四人の生活ってこんな感じさ
「おーい、待てー!」
「やーだー!」
「やーだー!」
あーあー、朝から鬼ごっこかあと今日もため息だ。起きてからいきなりセラの制止を振り切り、屋敷の部屋を飛び出したシュレンとエリーゼ。いたずら盛りの双子は速い。俺はそのあとを追った。三階建てのでかい屋敷(それでも公爵の屋敷としては小さいらしいが)に最初はびびっていた双子だが、最近は慣れたらしく屋敷を探検していい気になっている。
「ダメですよ、シュレン様、エリーゼ様! まだこちらの部屋はお掃除済んでないんですから!」
メイドの声が聞こえた方に廊下の角を曲がる。いた、客間の前で双子が部屋のドアに突進しようとしているのを、メイドの一人が阻止している。なかなか見上げた根性だ。ちなみにメイド服はアイラが発注してくれたデザインで皆、黒い上下に白のフリルがついたエプロンだ。ま、普通だ。ぶっちゃけ興味ない。
「やだー、いーれーてー」
「いーれーてー!」
小さいながらも拳を振り上げ、メイドにシュレンとエリーゼが断固抗議している。あーあー、朝からセラが懸命に結ってくれたエリーゼの金髪が、早くも片方崩れているんですけど。シュレンの黒い癖毛が寝癖で跳ねているのはいつものことだな。
「すみません、ウォルファート様。二人に逃げられてしまって」
「よくあるよくある。ほら、そっちから包囲して。捕まえるぞ」
ようやく追いついたセラに声をかけて、俺は双子を追い込み捕まえた。この晩秋の朝、薄い夜着にガウンを羽織っただけのセラは寒そうだが、本人は全く気にしていないようだ。屋敷の中はこれまで彼女がいた環境に比べれば、遥かに暖かいらしい......庭の下働きしてた時はいっちゃなんだが、みすぼらしい格好で早朝から庭仕事してたからなあ。
「お手柄お手柄」とセラとメイドに声をかけて部屋に戻る。もちろん双子を小脇に抱えてだ。
「パパ離してー」とシュレンの声が聞こえるが無視だ無視。エリーゼが「ママ助けてー」と言っているが、セラが困ったように笑って頭を撫でてやると少し静かになった。凄いな、セラ。
明日には職場にセラと双子を連れていくわけだが、こんなドタバタしていて大丈夫かなと思わなくもない。
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公爵らしくということなので料理番もいる。おかげさまで自分で何もしなくてもきちんとした朝食が出てくる。ありがたい。小麦を挽きその粉を果物のジャムと混ぜた、なんとも言えない甘さと粘り気のある粥のような物が双子はお気に入りだ。俺はパンの方が好きなのでそうしてもらっているが。
「ウォルファート様は今日はお休みなのですね?」
「そうだよ。二人見るの大変か?」
シュレンとエリーゼの二人の朝ごはんが終わり、その口元を拭いているセラに声をかける。逃げようとする双子をメイドの手も借りて何とかしようとしながら、セラは笑って答えた。
「全然大丈夫です。だってウォルファート様のお役に立てるんですもの。毎日が楽しいです」
セラは穏やかだ。十五歳という年齢の割に落ち着いており、あまり浮ついたところがない。イヴォーク侯爵からこちらに引き取った時には服が服だけに貧相な感じが否めなかったが、きちんと体を洗わせてこざっぱりした服にするとだいぶ見栄えがするようになった。いわゆる美少女というのだろう。こういうタイプが好きな男も世の中には多い。
「それでは私、乳母車でシュレンちゃんとエリーゼちゃんをお散歩に連れていきますね。ごゆっくりされてください」
「ん、じゃ任せたからな~。シュレン、エリーゼ、セラのいうことをちゃんと聞くんだぞ」
聞いてるのか聞いていないのか、騒がしい双子がセラに連れていかれた。途端に静かになった食堂でメイドが出してくれた紅茶を飲みながら本でも読むかと考える。平和だ。使用人がいると全然楽だな......仕事に行く日はともかく、休みの日は下手すると時間持て余しそうだ。とりあえず二階に構えた書斎に引っ込み、のんびりすることにした。
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俺はセラ・コートニーの顔を覚えていない。
いや、勿論愛人改め内縁の妻として、シュレンとエリーゼの面倒を見てもらうことになってからの彼女の顔は覚えている。俺が覚えていないのは、彼女が言っていた七年前に俺が彼女を助けた時のことだ。
(ここから東の方の村ねえ。山ほど解放してきたし、覚えてねえなあ)
セラが言うには魔王軍に支配され苦役に喘いでいたその村を俺達が攻め落とし、村人達を解放したそうだ。その時、俺自身が村人達の前で今までの苦労をねぎらい、今後の治安について話したらしいんだが--これもまた記憶にない。
多分やったんだろうけど他に解放した村や町の記憶と混じってどのことを指しているのか分からなかった。
とにかくだ。熱心にセラが話すことには、魔王軍との戦いで家族を失い天涯孤独の身となっていた彼女はその村でも最下層の生活を強いられていた。使える村人は魔王軍の連中もまだましな待遇を用意していたんだが、セラのような特に何の取り柄もない子供--当時8歳だ--は奴隷扱いだったらしい。
使い捨ての奴隷の人権など無論無く、あと一ヶ月俺達が解放するのが遅ければ過労と栄養失調で死んでいただろうと、セラは話してくれた。
「私の髪、気になりますか?」
そういいながらセラは少し寂しそうに笑った。櫛をいれて整えられた長い銀髪は、彼女の白い顔の左半分を隠すように流れている。あのままだと目に悪いだろうと思っていたが、セラの様子に何となく聞いてはならない気がしてただ黙っていた。
(あの年齢で失明はきついよなあ)
書斎で読書をしながら、俺は長椅子に行儀悪く寝そべっている。クロス貼りの天井は上品な唐草模様で気持ちを落ち着けてくれた。傍に置いた小さな卓には、暖めた蒸留酒が陶器の酒瓶に詰められて緩やかな湯気を出している。軽く一杯やりながらセラから聞いた話を思い出す。
セラ・コートニーの左目はもう見えない。
魔王軍の兵に負傷させられ、ろくな手当も受けられなかった結果だ。傷自体はそれほど深くないのだが、自分の左目を見せるのが嫌で彼女は髪で顔の左側を隠している。
それを聞くと俺も何も気の利いたことも思い浮かばなかった。ただ「......これからは残った右目でシュレンとエリーゼを見てやってくれ。あいつらもいろいろ迷惑かけるけど、楽しいこともあるだろうし」と励ましらしきことだけが彼女に言えた全て。
酔わない程度の酒で喉を潤しながら、俺は長椅子から身を起こした。採光を考え広く取られた窓枠に身をもたせかけながら外を見る。
屋敷の庭が目に入る。赤茶けた落ち葉が何枚も緑の芝に積もり、その中を縫うようにして一台の乳母車が進んでいた。銀髪の女の子がその乳母車を押している。
セラの手つきはまだちょっと恐る恐るだ。双子が比較的早く馴染んでくれたからか彼女もシュレンとエリーゼには自然に接することができているが、勿論子供など産んだことのない彼女は子育ては未経験だろう。
ただひたすら命の恩人である俺に再会出来た喜び。それがセラの頑張りの原動力になっていることくらいは、俺にも分かる。
結構な距離が離れているし、窓ガラスがあるので三人の声は聞こえない。それでもちらっと見えたシュレンとエリーゼの顔は笑顔だった。セラも微笑みながら二人に何やら話しかけている。
母親というにはあまりに若く、自分自身がまだ子供みたいなのに双子の世話を献身的にこなすセラの姿は中々絵になっていた。こじんまりと整えられた庭に秋の陽射しが差し込み、そこを歩く三人の姿は血も繋がっていないのに"家族"という名で呼んでやりたくなる。
(ちょっと感傷的になっちまったな)
一つあくびをした俺は窓から離れた。昼飯までまだ間がある。もう少し本でも読むとしよう。
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この屋敷を手に入れて良かったと思うことはいろいろとある。庭が綺麗な点、部屋が幾つもある点、馬を二頭飼えるだけの厩舎がある点などなどそれこそあげていけばキリがない。
ちなみに屋敷自体はシュレイオーネ王国の国王陛下並びに有力貴族からのプレゼントで、俺は1グランも払っていない。屋敷の維持費は俺の財布から出さなくてはならないが。
さて、そんなお気に入りの屋敷の中でも俺が一番気に入った部分。それは--
「おらー、シュレン、エリーゼ! ちゃんとお風呂入らないと駄目だぞ!」
「「遊ぶからお風呂やだー」」
「わがまま言うなよー、明日は皆でパパのお仕事見に行くからちゃんと綺麗にしないとだーめーだー!」
そうなのだ。ここ、王都には風呂という最新設備がある。人が入れる大きさのタイル張りの箱を想像してくれ。この箱の上部は開閉可能で人はそこからこの箱の中に入る。この箱の中には適温のお湯が並々と注がれており、入った人は温まることができるという寸法だ。
最初これを見た時にはびっくりした。行水や水浴び程度しか今までしたことがなかった俺にしてみれば、全身を湯に浸して温まることができるなんて想像の域を超えている。
しかし一回恐る恐る入ってみて感嘆した。このお湯が貯められた箱のことを浴槽というんだが、浴槽の隣で体や髪も洗えるし風呂の湯で洗った後に存分に流せる。そのあと湯の中で手足を伸ばすとなんとも心地好い。
筋肉の強張りがほぐれるのが分かるし、ちゃぷちゃぷという水音が耳に優しい。大量の水とそれを湯にするだけの燃料が必要なのでまだまだ一般的ではないが、貴族の屋敷には徐々に広まっているとはイヴォーク侯爵の言葉だ。
体を洗いさえ出来ればいいやと俺は王都に来るまで考えていたが、風呂を使ってみてその考えを改めた。お湯に浸かることにより血の巡りがよくなったり、全身がくまなく洗えるので断然清潔だ。お湯を沸かす燃料の薪代が必要だがその程度は問題ない。
だがしかし。行水だろうが風呂だろうが双子をそこに入れる手間が必要になるのは変わりない。そして子供というのは気まぐれなので、こちらの言うことを聞いてくれるとは限らないわけで。
浴槽が置いてある部屋を浴室と言うんだが、その隣に小さな着替え用の部屋がありそこで服を脱いで風呂に入る。逆に風呂から上がったらそこで体を拭いて服を着るんだ。
その着替え部屋で先にシュレンを脱がせてさて次はエリーゼか、と思った時だった。シュレンの奴、パッと俺の隙をついて着替え部屋から脱走しやがった。俺が「あっ、待てよ!」と言った時には裸のまんまトコトコ廊下を駆けていく。まだまだ小さな柔らかそうな身体の癖に、思いのほか足が速い。
すぐに追いかけられればいいんだが、二人を脱がす前に俺も服を脱いでいたのでそれが出来ない。まさか屋敷の廊下を裸のまま走る訳にもいかないだろう。
「おーい、悪い! 誰かシュレン捕まえてー!」
「はい、ただいま......っ、ウォルファート様、その格好は」
着替え部屋の扉の隙間から僅かに上半身だけ覗かせた俺に、答えたセラが顔を赤らめた。大事な部分は体を拭く為の布で被っているし、そもそも身体の大半は見えないように着替え部屋の内側に隠している。それでも肩や脇が剥きだしの俺がちらりと見えたらしい。
おーおー、うぶだねえ。しかしこちらも裸のまんまだし寒いんだよ。
「脱衣中に逃げ出されたから仕方ないだろ、頼むこんなあられもない格好でシュレン捕まえにいけないからさ」
「あ、はい!」
恥ずかしそうに俺から目を背けながらセラは廊下を走り始めた。丈の長いスカート姿なのに器用に走るなあ。よく蹴つまずかないもんだ。
「パパー、さむい~」
「お、悪い悪い。じゃシュレンより先にはいっちまうか、エリーゼ」
俺の足にしっかりしがみついたエリーゼの頭を撫でてやる。さらさらとした金髪は王都に来てから食糧事情が改善されたためか艶を増したような気もするが、まあ今はそんなことよりさっさと身体を洗ってやろう。
いやー、しかしやっぱり男の子の方がやんちゃなんだな。エリーゼはこういう時に裸で逃げ出したりしない。シュレンは割とよくやるんだ、これが。
しかしこんな様子で明日職場に連れていって大丈夫かよ。ものすごく心配なんですけど、俺。




