先手を取ってこそだよな
朝から昼まで戦った結果、はっきり言ってこちらの負けだ。ギュンター公が苦虫噛み潰したような顔になっているのも無理はない。
「私の作戦ミスだな」
しかし自らの否を認めるのが早いのは、美徳だと思う。更に敗因分析も済ませているのは切り替えが速い証拠だ。
ベリダムにいいように振り回された原因、それはこちらが受け身に回ったことだ。普通に戦えば勝てる、と思い慎重に入った結果、残念なことに気持ちが守りに入った。戦う前はそういうつもりではなくても、いざぶつかり合うとひたすら前へ突き進む奴らに押された。
「慎重が行きすぎて動きに精彩を欠いたことが原因か......」
「それでも普通なら勝てたでしょうけど、相手が良すぎた部分もありますよ」
ギュンター公に答える。正直これは負け惜しみではない。あれだけ高速での突進、急旋回、後退、更に伏兵発動までを完璧なタイミングでこなしたのだ。見事だが......あまりに見事過ぎた。二度はやらせないと思っているのは俺だけじゃないだろう。
ギュンター公も当然その一人だ。俺の考えた作戦を聞きつつ、それを主軸にして微調整を加える。ベリダムが再度攻めあげてくるまであまり時間はなく、ごく短時間で作戦を立案していく。怪我人の数、回復状況、残りの矢数、士気の高さまで報告を聞きつつそれを作戦の要素に組み込んでいくのは、高い集中力と頭の回転が要求される仕事だ。だが流石に王国の屋台骨はレベルが違う。
「--こっちから仕掛けて主導権を握り、引き込み、最後は兵数の差を活かして......よし」
ダークブラウンの髪が疲労まじりの額に汗で張り付いている。だがギュンター・ベルトラン公爵の顔は満足感と戦意に満ちていた。これだよこれ、やっぱ大将が自信に満ちてないとピリッとしないよな。
「やはり先鋒は俺の隊でやりますかね?」
「厳しい役回りだがウォルファート様しかこれは出来ん。申し訳ないがよろしくお願いしたい」
頭を下げようとしたギュンター公を、俺はたしなめた。
「上司が部下に頭下げるもんじゃないっすよ。やれ、と一言それで十分。それにね」
ニッ、と笑って俺は付け加えた。面白くなってきた、これが笑わずにいられるか。
「--勇者が目立つのは当たり前でしょ? 見事にやってみせますよ」
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午前中に戦果を挙げたこともあり、ベリダム軍が一旦引き上げることもありえるのではという見方もあった。だが仮にそうだとしても逃がす気はさらさらない。あれほど無理がある移動と戦闘を繰り広げたんだ、回復の暇など与えはしない。
臨戦態勢を解かないまま、両軍が睨み合う。午後の陽射しが幾分傾き始め、木々の影が長くなった。昼を挟んで三時間ほど続いていた膠着状態が解けつつある。
「血の匂い......」
アリオンテが眉をひそめる。その赤い視線は、前方に広がる戦場へ注がれていた。「そりゃするだろうな、これだけ大規模な戦争なら」と答えると「あっちこっちに死体があるな」と低い声で返された。
ああ、午前中の戦闘で不幸にも倒れた兵士達か。遺体の回収の暇もなく、剣や槍、矢による裂傷が原因で死んだ者もいれば攻撃呪文で倒れた者もいる。俺もこういう風景を見るのは六年ぶりだが、気持ちのいいもんじゃないな。
「気圧されたか?」
「別に。大規模戦闘、初めてじゃないし」
「そうか。それよりいいか、ぼちぼち行くぞ」
俺の問いにやや間があって「分かっている」と返事があった。他の兵士達も一様に表情を引き締めている。
第二ラウンド開始だ。がらりと陣容を変えて、こちらは二段構え。俺が率いる前陣を僅か千人とし、ギュンター公が残り一万四千人を全て率いる。正直これなら俺の隊などいらない。本隊に組み込んでしまった方が早いだろう。
だがそうしない理由は確かにある。全ては初撃にかける為だ。それが分かっているからこそ、全員に緊張が走っている。午前中の戦とは比べものにならない程にな。
「ベリダム軍、来ます! 先と同じ鋒形陣で、やや速度は落とし気味!」
伝令の報告に頷く。やはり全速前進は負荷が大きいからか、まだ間合いが遠いこの距離ではやらないようだ。突破力に優れはするが、あくまで一度の戦闘で数回......よし、ならば。
「こちらから攻めるぜ、ベリダム。お前らの出鼻をくじいてやるよ--特攻!」
かざしたバスタードソード+5を縦に振り切り、俺は馬に思い切り拍車をくれた。どんどん馬の速度が上がる、風切り音を後方にぶん投げながら叫んだ。
「武装召喚!」
疾走する馬のやや右手に収納空間が開く。ちらりと後方を見ると、ちゃんと全員ついて来ていた。二番手にエルグレイが上がってきているのにもちゃんと理由がある。
間髪いれずにショートソードを全て取り出した。ミスリルの六本に鉄の二十四本、それらを呼びだしながら一気に第三能力解放だ。
「対象拡張、そして--」
この頃には相手もこちらの突進に気がついたのか、慌てたように前衛が速度を上げた。その中にちらりと白い仮面の男が見えた気がする。ビューローかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。
「--射程延長!」
飛ばした。普通なら絶対に届かない間合い、敵兵まで凡そ300メートルはある距離だ。しかし第三能力解放で支配力を増した念意操作ならば......行ける!
無論、敵兵の矢や攻撃呪文はまだ射程にない。いきなりの先制攻撃として飛ばされた、無人の手による三十本のショートソードの奇襲に悲鳴が上がっている。しかし敵の先陣は数千もいるんだ、出鼻をくじくにはまるで火力が足りない。
「というところで出番ですね。行きます、蒼獄炎」
馬を駆りつつエルグレイが器用に魔法杖を振るう。そろそろ向こうの遠距離攻撃が届く可能性が出てきた間合い、そこで二の矢がつがれたわけだ。
エルグレイの固有呪文である蒼獄炎。その発動は一見ただの火炎球が多数浮遊しているだけに見えるが、まず炎の色が違う。火炎の色が海の水のような青だ。獄炎の名の通り、この世ならざる炎を呼び出してぶつけていると以前聞いたことがある。
しかも恐ろしいことに、一個一個の青い炎の塊がある程度自動誘導される。これは純粋に、エルグレイの魔法技術の高さの現れだろう。そのおかげでただの火炎球とは違い、ピンポイントで狙えるんだ。
「畳み掛けろ、蒼の裁き!」
エルグレイの命令に見事に応え、二十余りの蒼い火球は弧を描き飛んだ。着弾する直前に横にスライドするように動き、一兵でも多く爆発に巻き込もうとする念の入り用だ。
あー、そういやあアウズーラの対魔障壁すら貫いたんだよな、この呪文。魔砲陣無しの条件なら、多分最強呪文の一つだろう。
「おお、凄い!」
「うわあ、あんな火炎に巻き込まれたくねー!」
味方から歓声とも悲鳴ともつかぬ叫びが上がるのも無理はない。蒼獄炎の爆発は、まばゆい閃光と共に火炎地獄を演出する。それを敵の足を止めるために先陣にぶつけたんだ、混乱だってするさ。
それでもやはり敵の数は多い。俺とエルグレイ二人だけで止めるには無理がある......って、そんなことは織り込み済みなんだよ! 何のために、特に足の速い馬のみ選抜して千人に絞りこんだと思ってるんだ。
「防御任せた、ロリス、アリオンテ! 全兵撃て、予定通り三射したら逃げろ!」
「任せてくださいよ!」
「迎撃してやるさ」
喉も裂けろとばかりに味方に檄を飛ばした。怒りに燃える敵の先陣は半ば浮いた形になっている。数が少しでも減り、統率に冷静さを欠けば--それだけ付け込む隙が生まれる!
矢が唸る。馬上からでも弓を放てる技量がある者ばかりだ。些か狙いが大雑把ではあるものの、馬を止めずに第一射。
まっすぐに敵にぶつかるような愚は犯せない。俺の指揮通り、一気に右回りに展開し更に第二射! 敵からもバラバラと矢が飛ぶ、流石に被害0とはいかないようだが、ロリスの護符の結界とアリオンテが唱えた火炎迫撃がかなり防いでくれたようだ。
「アリオンテ君やりますね」
「火炎迫撃は射程距離はそんなに長くないからな。だがこういう使い方もできるってことさ。ラウリオ、お前もいいとこ見せろよ?」
「もちろん!」
近くを走っていたラウリオと言葉を交わしながら、もはやそのまま反転体勢に入る。逃走寸前、戦場からの去り際に「第三射! 撃ったら逃げろ、当たったかどうか確かめるな!」と最後の攻撃を命じる。そう、いくら頑張ってもたかが千人しか俺達はいない。まともに飲み込まれたら勝てる訳がないさ。
そう、最初からまともにぶつかる気なんざさらさら無い。俺とエルグレイで一発かました後、全員で三連射したらもう一目散に退散するのみ。狙いは二つ。一つは敵の足並みを乱す為、もう一つはこちらに敵の目を引き付ける為だ。
だからなるべく派手にやらかして逃げる。怒涛の勢いで敵の先陣が追ってくる。ヒョウと不気味な風切り音を立てて矢が迫る。射られるごとに一人、また一人と倒れていっちまう。くそっ、すまん。お前らの犠牲は無駄にはしねえ。
突出からの遠距離攻撃、そしてひたすらの逃走。午前中に勝ったベリダム軍からすれば、格好の獲物に見えるだろう。攻撃を受けた先陣が怒りに燃えて追ってくるということも、こちらの計算の内だ。
「だからな」
気配。振り向きながらタワーシールドをかざす。二本、立て続けに矢が突き刺さり肝を冷やす。しかしそれと同時に心の中に沸き立つ物がある。
「そろそろギュンター公の」
正面を見る。そう、そこには一万四千を数えるはずの俺達の後陣が控えているはず。ベルトラン公爵家の旗が並び、そこが本陣だと示している。だがベリダムよ。お前なら気がついただろう。
「出番なんだよな! 狩られちまえよ!」
これが罠だってことに。
俺の声が聞こえたわけでは無いだろうが、状況が変化したのはそれからすぐ後だった。後ろで控えているはずの後陣の兵が、俺達の左右に現れる。丘陵の緩斜面を利用して、隠れるようにこっそり前進していたのだ。俺達の派手な陽動、そしてわざとらしいまでに多く立てておいた旗で正面に目を引き付けて。
戦士達が剣を抜いた。傾く日の光を弾き、それがさざ波のように広がる。槍が高らかに掲げられる。それは復讐の合図だ。
「勇者様の勇戦、無駄にするな! 出るぞ!」
誰かの叫び声が響き、それに残りの兵が叫び返す。そうだ、頼むぜ。ここで決めてくれよ。
このやばい状況に、追ってくる敵の呻き声が聞こえた。騎手の動揺はそのまま馬の足並みを乱れさせる。「な、何! 左右から挟撃だと!」「はめられたか!?」という声が僅かに聞こえてきた。今頃気がついてもな、遅いんだよ。
前がしゃかりきになった結果、縦長になった陣形。ただひたすら目の前の敵に引き付けられた視野の狭さ。恐らくベリダム自身は四苦八苦して陣形を整えようとしているだろうが、先手を打たれたのが災いしたな。今の状況は末端の兵が勝ち気に逸って、こちらの策にはまった結果だ。
時の声を上げながら、左右からシュレイオーネ国王軍が殺到する。ギュンター公自らが指揮する本隊だ。一万超の兵力をこちらに回し、後方で旗を立てて見せかけているのは残り数千に過ぎない。
リスクを取って誘い出して正解だったようだな。だが大人しくこれで潰れてくれるお前じゃないだろう?
「小休止したら再度前線に出るぞ。ここで勝負をつける」
ようやく馬の足を緩めながら指示を出した。首筋に流れる汗を拭いながら戦況を見守る。せっかくの勝機だ、逃す手はねえよな。