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セラ・コートニーのある一日の話 1

 本編で言えばウォルファートがセラを採用して三ヶ月が経過した頃です。

 腕に感じた柔らかい重みに、私は重い瞼を開いた。ベージュの毛布と白いシーツにくるまれている小さな体を見つける。まだ三歳にもならない男の子は私の腕を枕にしてスヤスヤと寝ていた。



(シュレンちゃん、腕にしがみつくの好きみたい)



 まだ眠気が晴れない頭で考えながら、ゆっくりとシュレンちゃんの下から腕を抜こうとする。その時、髪が後ろから引っ張られカクンと首を揺らされた。「ふぁー」と可愛い小さな声が耳元で聞こえる。目の前にシュレンちゃんがいる以上、私の髪を引っ張った犯人は一人しかいない。双子の妹、エリーゼちゃんだ。



(いた、いたた。ちょっとあんまり強く引っ張らないで~)



 振り向いて止めさせたかったけれど、慌ててそれをやると正面のシュレンちゃんを起こしてしまう。寝ぼけながら髪を引っ張るエリーゼちゃんを止める術が見つからない。「うにー」と言いながらエリーゼちゃんは更に首に抱きついてくる。彼女の金色の髪がうなじを掠め、ちょっとくすぐったい。



 これはもう寝るのは無理ですね。諦めながら慎重に体をよじり、二人の拘束から逃れる。さあ、起きましょう、セラ・コートニー。一日の始まりです。




******




「おはようございます......」



「おはようございます、セラ様--ふおっ、髪が寝乱れていてセクシーッ!」



「やーだー、変なこと想像しちゃいますーみたいなー!」



「......い、いつもの双子ちゃんの悪戯ですわ」



 起こしにきたメイドのお二人に苦笑しつつ、手早く着替えを済ませる。最初は家にメイドがいる、しかも彼女らが手伝いをしてくれるという状況に気後れしていましたが、三ヶ月が経過した今では何とか慣れました。それでも時折、私と彼女らを分けている物は単に運に過ぎないと自分を戒めることもあります。



 そう、本来なら私はこんな恵まれた生活を享受出来る立場ではないんです。スラム街をさ迷い出た後、イヴォーク候に庭仕事の要員として拾われたのがまず第一の幸運でした。その後、たまたま勇者様にシュレンちゃんとエリーゼちゃんのお世話係として拾われた--これが第二の幸運です。もし運に恵まれなかったら今頃はスラム街で野垂れ死んでいたかも......うっ、そう考えると恐いですね。



「ほおら、シュレンちゃん。大人しく服着替えましょ」



 だからシュレンちゃんがふざけていて、服を着るのに時間がかかっても。



「エリーゼちゃん、おしっこ!? すいません、お手洗いに連れていってあげてください!」



 慌ててメイドさんにエリーゼちゃんをお願いすることが日常茶飯事でも。



 そんな自分にあり得た人生に比べたらなんてことないのです。




******




 双子ちゃんの着替えを終わらせた頃、ウォルファート様がお部屋を覗きにいらっしゃいました。「おはよお」と目を擦りながらです。少し瞼が腫れぼったいのは、昨日は飲んで帰ってきたからでしょう。



「おはようございます、あ、あれ? ウォルファート様、今日ずいぶんごゆっくりですね」



「今日休みだよ」



 あ、そうでした。いつもお仕事に行かれる時間より遅い気がしたのですが、お休みの日なんですね......ん? お休みの前の日はいつも朝帰りされてるのに、昨日は夜更けにお屋敷に戻られてますよね。どうしたのでしょう。



 そんな疑問が顔に出ていたのでしょう。ウォルファート様は聞かれもしないのに答えてくれました。



「雪が降るっつーから昨日は帰ったんだよ。朝方雪の中をずるずる滑りながら帰るなんて嫌だからさ」



「そうだったのですね」



 そう答えつつ、それなら雪が溶けるまでお店--女の子がいるお店です--にいればいいのではと不思議に思いました。長居が嫌なんでしょうか。詳しくは私も知りませんが、勇者様はもてそうなのに特定の方はいらっしゃらないようです。女の子のいる店に時々行かれてはいますが、それくらいならちゃんとお付き合いされたらいいのにと余計な事を考えてしまいます。



 けれどそれを口にしようとは思いません。ウォルファート様にはウォルファート様の考え方がおありです。出会って間もない私がとやかく言うことではないでしょう。



「今日はどちらかに足を運ばれます?」



「いや、別にねえよ。というかこいつらが離してくれないし」



 私の問いにウォルファート様は苦笑いしながら答えてくれました。そう、足元にはシュレンちゃんとエリーゼちゃんがいるのです。二人とも「「抱っこー!」」と早くもウォルファート様にせがんでいます。微笑ましいというか、大変だなあと思うかは人それぞれでしょうね。



 そしてウォルファート様は「よいしょっと。ほら、セラ。お前も朝ごはんまだだろ、一緒に食べようぜ」と双子ちゃんを抱き上げつつ、声をかけてくれました。公爵位持ちの貴族なのに、とても気さくないい方ですね。なので私は素直に頷き、三人の斜め後ろに付くのでした。








「ううむ」



「どうされたのですか?」



 茹で卵を手に真剣な顔をウォルファート様はしています。私は左右にいるシュレンちゃんとエリーゼちゃんの朝ごはんの手伝いです。よく見ると自分の茹で卵と双子ちゃんのお皿を交互にご覧になっています。



「なあ、シュレン、エリーゼ。お前らそろそろこういう卵食べないか? 美味しいぞ」



 ああ、そういうことですか。確かに双子ちゃんは黄身と白身をぐちゃぐちゃに混ぜたスクランブルドエッグしかまだ食べられませんものね。密かに気にされていたようです。



「やー!」



「ぐちゃぐちゃのがいーの!」



「そ、そんなあっさりと」



 あらら、シュレンちゃんは声を張り上げ拒否、エリーゼちゃんは自分の好みを主張みたいです。その勢いに押され思わずたじろぐ私。



「いやーじゃないだろー。これも卵だぞ。美味しいんだぜ? セラもそう思うだろ」



「え、えーとそうですね! 私は固茹で派です!」



「え、そうなの、俺半熟派なんだ。そうか、お前にはこの真ん中だけがトロッとなる素晴らしさが分からないか......」



「「ゆでたまごやーだー!」」



 あっ、何故か卵の好みが違うくらいで落ち込んでる勇者様に、双子ちゃんの追い打ちが。これは私が味方した方がいいのでしょうか。うう、でもしっかり固茹での卵じゃないとちょっと恐いんですよね。



 そんな私を放置して、卵の好みを巡り勇者様と双子ちゃんが無言で火花を散らしています。パチッと暖炉の薪がはぜ、その音をきっかけにしたようにウォルファート様は私の方を向きました。



「そういえばさあ、セラってしっかり火を通した物から優先して食べてる気がするけどなんでだ?」



「ご、ごめんなさい。好き嫌いしてるわけじゃないのですが、スラムで手に入る食べ物って不衛生なのが多くてですね。取り敢えず焼けば大丈夫ということで、何でもかんでも焼いたり茹でて食べる癖がついてるんです......」



 ああ、話してしまいました。こうして打ち明けちゃうと自分が本来こんなところにいる立場の人間じゃない、と言っているようで悲しくなってしまいます。あの頃--といってもそんなに昔じゃないけれど--、身寄りもなく食べる物も家も無かった極貧時代はほんとに辛かったな。食べ物があれば何でも口にして、けれど腐りかけていたりしたからお腹壊したり、酷いときは病気になってりしていたもの。



「そうだったのか。すまん、セラ。嫌なことを思い出させちまった」



「いえ、そんなことは! そもそも私、食べ物の好みとか言える立場じゃありませんし! お気を使わせてすみません!」



 ウォルファート様が済まなそうなお顔をされたので、ちょっと焦ってしまいました。そうですよ、出来れば火が通った物がいいというだけで別に好き嫌いはないんですから! そもそも食べられる物があるだけで十分幸せなんですよ!



「--なので私、半熟でもスクランブルドエッグでも何でも食べますし! こちらのお屋敷で戴けるお食事、私なんかにはもったいないくらい美味しいですし!」



 ここぞ、と力を込めて訴えます。今言わずしていつ言うのですか。私がどれ程恵まれているか実感していますと伝えなくては!



 ふう、思わず力が入ってしまいました。冷静にならなくては......あら? 何故か勇者様も双子ちゃんも黙りこんでいます。どうしたのでしょう。



「くっ、お前がそんなに苦労していたのに俺達は卵の好みごときで」



 え、どうしたのですか、ウォルファート様。額抑えながら苦悩の表情を浮かべて。右手の指に挟まれた茹で卵がピシピシいってますよ。



 戸惑いながらシュレンちゃんとエリーゼちゃんを見ると、二人が私をじっと見ています。その小さな目に同情するような感情があるのは私の気のせいですか?



「シュレン、ゆでたまごも食べる」



 は?



「ごめん、セラ。エリーゼも好き嫌いしない」



 はっ、まさかさっきの私の発言を聞いて、ですか?

 子供なりに罪悪感めいた物があるということ?



 これは。こんなつもりじゃなかったんです~! 和やかなはずの朝ごはんの空気が重いです~!



「あ、あのー、ほんとに気にしないでくださいね? 卵料理に好き嫌いくらいあるのは普通ですし、ほら、私と違って皆さんちゃんとした暮らしされていたんですから」



「いや、やっぱ人間贅沢に慣れちゃいけねえよな。なあ、シュレン、エリーゼ。お前らもそう思うだろ?」



「「うん!!」」



 なんでそうなる!



「よし、今から屋敷にある卵を全部茹でよう。勿論固茹でで。セラ、お前好きなだけ食べていいぞ」



 止めて! ウォルファート様、お気持ちだけでいいから!



 間違った方に親切心を働かせようとするウォルファート様を何とか止めなくては。しかし狼狽した私の口はパクパクとしか動きません。そうこうしている間に、てきぱきとウォルファート様はメイドさん達に指示を出していきます。



「分かりました、ウォルファート様!」



「セラ様の苦難の過去を思えばこその!」



「固茹で卵の祝祭ですね!」



「素晴らしいですっ!!」



 止めろよ! 何ノリノリなんだよ、メイドs~!!





 --しかしもう私にはその流れに逆らう力は無く。



 気がついた時には目の前に茹で卵が山のように--いえ、これはもう山そのものです。眼前にそびえ立つ白い巨壁、それは卵を芸術的に積み立てて作られた(間違った)親切心と技術の結晶......



「セラの好きなーゆでたまごー」



「かたゆでー、いっぱーい」



 あ、あああ、シュレンちゃんとエリーゼちゃんが満面の笑顔で見てきます。茹で卵の放つ白い湯気の向こうから、邪気の無いあどけなさを全力で放出しながら。



 駄目、逃げられないわ。



「よし、セラ。固茹で卵がそんなに好きだったなんて知らなくて悪かった。これからはいくらでも食べていいからな!」



「ひゃ、ひゃいっ!」



 真剣な顔でそう語る勇者様を前にして、それ以外私に言えたでしょうか。ふ、ふふ......高さ1メートルはある茹で卵の高峰です。私、頑張ります。もってくださいね、私の胃袋!



「セラ様が 是非食べたいと 言ったから~」



「今日は皆の たまご記念日~」



「「一句でーきたー!」」



 そこのメイドさん達、うるさいですっ!

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