俺の恋愛なんてどうだっていいだろ
ずいぶん寒くなってきたな、と思いながら、俺は膝の上の双子をあやしている。夕食を終えたシュレンは、昼間に馬と遊び過ぎた反動か早くもうとうとしていた。、エリーゼはエリーゼで、宿に着いてからとことこと廊下や階段を歩き回って探検したせいか、疲れて眠たいようだ。
いや、ほんといつもこうならどんなに楽か。寝かしつけに時間がかからないのは幸いだ、と思いながら、俺は義理の息子と娘の小さな柔らかい背中を優しく撫でていた。もう夜になると結構寒い。風邪を引かないように気をつけてやらねば。
「ねむい」「だっこ」
「おし。よいしょっと」
二人の体を膝から肩へ。おお、重くなったなと思いながら、アニーに毛布を運ばせつつ、俺は双子を部屋に連れていった。大人が寝静まるまでは、俺とアイラとアニーで交代で双子の見張りだ。ま、他の人もいる宿だから念のためだな。最初はアニーが番につく。
「適当な頃合いで交代な」
「はーい、ごゆっくり」
正直この番をするのは暇なんだが、アニーは嫌がる顔もしない。こういう部分はこいつのいいところだ。部屋から去り際、ふとあることが気になって俺は彼女に声をかける。
「そういや、あと二日で王都だけどさ。お前やりたいこととか決まった?」
「ううん。いろいろ見てから決めたいからまだです」
「そりゃそうだよな」
焦って決める話でもない。どうも身元を預かる身としては、アニーの今後の身の振り方まで気にしてしまう。ま、活発だし器用だからどうにかするだろう。部屋を出た俺を待つのは、しばし一息入れられる幸せな一時だ。即ち晩酌。
「おー、ラウリオー、お前も付き合えよー」
「あ、はい......その、女性がいるお店ですよね?」
おいおい、今更何をきょどっているんだい、ラウリオ君。こんな宿場町なら旅人相手の店といえば、ちょっと色っぽい女の子のいる店に決まってんじゃねーか。何を言ってやがるんだよ。
とは言え俺は知っている。実はラウリオが、アイラの方をちらちら気にしているのを。アイラに気があるのか、はたまた単に女はほっといて男だけでお楽しみに行くのが気がひけるのかは知らないが、とにかく気にしているのは明らかだった。
「あら、私は気にしなくていいですから。どうぞ楽しんでいらして下さいね。ご・ゆ・っ・く・り♪」
「ほれ、アイラもああ言ってくれてるし行くぞ。それとも何だ、俺と行くのが嫌なんか、あー悲しいなあ悲しいなあ、世界を救った勇者の誘いがこんなに無下に断られるなんて悲しいなあー」
「行きます行きますとも! お供させていただきます!」
顔を引き攣らせたラウリオの肩に手を回し「心の友よ!」と俺は言ってやった。見送るアイラの笑顔が何だか冷たい物を含んでいた気がするが、気にしなーい。一時間くらい気晴らししたって別にいいじゃん、普段頑張ってるんだしな。
******
旅ももう終盤だ。アニーに言ったように、あと二日で目指す王都に到着する。結局リールの町を出てから五十日近くかかったことになる。やっぱり子連れだから時間かかるなあ。ま、何事もなかったからいっか。
(いや、何事かはあったな)
「やーだ、勇者様ったら。杯があいてましてよ?」
「おー、わりいわりい。美人の酌だとついつい飲みすぎちまってね」
「ま、お上手なんだから」
薄暗い、どことなく淫美な雰囲気のある店、そして薄手の体の線が出る服から白い肩を剥き出しにした女。いーね、やっぱり飲むならこういう店じゃなくちゃね。小さい宿場町だから、酒の種類も少なければ女の子のレベルもぶっちゃけちゃうと高くはないんだが、とりあえず十分だ。
だが息抜きは息抜きで楽しみながらも、俺の頭のどこかで疼く物はあった。言うまでもない、双子とアニーがダウンして急遽寄った村で戦ったワーズワースと、奴が育てている大魔王の息子のことだ。
女の子がついでくれた酒を一口、二口煽る。濃い飴色の酒が喉を焼き、僅かに俺をむせさせた。酔いが回り始めた頭にあの二人の言葉がぐるぐる回る。
"お前絶対許さないからな!"
"私にも守る者はいる!"
仇討ちか。ありふれた復讐の理由、どこにでも転がっている戦いを挑む動機だ。今にして思えば、アリオンテのその復讐心を知っていながら、先に俺に戦いを挑んできたワーズワースはアリオンテを守る為に俺を倒そうとしたのかもしれない。
あの大魔王の息子が戦力差も考えずに暴走して、正面きって俺に戦いを挑む危険だってないことはないからだ。
(ま、ワーズワース自身も俺への復讐心はあるだろうから、その辺は微妙だけどな)
酒をまた一口。横に座る女の子がつまみを取り、それが女の子の手から俺の口へぽんとほうりこまれる。たわいない戯れ、現世の憂さ晴らしだ。そんなことを繰り返す。
ふっと何回か、アリオンテが俺を睨む涙混じりの赤い目と冷たく俺を睨むワーズワースの緑の目を思い出した。背筋が凍りつきそうな錯覚、思わずぶるりと震える。
「あら、大丈夫ですか、勇者様? 寒い?」
「ああ。でも君の手さえ握れば大丈夫だよ」
「まあ、うまいこといっちゃって!」
媚態を作る女の子の柔らかい手に、そっと自分の手を乗せる。戦いを知らない白い小さな手だ。俺の無骨な手とは違う。
一時の温かさにすがるように俺はその小さな手を握り「やってやるよ」と女の子には聞こえない小さな声で呟いた。
アリオンテもワーズワースも俺の宿敵といっていい存在だ。少なくともあの二人は俺を狙うだろう。例え今でなくても将来的には。傷だらけでぶっ倒れた俺が目覚めてから、当然のごとく皆に何があったのか質問された。だが俺は真実を口にしていない。アウズーラの息子とその副官がまだ生きており、俺を付け狙っているなんて知れたら大混乱に陥ることを恐れたからだ。
「もう一杯くれよ、かわいこちゃん」
「うふふ、たくさん飲んでね。今日はまだまだいらっしゃるんでしょ?」
媚びを含んだ女の子に俺はかぶりを振った。残念だが、そう長くは宿をあけられない。
「悪いけどこれが最後の一杯なんだ。帰らなきゃな」
「あら、残念ですわ。また来てくださる?」
聞き分けのいい子でよかったと思いながら、俺は小さく笑った。店の薄明かりの中では、こういうニヒルな笑いが水商売の女の子に魅力的に映るのを知っている。ま、楽しませてくれたサービスだ。
「願わくばね。おい、ラウリオ! 帰るぞ」
「......ひっく、ふぁい、ウォルファート様」
ああ、駄目だ。酒に飲まれてやがる。これだから若造は。
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「飲み過ぎだ、馬鹿」
「すいません......」
宿に戻った俺は、引きずるように連れて帰ったラウリオに軽く説教しておいた。「女の子のいる店でへべれけになるまで飲んだら楽しむもんも楽しめないだろうが、胸の谷間にチップを差し込むとか色々」と言ったら脇で見ていたアニーが白い目で俺を見る。
「ああ、お姉ちゃんと交代してお二人の帰りを待ってたのに。はあー、ウォルファート様、あんまりラウリオさんに悪いこと教えたらダメじゃないですか」
「俺は遊び方教えてやってるだけだぜ? 男なら必須、夜の授業だ、なあ?」
「そそそそうですね!」
アニーに答えながら横目でラウリオを見ると、情けないことに顔を引き攣らせてやがる。ほんとはああいう店に興味津々のくせに格好つけやがって。
「ねえねえ、勇者様。シュレンちゃんやエリーゼちゃんが将来大きくなった時にも、やっぱりおねーさんのいるお店通うの?」
「ん? ま、多分通ってんじゃね。俺の唯一の楽しみだし」
俺の返事にアニーは首を傾げた。自分から矛先がそれて幸いとばかりに、ラウリオがこっそり息を吐いているが見逃してやる。
「あたしの口から言うのもあれですけど、身固めたらどうですか?」
「やだね。結婚なんて性に合わないし、一人の女に縛られたくないし」
「えー、でも安定した家庭って大事だと思いますけど。ほら、もうウォルファート様だって三十路になったわけですし。いつまでも若くないんだから」
「人を年寄り扱いするのは止めてくれませんかアニー君。大体他人の恋愛に口挟む前に、自分の恋愛気にしたらどうなんだよ?」
ちょいとばかり酔いが回っていたこともあり、俺の口も軽い。アニーはムッとしたように眉をひそめる。
「あたしは自分の恋くらい自分で何とかしますよ。なんですか、勇者様がいつまでもふらふらしてるから心配してあげてるのに」
「別に心配してほしいなんて言ってねーよ、大きなお世話だアニーちゃん。似合いもしねえ義理の親やってりゃ、酒の一つくらいは好きな店で飲みたくならあ」
「怖いんじゃないですか?」
すっと切り込むようなアニーの言葉だった。即座に答えず、はっと鼻で笑ってやる。俺とアニーの間の空気が微妙なものになり、間に挟まれたラウリオはオロオロしていた。
「怖いって意味分からないんだけどな」
「分かってるはずですよ。特定の恋人が側にいて、計算のない好意を向けてくれることが怖いんですよ、勇者様は。人の好意を信じてないから? あるいは好きな人が自分の元から去っていくのが--」
アニーの言葉は最後まで続かなかった。バン! と大きな音が遮ったからだ。どこから? 俺の掌が卓を叩いたその場所から。卓が割れなかったのは運がいい。
チリチリと神経が焼き切れそうに熱くなっている。アルコールが入ってたから尚更だ。目の前のアニーを睨むと、ビクッと怯えたような顔になった。ああ、そうか、そんなに怖い顔か今の俺は。
「知った風な口利くんじゃねえよ、アニー」
自分の口から飛び出した言葉の冷たさは良く知っている。乱暴に椅子を蹴るように立ち上がり、俺は二階へ向かった。アイラと交代する為だが、そんなのは後付で、一番の理由は冷静さを欠いたままあの場にいたくはなかったから。
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結局のところ、自分がお金でどうにかなってしまう人間関係に傾いているのは何故なのか。忙しいから、勇者の名誉目当ての女なんか信用できないからとか色々理由はつけてきたけど、めんどくさい恋愛から逃げてきただけ恐がってきただけと言われればそうなのかもしれない。
胸の中に今も疼く思い出がそうさせるのだろうと分かっていても、いや分かっているからこそキレてしまった。三十歳になった男が十歳以上も年下の女の子にマジギレなんて笑えない事態だが。それでも......踏み込まれたくないことの一つや二つ、この歳になればある。
翌朝アニーが謝罪して、俺がそれを受け入れたことでその晩のことは無かったことになった。少なくとも表面上はね。
けれどいつかは、俺も人並みの恋愛に向き合う必要があるんだろう。それでも今は、アニーが突き付けた事に対して何も明確な答えは出さず、出せずじまいのままだ。
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「ほう、あれが王都ねえ」
馬車から身を乗り出した俺は感嘆のため息を漏らした。澄んだ空気を通してまだ遠い距離ではあるものの、その存在を誇示するように城壁らしきものが見える。まだ建設途上なのだろう、ところどころに綻びや積み上げられていない石が見えるがそれでも立派なものだ。
「ぱっかぱっか」「ちあう、ぽっこぽっこ」
「どっちでもいーじゃん」
今は俺が子守の番だ。向かいの子供用のクッションを敷いた席で、シュレンとエリーゼが何か言っている。多分馬車の音のことなんだろうが、俺の注意は窓から見える王都に向いていた。
勇者として全国を転戦してきた頃に各地の町や城塞都市を見てきた俺の目からすれば、まだまだ出来上がりつつある王都は若い都市になる。
遠目からだからはっきりしたことは言えないが、例えば、風雪に晒されていない城壁一つとっても年月のみが醸し出す重みがない。
だがその代わり、これから成長が期待出来る若さがある。いや、あると思いたい、せっかく来たのだから。
窓から顔を覗かせながら並走するラウリオに話しかけた。長い旅路もそろそろ終わりだからか、僅かにラウリオの顔にも笑みが浮かんでいる。やはり住み慣れた場所が一番ということか。
「あとどれくらいで着きそうだ。一時間かそこら?」
「はい、大体それくらいですね。勇者様の希望通り、出迎えは無しにしております。騒ぎにならぬようこっそり裏門から入りますが、よろしかったのですか」
「歓迎自体は好きだが大騒ぎされるのは面倒だ。双子がびびって泣くかもしれないしな、そんなの勘弁だよ」
馬車が揺れる。クッションからエリーゼが落ちそうになったので、慌ててそれを押さえながら俺はラウリオに答えた。少し考えれば分かる。世界を救った勇者が王都に転居なんてしれたら、どれだけ注目を集めるか。寄せられるのは好意だけではないだろう、悪意は無いにせよ群がる人々に対応する手間も考えれば密かに王都に入りたかった。
「了解です。でも少なくとも、国王陛下と何人かの重臣の方にはお会いいただく必要はありますから、それはご了承いただきたく。ま、それは後日になりますけどね」
「ああ、分かっている。とりあえず馬車の中は飽きたな、早く手足伸ばしてえ」
欠伸をしながら出来る範囲で伸びをする。それを見たシュレンとエリーゼが真似をして「うーん」と小さな手足を伸ばした。「お前らはいいなあ、ちっちゃいから存分に伸びが出来て」と言いながら、シュレンの黒い髪とエリーゼの金髪を撫でてやる。
よし、よく頑張ったな二人とも。これから忙しくなるけど新しいお家楽しみにしとけよ。




