ラウリオ・フェルトナー 2
ビューローがベリダムに似ているという意外な事実に少々驚いた。だがそれはそれ、今が戦いの真っ最中には変わりはない。顔を隠すことを諦めたビューローは再び右手にダガーを握り、僕もまた剣と盾を構え直す。
「兄弟か従兄弟か知らないけれど」
呟く。そう、そんなことは何も関係がないはずだ。興味は惹かれたが、それに釣られて注意力が落ちては命取りになる。
「別に知りたくはない。君とベリダムがどういう関係なのかなんて」
「ならばいい。だからな......」
低い声が響き、ビューローはシミターの切っ先をこちらに突き出した。
「今から俺が言い出すことは、全てただの独り言だ。行くぞ!」
真紅の闘気が彼の全身を覆う。白い長衣が赤く染まって見える程、闘気が濃く厚い。ビリビリと圧力が高まり、思わず息を飲んだ。駄目だ、気迫に押されたらそれだけで決まってしまう。
僕も闘気の扱いはそれなりだ。ビューローに応じるように、呼吸を切り替え自分の闘気を引き出す。感覚が鋭くなり、手足に力が入っていく。普通の相手ならこれで十分なんだが。
「あいにく普通の相手じゃないんだよな」
その程度の軽口が叩けるくらいには、気圧されてはいないらしい。
--俺には父がいなかった。物心ついた時には、俺の家は母一人、子一人の家だった。
刃が唸る。ビューローの一人語りに混じるように、シミターがこちらに迫る。それを盾で何とか防ぐ。
--母は女には珍しく馬丁でな。馬の世話や調教などをして稼いでいたよ。今から思えば、そんな男まさりなところが気に入られたのかもな。
気にしてはいけない。彼の過去など勝負には関係ない。僕の気を逸らすための作戦かもしれない。
剣を振るう。それはダガーに防がれた。
--七歳の時さ。ある日、馬の毛を磨いていた俺は声をかけられた。振り向くと身なりのいい男がいた。貴族なのか、とすぐに気がつき地に伏した。子供なりに保身の為にはそうした方がいいと思ったからな。
--だけど男は特に咎めだてするでもなく、俺をすぐに立たせた。馬臭い俺の服を気にするでもなく、埃を払ってくれたんだ。ビックリしたぜ。
言葉の間に剣が滑り込む。いや、過去を切り刻むようにだろうか。苛烈な二刀流の攻撃を凌ぎきる。
--黙って俺の手に何枚かの金貨を握らせて、男は立ち去ったよ。目を合わせたのはほんとに十秒にも満たなかったけれどな......それだけありゃあ、男の顔が自分に似ているって気がつくには十分さ。
--俺の目は他ではあまり見ない金色の目。不思議だった、母は普通の茶色い目だったからな。でもな、その男に会って分かったのさ。
ビューローの踏み込みながらの重い斬撃を防いだ。闘気が込められたそれは、さっきより更に重い。彼が語る言葉の重みまで加算されているのだろうか。
--これが俺の父親だってな。その晩、母に聞いたら案の定その通りだったよ。話すかどうかずっと迷っていたらしい。ヨーク家の屋敷で昔、馬丁をしていた時にそこの当主に抱かれて身篭ったとさ。俺が出来てからは金を持たされ、屋敷を追われるように去った。あまり外聞のいい話じゃないから邪魔だったんだろう。
--そう語る母は不思議と穏やかな顔をしていたよ。俺は......それが理解できず、ただムカムカしてた。何故、母が捨てられるのか。何故、俺は父親もいない家庭で育たなきゃいけないのか。事故で死んだとかならまだ諦めもつくが、今まで曖昧にごまかされきた分だけムカツキ度合いは大きくなった。
「そんなこと話して同情でも買おうってのか!?」
ズルズルと続くビューローの過去話に耐え切れず、思わず声を上げた。ちょうど二人が武器を叩きつけあい、間合いが開いた時だった。
ビューローは口を少し曲げただけだ。本意は分からないが止める気はないらしい。「まあ聞けよ。戦う相手の昔話ってのもおつなもんだぜ」と囁きながら、両手を広げる。
「北の地の有力貴族の一人ドワイト・ヨーク伯爵、それが俺の種を母に与えた男だ。そうさ、ここまで聞けば分かるだろう。奴はベリダム・ヨーク辺境伯の実父、つまり俺とベリダム様は腹違いの兄弟さ!」
叫びながらビューローが攻撃に移る。何かをふっ切ったように、更にその動きは速度を増していた。かろうじて防ぐ僕にはもう耳を傾ける余裕はないが、何かに取り付かれたようにビューローは喋り続けた。
--子供ながらに悩んだ、そして妬んださ。俺だって、もし母が愛人の一人にでもされていたらもうちょいましな生活が出来たろう。父親がいない寂しさなんか感じずに済んだろうよ。顔も見たこともなかったけれど、あの憎らしい父親の長男の噂も聞いていたさ。俊才と名高いベリダム・ヨークの噂をな!
--迷った。だが十二の時に家を出た。俺にない物全部持ってる腹違いの兄の顔を一目拝んでやるまでは帰るまいと誓った、そんな旅だ。だが護衛を雇う金もなく餓鬼がうろついていたら、そりゃあ魔物のいい標的だよな。
苦笑混じりにビューローが言葉を吐き出す。それに合わせてシミターが嵐のように振り回され、ダガーが鋭く狙ってくる。抑え切れない、細かい手傷が次々ついていく。
だが、これほどまでに優勢なのにビューローは少しも嬉しそうでは無かった。僕に話しているのに、僕を通してどこか遠くを見ているようだった。その金色の視線は透き通るように美しく、それ以上に苛烈だった。
--下手こいてオークに取っ捕まっちまってな。散々殴られた後、ぽんと地面に転がされた時にゃ死を覚悟したものさ。ああ、このままこいつらの餌になるのか。やっぱ俺の父親が貴族なんて嘘だろ。貴族の子供が豚顔の魔物に食われて死ぬなんて、ありえねえものな。ガタガタ震えてさ、地面をのたうち回る俺がどれだけ惨めだったか分かるか?
--それまで祈ったことなんか一度も無かったよ。けれどオークに首をつかまれた時、涙ボロボロ流しながら叫んじまった。「誰でもいい、助けてくれ!」って。そんな無駄にしか思えないヤケクソの祈りがさ......叶ったんだよ。
--俺の周りにいたオーク達がいきなり騒ぎ始めたんだ。数匹単位で外に飛び出していく、俺は再び放置された。何が起きたのか分からないまま隅に隠れてたが、外からはオーク共の叫び声が聞こえてくる。それが絶叫になり、バタッと倒れる音までしてきてな。
斬撃、まだ止まらない。話す程にビューローの勢いが増す。次第に奴のペースに巻き込まれているのかもしれない。いかにもな過去話すら、罠なのかもしれない。
だが......何故か無視出来ない。
鬼気迫る様子で喋り続けるビューローに毒されたのか、攻撃を凌ぎながらも無視が出来なかった。
--俺の生涯ただ一度の祈りは届いていたのさ。最後のオークが切り倒され、呆然自失となっていた俺に手が差し出された。「歩けるか、少年」という声に顔を上げれば、五年前に見たあの男によく似た、いや、何より俺によく似た顔の青年だったよ。
--たまたま領地巡回をしていたベリダムが、いや、ベリダム様がオークの群れを叩き潰したと知ったのはもうちょい後の話だ。失血のショックで俺はすぐに気を失ったからな。気がつけば近くの村に運ばれて、治療を施されていた。俺を助けた腹違いの兄はすぐに出立したそうだ。あまりにぼこられていたから、俺の顔が自分に似ているとは気がつかなかったんだろう。
そこまで言い切りビューローは話を止めた。既に僕につけられた傷は十以上にもなっている。鎧の上からでもこれだけ浴びせられると、ダメージも馬鹿に出来ない。
「誓った。強くなろうと。あの黄金の髪と目の腹違いの兄の横に立つために。憎悪も嫉妬も感謝も憧れも、全てを詰め込んだ存在に近づくために。可哀相な弟などと呼ばれるより、あの俺にない物全部を持った男の懐刀として傍に立ちたい。痛烈にそう思ったんだ」
カラン、と音がした。たまたま足元に転がっていたらしい割れた仮面、それをビューローが蹴ったのだ。軽い乾いた音が戦場に響く。
「その日から仮面にこの顔を隠した。血筋を感じさせる物を遮断するため、過去の自分に決別する為にな。腕を磨き、自らの素性を隠したまま、辺境伯が募る傭兵隊に潜りこんだ。全てはベリダム様に、腹違いの兄かつ命の恩人に、この剣を捧げる為に!」
そうか。これが、今語った過去がビューローという男の芯か。揺るぎない闘争心の源泉か。
それが正しいのかどうかは僕には分からない。万人に適用されるものかも、僕には分からない。だがギラギラした目を向けて、ジワジワと僕を押す彼にはきっと唯一の真実なんだろう。
それでも。
彼とは違う理由で、僕にも拠り所はある。
「戦う理由があるのは、お前だけじゃない!」
盾に食い込んだシミターを跳ね返す。
やや後退したビューローに斬りこんだ。
ダガーで受けられ、そのまま鍔競り合いになる。
「名誉か、金か、それとも愛か? そりゃあこんな戦場に立っているんだ。戦う理由の一つや二つ、貴様にもあるだろうよ」
「ああ、お前に比べたら小さいかもしれないが......僕にも退けない理由は」
戦士としての矜持。
シュレイオーネを守りたいという思い。
何より、アイラさんを一人王都に残したままだ。僕に手を重ねてくれる彼女が戦意をくれる。勇気をくれる。将来を共にしたいという希望をくれる。
「--退けない理由はある!」
叫んだ。ほんの少しだけ心の片隅に残っていたもやもやが吹き飛んだ。あるいはそれは仮面で素顔と過去を隠した男への、僅かな同情心だったのか。
左下から右上、一気に斬り上げた。かわされる。だがこれまでより更に鋭い斬撃に、ビューローが僅かに怯む。
「なるほど、口先だけじゃないようだな」
「ああ。一応そのつもりだよ」
気がつけば夜が明けていた。いつのまにかそんなに時間が経過していたのか、と驚く。周りの兵達の動きもはっきり分かる。
ビューロー・ストロートの白い長衣に血の跡が幾つかあった。あの中に僕の返り血もあるのだろう。ここまでずっと劣勢に立たされている。それを目に見える形で突きつけられたようだった。
無言のまま剣を構えた。まだだ。まだ希望はある。ビューローの速い踏み込みを逆手に取る形で、カウンターであの技を合わせれば。
「骨蝕だったか? 見せてみなよ、鋼砕刃の二連技をさ。そいつを受け止めて俺が勝つ」
読まれていたか。技が何かが分かっているなら、剣の軌道もある程度推測がついているだろう。
その状況でリスクを負ってまで骨蝕で勝負に出るか。
出られるか? 己の中の答は肯定だった。
鋼砕刃の二連技である僕の奥の手--骨蝕。
闘気を剣に乗せて叩きこむ鋼砕刃は、一撃であっても使用者の負荷が大きい。ましてや二連技となれば尚更だ。
そう、骨蝕の技名には相手の肉ごと骨を断つ、という意味と使用者である僕の腕の骨がいかれかけるという二つの意味がある。
だが、通常ならば使用後に一定の硬直が避けられない鋼砕刃を隙無く撃つ、その恩恵は大きい。相手がかわす可能性を相当減らせる上、攻撃と攻撃の間に潰されることもほぼ無くなる。
まともに決まればこれだけで、トロールやオーガロードといった大型の魔物を切り捨てることも可能だ。一撃目を撃ち込んでからの手首から肘への返し、そこから腰の捻りを使って反転させるというかなり無茶な体の酷使がこの技を可能にする。
まともに決まれば終わる。仮に一撃目がかわされたとしても、追撃の二撃目までは避けられない。そう、通常の相手ならば。
「怖いよなあ。ただでさえきつい鋼砕刃、それが二連発だ。背中がぞくぞくしてきやがる」
その言葉とは裏腹にビューローはどこか楽しそうだった。そうだ、抜群のスピードと卓越した体術、その両方を兼備しているこいつは避けられると踏んでいる。ベリダムの為に捨て石になる覚悟はあれども、こんなところでみすみす死ぬ意味はない。
「どうだか。本当に僕がやるとは限らないが」
「ふん、下手な嘘はよせよ。大小何発当てられた? もう余り手数はかけられないはずだ」
お見通しだったようだ。ビューローの言う通り、シミターとダガーの連携技にかなり傷をつけられている。膝から崩れ落ちる二歩手前という感じだ。もう長い時間戦う体力はない。
つまり僕に取れる手段はただ一つ。読まれているのを知った上で、骨蝕を使うしかない。
それで討ち取れなければ、お仕舞い。待つのは確実な死あるのみだろう。
「覚悟は決めたな」
答えるのもしんどい。とりあえず盾は捨てた。どうせここで決めなくては死ぬんだ。次の攻防など考える必要は無い。
(アイラさんがこんな場面見たら卒倒するよな)
無事に帰れるとは自分でも想像しづらいけれど。
「来い、ビューロー・ストロート」
ここまで来たらやるしかないだろ?
勝負は一瞬。
ビューローの背中から爆発的に真紅の闘気が吹き上がり。
加速した彼の姿が見る間に忍び込んでくる。速いと感じるよりも速く。それはまさに刹那と呼ぶに相応しい。
だが、ただ黙って見ているほどお人よしじゃない。両手を通して伝えた闘気がロングソード+3を輝かせる。深緑色の闘気は刃を包むのと、僕が構えたのは同時。
視覚と勘、両方をフルに働かせて放つは言わずとしれた技だ。
「唸れ、骨蝕!」
右からの鋼砕刃が恐ろしい勢いでビューローに唸りを上げた。闘気が乗った分、少し攻撃範囲が広くなる。当たる、と信じた第一撃だったが。
間合いぎりぎりで右足を地面に叩きつけるようにして、ビューローが急制動をかけた。何故そんな動きが出来るのか不思議なくらいだ。身体能力が高いのは知っていたが、これほどか。
空振り、しかしここから返しの二撃目が間髪入れずに発動する。空中で急に反転する猛禽類の如く、手首と肘の捻りで左から鋼砕刃、真骨頂の二撃目--!
「止め--なにぃ!!」
そう、ビューローが勝ったと思ったのも無理はない。確かに彼は骨蝕の剣筋を読んでいた。
僕の左、つまり彼の右から迫る鋼砕刃を見事にダガーの刃で止めたのは称賛に値する、それは事実だ。しかしこれで終わりではなかった。
「あああああぁああっ!!」
防がれた瞬間が勝負だった。全体重をかけ、細身のダガーを押し切る。それまでに何発かこちらのロングソード+3を止めていたことも影響したのか、ダガーが砕け散る。
ロングソード+3の刀身が白い長衣に吸い込まれ、確かな手応えが両手にかかった。恐らく魔力付与で強化されているであろう長衣を、その下の鍛え上げられた肉体を噛みちぎるように刃が走った。
最初に見たのは真っ赤な血飛沫。
白い長衣を汚す、ビューロー自身の赤い赤い血の流れ。
「......ざまぁねえな」
多分、彼はそう言ったと思う。急速に光を失っていく目はカッと見開かれ。その左手から力無くシミターが転げ落ちた。
いやにゆっくり流れていた時間が急に元に戻る。俯せに倒れているビューローに「今ならまだ助かる」と声をかけたが、案の定と言うべきか「お、断り、だね」と返された。敵の情けはいらないらしい。
「......最後に言い残すことがあるなら、聞くよ」
「......ねえよ、余計なお世話だ」
「--分かった」
それが僕がビューローと交わした最後の言葉だった。ビューロー・ストロート、僕は別に君が好きじゃない。けれど過去をバネにして一生を駆け抜けた一人の戦士が確かにいたこと、恵まれた境遇の異母兄を恨むことなくひたすらに戦ってきたことだけは、心の片隅に刻んでおくよ。
さようなら、仮面の戦士。