再戦 二人の勇者 3
「流石に無事じゃねえだろ」
自分の呟きなのに自分の呟きじゃないように聞こえた。ああ、そうか。さっきの爆音の影響で耳がおかしくなっているからか。
改めて前方を確認する。大量の噴煙が漂い、視界は悪い。相当量の土が削れて吹き飛ばされているのは見えた。その奥の方が分からない。
ワーズワースが使っていた極火炎球の威力は十分知っていたつもりだった。だがこうして自分が使うと、結構とんでもない威力だよなと思う。まるで大火災と土砂崩れが同時に襲ってきたようだ。俺とベリダムの一騎討ちを遠巻きにして眺めていた敵兵達も、顔が強ばっていた。
もっとも単純な攻撃呪文である火炎球を強化しただけの呪文と言えばそれまでだが、その強化度合いが半端ない。事実、土の削れ具合一つ取ってもそれは分かる。爆発に巻き込まれたのか、ベリダムの後方に立っていた巨木も見事にへし折れていた。
(これで決まっていてくれれば楽なんだがな)
肩で息を切らしつつ、俺は半ば祈るように考えた。何だかんだ言ってこっちも限界に近かった。ベリダムの兵を蹴散らす為に紫電咆哮を二発使い、それに牽制も含めればそこそこの回数だけ他の呪文も使っている。右目を使い慣れていないせいもあるのかもしれないが、急に疲労を実感する。へたりこみたいくらいだ。
倒れる寸前くらいまで追い詰めていればいいが、もしそうでなければ......ベリダムに逆転の目を残すことになる。
周囲の敵兵は遠巻きにしたままだ。勇者二人の戦いに巻き込まれたくないのだろう。賢明だ。ラウリオは先ほど自陣へと戻って行ったのが見えた。俺が生き返ったというのをどう報告する気だろう。
徐々に噴煙が晴れていく。だが、ぶっ倒れているベリダムを想像していた俺の期待はあっけなく外れた。それも最悪に近い形でだ。
立ち上がっていやがる。その五体を白っぽい薄い球体が包んでいた。対魔障壁? いや、いくら何でも極火炎球を防ぎきるような対魔障壁を張れるはずが無い。別の何か......まさか。
「高位の魔力付与による共鳴現象か」
気がついた。滅多に見られない現象だから、頭の片隅に眠っていた知識を思い出すのに時間がかかった。だが多分間違いない。その証拠に、あいつの武装一つ一つから空気を揺らすような波紋が漂っている。
ベリダムも自分に訪れた幸運の正体は分かっていたようだ。「まだ天運は残っていたようだな」と言いつつ、笑みを浮かべている。ここまで与えてきたダメージが抜けているはずが無いが、極火炎球を切り抜けたことで余裕が出来たのか。
共鳴現象--それは高レベルの魔力付与を施された武具にのみ見られる現象だ。特別なと言われる程の武具が複数揃った時、まれに武具と武具が互いを認識しあうという現象が起きる。その時、装備している者が受ける恩恵は様々だが......ベリダムが引いたのは結界だったようだ。
「まさに九死に一生を得たり、か」
「悪運強えな、くそっ」
間違いない。剣、鎧、盾が放射する結界が俺にも見える。あくまで偶発的にしか起こり得ない共鳴現象だけに長時間はもたないだろう。とはいえ、これは脅威だ。
ここにきて俺は魔力が枯渇しかけ、疲労は積もり積もっている。それに対してベリダムは少々体力を回復させた上、幸運に恵まれて戦力を一時的に向上させた。まずい。戦いの流れが向こうに移りかねない。
だがな、みすみすそんな真似するかよ。
いかに共鳴現象があるとはいえ、蓄積されたダメージを考えればベリダムを押しきるのは可能だ。ここからは接近戦で決着をつけるか。
「ちょいと延命しただけだろ? やっぱり最後は--」
愛用のバスタードソード+5を呼び出し、ベリダムを睨む。右目は流石にこれ以上は使えないか。だが闘気は衰えてはいない。よく見りゃベリダムの鎧にあちこち煤がついている。極火炎球を無傷で切り抜けたわけじゃなさそうだ。あと一押しさえ出来れば何とか沈められるはず。
「--剣と剣の勝負と行こうぜ!」
「面白い!」
乗ってきやがった。その全身から黄金の闘気を噴き出し、更に共鳴現象の結界による二重防御で俺の攻撃を封殺する気か、ベリダム・ヨーク。あんまり舐めるなよ!
******
一言で言うなら真っ向勝負だ。互いに小細工無し、正面からぶつかった。先ほどまでの呪文合戦からガラッと変わり、剣術を競う接近戦へと舞台を移す。
俺の繰り出した斬撃をベリダムが受け。
ベリダムが繰り出した右からの払いを俺がかわす。
ならば、とベリダムが返しの左からの撃ち落としを狙えば、俺がこれを盾で押し返す。
疲労はしている。だがここで弱音を吐くわけにはいかない。ベリダムとてキツいはずだ。あと一押し、それさえあれば奴の心を折れる。
一年前の闘技会決勝を思い出させるような激しい鍔競り合い、一転間合いを取っての高速の斬撃の撃ち込みを舞わせる。一撃一撃が骨まで響きそうだ。半端ねえな!
「......っああああっ!」
ベリダムが吠えた。北の狼という二つ名に恥じない獰猛さを剥き出しにし、その黄金の闘気が剣を走らせた。かろうじて受け--何っ!?
予想以上に押される。いや、圧される。共鳴現象による武器強化かと気がついた時には、タワーシールドが大きく切り裂かれていた。
「盾破壊まであと数撃だな。その後はもはや貴様を守る物は何も無い」
「息を切らせながら言ってもよ、説得力ねーよ」
これはハッタリでも嫌みでもない。事実、ベリダムの体力が限界に近いのは明らかだ。散々攻撃呪文をぶつけてきたダメージは早々回復はしない。
だが。
だが、それを越えて尚。
奴の勢いが俺を追い詰める。
十合余り切り結んだ。剣術はほぼ互角だ。だが俺の攻撃は奴に届かない。まだ続く共鳴現象が剣撃を鈍らせる。致命打とまで行かなくとも、そこそこ鋭い一撃になりそうな攻撃も共鳴現象の結界と闘気の二重防御を貫けない。
逆にベリダムの攻撃をこちらは受け切れない。防御の頑丈さに自信があるだけに、向こうはリスクを省みずに捨て身で来る。鋭さをじりじり増してくるその連撃が俺を追い詰め始めた。
髪の毛数本が刃に持っていかれた。次に僅かに右の二の腕を掠められた。引き裂くような痛み、それに続いてパッと血が飛ぶ。
(ぐっ、だがここは)
焦ったら相手の思うツボだ。決めの一撃なのか、下から巻き込むような強烈な一撃を全力で弾き返した。よし、体勢が乱れたな。ここで欲張らず、奴の手を狙って小さく鋭く打ち込んだ。小さな傷でもいいと思って打ち込んだ一撃だったが。
これでも届かないだと!? 馬鹿な、体の中心ならともかく四肢の先まで結界の効果がこれほどあるか。これじゃ有効打がほとんど--
一瞬の戸惑いが命取りになる。素早く身を反転させて、とにかく次に来るであろうベリダムの攻撃をかわそうとした。だが相手の方が上だって話だ。
嵐のような連撃が迫る。とてもかわしきれない。ここが攻め時と心得ているのか、ベリダムの攻撃が激しさを増す。こちらが攻めてもほぼノーダメージに抑えられると踏んだのだろう。正確さと豪快さを兼ね添えたベリダムの剣術に、抗しきれなくなってゆく。
「いただく! 鋼砕刃!」
一際強く黄金の闘気が輝いた。反射的に俺はタワーシールドをかざしたが、それが無残にもベリダムの鋼砕刃でぶったぎられる。そのまま奴のロングソード+9が俺の左肩を抉った。鋭い痛みが走り抜け、思わず口から苦痛の呻きが漏れる。いや、駄目だ。止まるといい的になる。
「っ、ちいっ!」
ベリダムの体勢が乱れた隙に無理矢理離れる。左肩の出血が酷い。やべえな、この一発を凌げなかったのはまずい。
視界がぐらつく。俺がふらついたこの隙に、ベリダムは回復薬を使っていた。抜け目ねえ。奴の一番の懸念である残り体力を何とか補おうとしていやがる。
勝負を急がなかった分、形勢がベリダムの方に傾いた。回復出来ていない分、俺の方が傷は深い。そこに更に追い撃ちが入る。ベリダムの唱えた閃熱が真っ正面から迫ってくる。
赤熱した熱線を盾で受けたが、もともと破られかけていたタワーシールドだ。防御しきれない熱波がじわりと体力を削ってきた。くそ、一歩一歩と地獄の淵に追い詰められているような感じだな。
だがまだ冷静さを失ってはいない。ベリダムの様子、戦い方を観察して気がついた。奴の逆転のきっかけとなった共鳴現象はあくまで短時間しかもたないはずだ。よく見れば武装から生じる波動が弱くなってきている。もう少しだ。もう少しだけ粘れば--最後の手を使える。
「復活などさせん。今度こそ沈めてやる」
主導権を奪い返し、ベリダムが攻める。こっちの体力はギリギリだ。特にさっきの左肩の傷が酷い。壊れかけた盾の扱いにすら支障が出てきた。何発も何発も入れられ、その度に左腕と肩を軋まされる。ついでに脇腹にも一発もらった。
苦痛の呻きを吐き出す。肋骨の一本二本は持っていかれただろう。これ以上奴を調子に乗らせていいのか。最後の一手を切るべきじゃないのか。弱気に支配されそうになる。屈するな、ここは耐えろと己を叱咤する。
数分間の攻防の中、奴の横殴りの一撃をバスタードソード+5で止めた。重い一撃だったが、その瞬間気がついた。
どうやら粘った甲斐があったらしい。ああ、共鳴現象がそろそろ終わるようだな。こっちを削りに削った以上、ベリダムよ、お前もう確信しているだろう。例え共鳴現象が無くなっても、もはや優位は動かないと。魔力を使い果たし、体力切れ間近の俺に何が出来るかと。
「そうさ、普通ならそりゃ間違いないさ」
だが俺は諦めていない。ここまで粘りに粘ったのは、最後の手を生かす為だ。共鳴現象が切れた今、もう隠す必要もない。
「そろそろ詰みとさせてもらおうか」
「ああ、そうだな。ただし、それは俺の方だが」
「世迷い事を...... 」
ベリダムよ。自信を持つのはいいが、一つ忘れてはいないか。ああ、模倣はしてもあの技は専用の武器が無いと使えないからな。だから頭の中から抜けていたのか。
魔払いではなく、何故俺がわざわざバスタードソード+5で戦ってきたのか。その意味を考えなかったのか。
使い慣れた束の感触が頼もしい。相棒、お前の力を貸してくれよ。この戦いが俺とお前の最後の舞台だから--最高の結末を見せてやろうぜ?
「第二能力解放、水乃領域!」
******
一度ならまだ能力解放が使える。そう踏んでいたからこそ、窮地に陥っても絶望はしなかった。使わずに勝てるならそれに越したことは無かったが、もはやそれはどうでもいいさ。
大気中の水分、それに対して支配権を握るのがこの水乃領域の力だ。まずは初手として水乃大蛇を放つ。水と水が結合し、みるみる内に巨大な蛇の形になっていく。胴の太さが大人を呑み込める程の水から成る蛇だ。ピシャリと水流が立てる音が禍々しい。
「巻き付けっ! 骨まで砕いちまえよ!」
「くっ、氷槍!」
未知の攻撃を前にしても、ベリダムの反応は速い。氷槍で凍らせようとしたのも、間違いじゃない。だが少々の凍気でどうにかなるような水量じゃねえんだよ。
抵抗虚しく、水乃大蛇はあっさりとベリダムの抵抗をはね除けた。その間に俺は回復を図る。前にもやったように、水を粒子のようにして体に取り込む方法だ。多少とはいえ止血と自然治癒力の増加に効果がある。
ベリダムはまだ水乃大蛇を振り切れていない。剣で切っても相手は水だ。多少ばちゃばちゃと水が落とされ、その度に蛇が小さくはなるがそれだけだ。時間稼ぎには十分だな。その間に俺は第二の手を打つ。初めての試みだが成功の自信はある。
水分を粒子大にする。イメージするのは靄、あるいは霧のように本当に細かく小さな水の粒だ。それをぐるりとベリダムを囲むように展開する。ようやく水乃大蛇を剣勢だけで散らしたようだが、おあいにくさま。もう包囲網は完成してるのさ。
狙うのは物質化との合わせ技だ。この細かい水の粒子一粒一粒を闘気で包みこむように......そうすると出来上がるのは。
「結晶化」
はまった。ベリダムを囲んでいた霧は、それだけなら少々動きの邪魔になる程度だった。しかし固体化すれば話は別だ。まさに水晶のように鋭く美しい粒子が連なり、四方八方からベリダムを包みあげる。叫び声すら凍りつくだろう。鎧の隙間からでも滑り込んでくる結晶は、自慢の+9の武装でもどうにも出来やしない。お前の高度な魔力付与の技術でもこれは防げない。
結晶化はつまるところ無数の針で全身を刺すような技だ。肉体をいくら鍛えようとしても限界はある。それに筋肉を貫くのではなく、直接皮膚を痛めつけるのであれば尚キツいだろう。半端なダメージではない。
とはいえ、水乃領域は俺にも負担をかける切り札だ。ベリダムがのたうち回る間に、次の準備に入った。ぼろぼろの盾を捨て、代わりに左手に武装召喚で魔払いを呼び出す。つまりは二刀流ってことだ。
決める。ここで絶対に決めてやる。
せめてもの体力回復の為に左肩の傷を水を操り癒しつつ、闘気を高める。もう結晶化は止めていた。全身を結晶に蝕まれかけつつも、まだ立ち上がるベリダムは驚異的と言えるが......それも予想の範囲内だ。
「決着つけようぜ」
そうさ。これしきじゃお前は倒れないよな。誉められた行動じゃないが己の野心に忠実に生き、俺と真っ向から勝負を挑んだお前がこれしきで倒れるわけはない。
ベリダムがよろよろと立ち上がった。鎧の隙間から滴る血が驚くほど赤い。徐々に傾き始めた太陽の光に染まり、それが燃えるように見える。いや、実際燃え上がっているのは闘気か。血に宿った黄金の闘気が舞う様は、北の狼と呼ばれた男の凄みに相応しい。
「さっきの技を続ければ労なく勝てたものを」
「いや、それじゃお前は倒せねえだろう。正々堂々なんかじゃねえよ。最後は直接--」
右のバスタードソード+5、俺の最も信頼する愛剣が煌めく。
「--止め刺してやる。それだけだ」
左の魔払い、ロングソード+8にして俺の最強の剣が白銀の闘気を帯びた。
俺はさ、勇者だ何だって言われてもさ。
別に特別なんかじゃなくて。
子供二人育てるのでさえ、四苦八苦して。過去の恋愛に囚われていたような......そんな男だけど。
だけどやっぱり、共に生きたい人達はいるんだ。だからベリダム。お前をここで倒し、俺は俺の人生を全うするよ。
駆けた。これまでで最高の密度で放った闘気が、滑らかに両の剣に乗り移る。対するベリダムも迫る。ここまで来たらやることはただ一つ。
己の持てる最大の技を繰り出すだけだろ!
ベリダムが降り下ろした斬撃は、普通なら何物でも一刀両断できる鋭さだったろう。だがここまで積み重ねてきたダメージのせいか、流石に切れが落ちている。その鋼砕刃を俺の双剣が捉える。
「切れも威力も落ちてるんだよ!」
白銀の闘気が二閃、左右から襲う。右のバスタードソード+5でベリダムのロングソード+9を受け流しつつ、左の魔払いで一気に叩き切った。武器を失ったベリダムの体が泳ぐ。その隙を逃さず、闘気に包まれた二本の剣で相手の鎧を引き裂いた。
手に残る鈍い衝撃、すれ違いざまに鮮血を吹き出したベリダムの姿、鈍い金属音。それら全てが超高速で過ぎさっていく。
「鋼砕双刃」
ゆっくりと振り返る。仰向けに倒れた男の姿が目に入った。黒いフルプレートを己の血で濡らし、男はピクリとも動かない。それは勇者に真っ向から立ち向かったもう一人の勇者の最後の姿だった。