ワーズワースの過去 2
「すみません、ご迷惑おかけします」
「ええって、ええって。困った時はお互い様やさかい。屋根の修理くらい御安い御用や」
目の前の中年男はガハハ、と豪快に笑って私の肩をポンと叩いた。意外に体重が乗っておりぐらつきそうになる。それを横で見ていたアリオンテ様は「ありがとうです」と男に頭を下げた。多分私の見よう見まねなのだろう。
「おー、リオンちゃんは偉いなあ。ちゃんとお礼言えるんか」
「ほんまにねえ。うちの子にも見習わせたいわ。どんだけ言ってもちっとも言うこと聞かんのよ」
相好を崩す男の背後から、同じくらいの年頃の女が声をかけた。困っているとは言いながらその表情は優しい。人柄が見てとれるというものだ。
適当に相槌を打って家の中へ戻った。リオンと呼ばれたアリオンテ様はうんざりといった表情だ。
「なんで人間にお礼言うの」
「仕方ないですよ。家の屋根を直してもらったんですから」
「......」
不満そうに口を尖らすが、アリオンテ様はそれ以上は何も言わなかった。腰を落とし、私は目の高さを合わせる。
「私達が復讐の対象にしているのは勇者であり、とりあえず他の人間は関係ないです。それに敵であっても受けた恩にはちゃんと感謝しなくてはいけないですよ」
一度言葉を切り天井を指差す。ここからは二階は見えないが、意味は伝わるだろう。
「雨漏りしている家で寝たくはないですよね」
「ん、うん」
仕方ないという感じだな。気持ちは分からなくもないが、ここで人間とトラブルを起こすのはまずいのだ。アリオンテ様には耐えてもらうしかない。
人目が無いことを確認して、アリオンテ様は隠していた二本の腕を出現させた。床に座り、四本の手で積み木で遊び始める。私が見よう見まねで作ったお手製の積み木はやっぱり不恰好だ。本職ではないから仕方ないのだが、少し可哀想だなと思う時もある。
「--若様。一緒にやりましょうか」
「いい。一人でやる」
目を合わせないまま拒否されてしまった。どうも最近機嫌が悪い。しかし三歳の子供の考えることなど分かるはずもなく、「じゃあ私は縫い物してますから」とだけ伝えた。返事は無かったが気にするまい。
******
何故人間を目の敵にしている我々が人間と仲のいいふりをしているのか。これには深い--いや、よく考えたら別に深くもなかったが--理由があるのだ。まとめてしまうと実に簡単な話である。
山を一つ越えたところで、アリオンテ様が体力的に限界を迎え熱を出したのだ。十日間程の逃亡生活の間に小雨にたたられたのも良くなかったのだろう。発熱したままでは危険と判断し、私は人里を探しそこに転がりこんだ。幸いなことに空き家が村の隅にあり、我々二人がそこを使ってもさほど問題は無かった。
「別にあの家使っても構わんけど、あんたら二人だけかね。母親は?」
おっかなびっくりという風情で尋ねてきた男は、この村の村長だと名乗った後でそう質問してきた。余所者などほとんど来ない寒村なのか、猜疑心がその口調に現れている。
とりあえず私は母親はこの子供が小さい時に病気で亡くなったこと、故郷が魔王軍に蹴散らされて命からがら逃げてきたことなどの嘘でその場をごまかした。嘘がばれないかとヒヤヒヤしたが、お人好しなのか村長はあっさり信じてくれて助かった。熱を出しながらも何とか二本の腕を隠し続けたアリオンテ様もよく頑張ったと思う。
「そんな事情があったんか。そりゃ大変だ。そしたらしばらくここにいたらええわ。そういえば名前聞いてなかったんじゃが」
「ウェインと言います。この子はリオン」
さらっとその場で思い付いた偽名を名乗り、私は「ほんのお礼ですが」と少しだけ懐から取り出した金を村長に渡した。前に人間どもからぶんどった貨幣がこんなところで役に立つとはな。心付けとして受け取った村長は「後で薬草あげるわ。解熱に効く」と言い残して去っていった。払うべき物は払った方がいいらしい。
「アリオンテ様、薬が貰えますよ。お水飲みますか」
私の問いに赤い顔をしたアリオンテ様は頷く。ボロいベッドの上でこれまたボロい毛布にくるまるその姿は痛々しいが......今は早く良くなって欲しいと祈るしかなかった。
アリオンテ様の熱が引き、もう逃亡生活に疲れた私達二人は何となくその村に居座るようになった。その間に暑い夏は過ぎ行き、季節は秋の始まりを迎えつつあるのだが--心穏やかな生活という物はまだまだ遠いらしい。
******
ザクッ、ザクッと鎌で麦を刈り取っていく。刈られた麦は乾燥させた後で脱穀し、貯蔵することになる。大量に取れたならば売ることもあるが、この村では各々が食べる分しか確保出来ない。
「やー、ウェインに手伝ってもらえると助かるわ。最近腰が痛くてなあ」
「いえ、こちらこそありがとうございます。なにぶん食糧に事欠く有り様ですから」
そうなのだ。私がこうして農作業に精を出しているのは、別に善意からではない。純粋に食べ物が無いので、近隣の家の農作業を手伝ってお裾分けをしてもらっているのだ。自前の畑があれば自作出来るのだが、早くともそれは来年の話になる。
狩猟で野生の獣を取るのも手だが、一日仕事になるしその間アリオンテ様から目を離さなくてはならない。それに村の人間と友好関係を結んだ方が何かと得策という考えもあり、今は臨時の農作業手伝いに精を出しているという訳だった。
鎌を振るう手を休め、アリオンテ様を探す。ああ、いた。畑の側の木の下からこちらを見ている。側にいる老婆が面倒を見てくれているのだが、仲良くやっているのか心配だ。
手を挙げて合図をすると、向こうも手を振ってくれた。気がついてくれたようで少し嬉しかった。
もう少しやったら昼休みにしよう。汗を手拭いで拭きつつ、私はもう一度鎌を手にした。
「いやー、ウェインさんがいると仕事がはかどるねえ」
「うちの村、若い男が少ないからありがたいのう」
「は、はあ......」
畑の側の芝生に座っている間、ずっとこんな感じだ。実のところ、人間から誉められるのは奇妙な気分だった。無理にでもこの生活に慣れなくてはならない以上、敵意剥き出しにされるよりは余程いい。だが私は知っている。この村の働き盛りの男は我々魔王軍の手にかかり死んだのだということを。
私が魔王軍元副官と知ったら一体どんな顔をするだろう。想像すると笑いそうになる。
魔力を操作し皮膚の色を変え、尖った耳を人間らしく丸みを帯びさせるだけの変身でこうも簡単に騙せるものか。これなら人間達の中に魔族がこっそりと潜入しても容易にはばれないだろう。
人間を心配してやる気は全く無いが、不用心だなとは思う。
「んー。見て」
「あ、はいはい。これで遊んでいたのですね」
とことこと寄ってきたアリオンテ様--ここではリオンだ--の差し出した手を見る。赤色の糸が立体的に二つの手の間を交錯し、三角形が連なったような形になっていた。「あや取りしてたんじゃな、リオンちゃん」と老婆が言ってくれたので、気がついた。ああ、そうか。この遊びをあや取りというのか。どこかで見たような気はしていたんだが。
「僕、教えてもらったんだ」
少し固い笑いだが、それでもアリオンテ様は周囲の人に笑顔を見せている。人間に対して拒否反応を示さないかと心配だったのだが、とりあえずは大丈夫だろうか。とにかく今は......ひっそりと生きていかなければ。
「ところでウェインさんや。あんた、この子と二人で寂しくないかね?」
いきなり村人の一人に話しかけられ何と答えるべきか迷ったが、無難に返しておく。
「え、ええ。まあ、そういう時も無くは無いですね」
「そうかあ、そうじゃろうの。奥さんを亡くされたのはお気の毒じゃが、やっぱり子供には母親がいた方がええしな」
「そうじゃよ、ウェインさん。あんたもまだ若いんやし、再婚とか考えた方がええんちゃうか」
え......何やら知らないうちに他の村人も周囲に寄ってきてるんだが。
心の中で警戒心が鳴る。この人間達が何を話そうとしているかは分からないが、何か凄く嫌な予感がする。
「あんた、どんな女が好みなんじゃね? この村な、こんな小さい村じゃけど適齢期のおなごは何人かおるんよ」
は?
「こんないい体しとるんやったら、そりゃあ夜の生活も楽しまんと損やぞ?」
な、な、なんの話をしてるのか、この人達はー!?
ようやく話の流れが見えてきた私の視線がさ迷う。偶然視界に何人か若い(長命の魔族から見れば大半の人間は若いが)娘数人を捉えた。私と目が合うと「キャッ、ウェインさんと目が合っちゃった!」「やだ、ずーるーいー!」などとかしましい声をあげている。
「ほれ、あんた男前なんやしな。女の子に自分から声かけんとあかんよ?」
「いえいえいえいえ滅相もないないないいないいないばあああ!」
「おお、あんた笑いも取れるんやな。見事な変化球や!」
違う! 今のは意外な話の流れに頭が混乱して舌が勝手に!
そう説明しようとしたが、妙にあたふたしてしまい上手く口が回らない。「三の線もいける二枚目っちゅうのは最高やね!」「やだ、かわいいー!」とかお前達好き勝手に人を評してくれるなよ!--と怒鳴れたらどんなに楽だったろうか。
「......なんか疲れた顔」
何とかやり過ごして帰宅した後、アリオンテ様のボソッとした呟きに容赦なく胸を抉られた。アウズーラ様、私は、元魔王軍副官たる私は、人間達に弄られて虫の息です。
******
思えば前兆はあったのだ。
アリオンテ様が時折見せる固い笑顔。つつ、と途切れるような話し方が出るようになったこと。私の動きを目で追いながらも、妙に遠くを見るような漠とした表情。
これらの兆候を間近で見ていながら、何故私は気がつかなかったのだろうか。あまりにも身近だったから? まさかこんな事態になろうとは想像すらしなかったから? いや--それらは言い訳にしかならない。
秋が深まりそろそろ冬の気配が漂い始めたある日の晩、アリオンテ様と私はいつも通りの時間を過ごしていた。私が農具の修理などの内職をしている横で、アリオンテ様は木の枝を組み合わせて作った馬で遊んでいた。村人から貰ったその馬はアリオンテ様のいい玩具だった。
私が農具の金属部分をガチャガチャと鳴らす音に、アリオンテ様の玩具が床を擦る音が重なる。鉄の音と木の音が重なるいつもの風景、いつもの時間のはずだった。
ちらちらとアリオンテ様の様子を伺いはしていたものの、基本的には自分の作業に集中していた。農具とはいえ金属製品なので下手に扱うと手を切ることもある。気は抜けなかった。
しばし静かな時間が流れ、目の疲れを覚えた私は作業の手を止めた。その時だった。アリオンテ様の異常に初めて気がついたのは。
玩具が立てていた軽い音が全く無かった。それ即ち、遊びの主が動いていないということだ。床に積み木と木の馬が放り出され、それを避けるようにしてアリオンテ様は壁際に座り込んでいる。膝を四本の手で抱え、その中に顔を隠すようにして。
「若様、どうかされましたか。ご気分でも悪いのですか」
「......帰りたい」
くぐもった声が狭い部屋に響く。嫌な予感に襲われながら声をかけあぐねている間に、うめき声がその小さな体から漏れた。
「父さんに会いたい。ここ嫌だ。人間嫌い。ねえ、ワーズワース、帰ろう。皆のところに帰ろうよ」
乾いた、何の感情の欠片も感じさせない声は子供には相応しくないそれで。
何と答えていいか分からないまま、ただ呆然とアリオンテ様を見ていた。私の手から修理していた鋤が転がり落ちた。動けない二人の間を埋めるように、固い金属音が響く。
どう......すればいい。いや、違う。アリオンテ様は一体どうされたのだ。駄目だ、どうされたなど考えるだけ無駄だ。今の言葉と虚ろな目だけで明らかだろう。環境の激変からくる精神的負荷に心を蝕まれている。
それはすぐに分かった。だが分かっていながら頭がそれを理解することを拒んだ。心が壊れかけている状態がどれほど危険か知っているからだ。
「--若様、辛いのは分かり」
「何が分かるの。ねえ、何が分かるの。なんで父さんがいないの。一人だ独りだ独りぼっちだ。誰ももういないんだ」
カクカクと顎が動き、言葉の羅列が吐き出されていく。答えるべき声が喉に詰まり、ただ阿呆のように私は立ちすくむしかなかった。
アリオンテ様の目が私を捉える。苛立たしげに拳が床に叩きつけられた。
「帰して、帰して、帰して! 早く僕を父さんのとこへ! 帰りたい、帰りたい、父さんに会いたい皆に会いたい......なんで、僕、こんなとこに」
徐々に切れ切れになる声が感情の色を帯びる。ハッハッと荒い息を弾ませながら、アリオンテ様は立ち上がった。天涯孤独の大魔王の忘れ形見が身を震わせる。その背中から魔力の揺れを感じ、思わず叫んでいた。
「アリオンテ様、駄目です! 感情に身を任せてはあぶな--!」
魔力の暴発を恐れ、言い切るより前にアリオンテ様の下へ駆け寄っていた。魔法を扱う技術が無いまま、魔力の放出量を全開にすると予想外の被害が出ることがある。それは術者本人にも周囲にも有害となるのだ。アリオンテ様はまだ幼い。激情の余り、それを引き起こす可能性があると気がついたのだ。
どす黒い色の魔力の波動がアリオンテ様から漏れている。ぞわぞわと悪寒に襲われながらも、それを自分の全身で包み込むように抑え込んだ。皮膚に感じる圧力はまるで台風のようだ。対魔障壁を巡らしながら私はアリオンテ様の体を抱き抱える。
辛い。
こんな状態になるまで、アリオンテ様の異常を気がついてあげられなかったことが。
もどかしい。
私が何もしてあげられないことが。
だが後悔するよりも今は。アリオンテ様を助けなくてはどうにもなりはしないんだ。
静かに、そして堅固に対魔障壁を維持したまま、アリオンテ様をそれで包む。体の内から暴れようとする魔力をなだめるように優しく、だが毅然と。
私が今出来ることは、してあげられることは、これくらいしかない。アリオンテ様の心の痛みを分かち合えるかどうかは分からないが、少なくともこんなところで痛手を負わせるわけにはいかない。
「く......うう、ああああ!」
ギチと体を軋ませたアリオンテ様が膝を床に着けた。ようやく鳴りを潜めた魔力の波が静まっていく。じわじわと収まりつつあるそれを刺激しないよう、こちらも対魔障壁を緩めていった。
一気に緩めると残っている圧力に吹き飛ばされる。袋の口を緩めるように、少しずつ少しずつ対魔障壁を解いていくのは地味だが根気が必要だった。だが本当に重要なのはこれよりもむしろ--
まだ床に膝を着いたままのアリオンテ様に声をかける。今の私に出来ることが何なのか分からないが、分からないからといって何もしないのはただの怠慢だ。
「大丈夫ですか、疲れてませんか」
返事は無い。構わず続ける。
「若様、ほんとはずっと我満していたのですね。アウズーラ様と引き離されて、このような生活を強いられても私を困らせてはいけないと」
微かに、本当に微かに床に突っ伏していたアリオンテ様の背中が震えた。対魔障壁にかかる圧力が水が引くように弱まる。
「私が及ばないばかりに、早く若様のお気持ちに気がついてあげられなかった。すみません」
「......う、ううう」
もう暴発の危険は無いだろう。息を吐き、私は床に座り込む。アリオンテ様は顔を伏せたまま、唸り声をあげていた。顔の真下の床に一滴、二滴と水で濡れたような跡が出来ているのは見ないふりをしよう。
「私は--アウズーラ様をお救いすることも」
最後に背中を向けた主君の姿が瞼に浮かぶ。
「私達の脱出を助けてくれた仲間に報いることも」
死力を尽くしてくれたゴブリン達の姿が胸を抉り、息果てるまで走り抜いてくれたグレイプニルのたてがみの感触が掌に甦る。
「......何一つ出来ませんでした。だからこそ、若様が成人され勇者に復讐を果たす時までは何としてでも」
小さな肩に手を置く。下を向いたままでもいい。もし私の気持ちが少しでも伝わるならば。
「若様を守り、この身を粉にして尽くしますから。だからこれからは無理だと思った時は遠慮なく言ってください。帰る場所が無いならば、このワーズワースが作って差し上げます」
思えばこの時まで若様は遠慮していたのだろう。
私が慣れない生活に疲れ、人間達に溶け込む為に尽力しているのを知っていたから。なまじ賢いばかりに子供なりに気を使っていたのだと思う。寂しさや苦しさを無理にその小さな体に押し殺して。
「義父さんって呼んでいい?」
翌朝、起きるなりそう言われた私は戸惑うと同時に腹をくくった。戸惑いが躊躇いとなり、「若様、あなたのお父上はアウズーラ様です。私は......」と口にしたが、一方で覚悟らしき物は芽生えていたと思う。
「知ってる。でも僕寂しいんだ」と服の裾を掴むアリオンテ様を突き放せる程、私は冷酷でも鬼畜でも無かった。
だから私は。
アリオンテ様の義父になろう。この子の唯一無二の味方であり、手本であり、最大の友人であるようなそんな親になろうと--この時決意したのだ。
この魔槍を掴むしか知らぬ手でも幼子の心を癒すというならば、出来る限り抱き上げて優しくしてあげたいと。気の利いた事一つ言えぬ不器用な性格でも、運命に真っ直ぐに向き合うことは教えられると。
そう心に決めたのだから。
だから若様、アリオンテ様。ウォルファート・オルレアンに挑戦状を叩きつけるその日まで......私はあなたの義父として、共に歩んで生きていきます。