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ベリダム・ヨーク

 目の前に広がる風景に覚えが無い訳では無い。時折王都を訪れる度に、この街道を利用してきたからだ。頻繁にでは無いが、人生を振り返った時に"以前通った時はいつだったか"と頭を捻る程でもない。



 私が治める北方領土、それと大陸のほぼ中央に位置する王都を結ぶ街道だ。子供の頃は確か土をならしただけの道のりだったが、いつからか道脇に休憩所が建てられていた。街道沿いにある村や町とは別に、定期的にぽつぽつと建てられた小さな休憩所だった。旅人が足を休める為の簡素な小屋は、長い道のりを行く者には丁度いい目印にもなる。



「どうかなさいましたか、ベリダム様」



「ああ、確か昨年はここで一休みしたなとな。ふと思い出した」



 声をかけてきたビューローに答える。緩やかな坂が一時的に平坦になり、そこに立っている小屋を横目で見た。ああ、そうだ。黒ずんだ椅子とその上の日よけに見覚えがある。去年はビューロー、ネフェリー他数名を共にして、闘技会に出る為にここを通った。



「それが今年は進軍とはな。分からない物だ」



「フフ、帰る時は勝利の凱旋ですよ」



 私の呟きにネフェリーが笑う。馬に乗り軍の中ほどを行く私、ビューロー、ネフェリーの三人の前後にはずらりと兵達が並んでいた。全く去年とは違うな。動員出来る最大数の兵、その数は一万弱。これが縦一列に並び進軍する様は迫力がある。



 ここ数年折を見て鍛えてきた為か、兵の練度はかなり高まっているはずだ。それに加え、将官クラスは勿論、下士官や一般兵までもが魔力付与(エンチャント)された武器、防具を装備している。通常ならばありえない。魔力付与(エンチャント)を可能とする金属自体が高価だし、またそれを施す技術者はさほど多くないからな。



 しかし凍土之窪地(コ・ヌア)の攻略、そしてワーズワースから教授された魔力付与(エンチャント)の技術がこの大量生産を可能とした。+1くらいならそこまで難しい技術は必要とされないため、魔鉄の精錬がきちんと出来ればいい。そのレベルの技術者ならば育てる為に時間はあまりかからず、ワーズワースの技能伝授を一気に広めることが出来た訳だ。



 (そういう意味では、ほぼ騙し討ちに近い形で殺害したのは心苦しくはあるか)



 彼は役に立った。事実、感謝していると言ってもいい。だが結局のところ、彼は魔族であり人間ではない。私がワーズワースそしてアリオンテを裏切ったのはそもそも根本的に信じられない、という理由が一つ。それに加えて、絶対強者であるワーズワース相手にこちらがどの程度やれるかを試してみたかった、というのが理由の二つ目だ。



 あの時点では、私はまだウォルファートに勝てる確信は無かった。王国を覆し野心を充足させる、その途上で必ず立ちはだかるであろう勇者に勝たなくてはならない。その為に自分の技量を確認する為には、勇者に近いレベルの強者が必要だった。それだけのことだ。



 ......もっとも手酷い反撃を喰らい、時間を失ったというロスもあったが。ワーズワースが最後に放った斬撃を思い出すと身震いする。溶けた槍の金属が闘気と炎と混じり合い、高熱の液体状の刃と化していた。意図的にワーズワースがそれを作り出したのかどうかは分からない。考える暇も無く、異様なその攻撃を盾で受けるしかなかったのだ。



 止めた、と思った。だがすぐに自分の愚に気がついた。盾に弾かれた槍はもはやドロリとした液体だ。勢いそのままに槍は砕け、高熱の雨となって私の防御を貫通してきた。

 


 たまらず叫び声を上げたのは覚えている。ワーズワースの執念が乗り移ったような、無形の灼熱の攻撃の恐ろしさは想定を超えていた。盾を構えていた左腕を中心に蝕まれた。急いで回復薬(ポーション)を使い、更にネフェリーの氷系呪文で皮膚の壊死を止めるという荒業を使わなければ腕の一本も持っていかれたかもしれなかった。



「しかしこうしていざ進軍となると、中々心に来ますね。積年の思いが遂げられる」



 ビューローの声に意識を引き戻す。左腕を動かした。大丈夫だ、既に傷は癒えている。違和感も無い。



「ワーズワースの最後の一撃さえ無ければな。結構回復に手間どってしまった」



「仕方ないですわ、ベリダム様。あの一撃を受けても、今こうして無事でいる。それが何よりです」



「そう、だな。その間に武装の充実も行えたし、悪いことばかりではないか」



 ネフェリーのなだめるような言葉に答えつつ、それでも内心は残念だった。あの時すぐにアリオンテとワーズワースを討ち取っておければ、みすみすアリオンテを逃すこともなかった。ここ最近の対応を見れば、王国側が私を警戒しているのは明らかだ。アリオンテを逃がしたことで、彼らに対応するだけの余裕を与えてしまったのかと思うと悔やまれる。



「ベリダム様、天気が」



 兵卒の声に視線を上げた。なるほど、左に広がる山の稜線が雲に隠れている。あの辺りに広がる分厚い灰色の雲は、大概豪雨を連れてくるものだった。



「ビューロー、前の兵達を止めて雨宿り出来る場所へ連れていけ。ネフェリー、後続をまとめろ」



 私の指示に従い、二人の頼りになる副将が馬を走らせる。それを見送り、もう一度空を見上げた。雨はどうやら避けられないらしい。



 

******




「荷馬車を優先的に木の下へ入れろ! 濡れちまったら食べる物も無くなるぞ!」



「おう、今やっている! 火おこせ、雨にに濡れた連中を暖めてやろう!」



 手近な林の中は騒々しい。雨を防げる大木の下に優先的に陣取り、私は兵達の動きを見ていた。戦闘以外でもキビキビと動けるのは、普段の訓練の賜物だ。

 ビューローとネフェリーは側にいない。二人とも少数の兵を連れてこの雨の中を偵察に出かけている。まさかとは思うが、敵がごく少数の兵で奇襲をかけてくる可能性を危惧したのだ。雨は足を鈍らせるが気配を殺す。用心にこしたことはない。



 手持ちぶさたになった私は木の幹に寄り掛かった。湿った木の香りがする。不快ではない。密度の濃い木々の重なりを通して、次第に強まる秋雨が見える。細い銀の線が天から地へと降り注いでいた。



 単調な雨音が私のささくれた神経を和らげてくれる。それは同時に記憶の淵の水量を緩やかに増していた。いっぱいになった水が思い出という形でこぼれる。






 "隙を見せたお前が悪いのさ"



 ああ、確かあの時......私はそう言われたな。

 思い出したのは声だけじゃない。幻の風景が雨音に混じり甦る。血だまり、そこに倒れ伏している若い女、そして小さな男の子と女の子だ。



 "可愛がってやるつもりだったが、あんまり反抗的だったんでなあ。ちょっと力が入り過ぎちまった、ハハハハハ!"



 覚えている。



 忘れる訳もない。



 薄汚い笑いをその歪んだ口元から吐き出しているのは、私の叔父だ。父の弟である男だ。忌ま忌ましいことに私に似ている。長い金髪と同色の目をしたその男は、しかし、およそ生者とは思えぬ濁った空気を纏っていた。



 "ジャイル叔父......何を、自分が何をしたのか分かっているのか!"



 記憶の中の自分が叫んでいた。今より若々しく、だがその若さ故にまだ頼りない自分が。私の視線の先で女はピクリとも動かない。血だまりの中に顔を沈め、その細い腕を伸ばしていた。淡いピンクのドレスは所々破れており、嫌でも不快な出来事を想像させる。



 "おっとお、心配しなくていいぜえ。お前の大事な奥さんは汚れてねえよ。はは、もっとも素直に俺に抱かれてればこんなザマにもならなかったんだがな"



 かなり距離が離れているはずなのに、ジャイル叔父の言葉が耳元で聞こえるかのように不快だった。比喩では無く、本当に吐き気がする。何とか口を手で覆うが、揺れた視界が小さな二つの体を捉えた瞬間--限界を迎えた。



 ゴボ、と胃液が込み上げた。先月変えたばかりの絨毯を容赦無く汚す。はは、まずいよな。ヘイシルがこの絨毯が好きなのに。「これ、フカフカー」って笑っていたばかりなのに。マリンはツンと澄まして「あたしもうお姉ちゃんだから」って、そんなヘイシルを馬鹿にしていたけど。



 仲のいい姉弟だったのに。



 何故、そんな場所で倒れているんだ。頼むよ、動いてくれよ。私の妻、私の子供、私の家族なんだろう。何故......君達が動かないままで、あの薄汚い男が立っている。腕が立つだけの一族の鼻つまみ者が!



 "そんなの決まってるだろう、ベリダム? 俺が強いからだ。強いから許される。強いから俺に手だし出来ない。強いから--"



 ジャイルはペッと唾を吐き出した。それが倒れたままの女--妻、フィリアの頬を汚す。ネットリと垂れた唾が身震いするほど汚らしく、紙のように白い頬に筋をつけた。



 "--俺は好き放題出来るんだ。分かったか、甥っ子? 馬鹿な奴さ、最初からフィリアを俺に差し出しておけばなあ。こんなことにはならなかったのによぉ"



 私はよろよろと立ち上がった。もう四人で過ごすことの無い部屋の床を蹴りつけるようにして。剣の柄に手を伸ばす。心は怒りと悲しみでよく分からない真っ黒な渦を巻いていた。



 許さない。許さない。許せるはずがない。強い、ただそれだけの理由でこの男は。この男は、私の大切な物全てを奪い、ゴミのように朽ち果てさせた。



 "......殺す"



 その一言自体が私の中の獣を--揺り起こした。






 


 ジャイルは一族の中でも異端児だった。生来粗暴ですぐ人にたかるという性質故、誰からも好かれない叔父だった。その癖何故か滅法強かった為に、誰もが顔をしかめつつも正面からいさめなかった。

 年々エスカレートしていく彼の欲求......金で済む内はまだしも、身内の女にまでちょっかいをかけるようになってきた。



 流石に処罰すべきでは、という声が出始めるとどういう訳かジャイルは決まって姿を隠す。ほとぼりが冷めてからまた戻る。そんな空しいいたちごっこが何度か続き--私にとばっちりが回ってきたという訳か。






 そんな叔父に顔が似ているのが嫌でたまらなかった。長じてからは"もしや自分は父親の子ではなく、叔父の血を引いているのでは"という、思春期にありがちな妄想が湧いた。いや、一応顔が似ているという根拠はあっただけ妄想とも言いきれない。

 勿論、両親にはそんなことは聞けなかった。多分取り越し苦労だったのだろうが、真相は闇の中だ。




******




 (......気がついた時には、ジャイルは挽き肉みたいになってたな)



 雨。周りには慌ただしく動く兵士達。木々の合間から見えるそんな風景に忌まわしい記憶を重ねる。過去と現実が一つに溶け合わさり、私はため息をつく。



 家族。ああ、確かに私にもあったよ。フィリア、ヘイシル、マリン。私がふがいなかったばかりに守れなかったんだ。私が弱かったからかとあれ以来自分を責め、責め続けた。ジャイルを、叔父を処罰し二度と悪さが出来ないようもっと早めに踏み切るべきだったのに。



 その決断が出来なかった、主張する力が無かったことが私の弱さだった。お前が弱いからだ、というジャイルの嘲笑はまだ胸をえぐる。それは必ず血だまりの中に倒れたままのフィリア、ヘイシル、マリンの姿とセットで現れる。

 


 私が守れなかった家族は心の中に打ち込まれた楔だった。弱いことは罪に等しい、と叫ぶ魂の泣き声だった。荒れた。その心の荒ぶりに任せて、私は北方に領地を広げた。弱いなんて言わせない、弱いことが罪というならば誰にも文句を言わせぬくらい強くなる。地方領主の中で事実上最強の立場を得て、陰の勇者と畏怖され、それでも尚。



「強くなければ奪われていくだけだ」



「な、何かおっしゃいましたか、ベリダム様?」



 独り言が些か大きかったらしい。近くにいた兵士に「何でもない」と手を振り、濡れた髪をかきあげた。







 "ねえ、貴方。私、貴方の元に嫁いでよかったと思うの。ごめんなさいね、いきなりこんなこと言って"



 "--政略結婚でも?"



 "きっかけは重要じゃないわ。ヘイシルとマリンがいて、貴方がそれを見守っている。この家庭が私は好きよ"







 ......もう奪われるのは、たくさんだ。



 ......奪い続けなくては、また奪われる。



 ......弱い奴は強い奴の犠牲になり、踏みにじられる。



 もう二度とあんな痛みを抱くのはごめんだ。ウォルファート、皆に好かれ名声をほしいままにしている勇者よ。私はいつまでも陰の勇者のままではない。貴様を倒し、シュレイオーネを手にして、不倒の地位に上りつめる。



 恨みは無いが死んでもらうぞ。

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