ロリス・クライン
おかしいと気がついたのは、そろそろ真夜中になろうかという頃だった。夕方から戦闘が本格的に始まったことを考えると、六、七時間は経過して疲労も相当積もっている、そういう時間帯だ。
「こいつらまさか!?」
「何なんだよ、思わせぶりに?」
横で戦っているアリオンテ君に突っ込まれてしまった。いや、気がつくのが遅いと言われそうなんだけど。
「気がつきませんか、敵兵の動きが妙にいいことに」
懐から護符を取り出しながら答える。防御用の護符だ、空中に放ると即座に白い半透明な結界が作られる。そこに敵の魔術師が唱えた氷系の攻撃呪文が叩きつけられた。思わず「ひゃっ!」と声を漏らしてしまうが、僕の護符は優秀だった。白い花が咲き乱れたような跡だけ残して、呪文による凍気はパラパラと砕け散る。
「あっちか!」
目ざとく見つけたアリオンテ君がすぐに火炎球を詠唱し始めた。それほど間を置かずに完成した真っ赤な火炎球がぶん投げられ、派手な爆発を生み出す。
「どうも。えーと、言いかけていたのはですね、そうそう敵兵の動きが良すぎる理由が分かったからです」
「そうかな......夢中だったから分からなかったけど。で、何なのさ」
「--死霊憑き、ですよ」
僕の言葉にアリオンテ君が目を見開く。「ほんとに?」という呟きに「嘘は言いません」とだけ返し、戦闘が少しだけ鎮静化した隙を利用して敵の一団を指差す。
「お互いに夕方頃からずっと戦っているにしては、ベリダム軍の方が動きがいいと思っていました。特殊な回復薬か、あるいは身体を活性化させる魔法でもかけているのかと思っていましたが......さっき見えたんですよ」
偶然と言っていい。勢いに乗った敵兵の一団から逃げている時、振り向いたらたまたま見えたのだ。体全体が黒っぽい靄に包まれ、目が生者らしからぬどんよりした精気をはらんだ兵を。退魔師の僕だからそれが何なのか分かった、というかあの死霊憑きによる外観変化は他の職業では見えないだろう。
死霊憑き。それは読んで字の如く、生者に霊を取り憑かせる呪法を指す。取り付かれた生者は死霊の力を一部借りられる為、恐怖感の減少や痛覚鈍磨、また疲労度減少や呪文耐性がつく。生者が人間であるなら取り憑かせる死霊も人間の霊の方がやりやすいが、異なる種族の霊でもやれないことはない。
「そう言われてみれば、たまにやたらと元気な敵兵がいるような気もするけど。そうか、死霊憑きか」
「そんなに数は多くはありませんが、死霊憑きの兵が率先して動くから他の兵も釣られて動くようになるんでしょうね」
味方の兵にカバーしてもらいつつ、また一つ新たな可能性を思いつく。数日前にあの巨大ヘラジカの魔物と一緒に、オークやゴブリンが攻撃してきた。あれは戦力として使うと同時にやられても死霊憑きに使う霊として利用出来るからではないか? 人間に体格的に近い魔物の霊なら死霊憑きに使うにも相性がいい。
(しかし、そこまでやるのか)
嫌悪感が沸き上がる。なるほど、兵数に劣るベリダム軍としては、一人一人の兵を強化出来るなら何でもしたいだろう。だけど死霊憑きは死者の霊を弄ぶ呪法として忌避される術だ。それにかけられた生者にも当然反動はある。あまり長時間死霊憑きの状態が続くと、魂があの世に引きずりこまれる。端的に言えば、不死者の仲間入りだ。
「そこまでやりますか......アリオンテ君、ネフェリーという相手の女ですけどこういう呪法にも長けてましたか」
「どうかな、普通の呪文使ってるところしか見たことないけど。でも使えてもおかしくないかな。自分の研究室とかもらってたし」
「なるほどね。とりあえず問題は分かったので」
死霊憑きは高度な呪法だ。そうおいそれと並の魔術師が使える物ではない。自ずから使い手は絞られる。多分、それはネフェリー・カーシェン。アリオンテ君から聞いている辺境伯の片腕の一人が張本人だろう。
「--払いましょうか。死霊憑きならば退魔師である僕の出番ですから」
そう、死霊憑き状態の相手を通常状態に戻す手はある。霊をあの世に送り返してやればいい。その専門職たる退魔師の僕がやらずして誰がやるというのか。
「でもさあ、普通に切って倒してもいいんじゃないのっ、うおっ、あぶなっ」
「確かに打撃や呪文で強引に倒しても行けますがっ、はっ、根本的な解決にならないんですよっ!」
「なんでさっ!」
アリオンテ君と二人で敵の攻撃を避ける。避け続ける。好都合なことに僕達の前に表れたのは、死霊憑き状態の敵兵だ。見た目は普通の人間だけど、僕にはその背中に霊が乗っかっているのが見えた。だからなのか、思いのほか速い。
「死霊憑きの敵を倒しても、憑いていた死霊は逃げだしまた新たな標的に乗り移ります! 下手したら既に死霊憑きとなった標的に更に憑いて--ますます強化される!」
「そういうことか、心得た!」
言うが速いか、アリオンテ君が刀を抜いて敵の攻撃を受けた。防御に徹するということは、僕が霊を成仏させることを見込んでということだ。飲み込みが速くて助かる。
「生者に取り憑き現世にしがみつく汝に命ずる! 我が名、ロリス・クラインの裁きの下にいるべき場所に帰れ!」
この戦争でまさか浄霊を施すとは思わなかったけど、仕方がない。念の為に仕込んでおいた護符を取り出し、詠唱と共に投げつける。クルクルと回りながら飛んだ護符はペタリ、と敵兵に張り付いた。一瞬遅れて真っ白な光の柱が天高く伸びる。
雨が止み、雲間から太陽の光が降り注ぐ風景は誰もが見たことはあると思う。ちょうどあれと同じ。違いは光が上から下にではなく、下から上にという点だ。
アオオオ......という哀れっぽい叫びを上げながら、敵兵の口から何か煙のような物が這い出してきた。濃い灰色をしたそれは、人と獣の中間のような醜い顔をしていた。
「--昇天」
僕の静かな声と共にその灰色の物......取り憑いていた死霊は光に巻かれて消えた。後には欠片一つ残っていない。死霊憑きの標的だった敵兵は、気を失って倒れている。相当消耗しているようだ、放っておいてもいいだろう。
「ちょっと見直しちゃったよ。凄いね、退魔師」
声をかけてきたアリオンテ君に小さく笑みを見せる。
「まだまだこんなもんじゃありませんよ。次は五人まとめて浄霊しましょう。死霊憑きの敵兵を減らしていけば、こちらに天秤も傾きます」
「了解。前衛は任せて」
よし、やりますか。しかし大魔王の息子に守られての浄霊か......贅沢ですね。
******
「浄霊之三式・斬天剣!」
「結局、直接攻撃じゃん!」
アリオンテ君のツッコミももっともだ。現に浄霊の護符を刃に張り付けた僕の細剣は、深々と敵兵の胸に突き刺さっている。その傷口から血と共にどす黒い霊気が噴き出しているので、単純に直接攻撃しかしていないと言われるのは心外だ。だが、確かに普通に見れば単に武器で突き刺しただけだよね。
うん、最初はね。護符をばらまきながらそれっぽく浄霊していったんだよ。その方が確実だし、中距離から護符をぶつけていけばいいもんね。戦場のあちらこちらに光の柱を立てて、「あの世へ帰れ!」と叫びながら数体ずつ浄霊させてたんだよ。
「しかしもう護符が無くなり、更に声も枯れてきたんですよ。仕方ないです」
「どーすんのさ、まだたくさんいるんだろうに......」
肩で息を切らせる僕をかばいつつ、アリオンテ君は飽きれ顔だ。いや、それはそうなんだけど結構数はこなしたと思うよ? 五十くらいは死霊憑きの敵兵を見つけては浄霊し、浄霊してはまた次、とやってたからね。手持ちの護符を味方の兵士に分けたことを考えたら、僕は十分役割は果たしたはずだ。
この戦争の行方を左右出来るなんて、そこまで大それたことは考えてはいないけど。でも自分なりに貢献は出来たかな。そう思うと疲労がどっと押し寄せてきた。ふらりと体が揺れると、僕の近くにいた兵が慌てて支えてくれた。
「ロリスさんとアリオンテ君はちょっと休憩していてください。ここまでしてくれたのなら十分ですよ」
「おお、後は俺達に任せておきな!」
最初の兵士の後にいかにも百戦錬磨の戦士、と言われそうな男が続く。魔法の明かりで照らし出されたそのヒゲづらが妙に頼もしい。いいか、ここらで僕らはお役御免としようかな。
「僕は一旦休んだら出るからな。寝てなんかいられるか」
「アリオンテ君も寝た方がいいですよ。無理は禁物です。それでは皆さん、御武運を」
「おお、ありがとよ!」
力強く片手をあげたヒゲの男に続いて、味方の兵士達が前に出る。良かった、後はお願いしよう。死霊憑きの数も大分減らしたし、やれることはやったかな。そう思いながら、疲れた身体で地面に座り込んだ。そうだ、少し休もう。
「伏せてっ!」
いきなりだった。アリオンテ君が凄い勢いで僕を突き飛ばした。したたかに腰を地面に打ち付けた。息が詰まりそうになり、舌打ちしながら顔を上げる。
「一体何......え」
思わず目を見張った。そろそろ夜明けなのだろうか、東の空は僅かに青みがかっている。夜の黒と朝の青が微妙に混じり合った空を背景にして、信じられない物がそこにいた。
「ああら、いい勘ねえ、アリオンテの坊や。でも残念ね、避けなければ苦しまずに一思いに死ねたんじゃない?」
艶のある女の声が夜の残党の中から聞こえてくる。ああ、あれがネフェリーかと気がつくも、目はその姿より別の物を追っていた。
それは黒い太い蛇に見えた。闇が煮詰められたような真っ黒なロープともとれる。それが何本も何本も地面から伸びて、先端は地上から3メートル程の高さにもなっていた。そして、その黒いロープはただふらりとしているだけではなかった。
"ア、アア、ィ、イイ......イゥハィエエエッ!"
"ゲゲ......ギ、ギィィルルァアフ!"
人だった。国王軍の兵士が、まるで不細工な人形のように太い黒いロープに絡め取られている。その顔は生気が無く、皮膚は水分が消失したのかカサカサしているのが見てとれた。ああ、あの人達はさっき僕らに「休め」と言って前線に出た人達じゃないか。顔や装備に覚えがある。
「私が死霊憑きした兵士が減らされていくから焦っちゃったわ。まさか退魔師がいるなんて、予想外よね」
クス、と女が笑う。少しウェーブのか
かった栗色の長い髪は腰まで届き、紫色の切れ長の目が僕とアリオンテを見つめていた。女にしては長身の身体は、魔術師がよく着るローブに包まれている。複雑な色彩を施されたその布地を通しても、女らしい体つきであることが分かる。肉感的な美女という表現がピッタリくる。
あれがネフェリー・カーシェンか。アリオンテ君は旧知の仲の相手を見ても、さほど感慨もないらしい。冷たい表情のままだ。
「北方領土にいた時はそんな呪術使ってるの、見たこと無かったけどな。出来たんだ」
「魔術師ってね、ネタバレしたら終わりのとこあるじゃない。隠し玉の一つや二つ持っておくものよ」
なんてことない二人の会話だ。だけど空気が張り詰める。戦いの邪魔になると判断したのか、ネフェリーが兵士達を解放した。黒い戒めからほうり出された兵士達が、ゴミのように地面に崩れる。体力を吸い尽くされたのか、まるで動かない。
「そこの退魔師の女の子、いい浄霊の腕してるわね。私、ネフェリー・カーシェンと言うのよ。お名前は?」
「......ロリス・クラインです。じゃあさようなら、というわけにはいかないですね」
「ええ。せっかくお会い出来たんですもの--」
ネフェリーの紅を引いた唇がツ......と笑いの形を作った。目が僅かに細められる。それは獲物を前にした猫が見せる嗜虐的な笑い。優美にして残酷。
「--逃がさないわよ?」