イヴォーク・パルサードの回想 本編最終話
ワン、という聞きなれた犬の吠え声に、私は顔を上げた。窓から差し込む陽の光はまだ明るいが、記憶にあるより傾いている。少し熱心に取り組み過ぎていたのだろうか。いつの間にか時間が過ぎていたようだ。
「ああ、すまないな。カーニィ」
放っておかれたことに抗議するように、私の愛犬はまた一つワン、と吠えた。白いもふもふした毛並みを私の足元に寄せる。「シュレンちゃんとエリーゼちゃんに会いたいのかい。もうすぐ帰ってくるからね」となだめつつ、私はその毛を撫でる。良い遊び相手である双子ちゃんと最近会ってないせいか、うちの犬は最近寂しがりやだ。
メイドを呼び、すっかり冷めた紅茶の替えを持ってこさせる。読み込む文献が多いせいか、茶を飲むことも忘れて熱中してしまっていたのか。ギュンター公が見たら「年なんじゃないかね、イヴォーク侯。ぼけるにはまだ早いと思うが」と辛口に批評するだろう。
「まだまだそんな年ではないなあ」
「そうかな、いい年齢だと思うがね」
ギョッとして椅子ごと振り返った。窓から離れた方の壁際に、見慣れた友人が立っている。ダークブラウンの髪を綺麗に整えているのはいつも通りだが、私服というのは珍しい。いや、休日なので普通と言えば普通だが。この男は軍服姿の印象が強いからだ。
「い、いつからそこにいたんだね? びっくりしたよ」
「さっきメイドと一緒にだよ。目線も上げずに紅茶を受け取っていたろう。随分熱心に文献を読んでいたようだから、声をかけそびれた」
「う、それはすまなかった」
とりあえず机を離れる。ギュンター公に椅子を勧めながら、私もその正面の椅子に身を沈めた。もとはと言えば、そもそも今日ギュンター公が訪れる予定を忘れていた自分が悪いのだ。決まりが悪くなり、頭をかく。
「しかしあれだね。君の家もラウリオ君が出ていくと寂しくなるね」
「仕方ない。あれも所帯持ちになるし。それに」
「それに?」
「私の私兵にとどまる男でもないよ。もっと良い仕事を紹介しようと思っている」
ギュンターは「ふむ、いいんじゃないかね」とだけ答えた。そう、長年仕えてくれた部下により良い職場を紹介するのはよくあることだ。例えそれが少し寂しさを感じさせるとしても。
「--そうだ、勇者様はいつ頃戻られるのかな。ラウリオとアイラが首を長くして待っているんだが」
世間話を挟んで私が切り出した話題に、ギュンターは「早馬の知らせでは四日後の予定だね。アイラ君のご両親もちゃんと連れてきているらしいよ」とすぐ反応した。
「そうか、そうか。では二人の結婚式は無事に出来そうだね。いや、楽しみだな」
「双子ちゃんが結婚指輪を二人に持っていくんだろう? 盛り上がりそうだ」
そう、今回の結婚式は割と大がかりの予定なのだ。私はラウリオの上司としてスピーチをするし、ウォルファート様にも二人を祝福する役目がある。お祝い事は皆でやった方が楽しいものだ。
「そうだな。ところでイヴォーク侯。前に書いていた本だが、あれはいつ勇者様に原稿を見てもらうんだね?」
ああ、それこそが私が今もっとも熱心に取り組んでいることだ。机から書きかけの文章を取り出しながら、私はそれに一度目を通す。そうだな、出来れば--
「双子ちゃんの七歳の誕生日には間に合わせたいね。ちょうど切りがいいし」
「本人は驚くだろうな。自分の育児っぷりが本になるなんて知ったら」
「いや、それでもね。男一人で子供二人を育てて、それに幾多の敵を討ち果たす。中々こんなこと出来ることじゃないよ。是非私としてはよりたくさんの人に勇者様の活躍を読んでもらいたいんだ」
私の手の中で原稿用紙が柔らかく揺れた。昨年から生産が開始された植物を原料とした白い紙だ。そこに書かれた物語は、きっと人々を楽しませ、笑わせ、泣かせ、そして感動させてくれるだろう。
何といっても、あの勇者ウォルファート・オルレアンの物語なのだから。
「題名は決まっているのかい」
「ああ。これしかないと思ってね」
私は原稿用紙の一枚目を指差した。そこには迷い無く決めた、この物語の題名が書かれている。春の陽射しがその文字を浮かび上がらせた。
"勇者の俺はシングルファーザーしています"と。
This is the end of the story "I, a hero,am a single father for twins".
Thank you for reading!
ありがとうございました。
しばらく間を置いて、幾つかサイドストーリーを書く予定です。