表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/160

敵の隠し玉

 土と草の匂いに鉄の匂いが混じる。そこに人や馬の汗の匂いが混じる。ああ、これが戦場の匂いだなと思う。ガチャガチャと鎧や兜がぶつかる音、それが寂しい風に乗って吹き流されていく。自然の中に多数の人間が乗り込むとこうなる訳だ。



「必然この辺りで決戦となりますよね」



「位置的に仕方ないですよ。王都と北方領土の中間地点ですから」



 ラウリオとロリスが俺の前で話している。彼らの先に視線を飛ばすと、薄い枯れ草色と黄緑色の中間のような色彩が続いていた。起伏はさほど厳しくないが、小川が所々ある地形だ。多数同士が真っ正面からぶつかるも良し、小部隊に分けてトリッキーに伏兵をしかけるも良し、どちらの作戦も取れるだろう。



「あちらさんも陣構えは終わってるって感じだな」



「様子見ですかね」



 俺にエルグレイが相槌を打つ。なだらかな丘陵の遥か向こうには、黒い小さな点がうごめいている。先陣である俺達だけがこの高所に陣取っているが、王国軍の大多数はここから横や後方に展開している。ざわめくような気配が濃い。

 全く歩みを止めないまま、なし崩し的に消耗戦に縺れ込むという展開にはならなかったようだ。どちらに幸運なのかは分からないが。



 急ごしらえの冊に軍馬を繋ぐ。小さくいなないた馬の首を叩きながら、飼い葉を与えた。今すぐ戦闘ということはなさそうだ。敵が動いていないならばとりあえずは体力回復させておこう。



「敵の急襲に備えて工作隊は馬防冊を作れ。後は周囲を哨戒しつつ、適宜待機。休める内に休んでおけよ」



「はっ!」



 兵達に指示を飛ばしながら、俺は敵陣を睨んだ。そこそこ数は多いようだ。残念ながら数千を超えると、正確な数など分からない。だが、一万はいないとは思う。二万を揃えたこちらと真っ正面からぶつかれば、例え武装や練度に差があろうとやはりこちらが有利だろう。



 だがベリダムもそれくらいは百も承知だろうな。兵数の差ってのはやっぱりデカイってことくらいは。それを埋める手くらい、恐らく用意しているだろう? 目の前に展開されている兵力だけが全てじゃないだろうよ、北の狼。



「ウォルファート様」



 後方からかけられた声に振り返った。いつもの軍服姿のギュンター公がそこにいた。お付きの兵士数人を従えているのも、腰に帯剣しているのも戦場仕様だ。



「あ、お疲れ様です。他の隊は?」



「防備を固めつつ適宜休ませている。この地形だ、動けば分かるさ。それに功に逸る者も幸いにしていない。そういう意味では統率は楽だ」



 ギュンター公が鋭い視線を彼方に飛ばす。今回出陣した二万の軍勢の大将を努める重圧を微塵も感じさせない。流石に歴戦の勇士というところだ。



「そりゃよかったです。基本こっちが受けに回る方でいいと思いますよ。どっしり構えて跳ね返す」



「下手に攻めに出れば、ベリダムに付け入る隙を与えるか。面白くは無いが--致し方ないな」



「勝てばいいんですよ」



 そう、俺が言う通り勝てばいい。兵の練度で上回る分、軍としてのまとまりや動きの良さは向こうが上だ。こちらが攻めに出た場合、各隊同士の連携が乱れたところを各個撃破される恐れがあった。受けてからが勝負、というのが俺とギュンター公が決めた基本方針だった。



 ちなみに今回の出陣では俺は副将格になる。同格の立場の人間が他に数人いるが、重要な立場には変わり無い。本来最前線にいきなり立っているなど有り得ないのだが、俺個人が最強戦力である以上これは仕方なかった。そういう意味では、ベリダムも自ら最前線に立つ可能性も十分ある。



「仮に睨み合いになったとして有利なのは、食料と予備兵力に余裕があるこちら。ならばベリダムとしては短期決戦を仕掛けるしかないが--」



 そこまで言いかけてギュンター公は視線を左右に走らせた。気負いは無いが、油断も無い。



「--果たして二倍の敵に突っ込んで勝算があるか、というところか。やはり何か隠し玉があると考えておくべきかな」



「過度に恐れる必要は無いですがね。俺の推測通りなら、絶対魔物を手勢に加えてきますよ」



「それが外れることを祈るよ、全く」



 俺も同感だ。こんな推測、外れてくれた方がいいに決まっている。だがアリオンテの話を聞いていると、どうも嫌な予感がする。凍土乃窪地(コ・ヌア)攻略で得た物が貴金属とその売却益だけ? いや、そんなことないだろ。もし飼い馴らすことが出来れば、氷狼(フェンリル)なんか強力な戦力になる。規模は分からないが、何匹かくらいは手勢に加えているだろうよ。



 出陣前にこの推測を話した相手はごく一握りだ。ギュンター公、俺と同格の副将達、それに俺の隊に加わっているラウリオらと士官達くらい。所詮は推測に過ぎず、いたずらに不安を煽りたく無いというのが情報を拡散させない理由だった。

 実際問題、氷狼(フェンリル)が相手などと知れたら足がすくむ者もいるだろう。それよりは戦場のどさくさに紛れて、勢い任せでぶつかった方がまだましと判断したわけさ。それに出てきたとしても、そんなに数は多くは無いだろうとは読んでいたしな。



「ま、出てきたとしたら俺の部隊が相手しますよ。対魔物戦の経験が豊富な人材で固めてますし、それに」



 ギュンター公を安心させる為、半分は演技で笑う。



「今回はエルグレイがいますからね。生半可な相手だったら、こっちにたどり着く前におだぶつだ」



「かねがね勇名は聞いているが、エルグレイ君一人でそこまで何とかなるのか不安だな......勇者様の右腕なら信用はしているが」



「こういう対多数ならべらぼうに強いですよ。安心してください」



 そう、なんだかんだ言って俺が不安を感じていないのは、今回はエルグレイが参戦しているからだ。固有呪文(エクストラスペル)しか使えないという、前代未聞の魔術師(ソーサラー)がいればこそ俺も安心して背中を任せられる。ま、ちょいとあいつの力を存分に引き出すには工夫がいるが。



 そのままギュンター公と布陣について話し込む。俺の率いる隊--ウォルファート隊と呼ばれている--の四千が少し左に外れるような形になっている。残りの一万六千はほぼ等分の兵力で横に広がった形だ。兵数の差をいかし、包み込んで殲滅することを意図している。ど真ん中を抜かれたら逆に大ピンチたが、それを防ぐ為に真ん中の兵は精鋭揃いだ。ギュンター公自らが指揮することもあり、過度には心配していない。



「それほど準備期間が無かったから、どうしても単純な陣形にならざるを得ないか。幾分残念だな」



 用兵家としても鳴らすだけある。ギュンター公は木の棒で地面を引っかきながら、残念そうな顔だ。描かれているのは、この戦場に広がる王国軍と対峙するベリダム軍だった。ベリダム軍の布陣は冊の向こうのこともありはっきりとは分からないが、恐らく鋒形陣だろう。兵力に劣る分、中央突破に全てを託す可能性が高い。



「--と思わせて、少数の兵を大回りさせてこちらの背後を狙うか。あるいはわざと敗走するふりを見せて、伏兵で叩いてくるか」



 俺も木の枝を取り、地面をトントンと叩く。この地形ならば伏兵を潜ませるだけの隙はある。俺がベリダムの立場なら......わざと初戦は負けて、勝ち気に逸った俺達を前に引きずり出すだろう。縦長に伸びた軍の横っ腹を伏兵で叩く、そうすれば甚大な被害を与えることが出来る。



「だが勢いに乗って前に進むより、わざと負けたふりをして退く方が難しい。下手に退くと、ふりがふりでなくなることもあるな」



「そうなんですよねー。ま、ここらへんは用兵にどこまで自信があるかで決まるんで、何ともね。とりあえず注意しなきゃいけないのは、相手の誘いに乗らないことです」



 俺の言葉にギュンター公は「うむ」と頷いた。正式な作戦会議では無いが、こうして誰かと話さなければ落ち着かないこともあるのだろう。戦争自体が六年ぶりなのだ、ブランクがあるのは前で戦う兵士達だけじゃない。



「いたいた、今戻った」



「おう、早かったなアリオンテ」



 話が一段落着いた時、アリオンテが割って入ってきた。軽く息を弾ませているのは理由がある。他の兵と共に敵陣視察を命じていたのだ。勿論、攻撃範囲外からだが危険な任務には違いない。



「とりあえず何の攻撃も受けなかった。伏兵も分かった範囲ではいない。それで、あっとすみません、ギュンター公」



「いいよ、それより偵察の報告を」



 慌てて挨拶するアリオンテをギュンター公が促す。そう、ただの偵察ならわざわざアリオンテを出す意味は無い。彼を使うだけの明確な理由がある。



「はい、では。一番懸念していた魔物の気配ですが、僅かに感じました。残念ながら種類までは特定出来なかったです」



「やはりいたか」



「準備万端てか、辺境伯め」



 嫌な予感が当たってしまったようだ。まあ仕方ない、こちらもそれは覚悟の上だ。アリオンテに更に聞いてみたが数も今ひとつ分からなかったらしい。とりあえず人の気配に紛れる程度なので、多くは無いだろうということだった。

 


「やっぱこういう場合は魔族に限るよなー。全然人間より感覚鋭いんだからな」



「当然だろう、本来魔物を統べる立場に僕らはいるんだからな」



 なんだよ、せっかく褒めてやったのに。可愛いげねーな、こいつ。



「危険な任務を良く引き受けてくれた、ありがとう。私からも感謝するよ」



「......勝つ為ですから」



 くっ、ギュンター公にはまだ少しはしおらしいところは見せるんだな。人を見て態度を変えてたらなー、ろくな大人にならねーぞこらー。



「人間の中にも魔物を使役できる者がいるんだな」



「そう数は多くはないけどな。地方に住む部族の中には魔物の言葉を話せる人間もいるらしい。そういう連中をベリダムが取り込んでいるのかもな」



「へー、僕があいつのところにいた時には見なかったけど」



「ベリダムも手の内を全員に見せていたわけじゃないんだろう」



 俺とアリオンテの会話にギュンター公が割って入った。俺も口にはしないが、多分ベリダムは心のどこかで線引きをしていたんだろう。ビューローやネフェリーのような子飼いの部下と、ワーズワースやアリオンテのような客将は別物と。



「敵に魔物がいることが明らかになったなら、それを告知した方がいいかもしれないですね。進軍自体は終わってるわけだし、まさかここから脱走なんかしないだろうしね」



「いざ戦闘時に出くわして動揺する方が怖いと? 一理あるが、それは会議で決めよう」



 それもそうだな。俺もどちらが正しいのかはちょっと分からない。しかし、ほんとに氷狼(フェンリル)数匹くらいで済むならいいが......その更に倍とかいねえだろうな? 十も二十もいたらちょっと脅威なんだが。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ