アリオンテ 2
火炎球の破壊力、火炎弾の連射性の両方を兼ね備えたのが僕の編み出した火炎迫撃だ。溜めが必要という弱点こそあるものの、効果範囲が広いことも考えると性能は相当に高い。これなら呪黒戒も燃焼し尽くせる自信はあった。
ボロボロと真っ黒な四本の太いロープ--いや、うごめく歪んだ大樹と称した方が適切だろうか--が目の前で焼け落ちる。これでネフェリーから武器は奪った。だが、これで終わりなわけがない。
「思ったよりやるわね!」
霧散していく呪黒戒の向こうから放たれたネフェリーの声に、迷わず横に転がる。一瞬前までいた空間を灼熱の光が通り過ぎた。閃熱か。当たっていれば危うかった。
(これ以上近寄れるか)
本来なら火炎迫撃はネフェリー本人にぶつけたかったんだ。だが予想以上に強力な呪黒戒の前に、それが出来なかった。ネフェリーとしては、攻め手を無くした僕を呪文で突き放していけばそれで勝てる。
「せめて足がもう少し動けば」
そしてもう一つの僕の弱みが、さっき受けたダメージだ。ざっくり普段より三割引き程度の瞬発力しか出せない。これではネフェリーの攻撃呪文を回避して間合いに滑りこむなど、夢のまた夢。
「流石に足が動かないみたいね」
焼け落ちた呪黒戒が晴れ、その影を一掃するようにネフェリーが姿を現す。その魔法杖がこちらに向けられている、と気がついた時には二発目の閃熱が放たれていた。かわす暇などまるで無かった。
押し寄せる灼熱の閃光が視界を覆う。対魔障壁を瞬時に展開させたけど、駄目だ、全然足りない。他に出来たことと言えば、身体を縮めて当たり判定を小さくすることくらいだ。
引き裂くような痛みと、身体が燃やされる衝撃が重なる。熱された空気が肺に侵入し、声すら出せなかった。
******
「戦いで一番大事なことは何だと思いますか」
「え。戦闘技術でしょ?」
それはワーズワース義父さんが初めて僕に戦い方を教えてくれた時のことだ。剣の使い方や魔力の利用の方法より前に、義父さんはまず講義から始めた。
「いえ、違います。真っ先に必要な物は魂です。けして諦めない、最後の最後まで負けないという根性。それが無ければ」
「無ければ?」
「どれほど強力な剣技を誇ろうが、高度な呪文が使えようがあっさり覆されます。戦闘とはいわば命の賭け合い、己より力で劣る者に油断して殺されたなどよくあること」
真剣に語るワーズワース義父さんの様子に、表情を引き締めた。あの時四歳だった僕にも分かるように、義父さんはゆっくり話してくれたんだっけ。
「その逆も真。自分が窮地に立たされても、相手が自分より強くても最後まで諦めてはいけません。勝機はまず魂から始まります」
「魂から......」
幼い僕は自分の四つの手を見た。父も母も死んだ。自分を守ってくれる魔族は、このワーズワース義父さんだけだ。そんな僕でも、いやそんな僕だからこそ、戦う心意気だけは捨てるなと。
それだけは誰にも奪えない物だから、絶対捨てるなと義父さんは教えてくれたんだと今なら思えるんだ。
******
--そうだよな。
「......まだやる気なの? 正直素直に負けを認めるなら、命だけは助けてあげてもいいのよ」
ネフェリーの声がどこか遠くから聞こえてくる。視界がぼやけてよく見えないけど、聞こえるってことはまだ生きてるってことだ。
--最後まで諦めないって、あの時教えてくれたんだから。
刀を杖がわりにして立つ。うん、まだ行けるさ。火傷はしたけど手足はちぎれていない。ただ痛いだけだ。
--命を賭けて僕を逃がしてくれた義父さんをがっかりさせたくないから。
目が見えるようになった。ネフェリーは行く手を阻む僕を訝しげに見ている。どうやら、ロリスさんを始末するのを邪魔されて不機嫌らしい。死霊を使う彼女としては、一刻も早く天敵である退魔師を倒しておきたいんだろう。
「そう、退く気はないのね。なら仕方ないわ、吹き飛ばすだけ」
「......やらせるか」
まだ半ば朦朧とした意識の中で、そのネフェリーの言葉が僕の何かに火をつけた。好き放題にここまでやられてきた。父は殺され、義父も裏切られ、僕の側にはもう誰もいないんだ。残されたのは。
"真っ先に必要なのは魂です"
「ほんとそうだよ、義父さん」
魂だけは。大魔王から引き継ぎ、副官が育てた魔族の闘争心だけは.....捨てるわけにはいかないだろ。
「物質化」
口が勝手に動いた。魔力を自分の中から絞り出しながら、それを最も得意な火炎系攻撃呪文のイメージと重ねる。火炎が刀の刃を覆う。いや、覆うだけではなくどんどんその量を増していく。みるみる内に紅蓮の炎は巨大な刃となり、刃渡り2メートルを超える規格外の長刀と化した。
「あのアウズーラの息子だけあるってこと!? それならば--氷蒼剣!」
構えた炎の刃の向こうが見える。ネフェリーが唱えたのは氷で剣を作り出す呪文か。彼女の魔法杖を媒介として青白い氷が集まり、両手持ちの大剣となっていた。なるほど、見事だ。魔術師でも護身用に近距離武器を作り出す呪文が使える者がいる、とは聞いたことがあったけど。
けれど、今の流れはこちらだ。後手に回り、予想外の僕の行動に合わせたお前の負けだ。
「--刃は魂で振るう!」
何故いきなり僕がこんな技を使えたのかは分からない。
だが、どこか懐かしさを感じた。
遠い昔、見たような。あるいはそれは僕の中に流れる血が引き継いだ記憶なのかも知れなかった。
撃ち合う。打ち合う。討ち合う。
巨大な火炎の刀身と、それに負けない氷の大剣が閃き合う。高々と燃え上がる赤が舞い、全てを凍てつかせる白が煌めく。
もはや二人は無言。ただ全てを賭けて、体力と力と技をその巨大な武器に託し斬り合う。
「っ、重い!」
「あったり前だ! 誰に鍛えられてきたと思ってるんだ!」
一合ごとにネフェリーの顔が歪む。分かるか、ネフェリー? この剣術はな。お前達に殺された義父さんが教えてくれた物なんだぞ。
だから魔術師のお前なんかが。例えどんな武器を持ったとしたって。
「勝てるわけがないんだよ!」
勝負の決着はいきなりで。二十合余りの斬り合いの末に、僕の刀がネフェリーの氷の剣を破壊した。ガシャともカチャとも聞こえる音と共にキラキラと氷片が煌めく。
その砕け散る氷の向こう、絶望したネフェリーの顔を一瞥しながら最後の一撃を送り込む。
サヨナラは二度は言わなかった。
******
「ああ、目覚めましたか」
「どこさ、ここ」
間の抜けた返事をしつつ、僕は身を起こした。体力を使い果たして寝ていたのか、と気がついた。目の前にいるのはロリスさんだ。「ん?」と彼女は僕の視線に気がつく。
「足、どうしたの」
「自分で斬りました。それしか手段が無かったので」
僕の視線の先にあるのは、包帯が分厚く巻かれたロリスさんの左太ももだ。ただの包帯ではなく、回復薬を染み込ませているのはその包帯が淡い光を帯びているから分かる。
そうか。僕を呪黒戒の攻撃から守ってくれたのはこれか。
「護符が無い状態だと退魔師は自分の血を媒介として結界張るしかありません。だから自分で足を斬りました」
「ということはあの背中を叩いたのは」
「ええ、アリオンテ君の背中に僕の血を塗ったんです。匂いで気がつかなかったですか?」
通常時なら血臭で気がついたとは思うけど、あの時はネフェリーに集中していて全く気がつかなかった。しかし他に手が無かったとはいえ、よく自分で自分を傷つけるなんて出来たもんだ。包帯の量から考えても相当な深手だぞ。
「血晶防御ってネフェリーが言ってたよ。ありがと」
素直にお礼を言った僕にロリスさんは目を丸くする。何故だ。
「へえ、アリオンテ君て人間にお礼言えるんですね。びっくりしましたよ」
「......恩義を感じたらそれくらいはする。ベリダムを倒すまでは味方だしな」
「いつも小生意気な少年で一発ぶん殴ってやろうかと思っていたのですが」
「なんで!?」
この人怖い。背は僕よりちょっと高い程度の癖に、発想が怖い。あれ、そういえばロリスさんていくつだっけ? 十九歳だっけか、二十歳だっけか。それでこんなチビなのか......可哀相だな。
「何ですか、その目は。何か言いたいことがあるんですか」
「背低いですね、と思っただけだよ」
「! 君に言われたくないです! 僕より低いじゃないですか!?」
「いや、僕はまだ九歳だからね。これから大きくなるしさ。ごめんね?」
そう言ったらしょげてしまった。ちょっと言い過ぎただろうか。うん、だけどネフェリー倒して、僕も気が抜けて口が軽くなってたんだな。目を覚ました時に気がついたけど、ここは後衛で組まれている簡易陣だ。周りには味方の兵士ばかりで敵はいない。だからこんなことを言う余裕もある。
そこで気がついた。そういえば......戦はどうなった?
簡易陣の屋根の下から這うように出た。ネフェリーと戦った時は夜明けだったが、そこそこ日が高くなっている。二時間以上は気絶していたようだ。若干後ろめたく思いながら、近くの兵士に声をかける。
「まだ続いてるの?」
「ああ。あまり状況は良くないな」
「え? そうなの?」
昨日の夕方に勇者の作戦でベリダム軍を釣り出した時は、こっちが少し優勢だったじゃないか。何だ、相手の方が底力あるのか? 一体味方は何やってんだ、と腹が立ったが、後ろからのロリスさんの声に凍りついた。
「......勇者様が負けたらしいんです」
「は? そんな馬鹿な。だってあのウォルファートだぞ、嘘だろ」
冗談だと思いたかった。いや、これが戦争だから有り得なくはないし、一流どころの騎士でもちょっとしたことで殺されることはある。だが、あのウォルファートが? やっぱり信じられない。
「辺境伯との一騎討ちに敗れ倒れた。それを周囲の兵士達が目撃している。勢いに乗ったのか、ベリダム軍は息を吹き返した」
「ギュンター公自ら前線で指揮を取っているが......じりじり押されている感じだ」
兵達の声が虚ろに響いた。動転し唇が震える僕の肩にロリスさんが手を載せる。彼女自身、内心の揺れが顔に出ているがそれでも落ち着こうと必死なようだ。
「僕達もこのまま後衛にいるわけにはいきません。きついとは思いますが......出ますよ」
左腰に視線を落とした。鞘に収まった刀は当たり前だが黙ったままだ。おい、お前の主は本当に死んだのか? 教えてくれよ、返さなきゃいけないんだから--
--沈黙。刀は何も話してくれなかった。ため息をついて、僕はロリスさんの方を見る。まだ動揺が収まらないけど......確かにやれることをやるしかない。
だからウォルファート・オルレアン。
帰ってこいよな?