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ワーズワースの過去 1

「ワーズワース。息子を--アリオンテを頼んだぞ」



 私の主君の最後の頼みをどうして断れようか。例え私自身が最後まで抗戦の意志があったとしても、アウズーラ様のこの言葉は余りに重かった。



「はっ、一命に換えましても。若様、ごめん!」



 荒れた草地に膝を着いたのもつかの間、一礼の後、若様--アウズーラ様のご子息であるアリオンテ様だ--に手を伸ばす。アウズーラ様の横で不安そうに服の裾を握りしめていたが、私が手を伸ばすと嫌々をするように抵抗された。



「やだっ! 行かない、行きたくないよ! 父さんといるんだ!」



 若様の気持ちも痛い程分かる。幼いながらもアウズーラ様が自分をどうしようとしているのか、ちゃんと分かっているのだ。だが勇者の軍勢に包囲されつつある今、これ以上ここに残るのは危険だ。「若様、ごめん!」と断腸の思いでその小さな体を素早く抱え、自分が連れてきた六本脚の馬--グレイプニルに飛び乗る。



「馬上からのご挨拶、平にご容赦下さい。アウズーラ様......御武運を」



「うむ。何、心配はいらぬさ。すぐに勇者ごとき片付けて後を追う。アリオンテ、いい子にしているんだぞ。ワーズワース、お前には最後まで苦労をかけるな」



 別れを惜しむように、アウズーラ様はほんの少しだけ表情を緩めた。だが迫りくる戦場の喧騒がそれを長くは許さない。すぐに背を向けたアウズーラ様の短い一言が響く。



「行け」



「承知!」



「いやだああああぁ、父さああああん!」



 左腕に抱えた若様の絶叫が胸に刺さるが、もう止められない。拍車を入れられたグレイプニルは力強く疾走し始めた。今、私が出来ることはただ一つ。一刻も早く若様を安全な場所に連れていくことだ。



 一人の武人として、最後まで戦場に残りたいという意地を心の中でねじ伏せ、私はただひたすらに逃走に集中した。




******




 アリオンテ様を左腕に抱える以上、私は右腕しか使えない。それでも普段なら、片腕での騎乗くらいは楽に出来るのだが今回は条件が悪い。後方の比較的手薄なところから離脱を狙っているとはいえ、敵がまったくいないわけではないのだ。



「あまりやりたくは無いが仕方ないか」



 覚悟を決め、右手を手綱から離す。暴れそうになるグレイプニルを叱咤し、その腹を両足で締め付けた。ひどく安定感に欠けるが、敵がいる以上無手では切り抜けられないだろう。そして片手一本でも武器さえ持てば、どうにでもなる自信があった。



 武装召喚(アポート)で呼び出した愛用の魔槍を握る。私の気持ちを反映してか、槍の穂先の輝きがいつもより悲壮感を帯びた暗さがある気がした。ああ、そうか。私は--悲しいのか。結果的にとはいえ、このような形で主人を残し逃げることが。味方に見送られてアリオンテ様を連れて、ただひたすらに逃げることが。



「わ、ワーズワース様、アリオンテ様、早くお逃げくだせえ! ここはおら達が引き受けますだ!」



「んだ、お二人さえ残ってりゃあどうにでもなるだあ。アウズーラ様はおら達が守るだで、早くお行きなせえ」



 先行していた二人のゴブリンがグレイプニルを誘導してくれる。私も顔馴染みの昔から魔王軍で働いてくれている古強者だが、その体の至るところに矢が刺さっているのが見えた。鍛えられているとはいえ、所詮最弱に属するゴブリンの癖に......こんなところで意地を見せてくれるなよ。



「恩に着る! 貴様らの奮戦、忘れはせん!」



 涙で曇りそうな視界のまま、グレイプニルをただひたすら走らせた。あの二人がせめて武人として最後までその命運をまっとう出来るよう願いつつ。



 前方に敵兵の一団を発見する。あそこが一番手薄そうだな。左腕に抱えたアリオンテ様が息を呑むのが聞こえた。私が何をしようとしているのか理解したらしい。



「っ、た、戦うの?」



「舌を噛みます、お静かに......お任せを」



 それだけで伝わったらしい。黙ったアリオンテ様を何とか鞍の前に座らせる。左腕で抱き抱えてはいるが、片手でぶら下げるような形よりは安定するだろう。



「突破します。しっかり掴まっていてください」



 そう声をかけ、全ての集中力を二十人程の敵兵に向けた。このスーザリアン平原の決戦まで生き残っただけあって、人間の兵士の割にはよく鍛えられているようだ。奴らも馬に乗っている。ここで逃げても恐らく追い付いてくるだろう。



 だからここで殲滅してやる。

 人間共、よもや忘れたわけではあるまいな。私の鬼のごとき戦いぶりから貴様らが"殲滅騎士"という二つ名を与えたことを。



 数を生かして反包囲するかのように展開するのは正解だ。魔術師(ソーサラー)らしき奴らが早めに攻撃呪文を詠唱し始めたのも正しい選択と誉めてやる。だが、それでも雑魚だけで私の首を取ろうなど思い上がりもいいところだ!



「ワーズワースだ! 魔王軍の副官だぞ!」



「討ち取れ、絶対逃がすな!」



 人間達が好き勝手に叫びながら勝負を挑んでくる。長槍、ハルバードなどの長尺武器が持ち上げられ、後衛からは火炎球(ファイアボール)が唸りをあげて飛んできた。フッ、これで私を殺れると思っているならば--



「--大間違いだ! 跳べ、グレイプニル!」



 気合い一閃、私の指示に応えて六本脚の馬はとんでもない跳躍を見せた。燃え盛る火炎球(ファイアボール)も武器も飛び越え、見事に敵の前衛を突破する。目の前に立ち塞がる邪魔な後衛に魔槍を叩きこむと、声もなくそいつは倒れた。



 鮮血が飛沫を上げる中、瞬き一つの間に更にもう一撃を繰り出す。無念が怨みへと変わり、怨みは怒りへと変わり私の槍を加速させていく。



「地獄で後悔しろ、人間風情が!」



 左腕でアリオンテ様を守りつつ、私は右腕一本で群がる敵兵を蹴散らしていった。ただひたすらに血路を開く為に。




******




 追いすがる敵兵を振り向きざまに突き刺し、殺す。遠い間合いから放たれた攻撃呪文を展開した対魔障壁で弾き、お返しとばかりに極火炎球(ファイアボールアドバンスド)で灼熱地獄に叩きこむ。



 後で振り返ると、自分でも異常な程の力でこの脱出劇を成功させていた。一時間程の間に戦場の中心部から離脱し、私とアリオンテ様は何とか一息つけるようになった。しかし私の心は重い。



 アリオンテ様を守りつつ戦いながら逃げる。この難業を完遂出来たのは、多数の犠牲があったからこそだからだった。







「ワーズワースさんには世話になったからな。最後くらい恩返しさせてくれよ」



 皮肉っぽい笑みを片頬に浮かべ、弓矢を手に踏みとどまったダークエルフのシグムンド。たまに軽薄だったが頼りになる奴だった。



「グルグルググルル(サヨナラ)」



 魔犬語でそれだけ言い残し、吠え声も高らかに敵陣に特攻していったのはケルベロスのシーザーだ。アリオンテ様の遊び相手として、生まれた直後から常に傍らにいたあいつももう戻ってはこない。



「お、俺たちを鍛えてくれたワーズワース様に恩返しするんだな。い、いつも俺たち頭悪くて足引っ張っちまってたけど、見捨てずに辛抱強く訓練してくれて、感謝してるんだな」



 ブヒブヒという鳴き声混じりに、オーク達は人間達の攻撃に対し文字通り肉の壁となって立ち塞がってくれた。「止めろ馬鹿!」と叫んだがあいつらときたら......くそ、最後の最後まで馬鹿ばかりだったよ。







 悔恨を抱えたままグレイプニルを走らせながら、後方を振り返った。どうやら逃げきったらしい。もう目につく範囲には敵はいない。アリオンテ様も恐怖に凍りついた顔を僅かに和らげた。それでも鞍を掴んでいる手は震えたままだったが。



「逃げきったのかな」



「恐らくは。大丈夫ですか、お怪我は?」



「僕は大丈夫。でも、馬がもう......」



 その言葉にハッとした。戦闘と逃走に集中していたせいで馬の様子にまで気が回らなかったのだ。改めて見てみると、異常に歩様が重い。戦場を突っ切ったとはいえ、滝のような汗が流れている。



 慌ててアリオンテ様と共にグレイプニルから降りる。まるでそれを待っていたかのように、六本脚の馬はゆらりと倒れて大きな木に寄りかかった。



 声にならない叫びが漏れそうになるのを抑えながら、何とか助け起こそうと試みた。恐らく逃走中に背後からやられたのだろう、酷い裂傷が何個も何個も尻や脚にあった。中には骨近くまで達した傷もあり、血がまだ流れている。



 こんな傷を負いながらここまで私達を運んでくれたのか。それなのに、それなのに、私にはこの勇敢な馬に応えてやれる物が何も無い。



 私とアリオンテ様が出来たことは、無念に貫かれながらグレイプニルのたてがみを撫でてやることだけだった。最後に一声、ヒンと弱々しい鳴き声だけが虚しく響く。急速に体温を失いつつあるグレイプニルに心の底で謝りつつ、私達二人はその場を離れた。ここまで逃げた成果を無駄には絶対に出来ない。それだけを支えに重い足を動かす。



「......行きましょう、若様。まだ安全と言える場所ではありません。一刻も早く、遠くへ」



「うん」



 青ざめた顔でアリオンテ様が頷く。疲労とそれ以上の精神的なダメージが、余りに小さい体にのしかかっているのだろう。だが私も今はあまり気遣う余裕が無かった。



 歩き出しながら、一度だけ振り返った。スーザリアン平原に倒れる仲間達が、我が子を託したアウズーラ様の姿が甦る。私が魔王軍で過ごした年月が心の中を吹き抜けていく。虚無と絶望に支配され真っ黒に染まりそうになりながらも、私はそれを拒否して叫んだ。



「ウォルファート・オルレアン! いつか必ず! 私が貴様を殺してやる!」



 涙の代わりに流した激情、それが私の復讐の誓いだった。




******




 色々な感情がぐるぐると自分の中で渦を巻いている。アウズーラ様に頼まれたとはいえ、三歳の子供を無事に育てられるのか。仲間もいなくなり孤立無援の状態で、どうやって生き延びるのか。勇者への復讐を誓ったものの、具体的に何をすべきかまるで分からない。全くの手探り状態のまま、私が出来ることと言えばとにかくアリオンテ様を保護して移動することだけだった。



 自分で言うのもあれだが、頭は悪い方ではない.....と思う。だが行動の選択肢があるならば、考えるより先に動く傾向があるのは自認していた。それに今はとにかく逃げなくてはならない。最後の力を振り絞ってまで走ってくれたグレイプニルには感謝の念しかない。あれがいなければ当の昔に人間達に囲まれていただろう。







「疲れたよ。足、痛い」



 何日か歩き詰めて山道に差し掛かった時、アリオンテ様がそうこぼした。魔族は体力的には人間を上回るとはいえ、流石に幼児の頃は大差はない。むしろここまでよく耐えた方だといえる。



「背負いましょう。どうぞ」



 しゃがんだ私の背中にアリオンテ様は素直に掴まった。口を聞く元気も無いらしい。大した重さではなく、体力的にそこまで負担ではないのは幸いだった。むしろ腕がおんぶに使わなければならないため、咄嗟の時に不安定になるのが問題だ。



 だが、弱音を吐くことなど許されない。誰かに許されないというより、私自身が許しはしない。逃亡生活はまだ始まったばかりだ。こんなところで挫けるには早すぎる。



 互いに口を聞かないまま、黙々と山道を行く。少し傾斜が緩くなったところで一休みすることにした。背中のアリオンテ様を下ろし、ホッと息をつく。疲労がずっしりと肩や背中に澱んでいるのが分かる。



「大丈夫?」



「え? ええ、大丈夫です」



 不意にアリオンテ様が話しかけてきたので驚いた。私が腰かけた倒木の隣にちょこんと座り、彼は俯き気味に顔を伏せている。まさかこんな子供に気を使われるとは思わなかった。



「これくらいで根を上げるほど、やわではありませんから」



「......やわ?」



 あ、言葉の意味が通じなかったか。まだ三歳では仕方ないな。



「ええと、そんなに弱くはないよ、という意味です。鍛えていますからね」



 納得したようにアリオンテ様は頷いた。水筒を開け、二人とも喉を潤す。幸い綺麗な湧き水が豊富な山だ。渇きで死ぬことだけはあるまい。



 しかし......山を抜けたとして、それからどうするか。ずっと逃亡生活を続けるのは無理だろう。やはり、どこかの人間の集落に紛れ込むしかないか。腹は立つが、生活用品などを手に入れなくてはどうしようもない。



 そんなことを考えていると、横から腕をツンツンとされた。無言で視線を向けると、こちらを見上げるアリオンテ様の視線とぶつかった。父親譲りの赤い目の底に揺れる物は私には分からないが--話を聞くことくらいは出来る。



「僕たち負けたんだよね」



「--そうですね」



 認めたくないが、事実だった。



「父さん、やっぱり死んじゃったのかな」



「......まだ確定、すいません、決まったわけではありません」



 自分でも信じていないことを話すのは、チクチクと私の心に刺さる。



「--逃げるのって、辛いね。しんどい」



「--若様なら頑張れます。私も及ばずながらお力になりますから」



 それが微妙に相手の求める答と違うことを知りつつ、意図的にそう答えるしかなかった。一度自分は可哀想だ、悲惨な目にあっていると思い込んだら、ズブズブと落ち込むことになりかねないから。



 欺瞞かもしれないが、私にはそれくらいしか思いつかなかった。



 そのまま少しの間、私達二人は並んで座っていた。山道を抜ける爽やかな風に僅かに疲れを癒された後、ゆっくりと立ち上がる。体の底に眠るまだ未使用の体力を信じ、それを支える精神力を信じ、とにかく今は歩き続けようと決めた。



「行きましょう、若様。背負いましょうか」



「いい、歩く。また疲れたらお願い」



「はっ」



 短い言葉のやり取り。それはきっと物悲しく、そして少しだけ暖かい私とアリオンテ様の奇妙な関係そのものなのだろう。

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