血染めの夜
ただの挟撃だけならベリダム軍も防げたはずだ。だが最初から覚悟して防御陣をひいていたわけではなく、策にはめられて間延びした状態で左右からやられるのは相当にきつい。それも倍近い兵力でだ。
若干離れた場所から俺はその状況を観察していた。このまま総崩れになってくれればいいが、そう簡単にはいかないだろう。あの男--ベリダム・ヨーク辺境伯はそう容易く討ち取れない。側近であるビューローとネフェリーもだ。特にビューローは直接手合わせしたことがあるからな。簡単には沈まないだろうよ。
「大きく三隊に分かれて抵抗してるようだな」
「どれが本隊かは分かりませんが、一つに一人ずつですか」
俺とラウリオは戦況を見つめる。敵は完全に包囲網を敷かれそうな状態を、三つに隊を分けて抵抗している。各隊が連携し、弱い部分を補って戦線が崩壊するのを止めていた。こちらが先手を取ったにもかかわらず対応が速い。このまま放っておくのは危険だ。
後ろを見る。エルグレイ、ロリス、アリオンテらは皆無事だ。先の先制攻撃の際に十数人がやられたが、兵士達も相当数残っていた。そうだな、ただ黙って待つには余力がありすぎるさ。
「ラウリオ、一つは任せる。ロリスとアリオンテ、お前らにも一つ任せていいか。エルグレイは半数連れてここで待機、包囲網から抜けだした敵を討ち取れ」
「誰が誰に当たるかは運命次第ですか」
「向こうも選べないからな。けれどベリダムの隊だったとしても、あいつと一対一にはならないだろう。協力して当たれよ」
代表して答えたラウリオに説明したように、これは闘技会ではない。戦場において完全な一対一の状況は発生しづらい。全体的にはこちらが押している状況ならば、複数で当たれる可能性は高い。
万が一逆襲に転じられてギュンター公に迫られる前に。
俺達が出て直接あの三人を叩く。それが一番確実だ。
「乱戦は苦手なのでおっしゃる通りに」
やや安堵したようにエルグレイは笑う。薄い灰色の髪はところどころもつれている。
「踏ん張りどころですからね......何となくネフェリーって人と当たりそうな気がしますよ」
ロリスはパンと自分の頬をはたいて気合いを入れた。そういえばこいつ、戦場なのに生足むきだしのショートパンツで気にならないのだろうか。今更どうしようもないが。
「もしベリダムと当たったら......斬る」
気迫をみなぎらせアリオンテが刀を鳴らした。多分、ワーズワースの敵討ちでも考えているのだろう。その無茶が心配だからロリスと組ませたんだがな。
「ウォルファート隊、いつでも出撃出来ます。ご命令を」
ラウリオが皆を代表した。こいつも精悍ないい顔になったもんだ。出会った頃とは大違いだな。
空を見る。日がかなり傾いている。このまま夜戦へともつれこみそうだ。今夜が勝敗を分ける夜になるか。
「よし、行くか。ウォルファート・オルレアンの名において命じる。反乱軍の首魁ベリダム・ヨーク、その副将たるビューロー・ストロート、ネフェリー・カーシェンの三人の首を狙う。決着つけるぞ!」
俺の檄に対する反応はそれぞれだ。だが思いは同じ、ただこの戦いを生き延び、勝ち抜き、また会おうっていうただそれだけさ。
それぞれが百数十人の兵を連れて分かれていく。俺が率いる一隊、ラウリオが率いる一隊、ロリスとアリオンテが率いる一隊。この加勢がベリダム軍を突き崩す最後の一撃になるはずだ。いや、ならなくてはならない。
敵の三将の誰と当たるかは分からないが、それでもやはり。
「なあ、ベリダム。やっぱりお前と決着つけてやりたいな」
夕日に染まる戦場を馬で駆けつつ、俺はそう願わずにいられなかった。
******
戦いは激化していく。時間の経過に伴い日は陰り視界が悪くなっていくのに、一向に激しさが衰えない。それでも完全な乱戦にはならず、各小隊ごとに統率が取れた動きになっているのは指揮官の質が高いからだろう。
「おおおっ!」
「せああっ!」
兵達の気合いが交錯する。互いの命をかけてぶつかり合う。
引いては寄せ、寄せては引く。闇雲に突撃はせず、こちらの部隊は一丸となって戦っていた。攻められた部隊があればカバーし決壊を防ぎ、元気な部隊が盛り返す。攻撃呪文が使える魔術師部隊が束になり、高火力の呪文を叩きつけて敵を退けていく。見事なもんだ。
だが時間の経過と共に死傷者が増えるのは止められない。俺の隣で戦っていた名も知らない兵が、いつのまにかいない。ああ、違う。さっき確か倒されたんだな。長槍を構えて突進してきた敵兵に胴を貫かれて、ゴミみたいに殺されてたんだ。
「っ、くそっ、しっかりしろよ! 俺!」
がむしゃらに剣を振るう内に記憶が確かではなくなっている。目の前に次々現れる敵を捉える為に視界は目まぐるしく動く。それと同時に視界の端では周りの状況を見なくては、気がつけば敵のただ中に取り残されたという悲惨なことになりかねない。
左、敵兵が二人。俺がウォルファートと気がついたのかは知らないが、こちらに向かってきた。右は無人。
考えるより先に体は動いていた。現在装備しているのは右手にロングソード+8の魔払い、左手にはタワーシールドだ。フルプレート+7も含めて最強装備と言えるだろう。出し惜しみする気もない。
「るああっ!」
獣じみた叫び声を上げながら敵兵が切りかかって......遅いぜ。その前に踏み込んだ俺の剣が相手の腕を切り飛ばした。耳をつんざくような絶叫に顔をしかめつつ、二人目の振るった大鎌を盾で受ける。重い、大型武器だけある。だが弾く。そう容易くは--
「--俺の首を取らせはしねえよ!」
たたらを踏んだ敵兵目掛けて、剣を一閃。浅い、だが確かに胸の辺りを切り裂いた。真っ赤な血が黒になりかけた空気を染める。ああ、もう夜か。意識が研ぎ澄まされてきたのか、舞い散る血の一粒一粒まで見えるようだ。おかしなもんだな、頭は麻痺したみたいになり、ただひたすら体を動かしているだけなのによ。
脳をすっ飛ばして、俺の戦おうという心が直接手足に繋がっているみたいだ。目から送る情報だけあればいい。それさえあれば、カッカカッカと頭の片隅が燃えてたって戦える。剣を振るい、盾で防ぎ、呪文を唱えられるんだ。
「しいいっ!」
低く叫んだ。通常の念意操作でミスリル製ショートソード六本を操る。前、僅かに開いた空間。そこを縫うように敵の足元を狙って放つ。地を駆ける狼のように--牙をむけ。
「疾風狼牙!」
狙い通りだ、足元を崩された敵兵の何人かがすっころぶ。そこを狙い味方が突きかかる。よし、次。
息が弾む。じわりと滲む汗が不快だ。だが拭う暇もない。新たな敵目掛けてまたショートソードを飛ばす。中距離の間合いをこれで制しながら、離れた位置にいる敵の一団に目をつけた。うわ、弓兵の集団か。大きな合成弓を構えた奴らがずらりと揃っている。あれをまともに食らうのはまずい、と考えたのと呪文の詠唱を開始したのは同時。
「撃てええ! 国王軍を蜂の巣にしてやれえ!」
「やらせるかよ、閃熱!」
間に合った。敵の隊長らしき兵の叫び声と共に、恐ろしい勢いで太い矢が何本も放たれる。合成弓は通常より弦の張りが強く、その分だけ矢の威力も上がる。鎧を着ていても場合によっては危ないくらいだ。
だが届く前に抑えちまえば何てことはない! 俺の唱えた閃熱、その効果は数条に束ねられた純粋な熱線だ。戦場の空気を裂いて飛んだそれは、空中で矢を捉えてあっさりと燃やし尽くす。
炭と灰の中間みたいな粉が散った。それを吹き飛ばしながら、勢い余った閃熱が敵兵に殺到する。燃えちまえ、容赦はしねえよ。
いつしか夜になっていた。お互いに魔法で生み出した光球を光源とし、視界を確保する。戦闘はそれでも続く。やめられる状況じゃない。
「はあっ......はあっ、はあっ......しつこいぜ、こいつらあああ!」
叫んだ。肌がひりつくような感覚と共に、闘気が吹き上がる。髪と目の色が銀に染まったのが分かった。この間にもこちらの兵の何人かは倒れ、敵の兵の何人かも倒れているのだろう。
考える必要があるのか。
考える必要はないのか。
分からない。大事なことのようにも思える一方で、人の命が秒単位で散る今は考えるより大事なことがある気もする。駄目だな、こんな迷いすら。
投擲されてきた短剣をタワーシールドで防いだ。
ほら見ろ。ちょっとでも意識を逸らせば、次に横たわるのは自分になりかねないんだ。
やられてたまるか。俺はこんなところで死ぬわけにはいかない。お返しとばかりに火炎球を唱える。真っ赤な炎が炸裂し、短剣の第二投を試みていた敵兵とその周囲を蹴散らした。すでに真夜中と言っていいこの時間帯、灼熱の炎が夜空を焦がす。
いつのまにか、頭を支配していた霞みがかったような感覚は消えていた。代わりに冷たい霜が心に巣くっているような......ああ、そうか。人を殺すことが正当化されているんだな。まっとうな神経じゃ耐えられないから、いつもこうなってたな。
「それでも」
抜剣、斬撃、また一人倒した。これも命だ。
「勝って生き残って」
味方のサポートに回る。槍を突き出して隙だらけの兵の横につき、盾で敵兵の攻撃を防ぐ。そのまま力任せに押し返した。その気になりゃあ、俺も結構馬力はあるんだぜ。
鉄がひしゃげる鈍い音に続いて、誰かが悲鳴を上げたのが聞こえた。腕の骨の一本も持っていかれたか。
「俺はあいつらの顔見に帰るんだよ! 邪魔すんな!」
斬りかかってきた敵の剣を魔払いで受け流し、カウンターを取る。相手の左脇腹を切り裂いた。上がる絶叫、いや、もう聞き飽きた。何の感慨も抱かないまま、念意操作でショートソードを一本叩きこみ黙らせる。
黒を赤で染める夜は長かった。
「......ウォルファート・オルレアン」
不意に聞こえてきた声に顔を上げた。やや左、俺から五歩の間合いにその声の主がいる。長い髪も鋭い目も金色に染まったその男は漆黒のフルプレートに身を包んでいた。
男の顔に僅かな驚愕と喜びの色が浮かんだのが見えた。理解できるさ、俺も同じだからな。
「奇遇だなあ、ベリダム・ヨーク。この乱戦でよく俺達二人--」
俺が答えた時、偶然かどうかは分からないが周囲から人が引いた。戦場のただ中に、ぽっかりと出来た空間。そこで対峙する勇者二人。はっ、出来すぎじゃねえか。
いつのまにか夜明けが近くなっている。東の地平線が僅かに青い。その景色を背景に、ベリダムは薄く笑っていた。
「戦自体はどうも私の負けのようだが......ここで貴様を殺せばまだ分からんな」
言われて黙っているほど、俺も大人じゃない。魔払いの切っ先を向けながら言い返す。
「悪いが俺の命なら高くつくぜ? 最低でもてめえのそれと引き換えさ」
いい加減疲れちゃいるが舌は二人ともよく回る。だから次に競うのは。
「......やらせてもらうぞ」
「どうぞ、出来るもんなら」
互いの剣と呪文のぶつけ合いに決まってんだろ!