプの雨避けにもなるマントを肩から羽織っている細身の女。少し癖のある白っぽい金髪が緩やかに胸元まで垂れ、色気のない旅人スタイルにも係わらず、女らしさが醸し出されている。
誰かに似ているなと思ったが疑問はあっさりと解けた。
「お姉ちゃん!」
「ただいま、アニー。三ヶ月ぶり?」
見知らぬ美女は微笑を浮かべてアニーに軽く手を振った。へえ、アニーの姉か道理で似てるわけだ。そして俺の視線とその美女の視線が合う。
「お初にお目にかかります、勇者様。世界を救っていただきまことに感謝いたします」
「いいって、そんな堅苦しい挨拶は。それよりお名前は?」
飯時に畏まられても困るということを言外に滲ませると、アニーの姉は気づいたようだ。「アイラといいます、それではごゆっくり」とだけ言うとそのまま店の奥へと姿を消した。
「アイラお姉ちゃんね、ソロの運び屋なのよ。町から町へ、手紙や届け物を背負っていくの」
「ほお、女一人で大したもんだ」
二切れ目のチキンを頬張りスープを啜りながら、俺は答えた。なるほど、だからあんなマント姿か。運び屋なら何ヶ月も家を空けることもあるよな。
そんなことを考えながら、アニーが運んできたエールの入ったグラスを受け取る。金色がった白い泡と独特のアルコールの香りに思わず頬が綻ぶ。
あー、久しぶりだなあ、酒飲むのはと思いながらグッと煽る。すぐに香ばしい苦みと旨味が舌と喉を走り、チキンの後味を洗い流した。
******
「......さま、勇者様」
誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。ん、と呟きながら重いまぶたを開き、眼球だけ動かした。
視界に飛び込むのは綺麗な女の顔だ。ああ、これはアイラだな。アニーより大人っぽい。そのアイラの手が優しく俺の肩を叩いていた。
「こんなところで寝ていては風邪を引きますよ。よくお眠りでしたから起こそうかどうか迷ったんですが」
「いけねえ、そんなに寝てたのか?」
「一時間くらいですね。お疲れみたいでしたのでしばらくそのままにしていたのですが」
アイラの返事に俺はホッとした。一時間か、まあ小休憩とするならまだ許容範囲だろう。エールのほろ酔いが回ったらしいが、ぼちぼち戻らないとメイリーンが大変だろうな。
そう思いながらアイラが差し出してくれた水を受け取り、一口飲む。寝ぼけた意識がはっきりしてきた。
着替えたらしく、アイラはアニーと同じような服だ。金鹿亭の美人姉妹ってやつか。姉の方はほとんど家にいないみたいだけれど。
「運び屋なんだって?」
ぽろっと飛び出た俺の言葉に、アイラの表情が微妙に気まずさを感じさせるものになった。あれ、俺何か悪いこと言ったかな。
「ええ、ただ、しばらくお休みしようかなと思ってまして。理由は......個人的なことなので」
「ふうん、じゃ聞かないでおくよ」
女から無理矢理聞くのは趣味じゃない。あれ、待てよ。ということはこの子今フリーか。それに気がついた時には自然と話しかけていた。
「なあ、もし暇なら公爵家で家事手伝いやらないか? 三食と可愛い双子の寝顔付きで」
「え? な、何の話ですか?」
アイラがキョトンとした顔になる。拒絶ではないことに安心した俺は事情を話し「運び屋再開するまででもいいから」と誘った。とりあえず体力はありそうだし。運び屋やってるくらいなら頭の回転もそれなりだろうし、家事も最低限出来たらいいや、とその時判断したんだ。
いや、正直に言うと手の空いてる可愛い子なら誰でもいいやくらいに考えていた。さっさと見つけたかったし。
そんなこんなでソッコーでアイラをうちの家事手伝いに雇うことになったんだが。アニーから「アイラお姉ちゃんが勇者様に取られた!」と怒られたのは心外だぞ。こっちも火急の用なんだ、納得しろよ?