エルグレイ・シーフォウス 魔砲陣起動
魔砲陣を使うことさえ出来れば、少なくとも一回は超遠距離射程から大打撃を与えられる。
それが私とウォルファート様二人が確信していた事実だ。私がまだ少年の頃、既にその原型は出来ていた。
大地に脈打つ地脈--土に宿る精霊の呼吸、あるいは生命力の流れのようなものだ--を借りる。そしてそれを一時的に自分の魔力量の増幅に利用する。大まかにいえばそれが魔砲陣の正体だった。
魔砲陣にも何種類かあり、一番簡単で手軽な物なら特に事前準備などは必要ない。ただ地脈に触れて、ほんの少しだけその力を借りる。これは手軽なだけあって、魔力量の増幅もたかが知れている。
より上級な魔砲陣の場合、事前準備がいる。地脈により深く、より広範囲に接触しその力を借りる為に地面に専用の術式を書き込む。そしてそれに触れながら、大地の精霊と交信することになる。
地脈を借りる許可を願い出て、感謝の意を示す。その交渉にはそれ相応の時間がかかるのが普通だ。こういう場合地面に書き込んだ術式は、地脈を吸い上げる為だけではなく精霊との交信をスムーズに行う補助にも使われる。
今回は大規模な戦ということもあり、きっちりと上位の魔砲陣の使用を選択した。精霊との交渉、地脈との接触も上手くいき十分に準備が出来たところに敵が飛び込んできたわけだ。ウォルファート様に上手く射線上に誘いこんでもらえるよう頼んでいたが、それは必要なかったね。
朝もやがまだ地上近くをうっすらと漂っている。その白いもやを引き裂きながら飛んでいくのは、私が初撃として選んだ攻撃呪文--光神烈矢だ。もちろんこれも固有呪文。高熱を束ねた光の柱は、敵の大群を薙ぎ倒すだけの十分な熱量を保有する。
(推定七百か。初撃でどこまで削れるか)
まだ敵までの距離がある。敵兵力の中心が何なのかすら分からないまま攻撃しているので、光神烈矢でどれだけダメージを与えられるかは分からない。対魔障壁が得意な魔物も中にはいるし、特に遠目からでも分かる大きな影のような魔物は一筋縄ではいかないだろう。
だが無傷は有り得ない。少々は防御出来ても、魔砲陣から放たれる光神烈矢を止めきれる物ではない。現に着弾した先で展開されている光景を見れば分かる。
白い光の柱が突き刺さる。僅かな間を置いて、光は巨大なすり鉢状に姿を変える。あのすり鉢の中は熱線と爆風の渦と化しているんだ。そんな攻撃に晒されて無傷の生き物などいない。
視覚は光に脅かされ、聴覚は轟音により機能しなくなる。そしてそう感じる暇すらなく、高熱で盾や鎧ごと燃やされていくのだろう。
私が注視していると敵の前進が乱れた。いや、乱されただけと言った方が正しいな。普通ならこれほど高密度の攻撃呪文の連発を浴びれば、出足は完全に止まるはずなのに。全部で八発の光神烈矢を叩きこまれ、消し炭と化した味方を目にしているにもかかわらず大した勇気だ。
「思ったよりやるといったところですか」
呟く。面白い。ならば--
敵の一角が突如速度を上げた。人間--に見える。比較的軽装の武装に身を包んだ一団だ。ふーん、人間の兵士と魔物の混成部隊だったようだ。私との距離はざっと700メートル、それでも地脈の影響で視力が一時的に向上している為、大体相手の姿が分かった。
大きく分けて前衛と後衛の二段構えか。前衛の連中が兵士と......いた、氷狼が。たった三匹だがやはり存在感が際立つ。推定体長4メートル程度とさほど大きな個体ではないが、それでも人間の兵士と並ぶとサイズが違う。
北の大地から徒歩で連れてきた、とは思い難い。収納空間を駆使してその中にほうり込んだのかもしれない。アリオンテの話では、ネフェリーという女魔術師がいると聞いている。その女の仕業かもしれないな。
早く、一秒でも早く間合いを詰めてこちらの攻撃をかわしたい。その内心の叫びが聞こえてきそうだ。氷狼も凍気を放つ遠距離攻撃はある。もう少し近づけば反撃してくるだろう。やれやれ。
「爆雷伏地」
第二段の攻撃呪文を発動させる。地面に突き立てた魔法杖を握り、そこから魔力を地面に流す。地脈の力で増幅された魔力、それをお返しとばかりに地脈に流しこんでやる。
聞こえるかい。耳のいい者なら聞こえるかもしれないな。自分の足元から響くこの重低音を。地獄の釜が唸るような、暗い不吉な振動を。
「逝け」
私との距離、500メートルの地点。そこまで何とか辿り着いた敵前衛は。
突如、その足元から吹き上がった爆発に飲み込まれた。
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人間に限らず全ての生き物は注意力に限界がある。前から攻撃されれば前を向く。右から攻撃されれば右を注意する。それは生き物の自然な性質だ。そして前方に敵がいて、そこから攻撃呪文が飛んできたならば全神経を前、それも正面に向けるのが普通だよ。
「が、足元から攻める攻撃呪文というのも--」
独りごちながらパチッと右手の指を鳴らす。先程の爆発に連鎖するように、その左右にまたもや爆発が起きる。地面の下から襲いかかる爆炎は土や石をも武器に変え、爆撃と打撃の両方のダメージを与えていく。巨大な黒い間欠泉に飲み込まれたかのように、敵の前衛は爆風に飲み込まれ散り散りになったようだ。
「--この世にはあるんだよ」
いや、さすがに敵が多いか。二百はくだらない数の兵士がまだ前衛にはいる。後衛には......何やら見たこともないような大きな魔物と、それに従うように動く兵士や小さめの魔物がざっと二百以上はいるが、こっちは後で片付けると決めた。
容赦はしない。半狂乱になった敵兵達が隊列を崩しながら突っ込もうとしてきた。防御も捨てた全速力だ。いっそ潔いと褒めたくなったが。
追加の爆雷伏地の餌食になっただけだった。距離が近くなった分だけ、こちらに届く音も大きくなりそれに混じって敵兵の絶叫も聞こえる。肉が焼かれた次の瞬間には、爆発の衝撃で骨や内臓が持っていかれる生き地獄。なまじ意識がある方が不幸だと思う。
一発一発の爆雷伏地が数十の敵を飲み込む程の大きさがある。私達の前に開けた戦場には黒々とした噴煙が流れ、えぐれた地面に倒れた敵兵が折り重なる惨状を呈していた。殆どの死体が手足、あるいは首や胴体が吹き飛ばされている。その中には氷狼の眷族らしき、小さな犬のような死体もあったがピクリともしない。
一瞥をくれた。これで半分くらいは削っただろうか。後は今まさに間合いを詰めようとしている敵後衛の一陣......何か、巨大なヘラジカのように見える魔物を中心とした連中が残っている。
頭のどこかを掠めた記憶。
見たことはない魔物だ。こちらを向いている。だから顔しか見えない。人の上半身くらいなら一噛みでちぎりそうな巨大な頭部が、地面から3メートルほどの高さにある。そこから考えると体長は10メートル近いのか? 氷狼より二回り以上大きい計算になるな。
(どこかで見た? いや、聞いたことがあるような)
戦ったことはないだろう。あんな巨大な魔物ならば一度戦ったなら覚えている。噴煙を突き破りながら進むその魔物に、味方の兵士達が動揺したように声をあげた。
ちっ、思い出せない。水平に広がった巨木のような枝分かれした角が二本、その巨大なヘラジカのような魔物の額から生えている。茶色がうっすら混じった白い毛皮が全身を覆っているのが分かった。多分、氷系呪文は無効化してくるはずだ。
「な、なんだあ、あのヘラジカみてえな化け物は!?」
「それだけじゃねえ、奴の周りに何匹か氷狼もいるぞ!」
流石に声が上擦ることこそないものの、ただの兵士からすれば竜並みの巨体を誇る魔物を前にして平静を保つのは難しいだろう。だが私もまだ放っていない攻撃呪文がある。これをぶつければ......
名前を思い出せないことにもやもやとした物を感じつつ、最終三段目の攻撃呪文を唱えた。魔砲陣の最後の一発だ。
「虚空嵐刃」
唱えた呪文は風系呪文だ。そう、大きく分ければ斬風と大差ない。
ただその風の刃が飛ぶのではなく。
「--血風巻き上げろ!」
狙いを定めた空間を真空と化すという、ほんとに大きな違いはあるけれど。
ヒュッ、と耳が痛くなるような擦過音が聞こえた。まだ400メートル以上も敵との距離が離れているのにだ。いや、そんなことを気にしている場合じゃない。
虚空嵐刃が発動した空間がどうなるか。その恐ろしさは術者である私でも身が震える程だ。全く空気が無くなった空間に向けて、周囲の空気が殺到する。仮に海が裂けてもそこを周囲の海水が満たしにかかる、大雑把にいえばそういう感じになる。
かわす術がない。当然だ。指定した空間全てが対象となる攻撃呪文なのだから。謎の巨大ヘラジカを仕留める為にそいつを中心に放った。周辺にいた敵兵や確認さえ出来なかった小型の魔物数十体は、あっという間もなくその全身を切り刻まれていく。
いや、切り刻むというよりはすり潰されるという方が正しいかな。四方八方から殺到する空気は鋭い刃でもあり、重い槌でもある。聞こえてきそうだ、ザシュザシャという鈍い切断音とメリッという低い圧迫音が。よほどの防御力が無ければ耐えることは難しいだろう。仮に命拾いしても骨の数本は犠牲になる。虚空嵐刃とはそういう呪文だった。
しかしそれでも倒れない相手というのはいるらしい。巻き込まれた不運な兵達を蹄で踏みにじりながら、巨大ヘラジカがこちらを睨む。毛皮の所々に赤い血の跡はあるがかすり傷程度だろう。
どうやって防いだのかは見えた。対魔障壁を一瞬で張り巡らせて、自分に襲い掛かる真空の暴力に対抗したのだ。無論、少々の対魔障壁など貫くだけの威力が虚空嵐刃にはあるが、更に毛皮を氷結させて防御力を高めていた敵には流石に効き難かったらしい。
「......なかなかやる!」
称賛の言葉を吐き捨てる。敵の数は相当減らしたものの、一番厄介と思われる敵を残してしまったのが残念だ。私の無念を嘲笑うように、巨大なヘラジカは一声吠えた。吹雪を思わせる吠え声が大地を震わせる。
「ブフウオオオ!」
うるさいな、全く。しかし魔砲陣は撃ち止めだ。残念だが後は他の人に任せるとしよう。頼むよ、ラウリオ君。
「そろそろ下がるよ、魔砲陣は終わりだ」
周囲の兵に声をかけ、その場から後退する。張り詰めていた神経が緩んだのか、どっと疲労が押し寄せてきた。頭痛もする。地脈を借りるといつもこうだ。体に無理を強いている証拠だな。
(--思い出せないな)
前に出る他の兵士達とすれ違いながら、巨大なヘラジカの魔物の名前を頭の片隅から探り出そうとしたが無駄に終わった。いいや、どのみちあれが強敵ということだけははっきりしている。とりあえず私の出番はひとまず終わった。