久々に本気出せって?
その声が誰の声なのか全く分からなかった。
とにかく、とてつもなく嫌な気配と共に、聞き覚えのない声が俺以外に誰もいるはずのない部屋の空間から聞こえてきた。それだけで十分警戒に値する。
単独潜行なのでフルプレート+7だけは着けている。そうそう防御を破られる心配はないと思いながら、声の聞こえてきた方向に集中した。その方向--ほぼ部屋の中央の空間がいきなりぐにゃりと歪む。光苔と自分で唱えた照光の二重の明かりがそれをおぼろげに浮かび上がらせた。
黒い影というか染みのような物が空中に広がる。それはみるみるうちに成長し、人間のような形をとった。頭もあれば手足もある。だがそれが発する気配は通常の人間の気配とはおよそ似ても似つかないものだ。
"ふふ......余の気配に気づくとはなかなか油断ならんなあ"
「誰だてめえ」
しわがれた声でそいつが喋った。こんなダンジョンでいきなり不気味な気配を発して近づいてくるのだ、敵とみなして間違いないだろうが一応確認。しかしこちらが敵意剥きだしなのが分かっても、そいつはその骸骨じみた痩せた顔に浮かべた薄ら笑いを止めない。
パッと見、人のようにも思える。だがそこかしこに高そうな宝石がちりばめられた黒いローブを着込み、そこからヌゥと突き出た手足は長い爪を備えていた。異様だ。それに何より肉がなくただ骨に皮膚が張り付いただけのような顔面には人が持つ眼球がない。その代わりにぽっかり穿たれた二つの黒い空洞と、そこに浮かぶ暗い橙色の炎があった。
バッサリと長く艶が失せた黒っぽい髪、そして頭に乗る古ぼけた冠が見える。ああ、何だか嫌な予感がするぜ。だがとりあえずは警戒は解かずにこいつの出方を見る。いきなり攻撃はしてこずに声をかけてきたってことは何かあるんだろ。
カアア......と深い呼吸音を発しながらそいつが俺を見た。鬼火のようなそいつの目の炎が揺れた。
"余はこの無名墓地の主なり。本日、神聖なる余の領土を踏み荒らした愚かな者どもがいたが、貴様その仲間か?"
「ちっ、まさかあいつら......」
相手の苛立ちと嘲笑を含んだ言葉で俺はあらかたの事情を察した。今まで確認されていなかったが、こいつは自分で言うようにこのダンジョンの支配者に違いない、言うなればボス。そしてそういう連中は得てしてダンジョンの下の方の階に住み着いている。
(ラウリオかロリスのパーティーが知らずにこいつの支配領域に踏み込んだんだな。それにキレて他の侵犯者がいないかわざわざ巡回中ってところか)
恐らく当たらずとも遠からずだろう。無論俺達の他にもこの無名墓地を攻略対象にしている冒険者は何組かいるので、ラウリオやロリス以外がこいつの怒りに触れた可能性はある。だが俺がちょっと見た限りでは、下層に挑めそうな冒険者はいなかった。精々中層止まりが関の山だ。
その俺の推察を確認するには時間はかからなかった。こいつが懐から取り出してこちらにポンと放った帽子が記憶に引っかかった。
薄紫色の全体的に四角い形のこの帽子には見覚えがある。それにそれを被るやたらと俺をいじる一人称が僕の女の子にも。
"その顔、知らぬわけでもなさそうだな? この帽子の持ち主の女と連れが余の眠りを妨げおったわ。見逃してやる義理もないんでなあ、クククッ"
血の気が引いた。こいつがここに余裕面でいてロリスの帽子を持っているということはそういうことなのだろう。いやだが落ち着け、ぶっ飛ばしたいのは山々だが引き出せる情報を引き出してからだ。凍えそうな背筋と燃え上がりそうな喉を必死で抑えた。
「そいつらどうした? 全員殺したのかよ」
"おお、恐い顔だなあ。いやあ、軽く仕置きをして捕らえてやったわ。久しぶりの生きのいい人間なんでな、じっくり味わおうと思う"
この言葉に俺がキレたのと、こいつがその表情を残忍な嘲笑に変えたのは同時。ボッ! と音を立てこの不死者か人間か分からない男の周囲に鬼火のような炎が幾つか浮かぶのが見えた。ただ者じゃなさそうだな、だが相手がなんであれぶっ飛ばしてロリス達の居場所を吐かせてやりゃあそれで済む!
"寂しがるな、貴様も奴ら同様味わい尽くして余の糧にしてくれる! 喜べ、この死霊王リッチにひざまずくがいい!"
「ごたくは沢山だ、行かせてもらうぜ!」
ショートソード六本を操り白銀驟雨を飛ばす。その一方で頭の片隅でリッチという名前が引っかかる。なるほど聞いたことはある、確か高名な魔術師が死霊の力を物にして自らを限りなく不死者に近づけた魔物だったか。死霊王なんていう大袈裟な肩書きもこの凶悪な気配を前にするとあながち嘘ではなさそうだ。
ほとんど不死者と化しているこいつなら、ミスリル製のショートソードを叩きこむ白銀驟雨は効くはずだ。まずは先手を取らせてもらうつもりで放ってやる。
だがこのふざけた真似をしてくれたリッチも同じように飛び道具で迎撃してきた。先程呼び出したばかりの火炎が奴を守る衛兵のように動き、俺の白銀驟雨と真正面からぶつかる。石造りの壁に囲まれた薄暗い部屋の空間が白銀の光と赤い炎の爆発で彩られる。
"ぬっ!?"
リッチが怯む。なるほど、あの浮遊していた火炎弾が白銀驟雨で消されたのが少しは応えたようだ。だがそれはこちらも同じだ、せっかくの先制攻撃が潰されたのだからな。
まだ収納していなかった魔払いを右手に握り走った。それと同時に念意操作で三本だけショートソードを回収し、一旦手元に引き戻す。記憶が確かならリッチは高度な呪文を得意とするはずだ。距離を取らせてたまるか!
(意識の二割でショートソードを操作、三本ならこれで十分)
視界を斜めに横切るようにしながら高速で接近する俺をリッチも警戒したようだ。だが迎撃されても回収すれば済むだけの俺のショートソードと違い、奴の火炎弾は再出現していない。多少使用制限でもあるならこっちには好都合さ。
ヒュッと呼吸音を漏らしつつ、やや遠めの間合いから俺が魔払いを振るう。この一撃は警戒していたリッチの振り上げた左手に防御された。まさか素手でこのロングソード+8である魔払いを止めたのか、と驚いたが剣が奴の左手に近づいた瞬間、何やら黒い濃密な霧のような物が刃を包んで流したのが見えた。魔力じゃねえ、恐らく暗黒闘気だ。しかしほとんど聖剣と呼んで差し支えないこの魔払いの威力を受け流すとはな。
俺の攻撃を防いだ隙をついて、リッチがその右手の爪を俺に伸ばそうとする。だがそれを邪魔したのは牽制の為に繰り出した三本のショートソードだ。俺の周りをぬかりなく動きながら必要とあらば獲物に襲いかかる。
「やろお!」
"おのれ!"
互いに高度な接近戦の技術をかわしあい一旦距離をとった。一気には持っていけそうもない。しかしリッチも最初と様子が違う。出現した当初の明らかにこちらを見下した表情--すっげーわかりづらいけど--が消えている。
"貴様、何者だ。余とこうまで渡り合うとはただ者ではあるまい。名乗れ"
「ふん、命令してんじゃねえよ死にぞこないが。だが冥土の土産に教えてやるよ。ウォルファート・オルレアン、人類最強の勇者って奴だ」
俺の返事にリッチはそのチロチロと燃える橙色の目を細めた。その口からごそり、と這い出した紫色の長い舌がうごめいて気持ちが悪い。いや、こりゃあもう九割方あの世の生き物だな。ほんとに元は人間なのかよ。
"ほう、勇者を名乗るか貴様? 面白い、ならば一つ提案がある"
「へえ、なんだよ。言うだけ言ってみろ、こっちはてめえをしばき倒して仲間の居場所を知りたいだけだ」
"くく、ならば話は決裂かな。残念ながら余はさっさと逃げて貴様は二度と仲間と会う機会を失う。それでもいいと?"
リッチの言葉に俺の足が止まる。この期に及んで逃がすかよと思ったが、いきなり現れた手並みから考えて逃げ足もかなり速そうだ。しかもこのダンジョンは奴の庭のようなものだ。そう考えると逃げに徹したリッチを追い込むのは厳しいだろう。
「......聞くだけ聞いてやるさ」
"利口よなあ。なあに、話は簡単。余と貴様の戦い、このような何の変哲もないダンジョンの一室で行うには余りに惜しい。それに相応しい場所を用意してやろう"
眉をしかめた俺を見たリッチが耳障りな笑い声を上げる。闇に反響したようなその声に被せるように再びリッチが口を開いた。
"余の宮殿たる地下十三階への入口を開けておいてやろう、勇者よ。精々しかと準備した上でそこへ来い。フハハハ、案ずるな。貴様の仲間もそこにおる。余の贄となるべくじわじわと生命力を削られながらな!"
ああ、そうかい。そう来たかい。上等だよ、この野郎。その手に乗らざるを得ないこっちの足元見やがって。へどが出るぜ。だが俺に断る術はない。ロリスらの命がかかっているんだからな。
「乗ってやるよ、リッチ。で、いつまでに地下十三階のてめえの所に行けばいい。一年後でもいいのかよ?」
"面白くない冗談だなあ、勇者。くく、人質の命の灯は残り二十四時間とさせてもらうぞ? 芝居めいた聞き飽きた手だがな"
「......それでいい」
相手の言い分を飲まざるを得ないのが情けない。しかしロリスらの身には替えられない。そういえば今日はBパーティーのラウリオらも潜っていた。あいつらはどうしたのだろうか。一緒に捕まえたのか聞いてみたいと一瞬思ったが、リッチを余計に刺激して妙な方向に事が進んだらまずいので止めておく。
"ではそれで応諾いただいたということでな。地下十二階にこい、勇者。そこに分かる形で最下層への入り口を開けておいてやろう。まあ怖ければ逃げても構わんぞ"
「ふざけろ。大人しく首洗って待ってな」
俺とリッチの視線が交錯する。暗い目の窪みの奥で不気味に揺れる炎がチカ、と瞬いたのを合図に無名墓地の主の姿は急速に薄れていった。固体化していた闇がどんどんその濃度を薄めて空気に溶け込むかのようだ。
"余の宮殿にてお待ち申し上げる。あと二十四時間だぞ、忘れるなよ......"
片頬を歪めたリッチの最後の声。完全にかき消えた奴を小声で罵りながら俺は自分の掌を見つめた。いつのまにか冷や汗が浮かんでいることに気づく。ハンカチで乱暴にそれを拭いながら考えることはただ一つ。
(一刻も早くダンジョンから一旦戻り、残ったメンバーに状況説明した上でパーティーを組む。再び潜りリッチを討伐して、捕まっているであろうロリス達を救い出す)
それだけだ。
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このダンジョンの特徴として、所々に移動を簡略化できる階段の存在があげられる。普通にダンジョンを隅々まで歩いて初めて発見できる階段とは別に、ほとんど直通のごとく各フロアを繋ぐ階段があるのだ。つまり時間がもったいなければこちらの階段を使い、各フロアを歩く手間を省いてどんどん上なり下なりへ移動すればいい。
このほぼ直通階段を利用した俺がダンジョンから出た時には、既に日が暮れていた。結構長い時間潜っていたなと思いながら野営地で待つ他の連中を見つける。
「お帰りなさい、ウォルファート様!」
「ああ」
出迎えてくれたのはいいが、やっぱりそうか。パッと見た感じCパーティーの五人の姿がそこにはない。ポケットに入れたロリスの帽子がくしゃりと潰れた気がした。
「Cパーティーの奴らは......戻ってきてねえのか」
「まだです。ラウリオさん達もダンジョンで見かけなかったと」
困惑した顔で一人が答えた。ほとんど期待はしていなかったがこれで確定だ。ロリスが率いるCパーティーは忌ま忌ましいことにあのリッチに捕まった。奴が嘘はったりをかましている可能性は無くなったと考えていいだろう。
陰欝な顔になった俺を見てただ事ではないと察したらしい。ダンジョンから出てきたばかりで休憩中のBパーティーの連中も俺の周りに集まる。剣の手入れをしていたラウリオもそれを置いてやってきた。
「ラウリオ、確認したいことがある。お前、Cパーティーの連中とは会ってないな」
「ええ。ダンジョン内では完全に別行動でしたからね」
「Bパーティーの五人は全員帰ってきているな?」
「はい、もちろん」
俺の口調からただ事ではない雰囲気を察したらしい。ラウリオの顔が強張る。既に日は落ち、明かりの為に燃やしている篝火が集まった十人全員の影をユラユラと揺らしていた。それがまるで今の不安を煽るようで不快になる。
いつまでも黙っているわけには行かないだろう。意を決して事実を告げた。
「Cパーティーの五人が囚われの身となった。この無名墓地のボス、リッチに遭遇した結果そいつの手元にいる。まだ生きてはいるが早急に助ける必要がある」
空気が緊迫したのが分かる。ざわ、と互いに顔を見合わせていた。
(まじかよ、リッチ?)
(やばい相手だよな)
ああ、分かるさ。お前らが動揺するのももっともだ。それだけリッチの存在は危険視されているからな。だがここで俺が折れる訳にはいかないだろう。
「手短に言うぞ。明日パーティー再編成して最強メンバーでダンジョンに挑む。ロリスらCパーティーのメンバーを救出するんだ。びびりは必要ねえ、帰れ」




