下った先で待つ者
俺達五人が出発した時点で残された時間は約十一時間程度だった。地下十三階までたどり着くのに最短で二時間少々ということを考えると、未知の領域のクリアには八時間以上使えることになる。どの程度の広さがあるのか分からないが無名墓地の各フロアはトラップを回避したり敵との戦闘を込みにした上で慎重にまわっても、1フロア大体三から四時間あれば回れる。時間制限は十分クリア出来るはずだ。
「ロリス達無事ならいいですが。やっぱり心配になりますね」
「やめろ、ここで俺達が考えても仕方ない」
近道となる階段を軽快にスカウトのディストが降りる。その後ろに続きながら呟いたラウリオを黙らせてしまった。いや、彼の気持ちは分かるんだよ。けれど懸念しても今はどうにもならない。そうこうするうちに地下四階から五階へ下りた。次の階段までは少しフロアを歩かなくてはならない。石造りの床の上を俺達は小走りに進む。この辺りの道は今回のクエストで完全に把握している。必要以上に気を張る必要はない、時間優先だ。
よし階段だ。更に下りる。グルリと巻き付くように左に曲がりながら下る階段をひたすら進んでいくと、まるで自分が巨大な蛇の胃の中に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。おい、しっかりしろよウォルファート。ダンジョンに潜り過ぎて神経を病んだわけでもあるまいし。
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小休止を挟みながら地下十二階にたどり着いた俺達は、まずは手近なところから地下十三階への階段を探した。確かリッチは分かる形で示しておくと言っていたが、地図をわざわざ書いてくれるほど親切なわけではない。自力で探す必要はある。
こういう時に一番輝くのがスカウトだ。とりあえず下りてきた階段の近くの小部屋に入ってから、今回のクエストでほぼ完璧と言えるまで作り込まれたフロアマップを睨む。そこから最下層への階段がありそうな箇所をスカウトが絞り込む。その作業が終わった段階で全員でマップを覗き込んだ。丸がつけられた箇所が三箇所ある。これがスカウトの目から見た更に下る階段がありそうな場所だった。
「壁に丸がつけてあるけど、これでいいの?」
「各部屋の構造から考えると、ここが空いてるはずなんだよ。多分壁に隠し扉があって、その奥のスペースに階段がある」
戦士のユーリがスカウトのディストに尋ねる。ちなみにこの戦士、酔っ払って俺に絡んできた女性兵士だ。当たり前だが平常時はまとも。答えたディストはAパーティーで俺と組んでいた中年男だ。今回の三人いるスカウトの中では一番腕が立つ。
魔術師のゲイルは場所の特定は任せたと言わんばかりに黙っている。三十歳少し手前の彼は火炎系の攻撃呪文が得意だ。不死者は炎を嫌うので今回のクエストには相性がいい。
戦いの際の隊列はラウリオ、ユーリの二人が最前列、俺が中央、ディストとゲイルが後列だ。浅い階ならともかく地下十二階ともなるとスカウトのディストは戦闘では陽動くらいにしかならない。「俺には期待しないでくださいよ」と肩をすくめるのも無理は無かった。
三つの候補の内、一番近くの候補から回ることに決めて小部屋を出る。石造りのダンジョンなのに湿った土の匂いが鼻をつく。足元を見た。もともと身寄りのない無縁仏が埋められていた墓地だったダンジョンだ。誰かの骨の上を歩いているかと思うとやはりいい気分はしない。
(一時間以内には階段見つけたいところだな)
小さく舌打ちする。地下十二階での探索活動にかかる時間を少し甘く見ていたか。まあそれでも十分間に合うとは思うが。
小部屋を出てから約十分ほど歩いただろうか。最初の候補までそろそろかという辺りで通路を塞ぐ扉にぶつかった。マップによれば、この扉の向こうは更に通路で石造りから急に土壁になっている。というか俺も潜ったから覚えているんだが。
しかしだ。全員が示し合わせたようにその扉の前で足を止めた。気配に敏感で無くても分かる。敵だ。それも複数。向こうにその気はないだろうが、こっちが時間を気にしているだけに余計にうっとうしい。
「呼吸もしない不死者なのにこれだけ気配剥きだしで待ち構えてるってやる気満々ですよね」
ユーリが呟きながら武器であるハルバードを構えた。先頭を行くラウリオは扉に手をかけている。ここは一本道だ。回避する術はないしそんな暇はない。そして俺には試したいことがあった。
「ラウリオ、ユーリ。扉をラウリオが開けたら即下がれ。俺が一人でやる」
「えっ。ウォルファート様一人ですか? 呪文使うにしても、僕らが盾の方がいいんでは?」
「巻き込んじまうんだよ、強力過ぎてな」
俺の返事にラウリオは軽く頷いた。何だかんだいっても俺のことは信用してくれている。ディストとゲイルの後衛二人組はもう完全に俺に任せる気らしい。それはそれでどうなんだろう......
「じゃ、開けますよっと!」
ガチャーン! と派手な音を立ててラウリオが扉を開けた。蝶番が錆びているのか、思い切り力を入れないと開かなかった扉は勢いよくこちら側に開く。そこから覗く通路の先に何やらノタリと大きな重そうな塊のような物が見えた。漂う腐敗臭が鼻をつく。体長2メートル以上ありそうな灰色のぬめっとした肌のそいつは肥大化した内臓とも呼吸する金属とも取れる--だけどな。
「固有魔法--聖十字」
前方に突き出された俺の右手が白く輝いた。その輝きはダンジョンの闇を払う清浄な白い光となり、巨大な十字を描いて高速で通路を駆け抜ける。光にもかかわらず触れられるのではないかと勘違いしそうな高密度の出力は、そのまま桁違いの破壊力へと変換されていた。
聖なる十字が生むジッ! という何か焦がすような音にボフワッ! と何かが蒸発したような音が混じる。それだけだ。爆発音も悲鳴も聞こえてきやしない。
自分達の横を薙払った聖十字を、ラウリオとユーリが顔を引き攣らせながら見送った。その視線の先に本来いるべき魔物の姿はない。唖然とした顔で二人が顔を見合わせる。俺の後ろで一部始終を見ていたディストとゲイルが「まさか」「し、消滅させた......?」と呟いた。
「なーに驚いてんだよ。あのアウズーラの対魔障壁すら貫いた俺の最強攻撃呪文だ。あのでかぶつ、ベドウラクだっけ? あんな怨念を吸収してでかくなった芋虫みたいなやつなんか耐えられるわけねえだろ」
扉を抜けながら俺は久しぶりに使った聖十字の威力に満足していた。耐久力に定評があるベドウラクの痕跡はわずかに土に残った粘液のみ。死体もろとも消し飛ばしたようだ。それだけじゃなく一緒に巻き込まれたらしき不死者共がいたらしい。ダンジョンの土壁に染みのようなものが何個かある。うーん、これじゃ何がいたのかすらわからねえな。ま、いいか。
「時間がもったいねえから一撃で済ませてやったんだ。ほら、とろとろすんなよ」
「は、はい!」
声をかけるとようやく四人とも金縛りが解けたように追ってきた。まだ半信半疑って感じだな。でも事実さ。地下十二階に巣くうそこそこハイレベルの不死者でも俺の聖十字ならば一掃可能だ。練習台としては上出来だったから、よくやったと褒めてやりたいくらいだよ。
そのまま通路を直進した俺達はすぐにお目当ての地下十三階への階段を見つけることができた。ディストの見立てた三つの候補の内、運よく最初の候補である壁を軽く叩くと案の定そこが内側に開いたのだ。「おっ」と色めき立つ俺達を導くかのように、古ぼけた階段が更なる地下へと下っている。しかもご丁寧なことに階段の一部に"おめでとう! 余の華麗なる宮殿へ!"というメッセージが極彩色の絵の具で書かれているじゃないか。
「なかなか洒落た真似してくれるよな」
「余裕しゃくしゃくという感じなのがイラッときますね」
俺の言葉にラウリオがやれやれといった風情で応じる。ここの主である以上リッチがどういうご招待をしようが勝手だが、このメッセージをあの骸骨じみた顔で嬉々として書いていたかと思うと気味が悪い。肩をすくめながら俺達はその階段を下りていった。
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最後の一段を下り終えた。ここが地下十三階になる。今までとは違い光苔はなく、照光の呪文やランタンが無ければ何にも見えそうもない。ここ無名墓地に入る時にゲイルが唱えた照光が俺達五人の周囲を照らすが、とても視界全部を照らすには光量が足りない。
「音の反響からすると割と広い感じですね」
耳を澄ましていたディストが警戒心をにじませる。通路が無い広い場所では方向感覚に迷いが生じやすい。道案内役であるスカウトなら神経質になって当然だった。だが俺達は迷子になりはしなかった。突然、闇の一角に明かりが生じたからだ。
拳大の青い炎、それが闇の中で不気味に浮かぶ。こういうダンジョンにつきものの人魂かと思ったのもつかの間、それは次々に増殖した。周りが暗闇なので距離感が取りづらいが、凡そ4メートル程の幅を取って二列になった火炎の球が道のようになった。
いやがおうでも緊張感が高まる。誰が言い出すまでもなく全員が武器を抜いていた。今日に限っては魔払いとフルプレート+7は最初から装備していた俺もタワーシールドを召喚し、臨戦態勢を取る。これはどう考えても嫌な感じだよなあ。
"ようこそ、余の宮殿へ......地下十三階の冷え冷えした空気が死を超越した余には相応しい"
「お約束って感じだな」
ほら来た。リッチの声だ。まだ姿は見えないが確かに聞こえる。初めて耳にする死霊王の声に俺以外の四人が警戒をあからさまにした。ザッと音を立てて隊列を組む。
「ウォルファート様、リッチですか」
剣と盾を構えたラウリオが囁く。今回のクエストで運よく手に入れたロングソード+3が彼の覇気に応えるように淡く煌めいた。
「ああ。油断だけはするなよ、皆」
低い声で答えながら気配を探る。ボウッと燃える青い炎が作る道が暗闇の中で不気味に浮かび上がるのを睨みながら。
"よく逃げずに来た。仲間を見捨てずに余に挑むその勇気だけは称賛に価するぞ、人間共"
「えらっそーに煽ってくれるよな。そう思うならさっさと姿を見せやがれ」
リッチの声についいらついてしまう。俺の声に返事はなく、唯一反応したのは目前の道を形成する青い炎の列だけだ。闇の奥深くまで続いていそうな炎が一際燃え上がった。それに左右を挟まれた暗闇が炎の揺らめきに照らし出され、ようやくその先が見えるようになる。
床だ。堅そうな石の床が続いている。少なくとも炎に挟まれた部分はそうなっている。道の外はよく分からない。まさかとは思うが落とし穴になっている可能性もあるので、そこに迂闊には踏み込めないな。
リッチの声はこれ以上は聞こえない。ただ二列に続く炎が俺達を誘うように奥の方へと揺れた。こうなったらこれ以上は待つ意味もなく、俺達五人は慎重に闇の中へ通るただ一つの道へと足を進めた。
「順当に考えればこの奥にロリス達が捕まっているんでしょうね」
「普通なら。しかし仮にも宮殿と言っているのに、いきなりすんなりと行くかは?」
ユーリの疑問にラウリオが答えた。そうこうする内にどうやら答えは出たようだ。左右にまっすぐ続いていた青い炎がいきなり右と左に別れている。ぐるっと円を描くように離れ離れになった火炎の列から容易に連想されるもの、それは--
「闘技場ってわけかい」
それしかないだろ、これ。視界が広がり天井の方も見えるようになった。ダンジョンの奥深くだというのにそこそこ高さが確保されている。天井から吊されている水晶らしき半透明の石から漏れる光は強くはないが、その場を見渡すには十分だ。ざっくり直径50メートル程の円形の広場、それが俺達が今いる場所だ。肝心要のリッチの姿もロリス達も見えないのは更に奥があるからだろうか。
"何の場所かは見ての通りだ、人間共。まずは小手調べと行かせてもらうぞ"
「勿体振りやがる」
どこからか響いたリッチの声に俺が悪態をつくのと、この闘技場のような場所の床が光ったのはほぼ同時。紫っぽい光で床に複雑に描かれた紋様は魔法陣か。そこから競り上がる複数の人型の影が視界に入る。
不死者か--いや、ちょっと違うような気もするんだが。ゾンビやスケルトンみたいな完全に生命力の欠片も無い連中とは違い、僅かだが呼吸音が聞こえてくる。
それにそこそこ立派な武器や鎧、魔術師が着るローブなどを装備しているようだ。絶対通常の不死者じゃないだろ、これ。しかもこちらが様子見ている間に二十体くらい出現してきたぞ。
幽鬼めいた青ざめた肌に力のない濁った瞳、全員が全員そんな様子でこちらに向いている。こいつら多分--
「この無名墓地で逝った冒険者達の成れの果てか......」
"ご名答だ。素材は無駄にはしない主義でな、余の自信作たる呪操兵でまずは試させてもらうぞ"
リッチの野郎、姿も見せずに俺達に解説とは余裕だな。この人を舐めきった態度が全員の戦意に火を点けた。「悪趣味にも程がある」と吐き捨てつつラウリオがロングソード+3を構えたのが合図になった。死んだ冒険者の成れの果て--今はリッチの忠実な配下となった呪操兵の一人がラウリオに切りかかってきたのだ。
しかし、これをラウリオは慌てずに左手のラウンドシールドで受ける。単純に受けずに腕力で外側に弾きながら相手の態勢を崩し、そのまま袈裟がけに切り裂く。そしてこの時にはその場にいる全員が動き出していた。
数が多い、まずは高さのある空間を利用してこの技で急襲してやる。
「天鷲豪槌!」
刹那の速さで武装召喚した六本全てのショートソード、それを念意操作で操り上空から襲いかからせる。この技ならば呪操兵の後衛にいる魔術師の呪文を牽制しつつ、隊列を乱せるはずだ。
そして俺自身も魔払いをかざして敵の前衛の一人--恐らく元は戦士だろう--に切りかかった。ショートスピアを繰り出しこちらを串刺しにしようとしてきたそいつの首を問答無用でとばす。勢い余ってそいつの隣にいた呪操兵も切って捨てた。不死者にもなりきれないのか、傷口から赤い血を噴き出し倒れる敵に何とも言えない感情が込み上げそうになる。
だが迷う暇はない。「ちっ!」と舌打ち一つ、俺は次の標的に身を踊らせた。数は向こうが上だが実力はこっちが上回る。それに俺の天鷲豪槌が敵の後衛を襲っているので、いまだに呪文が飛んでこない。ま、そのうち対応策を見つけるだろうがそれまでに何とかしてやるさ。
ユーリがハルバードで呪操兵の一人と切り結ぶ。槍の穂先に斧を組み合わせた長柄の武器が豪快に振り回され、相手の盾を削ったがその隙をついて横から切りかかろうとした敵がいたので俺が割って入った。タワーシールドで攻撃を止め、超至近距離から無詠唱の白光矢でカウンター、更に攻撃呪文の手を休めず追加で火炎弾をばらまく。足止め食らわしてやるよ。
「すいません、ウォルファート様!」
「おう、気をつけろよ」
ユーリに答えながら戦況を確認する。適当にばらまいた火炎弾に撃たれた何体かの呪操兵がのけ反るのが見えた。うわっ、でも倒れてねえ! 意外にタフだな、これ結構てこずるかもなあ。




