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水乃領域

 水。生物の体に必ず含まれている水は人間だけではなく、動物にも植物にも必要なものだ。植物はわかりづらいかもしれないけど、枯れかけた花に水をやればシャッキリする。それを見れば、やはり水は植物に必要だと分かる。



 俺達人間にも、勿論水は含まれている。飲んだ水がそのまま垂れ流しにならず、喉を潤した後に腹から体内に吸収されているから、それは明らかだ。そして水というものは、いわゆる手で触れられる液体の形以外にも空気中に散らばっている、らしい。



 らしい、というのは俺が直接調べたわけじゃなく文書で読んだだけだからだ。何の文書かって? それこそ、今俺が手に持っているバスタードソード+5を見つけた時に鞘に巻き付いていた紙切れのことさ。ご丁寧にこの剣に秘められた三つの能力--超加速(アクセレーション)超知覚(センシビリティ)、そしてこの水乃領域(アクアフィールド)について解説してくれていた。ありがたいこった。





 俺の体内の水、普段は意識することすらないそれが、震えるような感覚を覚える。同時に視界が変わり、今までの風景に水色のグラデーションがかかったような感じになった。水色の濃さと空気中の水分の濃さは比例するんだっけな。よし、久しぶりに見せてやるぜ。水乃領域(アクアフィールド)の本領を。



 ワーズワースも何か感じたのか、詠唱が一瞬乱れた。だがすぐに立て直したのは流石だ。そろそろ奴の呪文が完成する頃だろう。なら受けて立ってやる。



 (共鳴しろ、水よ。我は水の王、我が命に従え)



 体内の水を通して周囲の空気中の水に語りかける。水乃領域(アクアフィールド)の能力、それは己の水分を触媒とし、周囲の水分に支配力を及ぼすことを可能にすること。水同士を共鳴させることで、普通ならばありえない現象を自分の物とする力だ。



 素早く俺の周囲の水分を凝結させ、自分の皮膚を通して体内に取り込む。そうすることで、手っ取り早く細胞を活性化させる。

 流血が酷いが、手当てしている暇は無いからだ。とりあえず、応急処置として細胞の回復力を無理矢理引き上げてやる。それと同時に自分の前面に水を集めた。タワーシールドがもう期待出来ない以上、ワーズワースの攻撃に耐え切れるだけの盾を集めた水分で形成する。



 シュウ、シュウウと水蒸気の白いゆらめきが見えた。水の色がかかった視界の中で、俺に共鳴する水の流れが集まり始める。



 チャプン、と本来有り得るはずの無い、空中から聞こえる水が揺れる音。水色がった視界の中で一際濃い水の気配が集積している。それは俺の前に確かにあるんだ。よし、来いよ、ワーズワース。てめえの攻撃呪文なんか、こいつで跳ね返してやらあ。



 ワーズワースの呪文が完成した。一気に勝負をかけにきたのか、赤々と燃える大火球が奴の掌に宿っているのが見えた。へえ、電撃系だけじゃなく火炎系も使えるのか。しかも火炎球(ファイアボール)の更に上、極火炎球(ファイアボールアドバンスド)か、ほんとに万能だな。



「砕け散れ、ウォルファート!」



 奴の叫び声と共に、凶悪な火炎の塊が俺に解き放たれた。通常の火炎より一段濃い色だ。まるで溶岩が気体化したような、ドロリとした火炎が巨大な球となり俺を襲う。直撃すれば勿論のこと、回避しようとしても爆発の余波でダメージは避けられないだろうな。



「普通ならな。受け止めろ、水乃盾」



 俺の全面に展開させた水、その青が極火炎球(ファイアボールアドバンスド)の暗い赤とぶつかる。ジュオッと激しく立ち上る白い水蒸気が太陽を迎えようとする夜空の黒を侵食し、火炎の勢いに押されて俺の方に吹き流されてきた。酷く暑い、熱された蒸気だ。吸い込まないように気をつけつつ、更に俺は水に呼びかける。



「集え、抗え、水よ。全てを受け流し」



 俺の声に水乃盾が反応する。それまで正面からぶつかりあっていた火炎をまるで受け流すように、盾が回転し始めた。少しこちらに流れる水蒸気が減った気がする。

 頼むぜ、水乃盾よ。今はお前だけが頼りなんだよ!



「攻撃を減殺しやがれ、おらあああああ!」



 やべえ、素が出ちまったぜ。しかし効果はあったようだ。水乃盾はまるで成長したかのように巨大化し、一気に火炎を飲み込んだ。鯨が餌の小魚を丸呑みするように豪快に。炎が見る見るうちに鎮火する、青が赤を駆逐する。

 ワーズワースよ、てめえはすげえ。認めてやる。だけどな、俺の切り札はこんな程度じゃ。



「どうにもなりゃしねえんだよ。今度はこっちの番だ!」



「馬鹿な!? あれだけダメージを受けた体で防ぎきっただと?」



 はっ、体内に水を取り込んだおかげで少しは回復したんだが、教えてやる必要もないか。

 呆気に取られたような顔のワーズワースだが、すぐに槍を構えたのはさすがと褒めるべきか。二の矢、三の矢を継ごうと次の攻撃呪文を放とうとするあたり、隙を中々作ってくれない。けどな、こちらも待ちは飽きたんだ。いいか、水乃領域(アクアフィールド)の使い道は防御だけじゃねえ。



 ワーズワースは高位の攻撃呪文を単発で放つよりは、手数で勝負することを選んだようだ。詠唱省略を行い、初級の電撃系呪文を連発してくる。容赦ない連撃だが、水乃盾のおかげで何ともない。逆にこちらが仕掛ける番だ。「水乃牢獄(アクアプリズン)」と俺が唱えると、ワーズワースの周囲の空気がいきなり青く変化、いや変質した。



 咄嗟に危険を感じたのか、跳躍して逃げようとしたのはいい判断だ。だがな、そう簡単に逃げられるような代物じゃないのさ。この水乃牢獄(アクアプリズン)は!



「これは!? くっ、何だっ、私の周囲の空気が......ゴボッ、み、水にだと!?」



 いつも冷徹なワーズワースにしても、この事態は驚くに値するようだ。まあそうだろうな、いきなり自分を取り囲むように出現した無数の水球。それが次々張り付き、酷いことに口を塞ごうとしているんだから。

 当然、奴も黙ったままじゃない。咄嗟に作りだした氷系の呪文を上手く使いこなし、水球を凍らせて脱出しようとするが壊れてもほら。



「水よ、粒子繋がりて戒めの蛇と化せ!」



 ワーズワースに叩き壊された氷の破片が細分化して、霧のようになっていた。しかし、それはまだ俺の支配下にある。俺の体内の水に共鳴した水の微粒子は、命を吹き込まれたかのように連なり、みるみるうちに太いロープのようになった。

 いや、まさに蛇、それも大蛇だ。勢いを増した水の奔流は、破壊不可能な獰猛な蛇となりワーズワースの右手に巻き付いた。



 慌てて脱出しようと試みる大魔王の元副官、一瞬逃げられるかとひやりとしたが、こちらに運があったようだ。間一髪、水蛇の胴は奴の右手に巻き付いたまま一気にそれを締め上げた。ここで逃がすかよ、せっかくの反撃のチャンスだ。



「巻き付け、水乃大蛇(アクアパイソン)っ!」



「く、ぐあああっ!」



 間に合った。完全にワーズワースの右手の指先から肩近くまで覆った水乃大蛇(アクアパイソン)は、液体にもかかわらず、とんでもない剛力で一気に締め上げた。水の共鳴のおかげで、圧力に押されて潰れていく奴の筋肉の断裂音や指の骨が砕ける音が伝わってくる。

 ガッ、と大きく息を吐き、何とかこの水の地獄から逃げだそうと暴れるワーズワースを睨みつけた。まだ終わりじゃない。水乃領域(アクアフィールド)のフルコース、とくと味わえ。



「集まれ、水滴! 俺の右手に! 変幻自在の鞭となれ!」



 叫んだ。駆けた。走りながらバスタードソード+5を収納空間に返し、右手に水を集める。そろそろきつくなってきたがまだいける、最後に作るのは水を束ねた鞭、しかも一本じゃない。その数、実に九本。名付けて水鞭"九尾(ナインテール)"だ。変幻自在の軌道で迫るこの九本の水の鞭、どうかわすよワーズワース!



「うおおおおっ!」



「おせえっ!」



 どうにかこうにか水蛇の戒めから脱出したワーズワースが、左手一本で槍を握り、俺に対抗しようとする。だがその時には、既に俺は攻撃モードだ。割れちまったタワーシールドは放り出し、九尾(ナインテール)を一振りした。手の動きに一瞬遅れてほとばしる鋭い水の鞭、その軌道は剣や槍には生み出せない曲線だ。



 ワーズワースが突き出した槍を、あっさりと鞭の一本が絡めとる。まさか、というように表情を歪めたのもつかの間に過ぎず、残り八本の水の鞭が怒涛の勢いで俺の手から放たれた。息つく暇もない連撃、しかもその軌道は変幻自在ときたもんだ。避けられるもんなら避けてみやがれ!



 九尾(ナインテール)がワーズワースを打ち据えていく。青い水の鞭が奴の黒いマントにぶち当たると、共に徐々に徐々に赤く染まる。

 あれは奴の返り血だ、血に染まった水鞭はまるで"もっと赤く染めろ"とでもいうように、更にワーズワースに迫る。右手を破壊され、左手一本のお前じゃ防ぐ術も無いだろう。俺に喧嘩売った愚を呪えよ。



「ごっ......ぐっはっ!?」



 ワーズワースの呻き声と、九本の水鞭が空気を切り裂く音が交じる。なんせ九本だ、攻撃回数がとんでもない。ビュンビュンと唸る鞭の音はまるで血を求めて止まない獣の唸り声のようにも思えた。当たる、引き裂く、流血が鞭に巻き上げられて夜明けが近い空に舞う。その繰り返し。



「ぶっ飛べえええっ!!」



 散々九尾(ナインテール)で殴りつけた後、俺は鞭をワーズワースの手足に巻き付けた。そして最後の一撃と言わんばかりに、鞭のしなりを利用してそのままぶん投げる。もう受け身すら取ることも出来なかったのだろう、ワーズワースはそのまま石切り場に放り出された巨石の一つに激突しやがった。ざまあみろ。



「ぜえっ、ぜえっ......やったか?」



 俺ももう余力が無い。いくら多少回復させたとはいえ、左肩の傷は重く早急に手当てする必要がある。それに能力解放(オープンアビリティー)の制限時間が来てしまった。水乃領域(アクアフィールド)は既に解かれ、青みがかった視界は通常のそれに戻る。もちろん九尾(ナインテール)も雲散霧消している。



 気がつけば夜明けを迎えつつある。夜の暗闇に東の空から差し込む朝陽の白に追い払われ、気温も少し上がったようだ。ワーズワース、お前の最後だ。せめてお天道様の下で死ねよ。そう思いながら、奴のくぐもったうめき声が聞こえてくる方へ踏み出した時だった。



「止めろ! 義父さん虐めないで!」



「......誰だお前?」



 馬鹿みたいに立ちすくむ俺。

 石に背中を思いきり叩きつけられ、未だその膝を地に着けたままのワーズワース。

 二人の中間点には誰もいなかったはずなのに、俺の前に立ち塞がるこの小さい奴は誰なんだよ。俺に気配も感じさせず、いつ割り込んできやがった?



 人間なのかと思ったがどうやら魔族らしい。子供なのか、身長は1メートルくらいか。当然体の線は細い。そのまだ小さな体を高価そうな服に身を包んでいる。男の子にしちゃちょい長めという感じの紫色の髪は子供特有の艶を放ち、差し込む朝陽にキラキラと輝いていた。いや、そんなことよりもだ。



「四本腕、だと」



「そうだ悪いか、勇者!」



 俺の呟きに可愛らしい声を子供は張り上げた。性別はよくわからん......いや、そんなことよりもだ。

 子供の赤い二つの瞳、そして子供なりに整った顔に見覚えがある。いや、そんな馬鹿なと思うが、しかし。魔族の中でも数少ない四本腕を思い切り広げ、まるで通せん坊をするようにしているこいつの姿が、記憶の中の誰かに重なる。



 そうだ、確かワーズワースが"私にも守る者が"とか言っていた。脳裏に甦るのは、あのスーザリアン平原で激戦の末に俺が倒した最大の強敵。



「若様、駄目です。お逃げ下さい!



「嫌だ、逃げるなら義父さんが先だ! こいつは僕が倒す、だってこいつは勇者で」



 必死の形相で子供を庇おうとするワーズワースに、子供は幼い声を張り上げる。まだ幼稚ながら確かな戦意が届き、一瞬だが俺を怯ませた。



「僕の父さん、アウズーラの仇だ! おい、覚えとけそこのでくのぼー! このアウズーラが息子、アリオンテがお前を倒してやる!」



「やっぱそうかよ、畜生が」



 人間の年齢なら五歳か六歳くらいに見えるこの子供、アリオンテというらしいが、大魔王アウズーラの息子か。てことはワーズワースの奴、自分の主君の子供を預かって逃げて。



 (はっ、どっかで聞いたような話だよな)



 何のことはない。血が繋がってるわけでもない子供を預かり、育ててきた奴の姿は......そのまんま今の俺にそっくりだ。鏡写しと言ってもいいくらいに。



 正直、ここまでぼろぼろになった体でもダウンしたワーズワースといくら大魔王の息子とは言っても幼過ぎて大したことなさそうなアリオンテの二人を吹き飛ばすくらいは出来る。

 だが背後に育ての親を庇い、俺に立ち向かおうとするアリオンテの姿にさっきまでの殺意が沈静していく。



「おい、ガキ。俺を殺したいのか」



「当たり前だ。お前、僕の父さんを返せっ! 返せっ! それに義父さんを虐めたことを謝れ! 絶対......絶対、許さないぞ!」



 威勢のいいことだ。だが膝が震えているぜ。無理して飛び出したはいいが、実力も経験もまだ足りな過ぎる。勇気は買えるけどな。



 少年の赤い目に浮かぶのは紛うことなき殺意、そしてこぼれる寸前にまで溜まった涙。ああ、魔族でも泣くのかと場違いな感想を抱いた俺は、アリオンテの言葉を無視した。ようやくよろめきながらも立ち上がったワーズワースの方を見る。ぼっこぼこにやられ、九尾(ナインテール)で全身切り裂かれたその姿は惨めで、だけど毅然としていた。



「ワーズワースよ、お前、俺の双子の仇がこのガキの父親だってことは伝えてないよな」



「ああ。私も詳しい事情は今知ったからな」



 そこで一旦言葉を切ったワーズワースは、アリオンテの肩に手を置いた。慈しむように。守るように。アリオンテの震えがおさまる。それを見ただけでも二人の間の信頼関係が伝わってきやがった。



「義父さん、何の話なの? 双子? 僕の父さんが何か悪いことしたの?」



「後で話しますから。そうですね、若様も知る義務はありますね」



 ワーズワースの真剣な顔に、アリオンテはわけが分からないながらも頷いた。多分、事情くらいは理解出来る年齢にはなっていそうだ。だからといって大人しく黙ってはいないだろうけれど。



 シュレンもエリーゼもいつか真実を知る時が来る。

 その時二人がどんな決断を下すのかなんて......俺には知りようもない。せめて誠実に対応してやりたいと、柄にもなく考えちまったのはワーズワースとアリオンテのやり取りを見ちまったからだろう。認めたくもないが。



 警戒心を解かずにじりじり間合いを取る。戸惑いながらもこちらの意図が分かったのか、アリオンテも傷ついたワーズワースに肩を貸しながらゆっくり下がった。ま、無理だろ。やる気だけじゃ殺し合いには早過ぎる。目見ただけで分かるさ、ほっとしたのがな。



 勇者の俺と魔族の義理の親子の距離が静かに開く。上りつつある朝の光が、まだワーズワースを守ろうと踏ん張る幼い魔王の息子の姿を浮かび上がらせていた。はっ、いっちょ前に意地張りやがってさ。まあいい、認めてやるよ。



「一旦勝負は預けるぜ、ワーズワース。おい、アリオンテ。もうちょい成長したら勝負しにこい。相手になってやる。その代わり、他の人間には手を出すな」



「逃げるつもり......くっ、分かった。首を洗って待ってろ」



 赤い瞳に宿るのは助かったことへの安堵か。それとも俺に情けをかけられたことへの悔しさか。ま、ここはお前の勇気に免じて退いてやるよ。



「いい心意気だな。再戦の時までせいぜい」



 その先の言葉を飲み込んで、俺はその場を離れた。一度だけ振り返ると、背の高いワーズワースの横にアリオンテが並んでこちらを見ている。雰囲気こそあるが、あんなちびっこいんじゃ、俺に挑戦出来るようになるまではまだまだかかるだろう。だからその時までは。





 親子二人、仲良く暮らせよな。

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