双子の赤ちゃん
結局、エイダは助からなかった。
女達が応急処置をしている間に薬師が呼ばれ止血を促す薬を与えたものの、お産に伴い開いた傷口は当初予想していたよりも大きく、また複雑な物であり出血が止まらなかったのだ。
冒険者が戦いで負った外傷を治す回復薬も与えられた。けれども、どういうわけか効き目が薄かった。恐らく回復薬が効かない分野の傷なのでは、とは葬儀の後ほどウォルファートは言われたが、もはや後の祭りである。
ウォルファートは思い出す。
これはいよいよまずい、という段階になってウォルファートもエイダの枕元に呼ばれたことを。その時、生まれたばかりの赤ん坊二人(まだ名前も決まっていない)を慣れない手つきで抱っこしたままだ。女の一人に「首が据わっていないから支えてください」と注意され、肘を赤ん坊達の頭に来るよう気をつける。
「おい、エイダ。聞こえるか?頑張れよ、ほら、シューバーとお前の子だぞ!?」
いかに無関係とはいえ、さすがに瀕死の人間を前に全くの無関心でいられる程ウォルファートも情け知らずではない。一刻も早くこの赤ん坊達を手放したいという、彼なりに切実な願いもあったが。
土気色となったエイダの顔を見る。一目でこれは駄目だとウォルファートは悟った。彼が高位の回復呪文が使えるなら躊躇せず唱えていただろうが、生憎初歩のものしか習得してはいない。もはやそんなものでは無駄なのは明らかだった。
「......お願い、が、あり、ます」
「何だ?言えよ早く」
エイダのか細い声が聞き取りづらく、ウォルファートは耳を近づけた。何故かこの時だけ赤ん坊達の泣き声が止んだのは偶然の産物だろうが有り難かった。
「この子達を、お願い......いたします。シューバーと、私の、子達を......」
エイダのカサカサになった唇が動く。金色がった茶の巻き毛も何だか色艶を失い、それが哀れを誘った。
「おい馬鹿、そんなこと......ちっ、仕方ねえな、分かったよ」
シャッキリしろや! と喝を入れかけたウォルファートはそれを止めた。エイダはもう助からない。ならば、最後の願いくらい聞いてやろう。とりあえず、この子らの後見人となるくらいのことはしてやってもと思い承諾したのだが。
「良かったね、勇者様に、育てていただける......」
それがエイダの最後の言葉だった。
(......は? ちょっと待て。今なんて言った? エイダの奴、死ぬ間際に何て言った!?)
ウォルファートは混乱していた。俺が育てる? 誰を?
その問いに答えるように、わっ! と今まで黙っていた赤ん坊二人が泣き始める。いきなりの泣き声にウォルファートは顔をしかめたが、さすがに母を亡くしたばかりの赤ん坊達に怒鳴るわけにもいかず、そこは耐えた。
そしてそれより、さっきのエイダの言葉の方が重要だ。
亡くなった人間が生前最後に発した言葉は遺言となり、相応の強制力がある。もちろん、内容が非合理的なものやあまりに酷いものは無視されるが、真っ当であれば大概認められる。
ましてや今回、ウォルファートはエイダが産んだ二人の赤ん坊を腕に抱いて死に際を看取っているのだ。エイダが赤ちゃんを育てて下さいと言い残すのは自然であり、そしてウォルファートがそれを拒否するのは現状不自然だった。
******
「勇者様。今のエイダさんの間際の言葉、しかと聞き届けられましたね」
ああ、聞いたよ。
「......自分の子を、その腕に抱くことも叶わず亡くなった母親の遺言です。どうか、お聞き届け下さいますよう私どもからもお願いします」
わりぃ、聞かなきゃ良かった。まじ後悔してる。言えねえけど。
「幸い、ウォルファート様は独身にてまだお子様もいらっしゃいません。お断りするだけの理由も、事情も、要素もございませんね」
え。心底嫌なんだけどよ。身元引受人なら、ぎりぎりまあやってもいいけど育てるとか勘弁......
駄目だ。
俺とエイダだけなら聞かなかったふりしてスルー出来たかもしれない。
だがバッチリと証人がいる。それも複数だ。
(もしこのエイダの遺言を断れば、俺は歴代一薄情で卑怯な勇者としてその名を刻むことになるな)
頭の中を計算が駆け抜ける。これでも一応名誉職として、オルレアン公爵という爵位持ちだ。別に愛着も何もない名ばかり公爵だが、それでも何かと便宜を計るに当たっては役に立つ。
それに大魔王を倒した勇者なのに、平民のままでは格好つかないじゃないかというくだらない見栄もある。
その公爵位も、もしもこの遺言無視がばれたら剥奪の対象になるかもしれない。ぶっちゃけそれは避けたい。
(くっそお......金で乳母とかは何とかなるにしても、全く何もしねえ訳にはいかないよな)
親だ。
父親だ。
生まれたばかりの双子の義理の父親、しかも、母親に当たる存在は無しだ。
そりゃもう、山ほどめんどくさいことが降ってくるのは目に見えている。ああ、せっかく戦乱が終わり今まで稼いだ金使ってチンタラ過ごすんだと思っていたら父親だと......
「--分かった、引き受ける。ただし、確認したいことがあるんだが」
断った場合に失う物が大きすぎる。背に腹は変えられない。顔で笑って心で泣いて、俺は女達に頷いた。
俺の手の中で赤ん坊二人がぴーぴー泣き始めた。ああ、こんなうるさいのの面倒みんのかよ?
「はい、何でしょう、ウォルファート様? ああ、ああ、お腹すいたんだね、よしよし」
言葉の後半は赤ん坊に向けて年輩の女が答える。腹なら俺も減ってるんだが。
「俺一人じゃ育てらんねえ。とりあえずあれだ、乳母? が必要なんで二人くらい探してくれよ。給金は弾むからさ、至急に......うおっ、こいつおしっこしやがった!」
「あはは、元気な赤ちゃんですねえ。あっ、男の子なんですね、こちらは。で、こちらが女の子ですか。よかったですね、ウォルファート様」
「聞いてた?」
赤ん坊二人に相好を崩した女に(ちなみに年輩の女だけじゃなく、周囲の女皆取り囲んでいる)凄む。とにかく人出だ。至急必要なんだ、俺には。
しかし考えてみればすぐそこでは、エイダの遺体が痛々しい様子で転がっている。なのに、俺の腕には生まれたばかりの赤ん坊が二人元気に泣き喚き、大人はそれを囲んでいる。なんて悲喜劇だ、わりいなエイダ。ほんとはお前の死を悼むところなんだろうが、それどころじゃねえ。
......まあさ、嫌だけどさ。
とりあえず頑張るわ。だからあの世でこの子らの顔見るのはしばらく先になるから、無事に生と死の神 ディ・ユサールの裁きを超えろよ。お前ならシューバーと共に天国行けるだろ。
それからの数日間はまさに怒涛の勢いで過ぎていった。
エイダの葬儀を執り行い、彼女の遺言を受託した証明書を書き、シューバーとエイダの遺産を受け取る。更に重要なことに、赤ん坊二人の命名を行わなければならなかった。
「なんか適当に格好いいか、かわいい名前つけてやってよ」と俺がディ・ユサールの神官にお願いすると、首を横に振られた。父親(まあ義理なわけだが)しか命名権は無いらしい。
わざわざ俺が借りている借家にまで来てくれた神官の顔を見ながら、俺は隈の浮いた面を渋面にして考えた。何で隈が浮いてるかって? 赤ん坊の夜泣きのせいに決まってるだろ、何で夜泣くんだ、寝ろやちびども。
「なら、男の子はシュレン、女の子はエリーゼだ。いいよな?」
「良い名前かと。シュレン、エリーゼ。これよりディ・ユサールの洗礼の儀を行う」
本当の両親から一文字ずつもらって付けた名前だ、文句ねえだろ。けど神官さんよ、あんたの有り難いお言葉にも泣き声でしか答えないんだけどこの双子。ほんとすいません......
そんなこんなでシュレンとエリーゼと名付けられた双子は洗礼も済ませ、正式に俺の子供になった。ちなみに、生まれてから三日の間におしっこの洗礼を二回浴び、母乳の代わりに与えた牛乳と穀物湯の吐き戻しを一回食らった。しかし今後何度もあるんだろうな、と憂鬱に思いながら汚れることを予想して着ていた粗末な織りの麻の服を着替えたので、とりあえず問題は無い。
ああ、そうそう、乳母は一人は速攻決まった。二十一歳の女性だ。二ヶ月前に生まれた赤ちゃんが不慮の事故で最近亡くなったらしいんだが、母乳が止まらないらしい。これで代用食の牛乳と穀物湯はおさらばだ。
メイリーンと名乗った濃い茶色の髪を後ろで一本の三つ編みにしたその女は、シュレンとエリーゼを見ると優しく微笑みながら「大丈夫ですよ」と言ってくれた。
「何が大丈夫なんですか?」
一応初対面の人間なので俺も口調には気を使う。すぐに素に戻るだろうが。
「シュレンちゃんもエリーゼちゃんも元気なかわいい赤ちゃんだから、きっとウォルファート様も好きになりますよってことですよ。ほら、笑ってる」
ニコニコと笑いながら、メイリーンが双子を抱っこして俺に見せてくれた。生まれて初めて母性を感じさせる存在に抱かれた安心感からか、赤ん坊なりに笑顔らしきものが浮かんで......いるんだろうな多分。
正直生後間もない赤ん坊の表情なんてよく分からない。
「こんなこと聞いて気を悪くしないで欲しいんですが。お子さん亡くしてすぐ縁もゆかりもない赤ん坊の世話とか、嫌じゃないんですか」
俺のストレートな言葉にメイリーンは一瞬顔を伏せた。まずかったかな、と思ったが、どうせいつかは聞かなくてはならないことだ。仕方ない。
「全く抵抗が無いといえば嘘になりますね。でも」
一旦言葉を切った彼女は、シュレンとエリーゼを赤ん坊用の小さいベッド(ベビーベッドというんだそうだ)に並ばせて寝かせた。青い産着のシュレン、ピンクの産着のエリーゼが並ぶと、その色が紫陽花を連想させる。
「勇者様のお子様の役に立てるなら嬉しいですし......それにこう思うんです。これはきっと亡くなったうちの子がくれた育児のチャンスだって。次に私に子供が出来た時におたおたしないように、今のうちに慣れておけば、役に立ちますから」
「あー、まあ、そう言ってくれるなら助かるわ。最初に言った通り給金は弾むからよろしく」
俺も馬鹿じゃない。メイリーンの言葉を額面通りに受けとった訳じゃない。だが前向きに捉えてくれるならその方がいいし、彼女自身も旦那も若いのだから、まだ自分の子供を持つ機会はきっとあるだろうさ。
フニャフニャ言っているシュレンとエリーゼを覗く。異様にちっちゃい手、ふわふわの薄い髪の毛が見えた。
「喜べ、双子。とりあえず、お前らの当面の母親がわりは確保したぞ」
何気なくぽつりと呟くと、ベビーベッドを挟んだところに立つメイリーンが笑った。
「なんだ?」
「いえ、勇者様って面白い方だなと思って。すいません、失礼ですよねこんな言い方」
「別に構わねえよ。公爵位持ちだけど、平民じゃ格好悪いから廃位貴族の爵位貰っただけの名ばかり貴族だ。中身は荒事と商売のことしか知らない無骨者さ」
別に謙遜じゃない。事実だ。オルレアン公爵家に連なるのは俺一人しかいない......ああ、この双子も義理の子供として含まれるのか? ま、いいや、どっちでも。
「これからよろしくお願いします、それで申し訳ないのですが、ちょっと席を外していただけますか?」
「はい? 何か?」
ちょっと顔を赤らめたメイリーンがベビーベッドと俺を交互に見ながら、決まり悪そうに口を開いた。
「赤ちゃん達に母乳あげないといけないので......すいません」
「そりゃ俺がいたらまずいわな」
慌てて俺はベッドから離れて部屋を出た。扉を閉める時に振り返ると、メイリーンが青い産着、つまりシュレンを抱っこして自分の服の胸元を広げようとしているのが見えたので「しばらく戻らないから」と声をかけそのまま立ち去る。
あー、なんかあれだな。
母子の時間を邪魔しちゃいけねえよな、と思う気持ちが半分。
とりあえず、急にどっと瞼にのしかかってきた眠気が残り半分。
どっちにせよ乳母が来てくれた安心感から緊張の糸がほぐれ、それだけどっと隠されていた疲労が噴出した気がする。
考えてみればバタバタしていてろくな食事もしてないし、酒飲む暇も無かった。今はちょうど昼飯時だ。軽いエールの一杯でも煽って腹を満たせば、午睡くらいは出来るだろう。
「ウォルファート・オルレアン、休ませていただきます」
誰に言うともなく独り言、俺は眠い頭を振りながら近くの定食屋にのろのろ歩いた。