アリオンテ
ネフェリーの不意打ちをかわせたのは、我ながら上出来だった。暗黒魔法とも言うべき真っ黒なロープは空を切り、ロリスさんを突き飛ばしてかわすことが出来た。死霊使いということを考えると、当たれば何かしら追加効果くらいはあっただろう。そう考えると回避出来たのは幸運だ。
(だけど避けつづけるのは無理、だよな)
右上腕と左上腕の二本で刀を持ち、右下腕と左下腕の二本は呪文の準備だ。回避し続けてネフェリーの消耗を誘うのも一手だけど......少しはこちらから手を出して牽制しなくてはもたない気がする。全くあの術だか呪法だかの底が知れないから、自分から攻めて墓穴を掘りたくはないけど。
「気をつけてください。当たれば生命吸収されますよ」
「厄介過ぎる」
ロリスさんの助言に唸る。薄々感づいてはいたけど、多分あの黒いロープは死霊の力を借りて形成されたものだ。でないとさっきほうり出された兵士達が、あれほど生気を無くして死んでいることが説明出来ない。ただ物理的に打撃を受けただけじゃ、あんな死に方はしないだろう。
一つの推測が頭の中に浮かぶ。今まで見たことのない呪法を、ネフェリーがためらい無く使えるのは何故か。見たところ無理矢理使っている様子も無いし。
「ネフェリー、死霊憑きの実行とかその呪法とか使えるのってさ。ここが戦場だからか。死んだ兵士の霊が簡単に手に入るから?」
「昔のよしみで答えてあげる。ご名答よ、アリオンテ。これ、ちょっと特殊な呪法なの。どこでも出来るわけじゃないのよ」
ネフェリーはあっさりと僕の問いに答えてくれた。なるほど、予想通りだ。利用する死霊がいなければ、ネフェリーは普通の魔術師か。ただ、今回に限っては状況が彼女に味方している。
先日の魔物共との初戦、そして昨日から続く正念場とも言える戦いを通して、敵味方問わずに多くの戦死者が出ている。その魂があの世に行く前に刈り取ることが出来れば、ネフェリーは自分の呪法に使えるということだ。見方を変えれば、不死者の使役者と言えなくもない。
だからこそ、退魔師の存在が邪魔なんだろう。そしてそれはこの場にいる三人が三人とも、口に出さずとも理解していた。
「死霊憑きといい、その呪法で作った薄気味悪いロープといい......要は僕が払えばいい話ですよね」
「威勢がいいわね。でも出来るかしら。見たところかなり消耗しているようだけど--」
ロリスさんとネフェリーが睨み合った。そして先に動いたのは後者だ。魔法杖を大きく横に払うと、その目が怪しい輝きを放つ。
「--私の攻撃についてこれる!?」
来る! ネフェリーの足元に彼女を中心とした黒い円が広がった。オオオオというおぞましい呻き声が響くと、その暗闇が凝固したような円から次々に黒いロープが飛び出してくる。まるで闇色の大蛇の群れが一斉に獲物を狩るかのように。
「呪黒戒」
忌まわしい名前だな、と考える暇もない。合計八本の黒いロープ--呪黒戒、まずこれを避けなくては。右に走った。一本かわす。先回りするように撃ち込まれた二本目を、急旋回してこれもかわす。僕に四本、ロリスさんに四本ずつか。しかしそれにしても。
「っ、くそっ!」
三本目は回避しようがなかった。刀で受けとめざるを得ない。ギュルギュルと不気味な唸りをあげ、それは刀に巻き付こうとした。おぞけが走る。まるで生きているかのような......いや、事実これは。
生きている。表面が不気味に脈動し、暗い障気を放つこれはただ呪法で形成した魔力の固まりじゃない。むしろ魔力は従、主たる中身は--
「--死霊を寄り集めて遠隔武器に!?」
跳びすさりながら刀で払った。黒い障気が散り、恨めしい表情の小さな顔がその中に浮かぶ。冷や汗がドッと噴き出す。くそ、これじゃ巻き付かれたら生命力を奪われるわけだ。それでも当たらなければ。当たらなければ......
いや、僕が何とかしたのは三本だけだ。四本目はどこへ消えた!? ネフェリーが防御の為に一本引いたのかと思ったが、彼女の手元には何もない。緩くその栗色の髪をいじりながら、ネフェリーが微笑む。
「駄目ねえ、油断しちゃ。何も目に入る範囲からしか攻撃出来ないわけじゃないのよ?」
その言葉の真意に気がつくよりも早く、僕の腹部を強烈な衝撃が襲った。視界の外、地面を潜行して真下から先端を凝固させた呪黒戒が襲いかかったんだ、と分かったのは。
「グ、グハッ......畜生、が!?」
高々と舞い上がってから地面に激突して、激痛にのたうちまわりながらだ。内臓を痛めたのか、喉から血を吐き地面を転げ回る。痛い、腹に槍でも刺さったかのような鋭い痛みがある。肋の一本くらいはもっていかれただろう。
痛みに霞む目でロリスさんを探す。いた、何とか無事なようだ。だがその顔は青ざめている。その理由に思い当たり、僕も顔を引き攣らせた。
護符を使い切ったのではないか。いや、全てではないかもしれないが、あれだけ強力な呪黒戒四本の攻撃を防がねばならなかったんだ。一枚で一本防いだらもう使い捨て、くらいはしたのかもしれない。でなければあれほど切羽詰まった顔にはならないだろう。
だがそれにもかかわらず、ロリスさんは僕の前に出た。ああ、やっぱりだ。右手に細剣を握ってはいるが、左手は空っぽだ。生命線である護符はもう打ち止めか。
「すいません、さっきの攻撃を防ぐ為に使っちゃいました」
「そっか......こりゃいよいよやばいかな」
ネフェリーに聞こえないような小声での会話だ。だがそんな小細工すら無意味かもしれない。今も彼女の足元で、黒々とした闇色のロープがうねっている。ネフェリーが蛇の群れを従えているように見えて、思わず呻き声が漏れた。
普通に攻撃呪文を使うだけでも、ネフェリーは今の僕たちに完勝出来るだろう。だが呪黒戒による攻撃に絶対的な自信があるのか、他の手を使おうとはしない。唯一付け込む隙があるとしたらそこか。しかし、あまりにも隙というには小さすぎる。
「せめて、せめてもう少し近づけて火炎迫撃を使えれば」
「--近づければ何とかなりますか」
僕の愚痴めいた独り言にロリスさんが振り返った。青い短めの髪が朝日を弾く。「至近距離でぶつければ......だけど唱えきる前に潰される」と答えた僕を見て、彼女は一つ頷く。
「時間がありません、説明は後でします。アリオンテ君、特攻してください」
「僕に死ねと!?」
「いえ。最後の手を使います--短い時間だけなら君を守りきれる手を」
何をする気かと聞きたかった。だが僕らに与えられた時間はそこまでだった。余裕しゃくしゃくといった風情で立ったままのネフェリーが、呪黒戒のロープをうごめかせたから。
「相談は終わったかしら。そろそろ私も待ちくたびれたわ。そちらが来ないなら、こちらから行くわよ」
「いや、もう待つ必要はないよ」
答えつつ前に出る。痛みにふらつく身体を押しながら、僕はロリスさんを後ろにかばうような形になる。そうだ、人間の女の子に守られてたまるか。僕は誰だ? あの大魔王アウズーラの息子にして、殲滅騎士ワーズワースの育てた子だぞ。
「いいですか、僕が背中を叩いたらとにかく突進してください。怖いとは思いますが、何とかします」
「......ああ」
刀を右腕一本で横に垂らすように構える。残りの三本の腕はすぐに火炎迫撃の印を結べるように準備する。バクバクと心臓が高鳴るのが分かる。あの恐ろしい死霊で出来た八本のロープが待ち構えているんだ。回避に専念してでも避けられないのに、真っすぐ突進なんて狂気の沙汰以外の何物でもない。
けど、やってやる。
ロリスさんの援護を信じる。父さんの魂が護ってくれると信じる。義父さんが鍛えてくれた体が動くと信じる。
「ネフェリー・カーシェン」
「何? 今更、命乞いなんてしないわよね?」
「勝負だ」
前だけを見据えた僕の目が彼女の目と合った。僅かに動揺したように見えたのは気のせいだろうか。その時、ポンと僕の背中に何かが触れた。「行って、ください」と何故かやけに弱々しいロリスさんの声が気になったけど、それでも僕は。
駆けた。黒々とした死霊の罠が待ち受ける空間目掛けて、ただ真っすぐに。
万が一、もしネフェリーが呪黒戒の発動に失敗してくれたら、と願わなかったわけじゃない。だがそんなこと有り得るはずもない。僕が間合いを詰めるより更に速く、八本の黒いロープが僕へと降り注ぐ。それはさながら、巨大な蜘蛛の足が振り回されるかのよう。
「うわああああ!」
ロリスさんが考えた手が何なのか知らないが、無理だ、防げるわけがない。けど恐怖にすくみそうになる足を叱咤した。待っていてもどうせ死ぬ。ならばせめて--前へ!
「呆気ないわ......え!?」
「これは!」
叫んだのは同時。だがネフェリーの顔に浮かんだのは驚愕、僕の顔に浮かんだのは歓喜。
それも無理はない。呪法・呪黒戒による死霊製のロープ、その攻撃が全く僕に届かないのだから。
突進する僕の体はいつしか赤い光に包まれていた。いや、細かくいえば僕の体が光っているわけじゃないんだ。僕の周囲に、いつのまにかキラキラと輝く赤い光の微粒子が散っている。それが二重三重の輪となり、僕に迫る忌まわしいロープの打撃を止めていた。
「血晶防御ですって!?」
ネフェリーが驚く。これが何なのかは結局分からないが、とりあえず助かった。ロリスさんに感謝しつつ更に間合いを詰めた。その間に四本の黒いロープを弾いている。弾かれたロープからは障気が漏れ、その中の死霊達が叫び声をあげながらのたうちまわって消えていた。相当この赤い光は不死者にはきついらしい。
だが、残り四本のロープ全てが集まり密度を高めている。いつのまにか一本一本が太くなり、まるで大樹が寄り集まったかのようだ。黒い巨大な盾とも見える。あれを弾くのはいくらこの防御が強力でも難しいだろう。
(止む得ない! 作戦変更だ!)
本当はネフェリーを狙ってぶつけたかった火炎迫撃をここで使う。炎は死霊には効きやすい、ましてただの火炎球ではなく、連弾で放つ火炎迫撃ならあの不気味な呪黒戒でも--
「--吹っ飛べえええっ!」
溜め込んでいた魔力を一気に放出し、左上腕を前に突き出した。右と左の下腕は補助の為にその突き出した左上腕を支える。生み出されるのは透明度の高い黄色の炎、密度を自分なりの限界まで圧縮したそれを解き放つ。
十個以上の火炎の塊が飛んだ。呪黒戒のロープ、いや今や四本の黒い大樹となったそれの表面で爆発していく。火炎の散撃に爆風が重なり、盛大な炎の宴が展開された。