開幕のベルは派手に行こうぜ
実際に向かいあっても戦端が開かれるまでは少し間があった。形としては俺達は受ける側、謀反を起こしたベリダムが挑戦者だ。仕掛けるなら奴の方から、というのが暗黙の了解だろう。
約3キロの距離。それが俺達と奴の間合いだ。本気を出した馬で走れば五分とかからない僅かな距離とも言えるし、普通の人間が歩けば三十分はかかる距離とも言える。三十分あればのんびり構えても迎撃準備は出来るだろう。
常に緊張するには遠すぎ、気を抜くには近すぎる、そんな間合いを保ったまま三日間が過ぎていった。
「ベリダム軍に動きあり。冊の外に軍勢を繰り出しています、推定七百! 中に人とは思えぬ巨影あり!」
その日の朝、もたらされた報告に俺は気を引き締めた。ラウリオとエルグレイも表情を変える。
「待たせてくれるぜ、全く」
「魔物含んで七百ですか、本気かどうか微妙ですね」
「上手くいけばってとこかな。急ぎギュンター公に連絡、ウォルファート隊だけで潰すってな」
ラウリオに答えつつ、報告をもたらした兵に指示を飛ばす。その間に七百の兵の意味を考えた。様子見、牽制--どちらにしても兵が少ない。少な過ぎる。こちらの陣容と隊の構成くらいは、既に確認済みだろう。俺が率いる四千だけでも蹴散らせてしまえる。
貴重な兵を無駄死にさせる気か、ベリダム? ただでさえ兵数に劣るお前にそんな余裕は無いだろうに。巨影ってのが気になるが。正体が分からないが多分魔物だろうな。
「隠し玉をいきなり投入......ですかね」
「全部が全部かは分からないけどな。向こうの思惑は分からないが、魔物を人間の軍勢に組み込んで使うのは諦めて、鉄砲玉にしてるんじゃないのか」
「ああ、ありえますね。ではそれに釣られてこちらが動けば、本隊が出て叩きに来るというシナリオですか」
「それならそれで俺達だけじゃなく、こちらも全軍で当たれるってもんだ。どっちにせよ--」
エルグレイに答えながら立ち上がる。武装召喚を発動させプレートメイル+7を装備しながらきっぱりと言い放った。
「--しっかりとお出迎えしてやろうぜ。初戦を完勝すれば士気も上がる。ラウリオ!」
「はっ!」
「先峰は任せた、俺が合図をしたら突っ込め。それまでは待機!」
俺の命令に一つ頷き、ラウリオが去る。エルグレイもその後に続く。こいつの役割は言うまでもない。自慢の超遠距離射程からの先制攻撃だ。下手すると、雑魚だけならば半分くらいはこれで勝負がついてしまうだろう。
それでも最低限の激励くらいしておくか。
「魔砲陣使ったらしばらく使えないんだっけか?」
「ええ。地脈が荒らされますからね。一週間くらいは使えません、私自身に負荷もかかりますし」
「OK。それでもいいや、出し惜しみせずぶちかませ」
「後のことは考えずにでも構いませんか」
「先手を取る。勝負の天秤をこちらに傾ければどうとでもなるし、使わず仕舞いになるよりよっぽどいい」
俺の言葉にエルグレイは頷きで賛同を示した。よほど相手が弱いならともかく、使える時に使うのは正しい。出し惜しみした結果、みすみす討たれていった者は数えきれないほど見てきたんだしな。
しかし、まだ相手の正体が分からないのは困るよな。巨影ありってことは大型の魔物とそれ以外ってことなんだろうけど。
「もうちょい距離が近づけば視認出来るか」
慌ただしく動き始めた自軍を見つつ、俺は呟いた。さっきはいなかったロリスとアリオンテも準備は出来ているようだ。ロリスは護符を武器化して細剣にしている。アリオンテは四本腕状態だ。
「行けるか? 基本的には二人とも俺の側にいろ」
「了解です」
「......ああ」
ロリスは素直に、アリオンテは無愛想に答えた。しかし二人ともちょっと固いな。無理も無いが。改めて他の兵達を見ると、やはり緊張しているのだろう、表情が固い奴が多い。無理もない、いよいよ武器を交えて命のやり取りをしなくちゃいけないのだから。
(一発気合い入れてやるか)
まだ敵がこちらに来るまで少し間がある。浮足立った味方を静めることも、俺の大事な役割だ。
息を吸い腹に力を入れた。六年前を思い出す。シュレン、エリーゼのことを思い出す。セラのことを思い出す。よし、そうだな。気合いが必要なのは俺もだ。
「全員聞け!」
一喝した。動きつつもどこか統率性を欠いていた連中が、一斉に俺を見た。四千か。結構な数だ。
そして俺はこいつらの命を預かっている。うん、今俺がしてやれることってのは何だ。大したことはしてやれないが、それでもさ。一言二言、勇気づけてやるくらいは出来るんだぜ?
「ここにいる皆は! それぞれの事情があって、武器を手に取り! 今、まさに戦火を交えようとしている! まずはその勇気に感謝したい!」
あー、思い出すなあ。魔王軍との戦いの前には......よくこんな檄を飛ばしていたな。アウズーラが倒れた時にはもうこんなことしなくていいぞ、と思ったんだがなあ。
「だが、もし今恐れを抱いて戦いに望もうとしていてもだ、それを恥じるな! 人は命が惜しくて当たり前、痛い思いをするのが嫌で当たり前だ。自ら進んで死にたがる奴なんかいねえ! この戦いを前にして俺が言えることはただ一つ--」
はったりでも何でも無い。すくなくともこれは本心だ。
「--今、ここに立ち! 謀反人ベリダムを倒そうとしている自分を誇れ! 恐怖でぶるっていてもそれは戦場に立つ勇気があるからこそだ! 以上、健闘を祈る!」
手短に済ませ、俺も馬に飛び乗った。黒鹿毛の軍馬は短くいななき、それに釣られるかのように兵士達は雄叫びを上げる。轟! と朝焼けが差し込む空気が震え、燃え上がったかのようだった。
「「「ウアアアアアアアア!!!」」」
「「「やってやるぞおおおお!!!」」」
地鳴りかと驚くような叫びが響き渡る。傍らに控えていたロリスは「おー、凄いですねえ」と目を丸くし、アリオンテはただ静かに一礼する。まあ完璧では無いにせよ、戦う心意気は整ったか? ラウリオとエルグレイは任せておくか。
「さあて、こっからは--」
右斜め前方に視線をやった。俺からは見えないがそちらにエルグレイがいるはずだ。魔砲陣の中心に陣取り、狙いをしかと敵に定めたあいつが。
「--まずはお前に任せるぜ、エルグレイ・シーフォウス」
******
「届く?」
「はい」
あれはいつ頃だったろうか。俺がエルグレイと会ってから半年も経過していない頃だったと思う。対峙する魔王軍を前に、そんな会話を交わしていた。
その頃、エルグレイはあまり自分から話をする方じゃなかった。戦力になりそうだから迎えたものの、俺の方もそんなエルグレイに無理に話しかけることはしなかった。お互い嫌いではないが、どこか他人行儀な関係--仲間だけど仲間意識が薄い関係って感じだったと思う。
あの頃、俺は二十三歳、いや二十四歳になりかけていたか。自分より八歳年下の魔術師が居心地悪くしているのか、それとも気にしていないのかすらよく考えていなかった。余裕が無かったと言っちまえばそれまでだが。
(ほんとにやれんのかよ?)
魔王軍の軍勢を前にして、俺は疑いがこもった視線を向けた。珍しく自分から声をかけてきたエルグレイに。俊英と名高くはあるがまだ経験も浅い。いや、そんなことは抜きにしても、正直遠すぎる。敵は1キロ近く離れて布陣しているのだ。何をどうやってここから命中させられる?
昨日の戦いで撃破したと思ったら、残党が現れた状況だ。相手の数は精々五十から六十、構成も大半はゴブリンやその上位種のホブゴブリンとそこまで脅威では無い。無いが面倒だし、こちらの兵にも負傷者がいる。出来ればあまり相手にしたくないと思っていた矢先に、エルグレイにこう言われたという訳だ。
「僕ならやれます......任せてもらえませんか」
いまだ少年の面影が濃い魔術師の言葉に最終的には頷いた。失敗してもリスクはない。魔術師一人が抜けても、大した戦力ダウンじゃない。万が一成功すればもうけ物、それくらいの軽い気持ちだった。
「んじゃあ頼むぜ? 失敗しても責めねえからとっとと逃げろよ」
俺がかけた言葉に返事は無かった。既に黙って前しか向いていないエルグレイを、正直可愛いげ無い奴だとしか思わなかった。いいぜ、やってみなよ。言うだけのことは出来るんだろうよ。
「魔砲陣起動。目標射程内に捕捉」
今も覚えているのは、煌々と輝き始めたエルグレイの周囲の地面、そこから撃ち出されていく数々の攻撃呪文、そして後になって確認した魔物達の死骸だ。俺が見たこともない超遠距離からの一方的な攻撃呪文の連射、それを目の当たりにして驚くしかなかった。
何だったんだ、ありゃ。火炎系の次には氷系、その後には雷系、風系と次々違う系統の攻撃呪文が放たれていった。違う系統の攻撃呪文をああも容易く連射出来るのか? しかも度を超えた超遠距離からだと?
「あー、疲れ--たなあ......」
そして弱々しい声と共に倒れたエルグレイを、俺や周囲の人間は慌てて介抱した。極度の体力と魔力の消耗が自衛の為にそうさせるんです、とは回復したあいつから後で聞いたがその時は「やっべ、こいつ死ぬんじゃね!?」と慌てたもんだ。
「そういうことは先に言えよ、ビビるだろうが」
「......すいません」
多分、それがあいつがほんとの意味で仲間になった瞬間だったのだろう。白っぽい灰色の髪をかきながら、エルグレイは少し笑っていた。
******
敵が徐々にその姿を現している。それを確認しつつ、俺は昔のことを思い出していたんだ。あの時とは敵の数も状況も違うだろう。だが同時にエルグレイ自身も違うだろう。
駆け出しのあの時から幾多の死闘を経てきた。魔法の技術も魔力の絶対量も集中力も、全てが飛躍的に向上している今のあいつなら。
俺、ウォルファート・オルレアンが認める大陸随一の魔術師なら。
「やってくれるだろうよ」
短い呟きには戦意以上にあいつへの信頼がこもる。そうか、あいつと会ってからもう十年以上が経つのか。これが二人で戦場に立つ最後の機会になるのだろう、そう思うと感慨深い物もある。
ぶちかましてやれよ、エルグレイ。
突如、閃光が弾けた。朝露がまだ残る大地を白く染め上げながら、俺のやや右斜め前方が発光する。人の胴体程の太さもある白熱した光が、立て続けに前方へと射出される。それが向かう先は当然殺到する敵の先峰だ。
「な、何なんだ、あの攻撃呪文は!」
アリオンテが叫ぶ。他の兵からも驚きの声が上がった。その間にも着弾した先から閃光は弾け、白っぽい光の爆発と轟音の破壊の協奏曲を奏でていく。そこに敵の叫び声が重なるが、それが消えない内に更に二発目、三発目の閃光が炸裂していく。
敵の混乱が手に取るように分かる。未だ互いにはっきりと視認出来る距離でも無いのに、こうも簡単に先制されるとは予想もしていなかったはずだ。
(たいしたもんだな、本当に)
突撃にはまだ早い。ここから二段目、三段目があるのが魔砲陣の真骨頂なのだから。俺は勢いづく味方を抑え、視線を前へと走らせた。