エリーゼ・セイスター・オルレアン 2
私には大切な友がいる。いや、友と言うには生ぬるい。夢を共有する唯一無二の存在であり、近い将来の戦友だ。
「ほら、ルーディ。今日のご飯のミミズですよー」
「ギャッ」
うん、可愛い鳴き声だ。私が指でつまんだミミズにひょいと噛みつき、ルーディは器用にそれを飲み込んだ。早く大きくなるんだよ。その内、私を乗せてくれるくらいにならないと困るんだから。
「とかげしゃん、ごはん?」
「ナタリア、この子は竜なの。とかげじゃないの」
ルーディの横にしゃがみこんだナタリアをたしなめる。薄い茶色の髪をポニーテールにしたナタリアが不思議そうな顔をした。まだ三歳児なら分からなくても無理はないけど、しかし断じてルーディはとかげじゃない!
「そうね、きっとこの子は竜の子供よ。ナタリア、ママのお膝においで。ご飯の邪魔するとルーディも怒るわ」
「あーい」
呼びに来たセラにナタリアがトテトテと走っていく。うん、やっぱりママの方がいいんだろうな。ちょっかいをかけてくるおちびちゃんがいなくなり、ルーディはほっとしたようにまたミミズの咀嚼に集中した。小さな喉が動き、口からはみ出たミミズが消える。
よし、もう少し食べられそうだな。こちらを見上げたルーディの頭を撫でながら、もう片方の手でリンゴの欠片をあげる。まだこれくらいの大きさなら肉だけでなく野菜や果物も食べるみたいだし。
ギューと鳴き声をあげてルーディがリンゴにかぶりつく。膝を曲げて覗きこむ私には目もくれず、一心不乱にリンゴを食べるルーディはどこから見てもただのトカゲ......い、いや、立派な小さな竜だ! そうに決まってるんだから!
「ギャ?」
「何でもないわよー」
私を見上げたルーディを安心させるように声をかける。体長30センチほどの白い体をくねらせて、再びルーディはリンゴに取り掛かった。
******
「あのさあ、エリーゼ」
「ん?」
ある日の夕食後、義父さんが話しかけてきた。ナタリアを膝に乗せたままなので、義父さんには威厳もへったくれもない。
「ルーディ、やっぱり普通のトカゲなんじゃね?」
「な、な、なんてことを言うんですか! 勇者でありながらあれがただのトカゲに見えるなんて、義父さんの目は節穴ですかその右目の魔眼は飾りですかそうですかあー!?」
「だってさあ、竜っぽくねえじゃん。ただ体が白いトカゲってだけだろ、あれは。あとこれ魔眼じゃないからな、ただ六芒星があるってだけだし」
「世間ではそれを魔眼というんですよ。いやまあそれは置いておいて。ルーディはただの白トカゲなんかじゃないし。絶対将来有望な竜になるし!」
力をこめて言い切った。拳を振り上げての力説に義父さんが困ったような顔になる。くっ、何が問題なんだ。エサ代は私の小遣いから出しているし、散歩だって他の人には頼んでない。完璧じゃないですかやだー。
「パパあしょんで」
「う......あ、後でね。いや、お前はそう言うがな。やっぱりどうせ時間使うなら、もう少し形になる物に使ったらどうかと思うぞ。竜司士になりたいって夢を追うのも大事だけど、そろそろ現実を見るのも大事だろ」
ほっぺたをつねろうとするナタリアをなだめつつ話す義父さんの声は優しい。しかし、それだけにグサッと来る。未だルーディが竜らしき兆候を見せていないだけに、私も返す言葉が見つからない。「う、そ、それは」と返事に詰まってしまった。
「俺もさあ、実家を飛び出して勇者になんかなった身だし、お前に偉そうに説教する資格なんかないんだろうけど」
ナタリアを肩に乗せながら、義父さんが私を見る。優しいのに強い--そんな視線だ。
「--けれど、何」
「身の振り方考えなきゃ駄目だってことさ。普通に公爵家令嬢として花嫁修行するとか、それが嫌なら学問の道を志すとか」
心配してくれてはいるのか。それはありがたいんだけど、でもなあ。
私が口ごもっている間に、ナタリアを受け取ったセラが口を挟む。その傍らのメイドの手には何通もの大きめの手紙があった。
「あのね、エリーゼちゃん。見ての通り、お見合いのお話も何通か戴いているのよ。もちろんすぐに結婚とか、そういう話じゃないけどまずはお付きあいからと......ちょっと考えてみたらどう?」
「ぐ、外堀から埋めるなんてっ」
突っぱねるのは簡単だ。いくら貴族の縁組みが早い年齢から行われるとはいえ、私の年齢--十二歳--ではかなり無理がある。けれど、このくらいの年齢から許嫁が出来るのも珍しい話ではないのも事実。
(ううっ、竜司士になりたいという夢を理解させるのは難しいのか!?)
家に縛られたくないとか、嫁ぐのが嫌だとかそういうのじゃない。ただ、ただひたすら私は竜司士になってもっと広い世界を見てみたいだけ。竜の背に乗って暴れてみたいというのが、義父さんやセラから見たらそんなに非現実的なことなのかな。
押し黙ってしまった私に義父さんが「すぐとは言わないしさ、ルーディを飼ってもいい。でもな、夢見てるだけじゃ生きていけないんだぜ」という声が降り注ぐ。非難するような響きは全然無く、労るような調子なのが逆に痛かった。
「あ~、言われちゃったか」
「うん。はっきりは言わないけれど竜司士なんか諦めろって感じで」
「......うーん」
その晩、私はシュレンに相談してみた。先日自分の夢への一歩を踏み出した双子の兄は、ミスリル製の小手を磨きながら視線を泳がしている。
もう十二歳にもなるので、シュレンと私はそれぞれに自分の部屋がある。けれどまだお互いに頻繁に行き来する仲だ。いつかはちょっと疎遠になるかもしれないけれど、今はまだ。
ルーディのこと。義父さんから言われた意見。セラが話したお見合いのこと。取り敢えず全部洗いざらい話してみた。
いきなり現実を突き付けられてしまい、一人で考えこむのがしんどくなったのだ。いかに天に愛され地に包容されたる私といえども、落ち込む時くらいはある。
「エリーゼはさあ、どうしたいんだよ?」
「どうって、竜司士になりたいって言ってるよ?」
「そりゃ知ってるさ。その意志をどこまで貫きたいんだ。周りの人間に反対されたら止めちまうのか、それとも一人になっても自分の夢を叶えたいのか。それによって大分違うぜ」
小手を磨く手を止めシュレンが聞いてくる。生まれた時から側にいた自分に最も近い人間の言葉は重い。
考える。胸に手をあてながら自分の夢の強さを。竜司士を目指した理由を。
「......あのさ、私達さ、実の親がいないじゃない」
「うん」
「私さ、それがずっと気になってたんだ。義父さんが嫌とかじゃないよ? でもね、本当のお父さんとお母さんがいたらどんな感じだったかなって考えちゃうことあるんだ」
話している内に私の視線は床へと落ちた。部屋に敷かれた絨毯の模様をなぞるように、あてどもなく目が動く。心の中の形にならない想いをかき集めるように。
「--自分はこのままじゃ失った物を埋めきれないって、ずっと思っていて。普通じゃ駄目なんだって思うようになって。この世に血の繋がった人ってシュレンだけなんだなって思う度に、すごく寂しくなって」
「......そりゃ分かるけど、それが竜司士とどう繋がるんだよ」
「強いから」
私のきっぱりした一言にシュレンの動きが止まった。
「は?」
「特別で強いからよ。全種族中最強の種族たる竜を従える竜司士は、従属したる竜を使役するのみならず自らも竜の闘気の恩恵を受けられるわ。直接戦闘力の高さは歴戦の戦士のそれになんら劣らない。そして何より」
一歩、シュレンの方に詰め寄る。私の勢いに押されたようにシュレンが引いた。さあ、聞け、双子の兄よ! 我が魂の雄叫びを!
「もはや時代の彼方に埋もれた古の職業とくれば、これが格好よくなくて何なのよ!? あまつさえ大陸にその覇を競う七匹の古竜を従えることが出来れば、私は前人未到の魔界進出すら果たし!」
バッ、とパジャマの裾を翻し私は高らかに宣言した。頭の中ではマントを翻しているとすり替える。ああ、素晴らしきかな想像力とは!
「--人類の明日を切り開く先導者とならん、フハハハハハハ!! だから何がなんでも夢を諦める訳にはいかぬのだよ、分かるか、兄よ!? くっ、右手の竜血紋がっ」
ハーハーと息が荒くなる。しまった、力を使い過ぎたかっ。シュレンの目に尊敬の念が浮かんでいるのが分かる。流石は私の兄だ、このエリーゼ・セイスター・オルレアンの夢の素晴らしさが分かるのは君をおいているまい!
さあ、褒め称えよ我を!
けどシュレンはどこか悲しそうな顔だった。いつの間にか床に転がった小手を拾いながら--
「別に普通でいいと思うぜ? 多分さ、墓の下の父ちゃんも母ちゃんも俺らが人並みに幸せならそれで満足なんじゃね?」
--なんて言うからかなりショックを受けてしまった。な、な、な、何故だ兄よ! 何でそんな小市民な考えに染まっているんだ!?
「くううっ、何故そんなことを言うのよシュレンンンン! お父さんやお母さんが生きれなかった分まで引き受けて強くなって、皆に凄いって言われたいって思うのがいけないの!?」
「別に悪いとは言ってねえ。けど強いからって立派とは思わねえしさ。何より無理までして実現がきつい夢追ってる姿なんざ、別にどこの親も見たくないんじゃねと思っただけだよ」
「ここここのおおおお! シュレンはいいわよ、ちゃんと拳士として歩み始めているからそんなこと言えるんじゃん! 私だって自分の夢追いかける権利くらいあるんだからあ!」
「まだ何の実績も無いのに駄々こねてどーすんだよ。そこまで言うならルーディが竜の端くれだってことくらい証明してみろよ? 半年前に拾ってきてから殆ど変わってねーじゃん、あれ見てたらそりゃ誰だって心配にならあ」
「ぐ、ぐぐぐぐぐ、い、いいわよ! ルーディが竜だっていう証拠があればいいのよね!? やってやるわよ!」
あああ、完全に売り言葉に買い言葉だ。頭の片隅ではそれは分かっているんだけど、でももう止まらない。意地になっているのかもしれないけど、私だって、私だってシュレンには負けたくないし! 何よりこの天に愛され地に包容されたるエリーゼ・セイスター・オルレアンが竜司士になれないなど--
「--あってたまるかああああ!!」
気がついた時にはそう絶叫し、シュレンの部屋を飛び出していた。思い切り叩き付けた扉が爆発音をあげたような気がするけど、そんなこと知るもんか!
******
翌日、私はルーディを連れて家を飛び出した。屋敷の武器庫に眠っていたレザーアーマーとダガーを勝手に拝借し、置き手紙だけ残してだ。あ、別に完全に家出ってわけじゃないよ。ただルーディが竜として覚醒するまではしばらく家には戻らない、とだけ手紙には書いておいた。
「ここは意地の張りどころよ。皆に目にもの見せてやるんだから」
ずかずかと街の通りを進みながら自分に気合いをいれる。ルーディは背中の袋に入れておいた。見つかると面倒だからだ。何せ滅多に見ない白竜の子供なのだから--の、はずだ!
あ、この辺子供の頃来たな。目に映る周囲の風景が懐かしさを感じさせる。やや木立が疎らな雑木林、秋の初めらしさに染まった風に葉っぱが穏やかに揺れていた。
(確か玩具にするための木の葉や枝を拾っていたんだっけ。懐かしいー)
ああ、そうだったよね。義父さんがそれで小さな木の馬とか作ってくれたんだな。まだ私とシュレンがうんと小さい頃だ。
うん、でも今日は違う。私は一人で来ているし、遊びに来たわけでもない。ここには今後の私の運命を決する特訓の為に来たんだから。
振り返るとさほど遠くないところに灰色の城壁が見える。そう、私は王都の外にいるんだ。足元には袋からルーディがいる。おお、早速虫を見つけては食べているぞ。野生を思い出すのだ、我が竜よ。
「いい、ルーディ? あなたがトカゲではなく竜だってことを皆が分からないと、私達別れなきゃいけないのよ。だからお願い」
しゃがみこんでルーディと目を合わせる。黄色の小さな目が私を見つめた。少しだけ青みを帯びた白い体によく映えている。
頼むぜ、我が友にして僕よ。
「早いとこ竜として覚醒してくれえええ!」
「ギャイイ!?」
あっ、勢い余っちゃった。ルーディの肩を叩いて激励するつもりが、気がついたら首を絞めていた。危うく窒息させるところだったわ......危ない危ない。
庭に迷いこんだ白いトカゲを見つけた時、ピーンと来るものがあった。他では見ない白い鱗とそこはかとなく漂う気品が、これはただのトカゲじゃないと私に思わせたのだ。
この子は竜に違いない。そう信じて自ら餌をやり、散歩をさせて、心血を注いでこの半年間育成してきた。全ては成竜となったルーディに乗り、竜司士としての一歩を踏み出す為に。
(けど具体的に何をどうしたら、ルーディが竜としての特徴を見せるのかな)
うん、外に出てきたのはいい。特訓しようと決めたのもいい。でもだな、ルーディの育成自体は今までもやってきたんだよね。特訓といっても何をしようか。
そんな私の悩みなど露知らず、ルーディは木の根に沿ってじっとしている。その様子を観察している内に思い付いた。取り敢えず走らせようと。
じっとしているだけでは何にもならないのよ。取り敢えず行動からだ。
あー。
あーあー。
「お腹空いたなあ......しかも寒いし」
「ギュー」
私は今、空を仰いでいる。重なる木の葉を通して、キラキラと爽やかな朝の陽光が顔に降り注いでいるのが分かる。うん、こんな弱い光を暖かいと感じるってことはやっぱり寒いんだよね。秋の初めとはいえ、毛布だけで夜を過ごすのは厳しい。豪快にくしゃみを一つぶちかます。
空気は爽やかだ。だけど私を見る人がいれば、顔をしかめるだろう。野外特訓を始めて丸三日が経過したけど、その間ろくに体を洗っていないもの。顔を洗うくらいはしているけど、それでも髪は臭うだろう。土埃で傷んでいるだろうし。
それにも増して空腹には耐え難い物がある。「うう」と唸り声をあげながら、私は手近な木の実をちぎりとり口に入れた。乾いた味が舌の上に広がり、すぐに胃に落ちる。うん、駄目だ、全然足りない。
ノロノロと身を起こしてルーディを見る。自分で餌を捕らえていた彼は特に変わりはないけど、悪い意味でも変わりはない。つまり、三日前とまるで姿が変わらない。角も生えてないし、ブレスが吐けるようになったわけでもない。
つまり今のところ、私のルーディ覚醒計画は全く功を奏していない。結果論とはいえ、やるだけ無駄だったと言われても仕方ないところだ。
「無理なのかなあ~」
弱気になると力が抜けた。木に身体を預け、私はため息をつく。たかだか三日間程度で諦めたら駄目だと頭では分かっているんだけど、けれど努力しても効果が無いのはやはり堪える。竜司士になるという夢以前に、空腹に身を縮めている小汚ない自分を思い知る。うわっ、客観的に考えたらかなり私惨めだな。
く、くそう。嘆くのは後よ。とにかくまずは食べ物を手に入れないと。
「......あれ? 君、もしかしてエリーゼ?」
「ふぁ!?」
空腹を嘆いている時にいきなり声が聞こえてきたのでびびった。変な叫びをあげて後ろに飛びすさる。おのれ、この私にこうも易々と近寄り声をかけるとは只者ではないな!
腰に差したダガーに手をかける。木立の中、呆気にとられたような顔をした男の姿を確認した。典型的な旅装に身を包んでいるけど、均整の取れた長身をしているのが分かる。肩越しに飛び出している金属の棒は槍の柄か。周りに仲間がいないか気配を探ってみたが、恐らく一人だろうと検討をつけた。
いや、というかだ。
私はこの人に見覚えがある。昔、それほど長い期間じゃないけど、この人は屋敷にいたもの。
そう、紫色の髪に赤い目なんてあんまり見ない組み合わせだし。
「リオンさん?」
「ああ」
私の問いに彼--リオンさんは微苦笑と共に頷いた。