ラウリオ・フェルトナー
血で血を洗う戦場が地に展開される一方、夜空はいつも通りの星がきらめいていた。真っ黒な布の上に硝子の破片をばらまいたような、はかなさと鋭さを併せ持った美しさが何とも皮肉だと思う。
(皆無事だろうか)
敵兵の一人を切り倒し、物陰に隠れる。魔法による人工の光はあるものの、やはり視界が悪い中で戦うのは神経を使う。味方の援護に感謝しつつ、急いで回復薬を飲み干す。疲れた体に活力が戻り、精神がシャキッとした。
三手に別れて戦い始めてからどれくらい立つだろう。時間の経過がよく分からないが、月がかなり移動していることだけは確かだ。あと一時間か二時間で夜明けだろうかな? もっともその一時間か二時間を無事に切り抜けられるかは、また別問題だけど。
「きっと、きっと皆無事に違いない」
短い休憩を終えて再び戦場へ。愛用のロングソード+3についていた血糊は拭い終わっている。ギラギラした刃でまた敵兵を叩き斬るべく、僕は身を踊らせた。
わざと派手に躍動する。攻撃をこちらに引き付ける為だ。僕に攻撃が引き付けられれば、それだけ味方は楽になる。そうすれば結果的に僕の生存率も上がるだろう。
だから何としても、敵の初撃を凌がなくてはならない。左手に装備しているラウンドシールドを掲げ、敵の突き出した槍を受け止める。右手の剣も敵の攻撃を捌くのに忙しい。
ギャアだかギィヤァァだか分からない奇声をあげて、敵兵が飛び掛かってきた。戦斧が振り回され僕の首を狙うが、それをスウェーバックして避ける。大振り過ぎるんだ。だから隙だらけ。体を戻す反動で自然と剣を振るうと、相手の肩辺りを切り裂いた。
今度は悲鳴が上がった。深手を負い、よろめいたその敵兵に味方の一人が横から剣を突き出す。あっけなくまた一人死んだ。怖い。何人殺したのか分からない。次は僕の番かもしれないし、戦っても戦っても終わりが見えないのが怖い。夜明けは多分遠くないけど、この戦争に終わりはあるのか?
いや、迷うな自分。
「せいっ!」
掛け声一つ、それに続いてロングソード+3を振るう。鎧を切り裂く手応えに、僕は今は死なずに済むと思った。そうだ、目の前の敵を倒せる内は--死なずに済むだろう。
だから迷うな。振るえ、僕の剣を。かざせ、左手の盾を。高鳴らせろ、体の内の魂を。こんな場所で死ぬ訳にはいかないんだ。
******
その男と出くわしたのは全くの偶然だった。だだっ広い戦場において、顔を知っている一人の敵と遭遇する。それを偶然と呼ばずして何と呼ぼうか。
「ビューロー・ストロートか」
「ラウリオ・フェルトナー、だったな」
夜がそろそろ退場しようかという時間帯、乱戦の中で僕と一人の男は互いを認めた。視線の先にいるのは、白い仮面で素顔を隠した戦士だ。赤い髪を風になぶらせ、白い長衣で全身を包んだ男がこちらを見ている。彼が放つ殺気に当てられた味方の兵が、呻きながら下がる。
間違いない。辺境伯の副将の一人、ビューロー・ストロートだ。一年前に王都で催された闘技会で勇者様と戦った男。かなり肉薄する程に健闘したその強者が--
「......お前のことは覚えているぞ。鋼砕刃の二連技だったか、いい腕をしていたな」
--今、僕の前に立ち塞がる。
「覚えていてもらって光栄だよ」
不思議だな。間違いなく強敵となるこの仮面の戦士を前にしても、いやに心は静かだ。ほぼ一晩中戦い続けて、既に息は荒くなっているのにな。
「ウォルファートではないのは残念だが、貴様でもこの際構わない。弱兵ばかりで飽き飽きしていたところだ」
左手にシミターと呼ばれる緩やかに湾曲した片刃剣を、右手に両刃のダガーを持ちビューローがこちらを向く。仮面のせいで表情は読めないが、その背中から真紅の闘気が一際大きくたなびいた。なるほど、言葉も表情も君には必要ないようだ。
剣だけを武器にする者という一点においては。
ビューロー、君と僕は似た者同士だな。
明け方を告げる冷たい風が一陣。
それに巻かれた木の葉が数枚、フワリと浮きそして散った。
どちらともなく、互いの武器を構える。僕のロングソード+3も彼のシミターも魔力付与の恩恵を受けている。その証拠となる淡い魔法光が冷たい金属光に溶け合い、お互いの姿を浮かび上がらせた。
「「いざ」」
ジャッ、と鳴ったのは足元の砂利か。あるいは軋らせた歯音か。
「「尋常に」」
勇者に付き従う事実上の片腕同士、その二人が戦場でまみえたならば。
「「勝負!」」
一騎討ちしかないだろう! 疲労を忘れた。苦痛はどこかへやった。最速の足運び、最短のルートを取り、初撃を唸らせる。剣が走り銀の軌跡を描き、ビューローのシミターと激突した。「クッ!」と怒りとも笑いともつかない声を仮面の隙間から漏らし、ビューローが鮮やかに舞う。
「いい一撃だ、ラウリオ・フェルトナー! それでこそ--」
叫び声が聞こえた。僕の右側に軽やかに反転したビューローを捕捉。その左手から放たれた抜き打ちを、慌てずラウンドシールドで捌く。一撃目は難無く、二撃目はかろうじて。ドッと冷や汗が流れる。
「--俺も殺しがいがある!」
「そう簡単には......」
相手の挑発には乗らない。今もこうして言葉を交わしながらも、ビューローがこちらの隙を伺っているのが分かる。左手のシミターももちろん脅威だ、しかしあの闘技会を見た僕には分かる。真の脅威は抜群のバネを生かし飛び込んでの--
「シイイッ!」
--右手のダガーによるぶつかるような一撃ということを!
「やらせない!」
読めているさ。相手の突きに合わせる形で体を開き、ダガーの刃先をかわす。左手の盾を打ち下ろしビューローの右肘を叩き折ろうとしたが、流石にこれはかわされた。素早い、一筋縄ではいかないな。
「油断も隙もないか、いいね、殺り甲斐があるというもの」
「殺れるものならやってみろよ!」
攻められっぱなしじゃたまらない。こちらからも反撃する。ただしあくまで小さく鋭くだ。大振りになればビューロー程の瞬発力の持ち主ならば、かわして懐に潜り込んでくるだろう。
袈裟掛けの一撃を叩きこんだ。体捌きだけで交わされるが、それを追うように剣を反転させる。この左からの薙ぎ払いは相手のダガーに止められた。そうか、短い分だけ取り回しがいい。盾代わりに使えるのか。
だが。
だがこちらのロングソードの一撃を、軽いダガーで受け止めて僅かにたたらを踏んだだけだと。余程鍛えていなければ不可能だぞ。
「流石、勇者様といい勝負するだけあるよ」
僕の口から漏れるのは素直な賞賛と畏れの混じった言葉。
「ふん、ダガーで受けるしかなかったのさ」
ギリギリと刃と刃を噛み合わせながら、仮面の戦士はせせら笑う。くぐもった小さな笑い声が闇に溶けていった。強いな、本当に。今まで一対一で色んな相手と戦ってきたけど、こいつはあのベリダムの次に強い。
刃越しに力を競い、視線越しに闘志を競う。十数秒続いた熱いが静かな均衡はいきなり崩れ、対照的な乱撃戦へと移行した。僕のラウンドシールドにビューローのシミターが食い込み、反撃のロングソード+3を彼が紙一重で避ける。逆手に握られたダガーが迫るが、こちらが踏み込んで肩で押し返した。
あたりどころがたまたま良かったのか、ビューローが些か怯む。だが真一文字に叩きこんだ斬撃は、シミターで綺麗に受け流された。そのまま切り合う。空中で重なり合う刃音は火花を生む。その赤い火花が消える前に、ビューローのシミターとダガーが矢継ぎ早に繰り出された。ラウンドシールドによる鉄壁の防御をそのまま切り崩しかねない勢い、それを生かすスピードに息を呑む。
(防戦一方じゃ負ける!)
リスク覚悟でこちらからも攻撃を繰り出した。だがそれを軽くかわされ、お返しと言わんばかりに浅く右手を切り付けられた。焼け付くような痛みが走る。一瞬遅れて血が舞った。ただの切り傷だ、だがいよいよビューローがその本性を全開にしてきたか。
両手に武器装備のスタイルによる攻撃特化型の戦士、それが僕から見たビューローだ。実際に剣を合わせて力もそれなりにあると分かったが、本質的には速度と連撃が彼の持ち味なのだろう。
そしてそれを持続可能にする並外れた体力もある。一撃、二撃、三撃と間髪入れずに続く攻撃を何とか凌ぎ、反撃の機会を狙うが。
(止まらない!?)
普通は息を切らし、動きが落ちる。だがシミターとダガーの変則二刀流はますますその回転数を上げる。剣と盾両方で防いでも、それが追いつかなくなっていく。
十撃目までは何とか抑えたが、それが限界だった。続くシミターの一閃が僕の右胴に吸い込まれ、左の肩にダガーが差し込まれる。間に合わない、と思った時にはもう遅かった。だが僕の体に染み付いた戦士としての経験が働く。
相手が攻撃を成功させた瞬間は、自分の攻撃が一番届きやすい瞬間でもある。
「ぐっ!」
右脇腹と左肩に鋭い痛みが走る。軽い傷じゃない。だが同時にこちらが放った右斜め上からの一撃は--
「っ!?」
--攻撃を終えた瞬間のビューローに呻き声をあげさせた。腰の入っていない手振りの一撃だが、運よく彼の仮面に入った。死角から滑り込んだのだろうか。
間合いを取る。二カ所同時につけられた傷は焼け付くようだ。まだ動けるものの、制限がかかるのは避けられない。それに比べれば、ビューローは大したダメージではないだろう。
そう思っていたが。
「ち......油断した」
ビューローがダガーを腰に戻し、右手で顔を押さえている。その足元には二つに割れた白い仮面。あんな軽い一撃でか、と思ったが、あの仮面は防具でも何でもないのだろう。
いや、そんなことよりも。
「人前では滅多に素顔は見せないんだがな」
観念したように、右手をそろそろと顔から放すビューローに。
「えっ」
目が釘付けになった。正確には初めて見る彼の素顔に。
隠さねばならないような酷い刀傷があるわけでもない。火傷などもないし、目が潰れているわけでも鼻が削がれているわけでもない。むしろ端正と言っていい顔だ。
だがその燃えるような赤毛の隙間からは、金色の双眼が覗いている。それに気がついた瞬間、視覚から飛び込んできた情報と記憶が結び付く。誰かに似ている。目だけじゃない。口や鼻のバランスや顔の輪郭といった微妙な点まで。
そう、この内乱を起こした張本人である北の狼と呼ばれる男に。
「血縁者か?」
「......気がついたようだな」
誰のとは言わなかったが、ビューローも僕の言葉で分かったらしい。錆のある声が夜明け間近の空気を揺らす。
仮面を外したビューロー・ストロートの素顔。それはベリダム・ヨーク辺境伯の顔によく似ていた。