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エリーゼ・セイスター・オルレアン 1

 視線を巡らせればそこに広がるのは一面の台地だ。荒涼としたと表現するのが適当な、どこか寂しい草原の所々から奇妙な形の岩が突き出している。人の背丈より遥かに高いそのねじくれた岩の間を縫うようにして、私達は進んでいた。



 そう、私だけじゃない。私と私の頼りになる相棒が、だ。その逞しい背に私を乗せて、彼はずんずんとその四本の足を前に進めている。長い首をひょいとあげ辺りを見回し、顔をこちらに向けると蜥蜴のような縦長の瞳と目が合った。大きな口を開けて牙を覗かせる彼に私は話しかける。



「ルーディ、何も不安になることはないわ。竜司士(ドラゴンテイマー)の私と私の忠実な友にして下僕のあなたがいるなら、どんな敵でも敵うわけがないでしょ?」



 私の声を聞いて少しは落ち着いたのだろうか。ルーディはまた前を向いた。後頭部から突き出ている二本の角が揺れる。そう、ルーディ--正式には私はルードリッヒと名付けたが--は竜だ。角や牙といった付属物を除けば、巨大な陸生の蜥蜴のような羽根の無い型の白い竜。私の頼れる相棒だ。



 ドゥンと鈍い音を立ててルーディが足を止める。警戒するように彼が首をもたげた時には、私も臨戦態勢を整えていた。竜司士(ドラゴンテイマー)のみが装備出来る錫杖を背中から抜き、それを構えた。ルーディがいる以上、生半可な敵では近寄ることも出来ないだろうが油断は禁物だ。



 ああ、来た来た。岩の陰からわらわらと魔物が出現してきた。低級魔族らしき二本足の悪魔(デーモン)共が立ち塞がる。全員が額に呪いの紋章を刻みこみ、魔気をみなぎらせてこちらに向かってきた。ふっ、走りながら攻撃呪文の詠唱が出来るとは腐っても魔族の端くれね。けれど見せてあげるわ......天に愛され地に包容されたるこのエリーゼ・セイスター・オルレアンとの格の違いを!



「焼き払え、ルーディ! 必殺、ドラゴンブレスゥゥゥ!」



 私の指示に従いルーディがその口から放った強烈な火炎が敵に降り注ぎ--




******




 --あれ、おかしいな。



 --私、ルーディに命じて敵を焼き払っていたはずなんだけど。



 --なんで廊下に立たされてるのかなあ?



「......くっ、不覚。このエリーゼ・セイスター・オルレアンともあろう者が」



 唇を噛みしめ屈辱に耐える。両手に持たされた水の入ったバケツが重い。腕がプルプルするんですけど。



 うん、まあね。私塾の講義中に居眠りぶっこいてた私もさ、悪いとは思うのよ。将来一流の、違うわね、超一流の竜司士(ドラゴンテイマー)になる私がなんで私塾なんかに行かされているのかは謎だけど、それはまあ置いておいて。人としての行儀がなってなかったのは認める。



 けど、けれどですよお。廊下に立たせなくたっていいじゃないですかー。寝言で「お前のハゲ頭焼き払ってもっとツルツルにしてやるぞ」って言ってたなんて怒られても、寝言だから知らないって......そんなんだからあの先生もてないんだよ。私が日頃から密かに「薄毛がチャーミングですね」と禿げ増している、いや、励ましているのに恩を仇で返された気分だよ。



 (しかし夢とはいえ気分よかったなー)



 思い出してニヤニヤしちゃった。だって大きくなったルーディと冒険して夢の魔界進出ですよ。これが楽しくなくて何なの? そう、いつか実現してみせるんだ。竜司士(ドラゴンテイマー)になって人類の新たな地平線を切り開いてみせるんだから......その為にはまずは今はバケツ廊下の刑に耐えなくてはならないんだけど。



「か、艱難辛苦を堪えてこそ偉業は成るものよ。耐えよ、私!」



「エリーゼ・セイスター・オルレアン、静かに!」



 ああっ、自分を励ましていただけなのに先生に起こられた! おのれ薄ら禿げ、廊下にわざわざ顔出してまで怒らなくていいじゃん!




******




 私、エリーゼ・セイスター・オルレアンは今年十二歳になった。双子の兄であるシュレンも当然同じ歳だ。そろそろ将来に向けて足場固めをしなくちゃいけない年齢になり、日々精進しているところだ。



 そう、私の長年の目標である竜司士(ドラゴンテイマー)になるという悲願成就の為に! その為には私は努力を惜しまない!



 だから早く帰りたいのになー。ルーディを育てるという大切な仕事が待っているのに、まっすぐ帰ろうとする私を妨げる不届き者がいたんだ。








 (何かしら、用が無いならさっさと帰りたいんだけどな)



 イライラしながら目の前の男の子を見る。知らない人じゃない。同じ私塾に通っているから顔には見覚えがある。あまり話したことがないから、名前は覚えてないけどね。



 私が今いるのは私塾の裏手にある茶店だ。夕方少し前のこの時間帯には、時間にゆとりがあるご夫人達や若い恋人達が主な客として店の席を陣取っている。綺麗でお洒落ないいお店ではあるけど、私にはこんなところでチャラチャラしてる暇はないのに。



 なんなんだ、この人、帰り際に急に「え、エリーゼ君。よ、よかったらお茶でもどう?」と声かけられたのね。何か話があるなら私塾の廊下でも出来るのにと言ったら、出来れば場所を変えたいからなんて言うの。真剣な顔だったからちょっとくらい付き合ってもいいかなと思ったんだけど......その肝心な話とやらが出てこないんだけど!



「そろそろ秋だね」とか「シュレン君凄いよね。天拳(ヴェオネス)という称号を授かるなんて」とかほんとどうでもいい話しかしないし。飲み物おごってくれたから適当に相槌打ってたけど、そろそろ退屈してきたなー。



 えーと、この人確かどっかの男爵家のご子息だったような気がするなあ。興味ないから印象薄いけど、結構かっこいい顔はしてるし内容はともかく話し方は普通だな。でもそれだけ。ぶっちゃけこんな有象無象の衆に関わる暇はないんだよね、悪いけど。



「あのー、特に何もないなら帰っていいですか?」



 相手の話が途切れた隙に口を挟む。私物を入れた鞄を掴み椅子から立ち上がりかけると、相手が慌てたように私を止めた。



「ご、ごめんね! いや、ほんとは今日はちょっと話があって」



 なら早く言えよと心の中で悪態をつく。それが聞こえた訳でも無いだろうけど、相手はポケットから何やら紙切れを取り出した。手に乗るくらいの長方形のそれが二枚。その一枚を私に押し付けてくる。



「これ、今度王立劇場で催される新しい劇の入場券なんだ。その、もしよかったら一緒に......どうかな?」



 何いっ!? 今この人何を言ったの!? 予想外の展開に私は言葉を失った。大して話したこともない異性を唐突に観劇に勧誘する、その行為の意味を考える、推測する、仮説を設定して想像力の翼を飛翔させる。



 そう、まずはどこからこの観劇の券を手に入れたのかだ。それなりに値段が張るとはいえ、子供でもお小遣いを貯めれば買えなくはない値段ではある。けどけして安くはないんだよね。そんな物を私にくれる、そして一緒に見に行こうと誘うという行為がその値段以上の利益を手に入れられる可能性があるから--だからこの人は私を誘おうとしてるんじゃないのか!



 (犯罪の匂いがする、いや、落ち着け私。動揺したら負けだっ)



 動揺している内心を気取られないよう、「え、うーん、どうしようかな」と曖昧に首をかしげてみる。相手は何故か顔を赤くしているのが見てとれた。恐い! あれは私を罠にかける企みに興奮しているからね!



 これが見知らぬ相手ならとっとと逃げれば済む話だ。でも困ったことに私と彼は同じ私塾に通う身だ。下手に刺激したら後で絡まれ、更に酷い罠をしかけられるだろう。相手の手の内が読めないっ......!



 その時私の頭に天啓が閃いた。あの観劇の券の入手方法と何故私を誘ったのかという理由だ。迂闊だった、何故これに早く気づかなかったのよ。



 恐らくあの入場券は盗品に違いないの。つい出来心から手が出ちゃって、その処分方法に困っている。売ればいいんだけど盗品だから、そこから足が着くのを恐れているのね。

 そこで彼は思い出した、通っている私塾に妬ましい女の子がいることを。そう、天に愛され地に包容されたるこのエリーゼ・セイスター・オルレアン、勇者ウォルファート・オルレアンの義理の娘を!



 彼は人知れず"勇者の娘"であり"公爵家の一員"という私の立場に嫉妬していた、そこで観劇に誘う振りをして私に盗んだ券を押し付けようと企んだのね。一緒に劇を見に行けば、入場時にこの券を渡す。その時さりげなく「自分の分も一緒に渡してください」と二枚とも私に渡して、そしてここからが綱渡りなんだけど。



 私が二枚同時に券を係の人に渡した瞬間、人混みに紛れて姿を消す。観劇の入場券は発行された券ごとに固有の番号が振られているから、盗まれた券の番号は劇場の人は記録に録っているはずよ。つまり、もし差し出された入場券が盗品なら--その持ち主が犯人!



 (あ、危なかった! 危うく罠に引っ掛かるところだった!)



 そう、後は簡単。私は窃盗の罪を犯した犯罪者としてその場で捕まり、牢に押し込められる。義父さんやセラやシュレンから冷たい目を向けられるのよ。「人は見かけによらないわねえ」「あの子も昔はまっすぐないい子だったのにねえ」なんて陰口を叩かれ、将来の可能性を奪われ、私の評判は地に落とされるって寸法かこのやろー! 上手く考えやがったな!



 明晰な頭脳を働かせこの完璧な推理を構築するのに要した時間、僅か三秒。この程度の沈黙ならば、私が見抜いたことには気づくまい。ふっ、天与の才能に秀でた私に嫉妬するのは勝手だけど、この程度の罠で引っかけようなんて。



「甘い甘すぎるわ」



「え? そんなに甘かったかな、ここの飲み物」



 はっ、しまった。つい口に出てしまった。甘いのは勿論あんたの目論見だっつーの、この小悪党!



 しかしどうしよう。ここで断るのは簡単だ。だけど今後二度とちょっかいをかけないように予防線を張る必要があるわね。少々嫉妬して貶めようとしても、もはや手のつけようがないくらいの圧倒的な差が私との間にはあると分かればあるいは。



 よし、決めた。正攻法で押し返すわ。



「ごめんなさい、私ちょっと観劇は苦手なんだ」



「そうなんだ......それは残念だな」



 男の子は目に見えて落ち込んだ。ふっ、そうそう計画とは上手くいく物じゃないのよ。私は圧倒的な絶望を与える為に更に言葉を紡ぐ。



「それに私、忙しいんだ。毎日取り組んでいることあるし」



「そうなの?」



「ええ。私、将来の夢があるからその準備があるのよ」



 これは嘘じゃない。幼い頃から抱いている夢、あるいは目標だ。シュレンにとっての拳士(ナックラー)のように、私にも譲れない物はある。



 聞くがいい、凡百の輩よ!



「地上最強の竜司士(ドラゴンテイマー)になるためには、寸暇を惜しんで修行しなきゃいけないのよ。娯楽を楽しむ余裕もないくらい」



 相手の目が見開かれた。どうやら気がついたらしいわね、私との才能の絶対的な開きに。ならば更に絶望させてあげるわ。



「今も庭に(ドラゴン)の子供を飼っていてね。毎日面倒見てあげてるのよ。成竜になった暁には私が騎乗し、未知の世界への扉を!」



 決まった。完璧に。一分の隙も無く断言した私の決意の固さ、その目標の崇高さに相手は何も言えないようだ。よし、これで二度と私にちょっかいをかけようなどと思わないだろう。念の為に止めを刺しておこう。



 私は右手の甲を左手で隠す。顔をやや心持ち伏せ、呻き声を上げた。そう、これこそまさに私に与えられた竜司士(ドラゴンテイマー)の証、その名を耳に刻め!



「うっ、右手の竜血紋が疼くっ! 魂の盟約を結んだ竜からの声が呼んでいるのね!」



「--ご、ごめん、邪魔して! 僕、これで失礼するよ!」



 遂に相手は降参したようだ。おののいたように椅子から立ち上がり、伝票を引っつかみ逃げるように去っていく。店員さんが「またのお越しを」と優しく声をかけていたけど、恐らくこの店には二度と来ないだろう。私に圧倒された恐怖をここに来る度に思い出すだろうから。



 さて帰ろうか。ここにはもう用は無いしね。ん、何か周囲のお客さんが私の方を見ている気がする......ふい、と左右を見ると一人の客と目が合った。でも慌てて目を逸らされたよ?「--うわあ」とか「--痛いわあ」とかいう呟きが聴こえた気がしたけど、一体何があったのかしら。



 ああ、そうか。皆、私の凄まじいまでの才能に今の話で気がついたのね。だからあんなにも熱っぽい視線を寄越しつつも、畏れ多くて近寄れないと。いやいや、天才というのも苦労するわね。普通に世界にとけ込んで生活するのが難しいなんて。



「......あ、ありがとうございました!」



 店員さんまで視線を合わせたのは僅か0.1秒か。仕方ない、孤高こそが私に与えられた宿命よ。いつの世も天賦の才という存在(もの)は畏怖の対象なのだから。

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