これは余計なお世話だけれど
メイリーンが退職願いを表明してから辞めるまでの二ヶ月は、もしかしたら俺達にとって一番仲がいい期間だったのかもしれない。
自分が辞める前に「迷惑にならないように」と、メイリーンはシュレンとエリーゼの癖について知りうる限りのことを箇条書にしてくれた。俺が知っていることもあったが未知の部分もあり、さすが一番近くで見てきただけあると感心する。
「すまないな、こんなに気を使ってもらって」
「いえ、当たり前のことです。色々考えてしまった時期もありましたけど、やっぱり......二人ともかわいいですもの」
そう答えながらアイラに遊んでもらっている双子を見つめるメイリーンは、やっぱり優しい母親の顔をしていた。いくら感謝してもしきれない。
「結局、アイラに乳母というか、まあ子供関係の面倒見てもらうことにしたよ。全く知らない人間がやるよりは、二人も馴染みやすいだろ」
「そうですね。私もそれがいいと思います。でも、家事はどうするんですか?まさかウォルファート様が?」
「無理いうんじゃねえよ、アイラの妹のアニーにお願いした」
そうなのだ。今までアイラが担当していた家事の部分を、そっくりそのままアニーに頼むことにした。金鹿亭には事情を話し、看板娘をうちの為に使わせてもらうことを承諾してもらったから問題はない。
アニー自身、アイラと働けるなら喜んで!と言っているし金鹿亭に心づけとしてそこそこ金は渡している。多分その金で給仕役を雇うだろう。
「ああ、なら安心ですね。少しずつ、シュレンちゃんもエリーゼちゃんも馴染んでくれたらいいですね」
「ほんとにな。あと、週三くらいで俺も定期的に働くことにしたから」
俺の言葉にメイリーンが目を丸くする。なんだ、俺が働くのがそんなに意外か。地味に傷つくぞ。
「え、ウォルファート様って、働くの嫌いだと思っていました。乳母やらせてもらってこう言うのは何ですが、もっと私やアイラさんに任せきりにして外に出るのかなーと思ってましたし」
「同感でーす。あっ、エリーゼちゃんはこっちの積み木で遊ぼうね。シュレンちゃんは太鼓さんがいい?」
メイリーンに続いてアイラまで、俺の評価を間違えているようだ。もっとも大魔王を倒して以来、ずっと育児しかしていないから無理は無いんだが。
「いいかね、君達? 十年も勇者やってて俺は疲れただけだ。肉体的にも精神的にも。そこにいきなり二人子供育てるという重責がのしかかってきて、他のことなんかやる暇はなかった、それだけだ」
「なるほど。一年という節目の時期でもあるし、そろそろ外に出ようかということですね?」
「騙されちゃダメよ、メイリーンさん。仕事帰りに女の子のところ寄る気なんですよ、勇者様は」
「な、何故それを......っ、じゃねえ、いや、正直少しはあるが、さすがにそろそろ俺も外の空気に触れないとまずくなってきてな。国から要請が来てるんだよ、力を貸して欲しいってな」
アイラの洞察力に内心びびりながら、俺は正直に答えた。そう、これは嘘ではない。今まで魔王軍に蹂躙され国という物が存在していなかったこの大陸にも、ついに国家が出来たのだ。
その名もシュレイオーネ王国。地方貴族の中でもリーダー役を勤めていた有力貴族が中心となり中枢組織を整備し実際に運用に取り掛かっている、というのはついこの間に訪ねてきたエルグレイが教えてくれた。アウズーラを倒した後、半分隠居状態になっている俺を心配してくれたのは、あいつらしい気遣いだ。
「あ、その話は私も聞きましたよ。実際に国として始動するのはもう少し先ですけど、シュレイオーネ王国という入れ物をまず設定して何が必要か、どんな人材が必要なのかという討議は既に開始されているらしいですね」
「メイリーンの言う通りさ。王国というからには象徴たる王が必要なわけだが、それは有力貴族の間でくじ引きで決めたんだそうだ」
何ともいい加減な話だ。だが国のトップとなる王の座を巡って血で血を争う愚を侵すよりはいいだろう。
ちなみに"救国の英雄である俺を王にしては"という話もあったんだが断った。だって、王になんかなったら好き勝手出来ないじゃん。おまけに王妃めとったりしなくちゃいけないんだろ、あーやだやだ。
「そんなわけでだな。俺は王になるチャンスを蹴ってまで、双子の世話に勤しんでいるわけだよ。どうだ立派だろうが」
実に感動的だと思うんだが、何故かその場の空気が白けた。何故なんだ、皆冷たいな。
「あうー、まんまー」
「あっ、そうね、ご飯にしましょうね」
ねえ、メイリーン。何故、俺から目を逸らしてシュレンの方だけ見る?
「ばぶばぶ」
「エリーゼちゃんもご飯にしよっか、さーおいでー。ウォルファート様ちょっとどいてください、邪魔でーす」
なあ、アイラ。エリーゼに優しいのはいい、それはいいんだが、何故そんな生暖かい笑いを浮かべてるんだ? 感じ悪いんですけど。
「おまえら冷たくないか、最近」
「「だってウォルファート様」」
「「残念ですもの」」
女二人ハモった声、砕ける俺のプライド。何がいけなかったんだろう。謎だ。
******
そんなこんなで二ヶ月はあっという間に経過した。この期間は俺も育児に集中した。これを理由に、シュレイオーネ王国建国絡みの仕事は最低限の事務連絡だけして断った。
外の世界に俺自身触れなければどうにもやりきれない部分があるし、やりたいのは山々だったが、それはそれだ。メイリーンが退職した後で社会復帰すると決めていた。
ようやくハイハイから進歩して、よろめきながら二本の足だけで立つことにトライし始めたシュレンにびっくりし、蝶々の飛ぶ様に「ちょっちょ」と舌足らずに言葉を発するエリーゼに、まさかと目を剥く日々。
それはそれで驚きではあったんだ。今まで戦うことと組織運営しか知らない自分が、こんなに赤ん坊の成長に一喜一憂出来る。それが自分でも予想外で、新鮮だったね。
「ウォルファート様、頑張ってますよね。私の子供産まれたら、一緒に遊んでくれませんか?」
「え......また子守? 嘘だよ、そだな、シュレンやエリーゼと一緒に遊べたらいいな」
少しずつ、メイリーンは双子の世話の仕方をアイラに教えている。直接触れる機会は少なかったが、毎日のように彼女は双子を見ている。飲み込みが早いのはそのおかげだろう。
「いやー、でも育児って大変ですね。この前二人抱えて治療師に薬もらいに行った時なんか、半泣きになりましたよ」
「すまん、あん時は俺がギルドの用件で外してたからな。助かった」
二人が昼寝した昼下がりに、ぐったりとアイラは机に突っ伏している。その様子に、俺は苦笑しながら礼を言う。苦戦しながらも奮闘している彼女なら、とりあえずしばらくは乳母を勤めてくれるだろう。
あと二週間で、もうメイリーンは来なくなってしまうのだ。正直アイラをあてにせざるを得ない。
「大人用の晩飯は俺が作ってやるから、今は寝てろよ」
「え、でもそういうわけには」
俺の言葉に起き上がろうとするアイラを目だけで宥めて、俺は台所に向かう。とりあえず最低限の料理スキルくらいは身につけた、やれることはやろうってこった。包丁を手にとりながらアイラの方をちらっと見る。
白っぽい金髪を邪魔にならないように後ろで最近束ねるようになったアイラは確か、今年で二十歳だったか。いわゆる女盛りだ。結構美人だと思う。そういえばこいつ、昔は運び屋やってたんだよな。
「なあ、アイラさ。確か、うちの家事手伝いする前って運び屋やってたよな。もう一回やろうとか思わねえのかよ?」
「え......なんで、今急にそんなこと聞くんですか」
怪訝そうに眉をひそめるアイラを見ていると、聞くタイミングが悪かったかなとちょっと後悔。だけど仕方ねえよな、疑問に思ってたんだしさ。
「いや、別に足悪くしたとかでもなさそうだしさ。ちょっと不思議に思っただけだよ。話したくないならいい」
ほんとは"運び屋じゃなくても他にやりたいことあるならうち出てもいいんだぜ"と言ってやりたかった。だけど、このタイミングで辞められると困るから言えなかった。ちょっと自分に舌打ちしたくなる。
アイラから答えは返ってこなかった。今はまだ話したくないんだろうな、と思い、俺は黙ったまま料理に取り掛かる。野菜を取り出し水で洗い、ざっくり大雑把に包丁で切っていると、俺の背中からぽつりと声が聞こえてきた。
「怖くなっちゃったんです」
アイラの声は沈んでいた。こんな時にむやみに励ましても逆効果だ。「へえ」とだけ、俺は背中を向けたまま答え、アイラが話し出すのを待った。
「私、このリールの町で十六歳まで育ちました。でも、もっと広い世界が町の外には広がっていると知り、運び屋をすることに決めたんです」
運び屋。魔王軍が席巻する中、各地の町や村を回り、荷物や手紙を預かり届ける職業。運び屋専門のギルドに登録しなければ免許は下りず、またそうすることで荷物を猫ばばする不届き者が現れないようにして管理している、そう聞いていた。
(確かに各地をいやでも回れる職業だが、よくやれたな)
依頼があれば相当に危険な場所まで足を運び、依頼を果たすのが運び屋だ。しかも専門の戦闘スキルに長けている必要は無いが、危険察知の感覚と足の速さとスタミナ、精神力が要求される。場合によっては、野党の集団から逃げ切る必要もある。
「危ない場面もありましたが、それでも楽しかったです。自分が荷を運ぶことで喜んでくれる人がいて、感謝してもらえるし。最初は近距離の荷運びや手紙だけを扱って経験積んで、徐々に大きな仕事も引き受けるようになりました」
そう話しながら、アイラは昔を思い出したらしい。ところどころ話を切りながらどんな物を運んだのかを説明してくれた。何度かは解放軍の物資も運んだようだ。そういう意味では、俺も彼女の力を借りたことになる。
「......で、何がお前を今ここに居させている」
「勇者様に会う直前、私が一番最後に受けた仕事が原因です。あのお会いした日の約二ヶ月前」
アイラが最後に受けた仕事、それはここ、リールの町から北へ二週間ほど馬の脚で着く距離にあるとある城塞都市のある人物へ手紙を届ける仕事だった。特に道中は問題なく、無事にいつも通り依頼を果たせるだろうと思いながら、城塞都市を見通せる距離まで近付いた時......
「無かったんです。その都市がまるまる。影も形も。何にも」
「魔王軍に滅ぼされて、か。その頃ならまだ暴れてたからな」
俺は包丁を操る手を止め、振り返った。そろそろ日が傾き始めた時間だ。窓から斜めに差し込む光は逆光で、アイラの顔はよく見えない。
「はい。堅牢なはずの城壁はめちゃくちゃに壊され、都市全体が廃墟みたいな感じでした。遠目でもそれは分かって怖かったのですが、依頼は依頼だし、とにかく自分の目で手紙届けられるかどうか確かめないとと思って、こっそりその廃墟みたいな都市に踏み込んだんです」
「度胸あるな、俺ならびびるよ」
「正直、自惚れていたのかもしれないですね。三年間、危険を回避して何とか運び屋続けてましたから。だけど、あの時は駄目でした。依頼で指示された場所に何とか辿りついたのですが、その届けるはずの家はもう瓦礫みたいになってて。中の人が滅多刺しにされて死んでいるのを見ちゃって......」
アイラの声は震えていた。よほど恐怖を感じたのだろう、わずかに差し込む光が彼女の青ざめた顔を照らし出していた。そういうことだったか、と俺は得心した。
「で、それが心に残っちまって続けられなくなったと」
「はい。今まで自分が依頼完了した時に届けた人が喜んでくれたのが私、何より嬉しかったんです。でも、あの時から私は......怖くなったんです。せっかく届けても相手が死んでいるかもしれない、自分の仕事は無駄なのかもしれない、酷い惨状をまた見なきゃいけない。そう思うと、なんだか凄く怖くなって......」
「そういう事情か」
ため息。そういうことか。確かに、非戦闘員のアイラには山ほどの遺体が出迎えるような風景はショックだったろうな。自分の仕事の達成が死という現実に否定されたようなもんだ。
そして今後どうするかという目標を失い、実家に戻ってきた時にたまたま俺がいたわけだ。仕方ない、やっぱり言ってやるか。
「うーん、これを今言うのはちょいとあれなんだが......アイラ、お前もし他にやりたいことあったらさ、そっちに行ってもいいんだぜ。今すぐは困るけどね」
「え? それ、私が邪魔ってことでしょうか? 遠回しにそうおっしゃってます?」
「なんでそうなんだよ。いいかよく聞け。まだ二十歳だろ? 家事手伝いとか乳母とかだとずっと家の中の仕事だし、世の中は広いんだ。もともと運び屋やってたお前だ、幅広い好奇心満たしてくれる仕事の方が向いてる気がせんでもない」
壁に背中をもたせかけて、俺は話し続ける。
「お節介かもしれないけどな、自分を殺すな。すぐいなくなられたら困るけど、シュレンとエリーゼの面倒見ながらもう一回自分がやりたいこと考えてみなよ。あ、それに将来的に一緒になる相手も見つけなきゃいけないしな」
「ウォルファート様」
「あん?」
「ありがとうございます、いろいろ心配してもらって」
アイラにぺこりと頭を下げられ、何だか照れ臭くなった。別に礼を言われる程のことはしてねえよ。だから俺は、明後日の方を向いてこう言った。
「ばーか、散々働いてもらった後でこんなはずじゃなかった、勇者様のせいで嫁き遅れたとか文句言われたくねえだけだ。たまに休んでいいから、自分の人生考えてこいよ。一回しかねえんだからな」