エリーゼ・セイスター・オルレアン 3
偶然、なのだろうか。見覚えのある顔を前にして、私は記憶を探った。そうだ、あれは義父さんが大きな戦争に行く前だったから......私が六歳の夏だな。
その時期、リオンさんはうちの屋敷にいた。事情はよく分からないけど、ある日突然やってきて私とシュレンのいい遊び相手になってくれた。その時は年長のお兄さんという感じだったけど、今私の目の前にいるリオンさんは青年期に差し掛かっているように見える。
背が高い。180センチは軽く超えている。肩幅もがっしりしていて、記憶にある細い少年の体つきとはえらい違いだ。それでも柔らかな紫色の髪と、木漏れ日を受けて輝く赤い目は昔のままだった。
「えー、あー、久しぶりですよね?」
「うん。六年ぶりになるかな」
思い出す。リオンさんもまた義父さんと一緒に出征したんだった。だから私達と遊んでくれたのは、一ヶ月少しくらい。そんなに長い期間じゃない。
戻ってきた義父さんから「訳あってリオンはどこかに行った」と聞いた時は残念だったな。私もシュレンもがっかりしたけど、義父さんが戻ってきてくれたことの方が嬉しくてその内気にしなくなったんだ。
旧交を暖めるという程の深い付き合いがあったわけじゃないけど、無視するには忍びない。そんな曖昧な距離感が今の私とリオンさんにはあったようで。
「え、えーとですね、元気にしてたんですか?」
「それなりにはね。一人でこんなところで何してるの」
どうしても会話は少しぎこちなくなった。それでも話したいなと思ったのは、三日間誰とも話していなかったからだろうか。
******
「--そうそう、そういう訳で、ムグッ、お水すいません、ゴクゴク、はあ、そう、ここで特訓を」
「ギュー」
「特訓......」
ふう、人心地着いたわ。いやー、近況報告とか何でここに白いトカゲ--竜だけど!--といるのかとか話すことはあるんだけど、お腹空きすぎてそれどころじゃなかったのね。
それで申し訳なかったんだけど、リオンさんに食べ物を分けてもらいながらの話になったんだ。王都でご飯食べればとリオンさんには言われたけど、特訓中だから拒否した。「ルーディを認めさせるまでは家に帰りたくないし、王都で誰かに見られるのも嫌だし」と言うと、リオンさんも納得してくれたみたい。
「ああ、それで野外特訓していたのか。けど特訓って具体的に何してたの」
「走らせたり、木登りさせたり、野ネズミと戦わせたりですけど」
「え」
絶句しないで下さい。いや、私もさ。何か違うなとは思っていたんだけど。他に思いつかなかったし!
最後の手段として、自分の血で描いた魔法陣にルーディを入れて祝福を与えるというのもあったけど--いや、いくら何でもちょっとなと躊躇っていたしね。
「だからこんなんしか出来てなくて、ルーディは未だにトカゲみたいなんだよ悪いかこのやろー!!」
「ぐえっ、分かった分かったから手を離してくれ!」
「ギュー」
あっ、興奮の余り、リオンさんの襟を掴んで締め上げていたわ。ごめんね。ぬう、それにしてもこうして人に話すとさ。いかにこの三日間が虚しい結果しか残していないのかよく分かるわね......おかしい、予定だとブレスくらいはそろそろ吐けるはずなのに。
うん、取り敢えずこちらの事情は置いておく。逆にこっちも聞きたいよ、リオンさんがここで何をしているのか、あれからどう過ごしてきたのかって。
「ああ、話せば長いけど端的に言うと」
一度言葉を切ってリオンさんは視線をさ迷わせた。自分が言いたいことを適当に表現してくれる言葉を探しているような、そんな表情で。
「武者修行と自分探しかな。ちょっと色々あってそれ以上は話せないけど」
「くうっ、武者修行と自分探しとは。あれですね、己の中の第二、第三の自分を認識して能力覚醒を促す--素晴らしいです!」
「そ、そうだね......それでいいんじゃないかな」
おお、私の考えを理解してくれる人がここに! あっ、だが何故目を逸らすんだ、リオンさーん! そしてその何だか可哀想な子を見るようにチラチラ見るのをやめろぉー!
そんな私とリオンさんをルーディは交互に見ている。物欲しそうな顔をする彼に餌をやりながら、私は更にリオンさんに聞いてみた。
「あの、ここまで来たってことは義父さんやセラに会いに来たんじゃないんですか?」
「う、ちょっとそのつもりもあるけどね。迷ってたんだよ。あの二人とは色々あったし」
「三角関係ですね私分かります」
「違う!」
おかしいな。即座に否定された。くっ、私の完璧な推理がっ。
がっくりと崩れ落ちる私を尻目に、リオンさんは話してくれた。リオンさんの父親と義父さんがちょっとややこしい関係だったこと。何の運命の悪戯か、あの屋敷にいた一ヶ月ちょっとの間だけ義父さんがリオンさんの面倒をみてくれたことなどを。
「複雑なのさ、僕の君の義父さんに対する感情は」
そう話すリオンさんの顔を厳しいようで、優しいようで、怒っているようで、笑っているようで。
「--いつか決着を着けるかもしれないしね」
「ん、決着ですか? 何の」
「色々と」
それで話は終わりとでも言いたげに、リオンさんは軽く右手を上げた。その辺りの事情については私が踏み込んで聞ける物ではないらしい。ただ「義父さんは元気だよ」と教えてあげた時は、満足そうに笑ってくれた。
うーん、気になるなあー。義父さんとリオンさんの間に何があったんだろうな。でも考えても分からないことだし、これは置いておこう。
「ギュー」
「はは、可愛らしいトカゲ、いや、竜の子供だね」
あっ、ルーディがリオンさんになついている。倒木に腰かけたリオンさんの足にルーディが近づくと、リオンさんはそっと手を伸ばした。頭を撫でられてもルーディは逃げない。珍しい。いつもなら私かナタリアくらいしか近づけないのに。
そうだ。リオンさんと話していて一時忘れていたけど、ルーディをどうしよう。目にもの見せてくれるぜ、と意気込んで飛び出したけど全然成果出てないもんなあ。
私は自分の相棒たる白いトカゲを見る。この子は絶対特別だ、いつか必ず立派な竜になると見込んでいたけど見込み違いなのかな。私は自分の夢を過信して、ルーディを巻き込んだだけなのか?
「ギェ?」
「どうしたのさ。何か顔が暗いけど」
ルーディをあしらいながらリオンさんが聞いてきた。うう、問題解決にはならないと思うけど、愚痴の一つくらいは許してくれるよね。
「聞いてもらってもいいですか。嫌って言っても聞いてもらいますが」
「......僕に拒否権は無いんだね」
私は切々と訴えた。さっきも一応話したが、私が竜司士を志す理由、そしてなった暁には何をしたいのかを。「いずれは魔界を平定したいんですよおおお!」と言った時、何だか嫌そうな顔をされたが。
「ああ、ふん、なるほど。竜司士にね。じゃあまあ頑張って」
「って何逃げようとしてんですか可哀想だと思わないんですか昔一緒に遊んだ仲じゃないですかそんなに今の女がいいんですかー!」
「今の女って何だ取り消してくれないか!?」
やったー、捨て身の訴えが効を奏したな。私の熱意に引いていたリオンさんだが、何とか逃げずに止まってくれた。頭を掻きながら何やらブツブツ言っている。
よし、ここは畳みかけよう。
「というわけで今すぐルーディを立派な竜として目覚めさせてください! 早く! ナウ!」
「ギェー」
「知らないよ、そんなの! 竜の育て方なんて--」
ん? まだ抵抗しようとしていたリオンさんだが、急に動きを止めた。ルーディが戸惑うようにうろうろするのを注視している。こ、これはまさか。
「何やら閃きましたですか、おにいさん」
「......まあね、賭けみたいなもんだけどね」
スッとリオンさんはルーディを持ち上げた。自分の膝の上に置くと、おもむろに自分の右手の人差し指を立てる。何をするつもりかと見ていると、いきなりリオンさんは。
「っ、痛っ」
「!?」
なんといきなり自分の右手の人差し指に歯を立てたのだ。それも軽く噛むなんてものじゃなく、思い切り。
予想外の行動にびびった私は「それなんてプレイ?」と聞きかけたが、そこは空気を読んで止めた。代わりに黙って見守ることにする。
リオンさんは傷ついた人差し指をルーディに近づける。ポタリ、ポタリとその白い指の傷口から血が垂れていた。濃く赤い血の滴が今にも落ちそうになっている。
「ルーディ、飲め。この血を啜るがいい」
リオンさんが囁く。その声の響きにビクリと背が震えた。何故なら先程までとまるで違うからだ。初夏の明るさのような声が今は--冬の暗さと冷たさを含んでいる。僅かに細めた彼の目が妖しい光を放つ。それに引き寄せられるかのように、ルーディは近寄り口を開けた。
何が。
何が起こるんだろう。
心臓が跳ねる。これは恐怖か。それとも興奮か。いや、おかしいよね、ただリオンさんは自分の血をルーディに飲ませ用としてるだけだよ?
そんなので何かが起こるわけがないのに。
頭ではそう分かっているのに。
ルーディの小さな口に数滴の血が落ちるのを見ながら、私は自分が震えるていることに気がついた。血管が縮まってしまったかのようだ。なのに、逆に背筋は熱い。コクン、と喉を鳴らしてルーディがリオンさんの血を飲み込む。「ギュー」という唸り声はいつもと変わらないけど、でも、これは。
「さて、運はどちらに転ぶかな」
「あ、あの」
血を拭ったリオンさんに思わず話しかけた。こちらを見る彼の顔は今は怖くも何ともない。さっきの気配は幻だったのだろうか。
「リオンさんの血って何か特別なんですか?」
「分からないね。生き物にあげたことないし」
飄々とした調子でリオンさんは答えた。そろそろ話は終わり、とでも言うように荷物を拾いながら私を見る。
「けれどね、もしかしたらそうかもしれないよ。何せ僕は」
「僕は?」
「......色んな意味で特別だからさ、エリーゼ。さあ、もうお行き。ルーディが変わるか、変わらないか。それはもう運任せだ。僕に出来るのはここまでさ」
ツ、とリオンさんが離れる。滑るような気配を感じさせない動きだった。木の根っこや枯れ草があるのに少しも音をさせないまま、リオンさんと私の間の距離が開く。
「待って、ねえ、リオンさん! あの、あなた一体何なの!?」
何か良く分からないけど、聞かなきゃいけないことがある気がする。絞り出した声は私には珍しく必死だったけど、薄い笑みを浮かべリオンさんは頭を振った。
「それは言えないな。そう、知らない方がいいことがこの世にはあるんだ」
するりと風が巻くように滑らかに動いていく。全然速そうな動きじゃないのに、私はまるで追い付けない。リオンさんてひょっとして凄いのかな?
朝露に濡れた木立の中に消えて行くリオンさんの声が段々小さくなっていく。後を追おうとしても、もう影を微かに捉えられるだけだ。ただ彼の声だけが耳に届く。それはまるで秋の風のように涼やかに響いてきた。
「あの時の双子がしばらく見ない内に立派になったな。天拳の称号持ちに竜司士の卵か。エリーゼ、シュレンによろしくね。そしていつか--」
その風に掻き消されそうになった最後の一言が私の胸に突き刺さった。
ザウッと一陣の風が木の葉を揺らした。視界が巻き上げられた細かい落ち葉や草に邪魔され、足が止まる。たったの数秒程度だったけど、それはリオンさんの姿どころか気配すらかき消すには十分な時間。
「いなくなっちゃったね」
「ギェー」
風が落ち着いた時には、私が出来ることは呆然と呟くことくらい。ルーディはそんな私を守るように、足元に寄ってきた。屈んでその背を撫でてみる。うん、別に何も変わりない気はするな。考え過ぎだったのかな?
「帰ろうか?」
何だか気が抜けてしまったみたいだ。ルーディを抱き上げると私は林を後にした。さっきリオンさんも言ってたしね、もうお行きって。気になることは色々あるけど、それはまた考えてみよう。
******
「ふふ、ふふふ、ふはははははー! 見よ、このルーディの立派な竜っぷりを!」
「お、おお、これは確かに」
「前よりは竜っぽいですね?」
「生意気に小さな炎吐いてやがるぜ!」
「あー、かわいいー」
屋敷の庭に高らかに私の声が響く。仁王立ちになった私を取り囲んで、義父さん、セラ、シュレン、ナタリアが口を開いた。今、皆の目は一点に釘付けだ。それも当然、この時を私は待ちわびていたのだから。
「ギィィ」
ちょっと掠れたような唸り声をルーディが漏らす。あのリオンさんの血を飲んでから三日、ルーディは確かに変わった。体が二回りほど大きくなり、背がぐっと高くなった。四本の足も太くなり、小さい二本の角も生えてきたのだ。
そう、これはもうどこから見ても!
「ホワイトドラゴンの幼竜に違いない! 皆の衆、ひれ伏せよ! この天に愛され地に抱擁されたるエリーゼ・セイスター・オルレアンに膝まずくが--ぶべらっ!?」
酷い! せっかく私が滔々と語ってるのに、シュレンに頭はたかれたよ!? 凄い激痛だよ、ほんと馬鹿力なんだから!
「何調子こいてんだ、アホ!」
「いいじゃないの、今まで散々トカゲ、トカゲって馬鹿にされてたルーディが今や立派な竜だって分かったんだから! ふふふふ、これで竜司士になれるぞお」
くくく、と忍び笑いを漏らす私をシュレンは気持ち悪そうに避けた。き、傷つくっ。だけどいいんだ、見よ、私のルーディの勇姿を。その口から吐き出されるブレスは高らかに燃え盛り--
「あ、蝿を焼き払いましたね」
「もえたー、パチパチ」
「......」
仕方がないじゃないか、ブレスが吐けるようになっただけ立派なもんだよ。
「いや、しかしこりゃ驚いたな。エリーゼ、お前一体どんな魔法を使ったんだ?」
「秘密だよ。竜司士の秘術だから教えてあげられないー」
義父さんの質問をごまかす。うん、今ははっきりとは言わない方がいい気がするんだ。リオンさんのことは胸にしまっておく。
私は魂を分けた私の片割れを見る。「うん、ルーディがほんとに竜だったとは」と唸るシュレンに、少しは追い付けたかな。いや、違う。私達の人生はまだ始まったばかりだよ。
"僕と君達の運命が交錯する時が来る"
あの時リオンさんが最後に残した言葉が耳から離れない。でも私には分かる。どんな形でかは分からないけど、きっと私とシュレンの人生にあの人は深く関わってくるって。そう思う理由? 天賦の才能だ! 文句あるか!?
「ルーディ、これから頑張ろうね」
だからこれから私は。
「ギィィッ」
絶対に超一流の竜司士になってやるぞ。そしてリオンさんをびっくりさせてやるんだから。あなたの血のおかげでほんとに竜になったよ、って教えてあげたいしね。
ルーディが一声高く鳴く。その甲高い声は青空の向こうまで届く気がして、私の心を自然と高揚させた。
そう、これが夢への第一歩なのだから、胸を張って歩き出そう。
ルーディのブレスに目を見張るシュレンに声をかける。おい、兄よ、よく聞くがいい!
「シュレンには負けないからね、見てなさいよ」
「こっちの台詞だっつーの」
私達は顔を見合わせて、そして笑った。
ご高読ありがとうございました。サイドストーリーも含め、この物語はこれで完結です。