さあ、ぼちぼちクエストなんだぜ
穏やかな風がゆるりと吹き込む。ああ、春だなと感じさせる日だまりの暖かさを含んだ風に、俺は目を細めた。それに気づいたのか、向かいに座るギュンター公が片眉を上げた。
「いかがされた、ウォルファート公」
「失礼、風が春のそれだなと思いましてね。つい気持ちよくなって」
俺の返事にギュンター公は書類をめくる手を止めた。「ああ、そう言われてみれば」と呟きながら俺の視線を追うように窓の方に目をやる。多くの執務室は南側に窓が設置されているがギュンター・ベルトラン公爵の執務室の窓はやや西側を向いている。黄昏時の風景が好きでね、と彼は面映ゆそうに言ったものだが、ほんとは一番日の当たる部屋は一般職員の勤務用に回すよう公が希望したらしい。厳しいだけではなく、そういう気遣いもできる部分は尊敬に値する。
今、執務室の窓から差し込む日差しは窓枠を切り取り、影を絨毯の上に描いていた。その影の黒が春風に揺れる白いカーテンと対照的だ。
「全くいけませんな、歳を取ると季節の移り変わりに疎くなる」
「まーたまた。それだけギュンター公が仕事熱心に集中してるって証拠ですよ。いつも忙しそうですからね」
「や、そう言われると光栄です」
満更でもなさそうな顔でギュンター公は頬を緩めた。いつも謹厳実直を絵に描いたようなこの人でも笑うとちょっと愛嬌がある。渋いナイスミドルがたまに笑うと、もう若い女の子なんてイチコロなんだぜ。意外にもてるんじゃなかろうかと俺は拉致もないことを考える。
「いやー、しかしいよいよ明日ですか。勇者様直々に兵を率いる無名墓地攻略クエスト、名付けて"銀の聖戦"の出陣は!」
そしてこの部屋にいるもう一人の人物、イヴォーク・パルサード候爵の張りのある声が響いた。ギュンター公と比べると少し小柄で穏やかな印象を与えるイヴォーク候は、灰色がったふわりとした髪を揺らしながら期待に満ちた、もとい満ち満ちた顔つきだ。なんだかなあ、普段はほんと人もいいし政策立案なんかの手回しがいいおじさんなんだが。
「その恥ずかしいネーミング何とかならないんすか、イヴォーク候......単なるダンジョン攻略ですよ、大袈裟な」
「何を言っておられるウォルファート様! 勇者様直々に攻略隊を編成し難関ダンジョンに挑もうという今回のクエスト、このイヴォークもう胸がワクテカでたまりませんよ! ああ、私自身がついていければと」
「どうどう、はい、そこまでだイヴォーク候。候の勇者様への尊敬は見上げたものだが熱くなりすぎるなよ」
興奮するイヴォーク候をギュンター公が宥める。いやあ、イヴォーク候ってほんとに冒険とか英雄叙事詩が好きなんだな。今回の話を俺がぶち上げた時、無茶苦茶乗り気だったもん。おかげさまで攻略隊の編成や予算組みがサクサク進んだけど「自分も行きたい」と言い出されて困ったわ。代わりにラウリオ貸してもらうことで何とか落としどころ見つけたけどね。
「はあはあ、済みません。つい熱くなりまして」
「ありがとうございます。ご期待に沿えられるよう頑張りますよ。任せといてください」
はは、と笑うイヴォーク候に俺はニヤリと人の悪い笑顔で答えてやった。まあやるこたあダンジョン攻略だ、それ自体は久しぶりだが。この五ヶ月の準備期間中、戦闘勘を取り戻す為に相当ハードに訓練してきた自信が俺を支えている。抜かりはない。
そんな俺とイヴォーク候のやり取りを見ながら、ギュンター公が再び書類に目を落とす。
「あの無名墓地が近くにある為に王都周辺の開墾がままならん。ま、交通の要所ゆえ王都の場所は決まったので近くで生産量増加まで望むのは贅沢かもしれんが、直轄地が増えるに越したことはない」
低く伸びのあるギュンター公の声に俺は耳を傾ける。
「勇者であるウォルファート様にあれこれお願いするのは気が引けるのだが、そういう意味も含めてこの"銀の聖戦"の成功を期待させていただきたい」
「いいすよ。だからその恥ずかしいクエスト名、あんまり言わないでくれます?」
ああ、うん。すごくシリアスにギュンター公が言っているのは分かるんだよ。だけど大袈裟なクエスト名のせいで笑いを堪えるのに必死なんですよ、こちらは。横目で見るとその恥ずかしいネーミングの当事者は「最高のクエストネームですよ!」と大まじめな顔だし。
とりあえず頑張ってきます。
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明日がクエスト出陣ということもあり、今日は早めに仕事を切り上げる。留守の間の仕事は周りの人間に振った。というより相談役である俺の仕事は、いなかったらいなかったで何とかなるのだ。そういう意味ではありがたい。
「ウォルファート様、頑張ってくださいね」
「バシッと攻略してきてください!」
周りの職員から見送りの言葉をもらいながら、軍事府の建物を後にした。まだ日は高くどこかに寄りたくなるが生憎日が高すぎておねーちゃんのいる店はまだ開いてもいない。おとなしく帰れってことらしいと解釈し、寄り道はしない。寂しいもんだ。ああ、まあ一応家庭持ちだし仕方ないか。
未だ最下層までは攻略されていない難関ダンジョンの無名墓地の国王軍による攻略を提案したのは公には公的事業の資金集めだが、個人的にはもう二つ理由がある。一つは一定期間徹底的に実戦を積むことによる戦闘勘の回復--やはり訓練だけでは不安だ--、もう一つは得られた金の一部を自分の物にするためだ。
前者は当然来るべきアリオンテとワーズワースとの再戦を見据えてだが、後者は個人的なボーナスとしてだ。他の貴族と違い、俺には領地が無い。月10,000グランの町連合からの礼金と王国に仕えることによる給与だけが生命線だ。合算すれば結構な収入だが俺だけではなく、セラ、双子、更には屋敷のメイドや使用人に払う給与、屋敷の維持費などがある。それを考えると安穏ともしていられないという悲しい事実がある。つまり出費もそれなりに多い。
(金繰りに困るほどじゃあないが、ちっとは余裕もたしたいんだよなあ)
もちろん危険を伴うクエストなので、今回選ばれた兵士や俺が選んだ冒険者も得た金の一部をもらう権利がある。いわゆる臨時賞与だ。こういう物がないと意気も上がらないからな。
公的なやる気と私的な欲、両方ある時が一番人間働くんだ。本質的に欲張りだからさ。
ある曲がり角を左に折れた。道の脇は開けており未だ開発されていない。看板によると将来は商業地区として開発予定されているらしい。勇者時代に貯めた財産は手付かずで残っているのでそれをこういう地区の投資に回してもいいなと考えながら、俺は家路を急ぐのだった。
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「「パパだ!」」
「「あしょぼー!」」
俺が帰ってきたことに気がついたシュレンとエリーゼが駆け寄ってきた。「おっと、よしよしいい子にしてたか」と膝に抱き着く二人の頭をぽんぽんと撫でる。騒がしいけどこういうのも、ま、悪くないか。
「おかえりなさいませ、ウォルファート様。シュレンちゃん、エリーゼちゃん、お疲れなのですからそんなにじゃれてはいけないですよ」
セラの制止も二歳児には通用しない。あしょぶあしょぶと合唱する二人を俺はひょいと抱えあげる。あー、重くなったもんだ。
「いいよ、いいよ。どうせ明日からしばらく俺いないんだからな。今日くらいは存分に遊んでやるよ」
「でしたら夕ご飯までの間、遊ばれますか。もうすぐできるようですし」
そろそろ赤くなりはじめた夕日に銀髪を輝かせながら、セラが微笑んだ。出会った頃に比べるとがりがりだった身体も年相応の丸みを帯びて少し女性らしさが出てきたみたいだ。そのうちパーティーにでも連れ出さねばならないが、ちょっと露出度の高いドレスを着せても似合わなくもないかな......変な虫がつかなきゃいいが。
「そうだな。今日何で遊んでた?」
「んー、おんまさん!」
「あたち、たまごー!」
えーとシュレンが木で出来た玩具の馬で、エリーゼがやはり木で出来たぱかりと二つに割れる卵で遊んでいたのか。幼児の言葉ってわかりづらいな。
「っし、じゃあ二人まとめて振り回しな! ほーら!」
有無を言わさず二人の手を掴んでぐるんと宙に舞わせたり、ぶーんと水平に振り回したりしてやる。キャー! と嬉しそうに叫ぶ双子。そう、この乱暴な体を使った遊びがシュレンもエリーゼも大好きだ。子供ってそんなもんらしい。
「やっぱり力があるのですね、ウォルファート様」とセラがいうので「そらまあ勇者だからねえ」と答えながらキャッキャと笑う双子との遊びを続行する。ふー、正直ちょっと疲れるんだけど、飯までの間くらい我慢してやるか。明日からはしばらくいないもんな。
飯のあとちょっと経過してから風呂に入る。なるべく夜更かししないように風呂に入る時は早めにするよう心掛けているんだ。俺がシュレンを入れて、セラがエリーゼを入れようと決めていたんだが。
「セラもはいろ、はいろ」
シュレンの一言に俺は固まった。側でエリーゼを見ていたセラも固まった。その顔がみるみるうちに赤くなるのを見た俺は、慌ててシュレンを宥める。
「あのな、シュレン。今日は俺がシュレンを洗ってセラがエリーゼとはい」
「だめー、セラもー」
「エリーゼもー!」
俺の言葉は途中で遮られた。あくまでセラも一緒に入ろうとシュレンは主張し、それにエリーゼも続く。どうしよう、俺も動揺したしセラは動揺どころか動転して「あうあうあうだだだダメです私そんなお見せできるような体じゃないです」と呻いている。
「パパーはいろーセラもー」
「エリーゼもー! はーやーくー!」
そして結局曲げるということを知らない双子に......大人二人はあえなく屈した。
******
色んな意味で問題ありな気の休まらない入浴が終わり、俺はどっと疲れた。畜生、明日に備えて早く寝るはずなのに頭に血が上っている。素人には手を出さない俺だが、別に全く素人なら反応しないという訳ではない。さすがに十五歳の小娘の裸体にどうにかなるほどうぶではないが、嫌でもチラチラ入る白い肌が目に毒だった。ダメな人間だな、俺は......
俺のコンディション不良の原因たる二人の小さな悪魔は今頃天使の寝顔でねんねしているだろう。最近は夜泣きも激減し、セラの負担は減っている。喜ばしいことだ。セラといえばまじまじではないにしてもお互い裸を見たことについては、どう思っているのだろうか。風呂上がってから気まずいため、顔を合わせていないのだが聞くべきか。
ぶるぶると頭を振り、寝酒を飲もうと調理場に足を運びかけた時だった。
「あっ」
「あっ」
背中からかけられた小さな声にぴくっときて振り向く。セラだ。薄い夜着の上に白い厚手のガウンを羽織った彼女は、少し恥ずかしそうに顔を下に向ける。途端に浴室での姿が思い出されこちらも恥ずかしい。
「どした。眠れないか?」
「あ、はい。何となく」
お互い少し目線をそらしあう微妙な空気が痛々しい。うーむ、こういうのは良くないな。
「まあ、あれだ。シュレンが言い出した事故だ、うん。気にするな」
「そ、そうですね......小さなお子さんですもの、ああいうことだって、ありますよね」
ダメだ。みるみるうちにセラの顔が赤くなる。なだめるつもりが思い出させてしまったらしい。そりゃ恥ずかしいよな、年頃の娘が好きでもない三十路男に裸見られたんじゃあ隠れたくもなるわ。しかし気のきかない俺はあまり上手いことは言えない。
「まあ俺もちょっと落ち着かないからさ、秘蔵の酒を一杯飲りに行くつもりなんだよ。付き合うか」
セラみたいなお子様に飲ますには高い酒なんだがまあいいか。酔えば気も晴れるだろうよ。ちょこんと俺についてくるセラは妙に嬉しそうだったけどな。
王都に来てからというもの、自分で酒を買いに行く必要が無くなった。ほっといても他の貴族やら商人がくれるんだ。別に袖の下ってわけじゃない、ご挨拶にってね。ま、今夜空けたのはその中の高い奴、透き通るような紫色が美しい蒸留酒だ。
「あんま一気に飲むなよ」
「あ、はい」
セラのグラスに注いでやるとそれを上に下に動かしていたが、意を決したのか一口コクンと含んだ。俺は俺でがっつり頂く。まろやかだがコクがある。高いだけあるわ。「ふう」と息を吐いたセラの頬が赤いのは、やはり飲みなれないからだろう。
「飲んだことないのか。ならこれでやめとけよ」
「ええ、明日起きられなくなったら困りますもの。ありがとうございます」
ふっとガウンの裾を翻しながらセラが椅子に座る。俺は二杯目を手酌で注ぎながら彼女の様子を伺った。さっき廊下で会った時よりは落ち着いているように見える。
「あ、済みません。私、気が利かなくて」
「いいって。気にするな。酒の作法なんかすぐに覚える」
俺が自分で注いだのを見て慌ててセラが立ち上がろうとするのを制する。ポーッと頬が赤いセラを見ながら「落ち着いたならもう寝ろ。明日は早い、一応形だけでも見送りしてもらうんだから」と言うと「いえ、もう少しいます」と答えたので放っておくことにした。飲みながらぽつぽつと話す。
「シュレンとエリーゼの世話大変か」
「たまに、でもすごく楽しいです。ありがとうございます」
「ならいいさ。こっちも助かってる」
「私でいいのでしょうか?」
「何が」
目を上げたセラと視線が合った。青い右目が銀髪の隙間から覗く。綺麗ではあるが、どことなく気弱そうな印象を受けた。
「ウォルファート様のおそばに仕えさせていただいて、シュレンちゃんとエリーゼちゃんのお世話をさせていただいて......命を救ってもらえて、またお会いできるだけでも幸運なのに」
「陳腐な言葉を使わせてもらえるならな、それがお前の運命ってやつなんだろうよ。俺が覚えてなくて悪いが、命が助かったのも再会したのもな」
いつのまにか四杯目の酒が無くなる。グラスの縁をツウッと滑り落ちる紫色の滴、それを指先でぬぐいながら俺はテーブルに腰掛けたまま額を抑えた。少し酔いがまわってきたらしい。
「運命なんてな、おとぎ話の中でしか使われない言葉だと笑うかもしれねえが。戦場で十年も過ごせば馬鹿にしたもんじゃないと思うようになるぜ」
ま、信じる信じないはお前の勝手だけどな、と結んで俺は酒瓶の蓋を締めた。銀髪の少女は分かったような分かっていないようなトロンとした顔だ。酔いが回って半分寝ているのかもしれない。
まだ十五歳だしな。無理もない。「ありがとな」と頭を撫でてやるとこくりとセラは顔を真っ赤にして「......いえ」とか細い声で答えた。やっぱり眠いのだろう。




