頑張れよ、ラウリオ!
まず聞こえてきたのはどよめきだった。いや、呻きという方が近かったか。歴戦というには足りないが、そこそこの経験を積んでいる将官達の顔色が変わっていた。
「ウォルファート様から聞かされた時には、話半分に考えていましたが......敵軍に魔物がいるのが確認されましたか」
「やはり人間相手とは違うでしょうね。何がどれくらいいるかにもよるでしょうし」
「ゴブリン、あるいはオーク程度なら大した戦力にはなりませんな。ですが--仮に氷狼となるとちょっとまずい」
アリオンテの偵察から一夜明け、早速報告してみたがやはり動揺はあるようだ。野外用の簡素な折り畳み式の椅子に座り、皆が車座になっている。本格的に戦端が開かれる前の作戦会議だ。
動揺は想定内さ、ただし万単位の兵力が動く戦においては魔物が多少混じっても純戦力的にはそこまで上積みはされない。そりゃベリダム軍一万にゴブリンが千匹加わったら、単純に考えて一割増しだが......いくらなんでもそんなにいないだろう。
どちらかといえば、心理的な脅威としての部分が大きいはずだ。そういう意味では数は少なくとも、強力な魔物がいる方が嫌ではあった。敵兵はそれがいることで勇気づけられる。逆にこちらは下手をすれば怖じけづく。
「あー、まあいるのはいるんですけど、数匹くらいなら仮に氷狼でも大丈夫っす。こっちが何人います? 二万ですよ、二万。何も考えずに突っ込むだけで蹴散らせますから」
流石に自分でも楽観しすぎではないかと思うが、びびりすぎるよりはいいや。それにあながち間違いじゃない。俺は氷狼の特徴を口に出してみた。これもわざと。
「体長が3メートルから6メートル、白銀色の毛皮に身を包む狼の魔物。それが氷狼です。凍気を操り、狼の癖に遠隔攻撃もこなす。勿論機動力と攻撃力は折り紙付きだ。けれど、真っ向からぶつかって勝てる相手です」
「本当ですか、それ......僕、自信ないん、いてっ!」
弱音を吐いたラウリオに、容赦なく突っ込みをいれた。俺の副官として会議に参加していたのだ。
「あほう、やれるんだよ。確かにそこそこの防御力はあるが物理攻撃が通る。弓矢で削りつつ、歩兵が突っ込めば確実にダメージは与えられる。ラウリオ、今のお前なら一対一でも何とか出来るぞ」
「ええっ、まさか! ケルベロスより上でしょ?」
「上だが、お前もかなり腕上げたからな。凍気攻撃だけ死ぬ気でかわせ。連発するにも限度があるから、奴が息を切らせた瞬間に近寄ってズバー! ほら、簡単だろ」
「本当だ、簡単ですね--ってどこがですか、どこが!?」
「ラウリオ君、ここは神聖なる作戦会議だよ。声高に叫ぶ場ではないのだから静かにするべきじゃね? というわけで皆さん、ラウリオが氷狼をどうにかしてくれるそうです。どうか拍手を!」
勿論俺は冗談のつもりで言った。
だが。
「そうですな! 氷狼がいたとしても、所詮は生き物! ラウリオ君が筆頭となり切り込めば、恐るるに足らず!」
......あれ?
「勇者様の直弟子である、あの勇名高いラウリオ・フェルトナーなら!」
「あのラウリオ・フェルトナーなら!!」
「きっとやってくれますな!!!」
......すまん、ラウリオ。意図したわけじゃ無かったが、結果的にお前に任務が押し付けられたようだ。
対魔物戦の切り込み隊長を任せるとしよう、と俺は考えラウリオの方を見た。
「ガガガガガガなななななぜ僕にこんなややややや役目がががががが」
「お前なら出来ると俺は信じているよ......」
「ちょっ、そう言いながら視線をそらすのは止めてくださいよ、勇者さまああああ!」
「な、何のことかな。ま、一人で突っ込ませることはしねえから安心しろよ」
極上の笑顔を張り付けて、俺は泡を吹いているラウリオの肩を叩いた。骨は拾ってやるから、という言葉は危ういところで飲み込んで。冗談で済まなくなってしまうかもしれないし。
******
「というような話があり、ラウリオが一人で突っ込むことになった」
会議が終わってからのことだ。俺は自分の隊に戻り、経緯を皆に話した。うなだれるラウリオに皆、同情に満ちた視線を投げかけている。何故こうなったのだろうか。
「ふう、それにしてもお前が一人でやると聞いた時には驚いたよ。成長したもんだ、俺も嬉しいよ」
ここはフォローしなくてはと思い、本気で褒めたのに。何故恨みがましい視線が返ってくるんだ。
「もう退くに退けなくなってしまったじゃないですか! あああ、どうしよう、出来るかなあ!?」
「ラウリオさん」
「何、ロリスさん。一緒に先峰してくれるんですか?」
「これ......」
様子を伺っていたロリスがそっとラウリオに何か紙らしき物を渡す。護符かな、と俺は思っていたが、ラウリオがいきなり「縁起でもない!」とそれを破いたのでどうやら違うようだ。
「あっ、ひどい! 女の子からもらった物を粗末に扱うなんて! アイラさんに言い付けますよ!」
「あなたのことは忘れませんから、とかまるで死亡確定みたいな書き方するからですよ! そりゃ怒るさ!」
「いや、僕は僕なりにラウリオさんのことは好きですからね。誤解しないでください、お友達としてですよ。お・と・も・だ・ちですから」
「わざわざ断る必要もないくらいよーく分かってるんだけど。というか、アイラさんいるから。婚約者いるから」
「そうですね。"俺この戦争から帰ったら結婚するんだ......"ですね。あっ、言ってしまった」
「止めろ、ロリス。ラウリオが白目剥いてる」
俺は二人の間に割って入った。ラウリオ、大丈夫だからな。俺が本気でお前一人を当てるわけないだろう。だから早く失神から戻ってこいよ。
「で、実際に氷狼なりゴブリンなりオークなりが出てきたとして、どのように対処を?」
「いい質問だ、エルグレイ。戦場での配置によるが、出来る限りこの隊が潰しにかかる。それだけの戦力があるからな」
俺の言葉ははったりじゃない。こういうこともあろうかと、兵士の中でも魔物相手の戦いに慣れている者を優先的に配置してもらった。魔術師はエルグレイ一人だが、退魔師のロリスもいる。仮に不死者が出ても対処可能だ。
「それに気にする必要もないほど少数の可能性もあるしな。ラウリオにハッパをかけたのは--」
「あれ、ハッパをかけるって言わなくないですか」
「--ハッパをかけたのは、気合い負けしないための作戦だよ。一回覚悟しておけばどうとでもなる」
自分で言いつつ欺瞞を感じるが、敢えて無視する。大軍を単独で牽制できるような大型の魔物以外なら、普通にやれば勝てる。実際それは分かっているのか、最初は動揺していた兵達も時間の経過と共に落ち着いてきた。
そう、あくまでこれは軍と軍のぶつかり合いだ。敵の主力が一万近い人間であることには変わりない。
「というわけで、魔物が前線に出てきてもそこまで恐れなくていい。お前の呪文で蹴散らせるだろ」
「了解。久しぶりに見せてやりますか、魔砲陣からの先制攻撃を」
そう言ってエルグレイは薄く笑った。水色をした目が細まり、雰囲気が変わる。抜き身の刃にも似た酷薄さが加わっていた。
俺は知っている。こういう顔をした時のエルグレイがどれほど恐ろしいかを。秘技ともいえる魔砲陣からの攻撃の苛烈さを。
「うまいこと誘いこんでやるから後は頼むぜ。もう出来てるのか?」
「ほぼ完成しています。後は最終調整くらいですね」
よし、こっちは大丈夫だな。有無を言わせない乱撃戦に持ち込まれたら、魔砲陣の準備も出来ないが......どうやらツキはこちらにあったようだ。ベリダム、てめえが魔物を味方にするなら勝手にしな。こっちは迎撃体制バッチリだぜ?
「どれくらいが射程距離になりそうだ」
「届くだけなら2キロまでなら。十分な威力を期待するなら1キロからですね」
「相変わらずとんでもねえな」
よーく知ってはいるが、長距離射程なんてもんじゃねえな。反則技だよ。
こいつが味方でよかった、と心の底から思いながらふと気がついた。アリオンテはどこ行ったんだ?
「おい、誰かアリオンテ見なかったか?」
「ああ、彼ならちょっと一人になりたいってさっき言ってましたよ」
「おいおい、止めろよ。敵さんがあっちに布陣してんだぞ」
答えた兵をたしなめつつ、ちょっと心配になった。まさかここに来て、功を焦って単騎で特攻なんてしないだろうが。相手に隠密の技術を持つ兵がいたら、こっそり忍び寄って暗殺という最悪のケースだってあるのだ。用心にこしたことはない。
「ラウリオ、ロリス。悪いけど何人か連れてアリオンテ探してくれ。エルグレイはここ動くな」
「ウォルファート様は?」
「俺はお前らの反対側探すよ」
ロリスに答えた時には既にその場を離れていた。迷子とかほんと止めてくれよな。
******
いたいた。心配するほどのことは無かったようだ。俺達が陣を構えている場所からほど近い、ちょっとした林のような場所にアリオンテはいた。少し地形的に落ち込んだ場所であり、小規模ながらも姿を隠しやすい場所だった。
しかし見つけはしたが声をかけづらいな。俺でさえ少し真剣にならざるを得ないような、そんなピリピリした雰囲気があいつの周りにはある。
夏が終わり、秋がこれから盛りを迎えようとする季節だ。時折はらり、と落ちる葉っぱはまだ紅葉には遠い。そんな穏やかな風景の中、大魔王の息子は目を閉じて立っていた。傍らの地面には俺が貸した刀が突き立てられている。
(なるほど、戦闘開始前の最終調整か)
アリオンテが何やら新呪文を試していたのは知っている。実際に戦場で使う前に不安を払拭したいのだろう。俺はそっと近くの木に身を潜め見学することにした。
普段は隠している二本の腕も今は出している。本来の姿である四本腕は異形の物だが、こと戦闘においてはメリットが大きい。特にアリオンテのように武器を両手持ちしているならな。二本の腕で刀を持つつつ、もう二本の腕で呪文を使えるし。
「ハアアア--ッアアアッ!」
いきなりだった。目を見開いたアリオンテが小さく鋭い呼気を吐き出す。魔力があいつの体から漏れ、ユラリと大気を揺るがせた。ほう、なかなか。何を見せてくれるんだろうか。邪魔にならぬよう息を潜める。
アリオンテが広げた四本の手それぞれに赤い輝きが灯る。火炎系の攻撃呪文であることは分かっていたので驚きは無い。あれか、火炎球の四連発でもやるのか。だとしたら凄いが......いや、違う?
メラメラと手の中で燃える四つの炎、それをアリオンテが一つに合わせる。火炎と火炎が反発して一瞬暴れるが、アリオンテが魔力で制御したのかすぐに大人しくなった。空気を焦がす魔法の炎は一つになっている。外に向かって燃え盛っていた火炎は、むしろ中へとその威力を集中させているように見えた。
火炎の高密度圧縮か? 俺も火炎弾を撃つ時にやるが、四つの手に生み出した火炎全てを圧縮するとは。魔力自体なら俺やエルグレイの方が大きいだろうが、発想が凄いな。自分の四本腕という特性を生かして、一本一本の腕で制御できる火炎の量をぎりぎりまで高めた上で、最終的にはそれを合わせて圧縮に成功している。腕を通じて魔力を流して制御するからこそ、こんな細かい作業も出来るのだろう。
俺に同じことが出来るかと言われれば多分出来ない。両手に火炎球を生み出し、それを別々に放つことなら出来るがそこまでだ。火炎弾を撃つにしても、それほど火炎の絶対量はいらないし。
だからこそ、今アリオンテがやっていることは驚嘆に値する。まだ発展途上の魔族の少年にしては、目を見張る程の火炎の圧縮に成功しているのだ。あれをどんな形で使うつもりなのか--答えはすぐに出た。
「火炎迫撃」
アリオンテの掛け声と共に、圧縮された火炎が解き放たれた。高密度に封じ込められた炎は、赤よりむしろ透明度の高い黄色になっている。その美しさに見とれる暇もなく、超高速で火炎が弾けた。
圧巻だった。火炎球とほぼ同程度の大きさの火炎の塊、それが次々に放たれていく。ドガガガガッと爆音をあげながら黄色い火炎が踊り、林の一角に炸裂していった。五個、六個、いやそんなもんじゃない、二十個以上も獰猛極まりない爆撃が放たれていった。
「やるじゃん、あいつ」
素直に驚いた。さながら火炎弾の弾の一つ一つが火炎球の破壊力とサイズを持っているようなもんだ。しかも相当高速で切れ目なく撃ち込んでいる。あれだけ高速で撃てるならば、うまくいけばほぼ回避の可能性を封じて叩きこめるだろう。
アリオンテが的にした木々は跡形も無い。粉みじんという表現すら生温いほど徹底的に砕かれている。消し炭が残っているならまだいい方だ。炭化したその木片すら燃焼対象にしてしまうような、そんな炎の洗礼だったのだから。
「......いける」
風に乗ってアリオンテの呟きが聞こえてきた。自信と戦意双方がそこにはある。いや、これは俺もうかうかしてられねえな。いいとこ全部持っていかれちまいそうだ。