野戦で勝負です
ベリダム軍の動きは俊敏だった。最初に騎兵の一突きでこちらを怯ませた後は、歩兵が進出してきた。左翼に陣取る俺が率いる隊はもろに奴らの側面をえぐる形になり、形勢はかなり有利なはずなのに--存外粘る。思った程には削れない。
優勢は優勢だ。詳細など分からないが、それでもこちらが押しているのは確かではある。だがもっといけると予想していたのに、押し込めない。先陣に立つラウリオ、アリオンテも苦戦しているのだろうか。伝令が伝えてくる情報によれば、ラウリオが獅子奮迅の活躍で引っ張っているらしいがそれでも足りないか。
(この分だと右翼も似たようなもんか。やばいな、ギュンター公まで届くぞ)
金属同士が触れ合う音に悲鳴や怒号が重なる、その精神を苛むような状況でも冷静にしなくてはならない。ベリダム、お前やるなあ。北方領土で力を蓄えてよくこれだけ兵を鍛えあげたよ。圧倒的に不利な陣形にもかかわらず、踏み止まってただ中央突破を狙う。なかなか出来ることじゃないぜ。
左右からの挟撃のプレッシャーだけでも相当だろう。それにこちらの本陣からも矢や攻撃呪文が飛んでいる。同時に三方向から攻撃されているわけだ。なのに--それなのにまだ突進が止まらない。
ちょっと工夫するか。まず前で踏ん張っている部隊を引かせた。敵もこちらへは基本的に守勢なので、それに乗ってつけ込むようなことはしない。その間に入れ替えた新たな前衛をぶつける。前衛と後衛の入れ替えは上手くいった、滑らかな動きだ。
「これで突き崩せるか?」
戦況を見つめる。さっきまで後衛だっただけに、新たに前衛となった兵達は疲労度が薄い。体力的にぎりぎりになっているであろう敵を勢いで押し込む。
こういう大規模戦闘は生き物にも似ている。刻一刻と状況が変わるのだ。こちらはそれを察して手を打たねばならない。さあ、俺の投じた手はどうだ。
「弓兵、援護射撃!」
俺の指示に応え、隊長が声を張り上げた。号令一下、放たれた矢が雨のように敵陣に降り注ぐ。それに怯んだのか僅かに相手の足が止まった。ここぞとばかりに歩兵が怒涛の勢いで迫り、次々に敵を討ち取っていく。
だがそれでも。
それでも。
ベリダム軍の先頭だけが伸びる。最精鋭を揃えたのか、ここだけは崩れていない。馬鹿な、そこはもっともこちらの本隊からの攻撃を喰らう位置だぞ。それでも尚、前に進めるのか。
敵ながらあっぱれと言うしかない。ここぞとばかりに本隊が矢で迎撃するも、被害を最小限に抑えて距離を縮める。
どうする。先回りして割って入るか。だが俺の隊がここで外れたら敵にかかる圧力は半減する。ベリダムからすれば右に逃げ場が出来る。こちらの裏を取る格好のルートになりかねない。
「ちっ、このまま押し切る!」
迷うな。ギュンター公自身が率いる本隊はそうそう破られはしない。多少の敵は跳ね返せるはずだ。俺がここで迷えばせっかく捕まえた敵を逃がすかもしれねえ。前衛も替えた、敵の側面を打ち破るだけの圧力はある!
戦闘開始から二時間が過ぎた今、戦いは激化の一途を辿る。その合間に波がある。俺の隊が有利な局面を迎える波が徐々に、徐々に増えているのが分かる。本隊一点狙いは見事だが......やらせるか!
後衛の兵力を左側--ベリダムの軍の後方に回す。ただひたすら前へ、前へと狙うその背中を刺す為の動員だ。一気に包囲殲滅まで持っていく。そう考えていた時だった。
「え、あ、あれ、そんな馬鹿な!」
「ベリダム軍が反転!? 一気に矛先を変えて後方へ逃げます!」
耳を疑った。だが俺の目もその反転攻勢を捉えていた。今の今までただひたすらこちらの本隊を狙っていた敵の主力、それがほんの僅かの合間に矛先をぐるりと変えている。180°反転、その狙いは包みかけていた俺が率いる左翼、そして反対側の右翼のもっとも兵が薄い部分。
「ちっ、敵前回頭しての反転攻勢だと!」
何て動きだ! いや、まさかこれまでの中央一点突破の動き自体が--こちらの油断、思いこみを誘う為の罠だったのか。だが、だが目の前に敵の大将という獲物を捉えかけているのに。
そこから鮮やかに勢いを後ろにぶつけるだと......やりやがる。実に、実に自由な用兵だな。
まさかの逆撃にこちらが浮き足立つ。今まで狩る側だった者がいきなり狩られる側になったのだ。動揺しないわけがない。
「慌てるな、こちらの優位は変わらねえ! 右翼と協力して奴らの動きを遮断する!」
檄を飛ばす。くそ、今の一撃で何人の兵が死んだ? 俺の隊の防御陣は崩れてはいない。踏み止まっている。だが今まで目の前にいた敵がいきなり逃げたせいで、こちらの本隊の動きが鈍い。ギュンター公の指揮の問題というより、これは兵の質の問題だろうが......こちらがいい的になっている。
凌ぐ。いなす。俺自身、魔払いを振るい声を枯らしながら敵兵を切り倒す。敵の重装歩兵の一人が馬鹿でかいハンマーを振りかざすのが見えた。
「ぶっつぶしてやるああああ!」
「やらせるかよ、雑魚が!」
その重い一撃が振るわれる前に、馬に鞭をくれた。一瞬で間合いを潰し、次の瞬間には魔払いを一閃させる。首が一つ飛んだ。目もくれずに次の敵へと標的を移す。ああ、同じような重装歩兵の一団がこちらに迫っているな。うちの兵がまともにしたらちょいときついか。
「落雷」
上空から電撃を広範囲に落とす攻撃呪文、落雷を発動させた。白っぽい電撃はジグザグ状に空気を上から下に引き裂き、悲鳴と焦げ臭い匂いを撒き散らした。一撃では無理にせよ、ダメージは与えてやった。
何とか踏み止まっている。逆襲を受け止め落ち着きを取り戻した。ベリダム軍の勢いが止まり、戦況はほぼ五分五分となる--だがそれも一瞬。
「ウォルファート様、右翼が押されています! まずい!」
「っ、くそ、奴ら最初から向こうが狙いで!」
合流したエルグレイに叫び返しながら、俺は歯噛みする思いだった。こちらへの逆流は見せ玉か。あくまで反転攻勢の狙いはうちの右翼。俺の左翼、ギュンター公の本隊に比べてまだ勝利が計算しやすい部隊か。
いつのまにかベリダムの巧みな用兵により、戦場は広がっていた。あくまで俺の隊へは全力でぶつからず、その反対側に主力をぶつけていたんだ。その結果、俺が率いる左翼と右翼の間の距離は予想以上に離された。それが意味するところは。
こちらが上手く三分割されている。そして上手く後方に退いたベリダム軍は、右翼の隊残兵凡そ三千をズルズルと引きずり出していた。小規模の乱戦をあちこちで引き起こし、指揮官の状況把握を困難にさせたのか。その結果、ベリダム軍の素早い後退に、右翼は無理矢理食らいつかされている形になっている。
助けようかと思った。
だが寸前で思い留まる。
見えたんだ。ああも見事な用兵を見せ、右翼だけを自分達に付き合わせたベリダムが何を狙っているのかが。北の狼、この難易度の高い用兵は最初から狙っていたんだろう。
「ウォルファート様! 追撃の命令を!」
駆け寄ってきたラウリオに首を振る。ただ目だけで見てみろ、と言った。
「!? 伏兵--丘陵を利用して潜ませていたのか」
「あれにはめるつもりだったんだろう。右翼には悪いが、俺達が突っ込めば巻き込まれる」
悔しい。俺達の隊が留まっているそこからは1キロも離れていないのに。そこではこちらの右翼がまんまとベリダムの策に嵌められている。この逆転の布石の為に、千人程の兵を上手く戦場の後方に配置してやがった。引きずり出された右翼は目の前に現れた伏兵と、ベリダム軍本隊に見るも無残にやられている。
絶叫が風に乗って聞こえてきた気がする。ほんの僅かだが、死に行く兵の歎きが耳を打ったと思う。くそ、予想を遥かに上回るベリダム軍の機動力に翻弄された形だ。ギュンター公がいる本隊はほぼ無傷だし、俺が率いる左翼も損害は多くは無い。だが......右翼は壊滅状態だ。
三方向から囲む圧倒的に優位な陣形だったにもかかわらず、それを噛み破られた。おまけに片方の翼は失われた。ショックでないわけがない。
だが気落ちする暇は無い。一時間程で右翼をほぼ全滅させたベリダム軍が、動きを止めたこちらを虎視眈々と狙っている。無論こちらも、この時間を利用して兵の休息をさせてもらったがな。それでも一杯食わされたという屈辱が消えない。
「勇者様、今の内に」
「ん? ああ、飯か」
兵の一人に言われてようやく気がついた。いつのまにか昼時だ。最初に両軍が接触してから四時間ほど経過していたのか。渡された固いパンと干し肉を水で流し込む。目の前で味方が死んだり、逆に敵を殺したりで血にも臓物にもうんざりなんだがそれでも腹は減る。
嫌でも何でも食わなきゃならない。でないと動けなくなる。いつのまにか近くに戻っていたアリオンテやロリスも、もそもそと軍用食を口にしていた。
「敵さん、強いですね」
「うん。一応、低級でも魔法のかかった装備つけてるしさ」
「ああ。そうか、それもあるか」
アリオンテの説明にロリスは頷きつつ、顔をしかめた。戦闘の中で怪我したらしく、脇腹を抑えている。治療はしたのだろうが痛みが去ったわけではないのだろう。
「ロリス、貸せ」
「はい?」
振り向いたロリスに回復呪文をかけてやる。初歩の呪文しか使えないが、それでも軽い裂傷くらいなら効くだろう。ロリス以外にも手傷を負った者は多い。だが手が回らないんだ。他に五人ほど回復呪文をかけてやったが、そこで打ち止め。
「やっぱ治療術士欲しいよな」
「何人かはいるようですが、皆手一杯のようですよ」
「うちの隊も死者はともかく、怪我人はかなりいますからね」
ラウリオとエルグレイの言う通りだ。朝からの戦闘でうちの隊も三百人ほどやられた。ほぼ壊滅状態の右翼に比べれば、相当ましではある。だが重軽傷者はそれなりにいた。今は戦闘が小康状態になっているが、再開までそれほど時間があるわけじゃない。それまでに出来る限り立て直す。
同時並行で考える。さっきはいいようにやられたが、向こうだってぎりぎりの限界移動を強いられたはずだ。こちらに痛撃を与えていい気になっているのだろうが......二度はやらせねえ。
受けて立つ、という発想自体が間違いだったのか。先手をベリダムに取られた結果、機動力に勝る敵に翻弄された。ならばこちらが仕掛けるか。どちらにせよ右翼がやられた今、陣形は変える必要がある。
「ギュンター公に具申してくる。敵の奇襲にだけ注意しとけよ」
ラウリオ達に言い残し、俺はその場を離れた。ベリダムの用兵は認めるが、こちらにもまだ打つ手はある。うちの隊と本隊を合わせれば、まだ一万五千以上は兵もいる。挽回可能な数だ。
このまま終わらせてたまるか。頭の中で作戦を組み立てつつ、俺は軽く拳を振るった。怒りをこめた右拳は、不幸にも立っていた杉の木にめり込む。ささくれた感情を木の肌に残し、息を大きく吐き出した。
次はこちらが取る。