俺とベリダム 1
奇妙な感覚だった。
ここは戦場だ。合計二万人以上の兵が命を削り合う場だ。怒号や悲鳴が沸き上がるのが当然。まっすぐに立つことさえ中々許されないのは必然。
だが曙光を微かに受ける俺とベリダムの周囲は、何故かぽっかりと空いていた。チチ......という小鳥の鳴き声さえ聞こえてくるような静寂が満ちている。ゆるり、と秋の風が揺らぎ、向かい合う二人をたしなめるように撫でていく。
そうか。
この場にいる全員が理解していること。
この場にいる全員が恐れていること。
それは俺--ウォルファート・オルレアンとあいつ--ベリダム・ヨークの対決には何人たりとも邪魔してはならず、また巻き込まれれば死を免れないということだろう。
ああ、そう考えてくれたなら嬉しいな。俺もベリダムもさ。なんだかんだ言いつつも、直接戦闘において決着をつけたかったんだ。万単位で戦う戦争でそんな無茶な願いが叶ったのは......
幸運以外の何物でもない。ただし、血と鉄を捧げもった女神の授けた幸運だが!
睨み合いが解けたのは突然で。
そこから一気にテンションは上がる。収納空間から呼び出したミスリルのショートソード六本を念意操作で撃ち込む。
「白銀驟雨!」
ビョウ! と空を切り裂き銀色の六刃が唸る。ベリダムがこれで倒れるとは思わないが、最低でも牽制くらいには--
「白銀驟雨・紅嵐!」
「何っ!?」
耳を疑った。目を疑った。だが確かに俺の放った白銀驟雨は、ベリダムの迎撃に止められた。いや、止められただけじゃない、あっさりと跳ね返されたんだ。それも同じ、いやそれ以上の威力を持つらしき奴の念意操作で。
赤い軌跡を描きながら、ベリダムの周りを六本のショートソードが舞う。何の金属かは分からないが、火炎を纏っているのが見えた。そうか。一年前にあの決勝で俺の技を盗んでから、そこまで物にしたのか。
「驚いたな、まさか俺の念意操作を完全に習得しているとは」
「ただの習得じゃないさ。私なりに改良を加えた結果だ。見ろ」
轟然とベリダムは顎で地を指す。そこに転がるのは俺が放った六本のショートソードだ。完全にやられたせいか、少しの間だが念意操作が途切れている。動かそうとしても、頼りなくピクンと跳ねるだけだ。
「火炎呪文を剣にこめ、威力を引き上げたのさ。形無しだな、ウォルファート。技を盗まれた挙げ句に、こうも簡単に上回られたのでは勇者の名が泣くぞ?」
「......ふん、言ってる間にこっちの手元に回収できそうだがな」
これは強がりじゃない。念意が途切れていたのはほんの十秒あまり。俺達の会話の間に、俺はショートソードに対する支配を回復出来た。ヒュッ、と音を立てて六本のショートソードが俺の元に戻る。ベリダムは悠然とそれを見送っていた。
「くれてやったんだよ、ウォルファート。この一撃だけで全て破壊するのは忍びないからね」
前から思っていたが、こいつ一々勘に触るぜ。しかしここはぐっと堪える。俺の白銀驟雨を超えるだけの技を、今のベリダムは持っている。迂闊に攻め込めない。
ユラリ、とベリダムが念意操作を開始した。紅蓮の炎を撒き散らしながら、奴の六本のショートソードがこちらに切っ先を向ける。来るか、今度はてめえから。
「白銀驟雨・紅嵐」
「護剣結界!」
自分の技が強化された上で向かってくるというのは中々に恐怖だ。護剣結界による剣の盾を前に押しだした防御は間に合った。だがベリダムが放った剣自体は止めても、それにかかった火炎呪文の余波までは止められない。
熱と爆発の余波が届く。タワーシールドで防御したものの、その分だけ押し込まれた。そこに容赦なく追撃が降り注ぐ。氷系攻撃呪文の氷槍が足元から噴き上がり、俺の盾にぶちこまれた。流石にこの程度の呪文では大した威力ではないが--そこに他の攻撃が組合わさると話は別だ。
「爆裂波!」
「くっ!」
高速で飛来する光弾、それが数個。回避は諦め、ひたすら防御を固める。俺の鎧と盾は物理防御だけではなく、呪文に対する耐性も魔力付与で高めてある。受け身に回るのは悔しいが一、二発くらい喰らおうが大したことはない。
それでも爆発の衝撃は踏み込んだ足を揺らし、膝をぐらつかせた。縦長の長方形をしたタワーシールドの表面で弾けた爆裂波、その衝撃が危うく盾では防げない程に広がる。冷や汗かかせてくれるな。
「呪文も中々やるもんだな」
「それなりに鍛えてきたつもりでね。だがやはりこちらの方が」
そう言いながらベリダムは腰の長剣を抜いた。遠目でも業物と分かる。晴れゆく闇を更に追い払うが如く、そのまっすぐ伸びた剣の刃からは抑え切れない魔力の波動が漂っていた。
「--好みなのさ。剣術で勝負といくか。闘技会ではがらくたを使わされて、不完全燃焼だったからな」
「自分の自慢の武器なら絶対に負けないってか。大した自信だな」
「剣、鎧、盾全てが+9相当。これで自信が持てなければ嘘だろう」
なるほど。魔力付与をほぼ極限まで施した装備一式か。確かに単純に装備の質だけなら、俺を超えると認めてやる。
だがヒケをとるつもりも無い。仮に総合力で俺が劣っていたとしてもな。
言葉は途切れた。さっきまでの遠距離戦から一転、俺もベリダムも剣と盾を構えての接近戦に集中する。ベリダムの装備、その中でも盾に注目する。カイトシールドと呼ばれる菱形の盾だ。俺のタワーシールド程では無いにしても、体の左半分への攻撃を全面的に防御出来るだけの広さがある。お互い守りは固そうだな。
「っ!」
どちらから仕掛けたのか。
「はあああっ!」
どちらから漏れた呼気なのか。
そんなことは些細なことだ、いきなり振るわれた剣と剣が空中で噛み合い、瞬く間に次は互いの盾を叩いたということに比べれば。
重い。何気なく振るわれた初撃にもかかわらず、盾を構えた左腕にビリビリと衝撃がある。しかしそれはお互い様か。ベリダムもちょっと驚いたような顔だ。それを認めるや否や、再び斬りかかる。魔払い、お前に全てを託すぜ。+1くらいの差なんかひっくり返してやるか!
「教えてやるよ、ベリダム」
奴の突きを盾で外に弾く。体が空いたと見るや、鋭く突きを返した。
「俺とお前の経験の差って奴を!」
空を切り裂いた魔払いがベリダムの髪を掠める。鮮やかな金髪が数本ちぎれ飛んだ。惜しい。
「っ、なかなか!」
感心してる場合かよ。ここからだろう、俺達の戦いが--
集中する。白銀の闘気が俺の体から放射されていく。出し惜しみはしない、それが出来る相手でもない。
「武器がいいからって勝てるとは限らねえよな!?」
「武器だけじゃないさ、全てにおいて私が上回る!」
「はっ、大した自信だ!」
数合、俺とベリダムは切り結んだ。剣と剣、剣と盾、盾と盾がめまぐるしくぶつかり離れる。呪文や念意操作を使う暇は全く無い。下手に他のことに集中しようものならば、即座に命取りになる。
強い。
掛け値無しに強い。
一年前も大概強かったが、まだ俺の方が剣術でも身体能力でも僅かに上だった。だが今は。
「っ!」
俺の左から叩きこんできた斬撃をタワーシールドでかろうじて受け止める。なんて重さだ。しかもロングソード+9というのも嘘ではなさそうだ。斬り方次第では盾が切り裂かれるのではと警戒心が働く。
(僅かに俺より上か?)
火花を散らす。剣の連撃、盾の防御、それをかい潜りお互いの身に何発かは攻撃が届く。今はまだ鎧が防御しているが、そのうち通るようになるだろう。疲れて動きが鈍り防御が間に合わなくなれば、互いの攻撃がクリーンヒットするようになる。
そうなった時、どちらが手傷を負い始めるのか。ここまでの序盤戦を踏まえる限り、やばいのは俺の方だ。総合力でベリダムがほんの少しだが上回っている。
足運び、速度、剣の速さ、破壊力。
スタミナ、防御の上手さ、剣技の練度。
そうした物を全て含んだ上で、俺は認めざるを得ない。ベリダムの方が上だということを。そこに装備の良さが拍車をかける。ロングソード+9というのがはったりだ、と最初は思っていたが......忌ま忌ましいことに本当らしい。俺のロングソード+8である魔払いと完全に互角のタイミングで衝突した時、こちらの剣が押されたんだ。正直びびった。
「そら、顔色が悪いぞ!」
かさにかかって攻めるベリダムを何とかいなす。くそ、普段ならこれだけ防御に徹すれば隙の一つも見つけられるのに。俺の反撃は即座に潰され、その分だけ奴が攻め込んでくる。
それでも十合、二十合と斬り合いは続いた。もう一押しすれば俺の防御も崩せるのだろうが、ぎりぎりのところで俺も耐える。逆袈裟--かわせる。そこから繋いだ下からはい上がるような切り上げ--こいつは盾で受け流す。勢いに押されるが、むしろそれを利用して距離を取った。
黄金の闘気を漆黒の鎧にまといながらベリダムが詰めてくる。金狼という呼び名が不意に頭に浮かび、背筋が寒くなった。気合いの声を上げてそれを振り払う。
僅かながらの間合いだが。ほんの少しあれば無詠唱で呪文が使える! 俺が唱えたのは出の速さと弾速を兼備した--
「--火炎弾」
目くらまし程度は果たしてくれよ。十数個の小さな火炎の弾丸が唸りを上げる。やや撃つ角度を広めに取り撃ち込んだ分だけ密度が薄い。だがその甲斐あってか、一、二発だけはベリダムに命中した。たったこれだけかとも思ったが0よりはましだよな。
「はっ、これしきかすり傷にもならんよ!」
「だろうなあ、だから本命は--」
そりゃそうだろうよ。お前の鎧や盾ならほとんどの攻撃呪文の威力は大幅に減殺されるだろうからな。火炎弾は単なる牽制、僅かに稼いだこの時間の間に俺がやったのは。
「--こっちだ! 武装召喚、バスタードソード+5!」
装備の持ち替えだ。もしかしたらお前も知っているかもしれないが、これだけは真似出来ないぜ。なんせこの魔剣(バスタードソード+5)が無いと不可能なんだからな。
柄を通し念じる。本当に久しぶりに使うぜ、何たってあのアウズーラ戦以来だ。俺の身体能力を一時的に引き上げ、爆発的な敏捷性を可能とする能力解放......
「捉えられるもんなら捉えてみな、超加速!」
刹那、俺の体は疾風と化した。