戻ってきたぜ
背骨をぞわぞわと何かがはい上がるような感触があった。それだけじゃない、肌は熱に覆われ視界は白い輝きに満たされていく。全身が焼かれていくようなとも言えるし、奇妙な高揚感に満たされていくとも言える。
「かっ......はあああ......」
ヒルダ、そしてアウズーラと話した灰色の空間から上昇し、最初に目覚めた薄水色の空間をくぐり抜けている。そうだ、まさにこれは浮上だ。死の世界に沈んでいた俺の魂が生の世界へと浮かび上がる。その普通では有り得ない瞬間が今なんだろう。
グン、と更に俺の体が浮く。アウズーラが与えてくれた活力が頼みの綱だ。幽界の第一層らしい薄水色の空間を、俺は文字通り飛んでいた。ここが水中だとしたら、水面があの世とこの世の境界線なんだろう。そこをすり抜けられれば、見事復活てわけだ。
戻ってやる。
何が何でも戻ってやる。
そしてベリダムと再戦してやろう。勝つ為に。
"貴様自身の生きたいという意志が無ければ、私が手助けしても無意味だからな"
アウズーラが最後に俺にかけた言葉を思い出した。ああ、そうだよな。分かっているさ。俺はまだ--
「--死後の世界の住人には早すぎる!」
自分に喝を入れて、もう一度蹴った。水の中の蹴伸びにも似たその動きが、浮上を更に加速させた。もう一息だ。
真っ白な大きな光が真上に現れた。
ああ、あれだと直感が囁きかける。
周囲の空気が--いや空気なんか無いんだろうけど--ヒュウと音を立てる。それと共に更に俺の体は上がった。
一秒ごとに視界を占める白い光は拡大していく。体を包む熱が急速に消えていき、肺に圧迫感がかかった。気持ち身構え一際大きく蹴りだした時。
******
俺は魂を分かつ境界線を超えた。
******
まず目に入ってきたのは太陽だった。中空に浮かぶそれが放つ光は、刈り入れを促す穏やかな光だった。ああ、そうだ。これが太陽なんだなと気がつく。体は起こせるだろうか。
「く......やっぱ、体に無理はかかるよなあ」
仰向けに転がっていた体を何とか起こす。周囲には戦いの気配が無いのは幸いだった。俺が死んでいた間に戦場は移動したんだろう。そのおかげなのか、俺の体も踏み荒らされたりはしていない。ベリダムにやられた時の傷がどういう訳か塞がっているのは不思議だったが......まあ、考えているよりはこれは幸運と思うことにする。
しかし傷は塞がっているが、体全体に澱んだような重さがある。復活したのはいいが、まだ血が足りないのだろうか。あるいは肉体が負ったダメージが回復しきれていないのだろうか。ともかく一刻も早く元に戻さねえとまずいよな。それに喉も渇いている。まずは水場か。
周りを見る。さっきまでの俺と同じように、戦死した兵達がゴロリと転がっていた。首や手足が欠損している兵がほとんどだ。意識的に目を背け、とりあえず低地を探した。この辺りの土地には小川がある。低い場所を探せば必然見つけられるだろう。
幸い水はすぐに見つかった。歩き始めてから五分程度で、綺麗な小川を見つけることが出来た。耐えがたい喉の乾きに急かされ、貪るように手で掬う。その冷たさが生きていると実感させてくれた。
「ぐ、くはっ、はあ、はあ」
五体に水分が染み渡る。それほど腹は減っていなかったが、念のために携帯食を口にほうり込んだ。穀物と乾燥肉の今一つ潤いの足りない味が妙に美味い。なるほど、魂の抜けていた体ってのはこんなに飢えているのか。
携帯食を二食分平らげようやく一息ついた。汚れた顔を川の水で洗う。死んでいた間についた土埃が取れ、本当の意味で生き返った気持ちだ。徐々にぎこちなかった体も動きが滑らかになっている。
(太陽がてっぺんから少し傾いたところ、まだ午後の早いうちか)
俺が殺されたのはほぼ夜明け直後だったから、あれから約六時間くらいか。アウズーラの見立てどおり、と考えていいだろう。まさか日がぐるっと回って一日経過しました! じゃない限り--もしそうなら、多分戦の趨勢も決まってる。
回復途上の体に更に一本、駄目押しに回復薬を流し込む。無理矢理ではあるが、これで普通に動けるようにはなるだろう。あまりもたもたしてると、ベリダムに国王軍が蹴散らされちまう。これ以上は待てない。
「よし、行くか......あれ?」
川のほとりから立ち上がろうとした時だった。何気なく最後に水面を覗きこんだ時、妙な物を見つけたのだ。何処に? 俺の顔--正確には右目だ。
顔を洗った時には特に俺の外見には変化は無かった。髪も目も薄い茶色だ。一回死ぬ前と変わりは無い。だが今よくよく見てみると、右目がおかしい。
(なーんか黒っぽい三角、いや、三角形が二つ組み合わさったような?)
目をぶつけて鬱血したのかと思ったが、ちょっと違う。もっと綺麗に真っすぐ、黒っぽいラインが俺の右目の瞳を囲んでいた。ちょっと異様な感じだが......これがアウズーラの魂の力の影響なのだろうか。
ほんの少しだけ実験してみるか。体力の回復と共に、闘気と魔力の回復も実感出来ているし。
鋭い呼気と共に闘気を解放する。川の水面に映る俺の髪は白銀に、そして両の目も同じ白銀に--いや。右目の異相がはっきりとした。
「こいつは驚いたな......」
水面を見つめながら俺は呟いた。秋の風に静かに揺れる水面、そこに映る右目はただの白銀色じゃない。深紅の線が俺の瞳を囲むように斜めに走り、特徴的な形を作っている。そう、それは魔法陣などでよく見る図形だ。一般に六芒星と呼ばれる形が俺の右目に宿っている。
赤い、燃えるような線が描く六芒星--恐らくこれが俺の魂にアウズーラの魂がプラスされた証だ。試しに軽く魔力を集中してみると、今までよりも効率良く魔力を高められる。実際やってみないと分からない部分も多いが、十中八九、呪文の威力や詠唱速度は向上しているだろう。
試し撃ちしてみたくはあったが、これ以上の時間はかけられない。早いところ戦線に戻らなくては、本当に手遅れってことになりかねないからな。さて、戦の喧騒はどっちだ。大きく動いてなけりゃ分かるはずだが。
目を閉じる。風の動きに自分の神経を乗せる。同時に足裏に触れる大地を、気持ち強く踏み締める。どっちだ。味方は? 敵は? 教えてくれ、俺が行くべき場所を。
--ィイン
--リィイイン
微かに聞こえてくる。風が運ぶ剣戟の音が。大地が伝える地響きが。そしてその両方に混じる多数の人間の興奮と殺気が。
こっちか。大まかに言って南西の方だ。距離ははっきりしないが--多分5キロ前後か。それ以上は離れてはいないだろう。よし、一丁やってやるか。まだ着込んだままのフルプレート+7を一旦解除し、収納空間に放り込む。武器もタワーシールドも全部確保されていた。戦場が近くなったら改めて武装召喚すればいいさ。
走り出す。一旦は死んだ体の慣らし運転にはちょうどいい。一足ごとに足の運びは鋭くなり、行く手を遮る木の枝や蔦を次々かい潜っていく。しかもそれだけじゃない。体を動かすことが新たな力の呼び水になっているのか、頭の中に勝手に沸き上がる物があるんだ。
ああ、そうか。これが右目の六芒星の恩恵なのか。今の俺ならば使えるからこそ、初めて触れる呪文の詠唱を......そのイメージを、その使い方をこれが与えてくれるらしい。
一歩ごとに俺の頭の中でそれらが構築されていく。新たな呪文を修得したという現実感が、点から線へ、線から面へと拡大していくんだ。
あとは実戦でどうするかだが、不思議と不安は無かった。
******
ポン、と岩の一つを跳び超えた。足はもう心配ない。普段通りに動けそうだ。
--ウォル。貴方には私の分まで生きて欲しいの。
不意にヒルダの声を思い出した。心臓に手を当てる。過去の失敗に凍えていた心臓が再び動き出したのは、きっと彼女に会えたからだろう。わだかまりを抱えたまま、あの雪の日に俺は二人の関係を停止させた。不可避の行動、だがそれが招いた代償は確かにあったんだ。
自分の気持ちに目を背けてきた。
心と心を触れ合わせることが怖くて、そこから逃げてきた。
正しいか正しくないかはともかく、そういう風に振る舞ってきたんだ。そうしなきゃ耐えられなかったから。
今はどうだ。俺は人を好きになれるか。大切と思える人を抱えられるか。それはまだ分からないけど、ただ一つ言えるのは。
俺を待っているだろう三人に応えてやりたいという気持ち、それだけは嘘じゃないと言い切れるってことさ。別に今までが嘘八百ってわけじゃないが、過去に踏ん切りをつけた今は前より素直になれると思える。
駆ける。無理の無い速度で戦場へと走る。一歩ごとに多数の人の気配が濃くなる。
--息子を......アリオンテを救ってやれぬか。
アウズーラの厳つい顔が脳裏に浮かんだ。本当は俺になんか頼みたくなかったろうに。だがその気持ちを曲げてまで、俺の復活に力を貸したあいつの願いは確かに受け止めたぜ。
こいつは勇者と大魔王の約束じゃない。一人の父親と父親の約束だからだ。全力で応えてやる、と改めて思う。
「見えてきたか」
速度を緩めた。やや小高い丘から見下ろすと、戦場の風景が広がっていた。国王軍の旗もベリダム軍の旗も両方見える。まだ戦は終わっていないようだが、俺が死ぬ前に比べるとややベリダム軍が巻き返しているようだ。一つ一つの部隊の動きがいい。このまま行けば恐らく勝利はベリダムの手に落ちるだろう。
俺の敗北が国王軍全体の士気に影響したのかもしれねえな。だとしたらやることはただ一つ。
自分で撒いた種は自分で刈り取ってやるさ。