俺とベリダム 2
超加速の効果は単純だ。使い手の運動神経を一時的に強化して、その分だけ動きの速さを高める。正確に計る術はないので憶測だが、二倍強程度には速度が上がる......気がする。
人間の足が二倍強速くなったところで知れていると思うかもしれないが、俺のようにレベル70超えた人間は素の速度も相当だ。それが倍速になれば、それこそ目にも止まらぬと言っても過言ではない。
切り札の能力解放の使用、その中でも直接体に働きかける分だけ超加速は反動が大きい。夕方から一夜空けた今まで温存していたのは、これを使うと後が無いからだ。
「だからここで」
視界が歪む。恐ろしい速度で迫る俺の姿は、ベリダムにはどう映っているのだろうか。地を蹴る脚が普段とはまるで違うように感じる。猫科の獣の筋肉の柔軟性や瞬発力を備えたような......弾けるような動きが可能になっている。
「勝負つけさせてもらうぜ!」
自戒をこめて叫び、そのまま斬りかかった。真上からの斬撃をかろうじてベリダムの盾が止める。声にならない驚愕が分かるぜ、お前の息遣いから。よく反応したな、だがお前が一撃でどうにかなる相手じゃないのは織り込み済みだ。
「シイッ!」
主導権は取らせない。右に回りこみ斬りこむ。剣で防ごうというベリダムを嘲笑うように、剣の軌跡を僅かに変えて斜めから落とす。ほら命中だ。奴の右腕の二の腕の部分。斬り落とせはしなかったが、しばらく攻めに転じれはしないだろう。
亀のように守りを固めるベリダムを攻める。
攻める。
攻め続ける。
右からの横薙ぎ、下からの払い、上からの斬り落としのコンビネーション。掠めた、まだ止めない。稲妻さながらに上下左右の動きに、前後ろのステップを絡める。目まぐるしい俺の動きに流石にベリダムの防御も狂い始めた。
微妙な表情の変化で分かる。最初に右腕を傷つけられたせいか、そちらをかばうように動きに癖が出ていた。並の相手ならそれでも十分以上に防げただろうが、今の俺には命取りだ。
(くそっ、それでも固い!)
だが同時に焦る。超加速の制限時間が迫っているからだ。奴のカイトシールドを巻き込むように散発的に打撃を届かせてはいる。胴に、脇腹に、肩に、手足に--だが致命の一撃にはどれも遠い。逃げ惑うように必死に防御するベリダムの執念、それが俺の攻撃を上回るのか。超加速で倍速化しているのに?
ラスト三秒。左足を踏み込む。右手は引いていた。
「これさえ防げば!」
ラスト二秒。ベリダムめ、気づいてやがったか。疲労と憔悴をその金色の目に滲ませながらも、俺の動きが徐々に元に戻りつつあることに。
ラスト一秒。全力を込めた俺の突きは。
心臓目掛けて叩きこまれるはずの魔払いの刃は。
ベリダムの右脇腹を浅く切り裂いたに過ぎなかった。フルプレート+9でも何とかダメージは与えたが、それだけ。
タイムアップだ。
******
打つ手を封じられた。能力解放を使うにしても、第二能力解放の水之領域にすべきだったのか。あれなら攻防自在に使えて、もう少し柔軟性がある使い方が出来たか。いや、それはもういい。やっちまったことはそれまでのことだ。
問題なのは俺が完全に劣勢に立たされている。その一点だ。その一点だけなんだが、これ以上重要でまずいことがあるか?
周囲の兵達の声が聞こえる。いつまでも俺達二人の戦いを見ているわけにもいかず、彼らは彼らで戦っていた。それでもチラチラとこちらに視線を感じる。
「ウォルファート様、頑張ってください! まだ、まだ行けます!」
くそ、味方の声援が心に刺さるぜ。期待に応えてやりたいが、やらなくてはならないのは承知しているんだが。
「押せ押せ、ベリダム様! もう一息ですよ!」
うっせえぞ、こら。ベリダムの斬撃を防ぎながら睨むと、そいつはこそこそ消えていった。しかしその間にも俺は攻め続けられている。濃紺のフルプレート+7には何カ所かひびが入り、血がポタポタと染み出している。タワーシールドを持つ左腕は筋がいかれたのか、攻撃を止める度に激痛が走る。
「冴えない、真に冴えないな。何故貴様みたいな大したことない男が勇者なんだ!」
「余計なお世話だ、こんちくしょうが!」
ギリギリとつばぜり合いをしながらベリダムが嘲笑ってきた。ああ、ムカつくが手加減されているのが分かる。わざと力を抜いて俺をいたぶってやがる。
「アウズーラを倒したというだけで! 勇者の座を独り占めし、死んだ戦友の双子を引き取るという美談にあぐらをかき! はっ、どこまで--」
突き放された。かろうじて倒れるのを堪えるのが精一杯だった。ベリダムが放った火炎球が頬を掠める。これもわざと外したんだろう。
「--人気取りに勤しめば気が済むんだろうな! 私は、私は、心底貴様が気に食わないよ!」
その一言に何かが切れた。プツン、とこめかみの辺りでちぎれた物がある。
「っ、ふざけろ、クソが!」
叫び声は勝手に上がった。ぼろくず寸前まで追い込まれていたのに、フツフツと体の奥から何かが沸き上がる。
--なあ、なんでこんなに悲しいんだよ--
--あいつらがでかくなったら、俺がどんだけ育児に苦労したか--
--育児には時々理屈は通用しねえ--
--ご存知の通り、オルレアン家は義理の家族です--
人気取りだ?
俺がシュレンとエリーゼを引き取って育てたのが、ただの人気取りだ?
それは、それだけは言われたくはない。俺とあいつらの関係をそんな安っぽい言葉で汚されたくはない。
血が繋がっていないあの二人の子供との生活は、大変だったことは認める。確かに嫌になりかけたこともある。だがこの六年間の記憶は、俺にとっては暖かなかけがえのない物だ。実の親子じゃない、と告げてシュレンとエリーゼが一時的に反抗期を迎えたことでさえ、俺は忘れたくはない。
「お前にさ......何も俺達について知らないお前にさ」
唾を吐き捨てた。血が混じったそれが地に落ちる。
「軽々しく人気取りなんていう薄汚い言葉使ってんじゃねえよ! 絶対許さねえぞ、ベリダム。てめえの髪掴んで地べたに叩きつけてやる」
空気が震えたのが分かった。俺の周囲の地面が揺れた。闘気が吹き上がり、視界は白銀に染まる。涼しい顔してられるのも今の内だけだ、ベリダム。
--何でうちの子は死んで......シュレンちゃんとエリーゼちゃんは生きているんだって......--
メイリーンに謝れ。
--怖くなっちゃったんです--
アイラに謝れ。
--双子ちゃんはそれに比べたら幸せだよ--
アニーに謝れ。
--いつもパパ早く帰ってこないかなーって言ってます--
セラに謝れ。
「お前の今の言葉はさ......俺と双子を支えてくれた全ての人をも馬鹿にしてんだよ!」
「へえ、そうか。それはそれは済まなかったな」
せせら笑うベリダム目掛けて呪文を放つ。切り裂く風の刃を生む斬風、それをいきなり叩きつけた。いきなりの反撃にベリダムが驚く。「ちっ」と舌打ちする奴の右腕に一筋、二筋、血の赤が走った。効いている。俺の攻撃呪文が通った。
走る。怒りに身を任せたまま、タワーシールドは投げ捨てた。左腕はろくに動かないんだ、ならばもう捨てる覚悟でやってやるさ。
「盾無しで私の攻撃を捌くか、面白い!」
即座に反応された。奴が無詠唱でぶつけてきた電撃槍を回避出来ない。あっさりと左腕を貫かれた。焼け付くような痛みが走り抜け、電撃に侵された体が痺れる。だが盾を捨て軽くなった分だけ間合いは詰まった。
念意操作。
ショートソード六本は高らかに宙に舞い、その切っ先を獲物に向ける。
至近距離からの天鷲豪槌!
「引き裂かれろ!」
頭上からの攻撃を、剣で払い盾で弾くか。いい反応だな、ベリダム。だが地上には俺がいる。せっかく詰めた間合いだ、無駄にはしない。痺れた頭で無理矢理呪文を紡ぎ出す。
痛みを怒りが塗り潰す。消えていきそうな意識を闘志が甦らせる。そうさ、俺が唱えられる最大の攻撃呪文がまだ残っているんだ。お前を地のはてまで吹き飛ばせるあの呪文がな。
伸ばした右手に宿る光は聖なる白。
秋の日の朝を清浄に染めるその純白は、俺の怒りに応えるが如く猛々しさすら感じさせる。
転送したと言っていたがな。見せてやるよ、本家本元の。
「聖十字!」
全身全霊を込めた俺の最大最強の固有呪文だ。これに俺は全てを賭けた。ぶち抜いてやるさ。
******
天を仰いでいた。
後頭部は地面に着き、俺は仰向けに倒れている。痛い、叫びたくなるほどの痛みが全身を貫いている。だが声も出せない。ああ、そうか。血の塊が喉を塞いでいるからか。
周囲の喧騒が耳を叩く。その騒音の中、俺の側に立つ男は冷たい眼でこっちを見下ろしていた。ベリダム・ヨーク。漆黒のフルプレート+9に身を包んだ俺の敵、立っているのはそいつ。倒れているのは俺だ。
「聖十字の発動があともう少し早ければ、私に届いたかもな」
ベリダムの哀れむような声が聞こえる。ああ、そうだ。思い出した。俺は確かに聖十字を放ったが......それはベリダムに届く前に防がれたんだ。奴がカウンターで唱えた同じ......聖十字に。
聖なる白い十字架は正面衝突し、互いを消しあったんだっけか。そう、そして余力があったのはベリダムの方だった。こいつが念意操作で放ったショートソードを俺はかわすことも出来ず。
「......っ、くそっ」
悔し紛れの呟きを何とか唇から押し出した。そうだ、飛んできたショートソード六本の内、三本までは回避したけどさ。それが限界で。胸、左足、背中に一本ずつ突き刺さっちまったんだよな。
空は、青い。
見上げた空は、どこまでも青い。
手を伸ばす。血に濡れた手は赤いというより、むしろ黒っぽく見えた。視界の片隅に長い金髪を風に揺らし、ベリダムが立っている。いい気味だとでも思ってやがるのかよ、くそ、ほんとに......ムカつく野郎だ。
「案外呆気なかったが、中々楽しめたよ。勇者の健闘に敬意を表し、首は取らずにおいてやろう」
舐めるなと言いたかった。だが俺が出来たことは、僅かに瞳を動かすだけ。声も出せない。視界はどんどん暗くなる。あれ、待てよ。今はまだ朝だろ。何で暗いんだよ、俺の周りだけ夜のままなのか。
痛み。体中の傷が熱い。けど力がどんどん抜けていく。見えないけど、ショートソードが突き刺さった傷口からダラダラと出血しているんだろう。なんて--こった。
自嘲に頬を歪めた。
--こりゃあ、さよならかもな--
--死ぬ、のかな、俺?--
--一矢くらいは報いてやりたかった、かな--
最後の力を振り絞り、消えてゆく視界を掴もうと右手を伸ばした。突き抜けるような空の青が--ポツリと明るい点になったと思った時。
俺はこの世界から切り離された。