義理でも何でも俺は親だ
とりあえず、双子はアニーから離乳食をもらい夕方頃もう一回眠りについた。恐怖の夜泣き時間の前、ちょっとした休憩時間だ。一度自分の心に素直になったせいか、俺も平静さを取り戻した。ずいぶんアニーには心配されたが。
「あの、ウォルファート様。そのあたし今日泊まってもいいですよ?」
この短い休憩時間の間に湯浴みと食事を慌ただしく済ませた俺に、アニーがそう声をかけてきた。こちらが何も言い出していないのに、今日出た汚れ物を洗ってくれている。何気にいい子なのかもしれない。
だが、ここからは俺がやらないと駄目だ。これ以上甘えられん。
「気持ちだけでいいよ。帰りな、両親もアイラも心配する」
「でも......なんか辛そうですよ」
「こんなの辛いうちに入らねえよ。それにな、嫁入り前の娘が軽々しく男の家に泊まるとか言うな。安く見られるぞ」
家事手伝いとして契約しているアイラはともかく、アニーは育児には無関係だ。
今日だって遊びに来てくれただけなのに、結局、俺の手伝いをする羽目になっている。
だから俺は軽くアニーの肩を叩きながら言ってやった。
「大丈夫だから。な?」
コクり、と頷きアニーは防寒着を手にした。よしよし、素直だな。
「じゃあ帰りますね。ウォルファート様、明日まで頑張ってください。シュレンちゃんとエリーゼちゃんによろしく」
「ああ。ま、一応半年見てきたからさ。頑張るよ」
ぺこりと頭を下げたアニーを見送る。姉によく似た白っぽい金髪がすっかり暗くなった夜道に消えていくのを見届けると、俺は肩をすくめがら家に戻った。
俺以外に大人のいない家だ、子供部屋から伝わるシュレンとエリーゼの気配はまだまだ小さい。
(あいつら、寒くなってきたら目覚めるからなあ。日が落ちたからそろそろかな)
何が起きても動揺しないように心の中で準備する。
そうさ、戦いと一緒だ。予測不能なことなんていつだって起きるんだから、自分の想定外のことが起きても動揺してたら話にならねえ。
こう考えた直後、やはり目覚めた双子の泣き声に弾かれるように飛び上がった俺は、その夜一人で奮闘する羽目になった訳だが。
******
泣き止まない。どうやっても泣き止まない。
二人揃ってもう一時間は抱っこしたり、あやしたりと色々手は尽くしてはみたのだが、全くどうにもならない。どうしたもんかな。
(ちっ、まあ一時間くらいは覚悟の上だがそれにしてもめんどくせー)
「ホギャアホギャア」
「ビエエエビエエエ」
右手にシュレン、左手にエリーゼを抱える俺。凄いぜ二刀流だ、何のだなんて聞くなよ、なんて一人ボケても突っ込んでくれる人もいないわけで。
おしめが濡れてるのかと思って見てみたがそうでもない。寒いのかと思い家の暖炉に火をいれてみたが、これでもない。
いや、何をやっても駄目な時は駄目だからなあ、これはそういうもんなのだ、と俺は諦めた。人間、時には諦めが肝心だ。
(放置するか? いや、でもそれはな、まずいよな)
赤ん坊二人の泣き声の二重奏に顔をしかめながら、ため息を一つ。聞いた話によると親が自分を大切にしてくれない時期を赤ん坊の時に体験すると、ぐれやすくなるらしい。
それ以前の問題として俺が神経病んだら、そもそもこいつらの成長自体見込めないので、夜泣きに付き合うのはほどほどにするつもりだが。生憎まだ体力も精神力も余裕がある。
「ファアアアアー!」
「ヒイヒイヒイ......フエエン」
いい加減泣き疲れたのか少し声が止んだと思ったら、今度は違う泣き方になった。こんな小さい体なのになんでこんなに泣き声はでかいんだ、神経がささくれ立ちそうになる。
「おーいもう夜だぞ、なんで泣いてるんだよお。仕方ないな、高い高いしてやるから」
あの手この手であやすしかないな。
いまだ泣き止む気配のない双子を、二人まとめてポウンと手から軽く離れる程度にほうりキャッチする。
驚いたからか空中にいる時にその目を見開くのが面白い。
よっしゃ効果ありと思うが、高い高いを止めた途端にまた泣き出す。駄目だ、根本的な解決になってねえ。
ずっと高い高いを繰り返すわけにはいかないし、そもそも活発な遊びだから二人の目が冴えてしまう。
眠りから遠ざけてどうするんだ、馬鹿か俺は。
「んま! んーまー!」
シュレンがせがむような声で語りかけてきた......気がした。赤ちゃん語は分からん。なんだ、もっと高い高いなのか? もうやめようぜ?
「ふにゅう~うーあーああー」
エリーゼの方は何だかご機嫌斜めだった。顔をしかめており、口がふるふる震えている。
くっ、このままじゃまた泣き出すぞ。もう夜中だってのに一体こいつらいつ寝る......
(夜中? ちょっと待てよ、最後に飯にしたのいつだ?)
はっと気がついた。確か夕方の少し前だ。
そこでアニーに手伝ってもらって、離乳食をあげたんだ。割と赤ん坊というのはこまめに食事を必要とする。体が欲する量に比べて、一回で食べられる量が少ないためだそうだ。
てことはだ。こいつら空腹なんじゃねえのか? 途端に罪悪感が沸いてきた。腹を減らしていて眠れるわけがないだろう。
「おし、やってみるか。今離乳食用意してやるからな、ちょっと待ってろ」
ベビーベッドに二人を置いて俺は台所に向かった。
目的の物はすぐ見つかった。昼間俺が試した時には頑固に食べるのを拒否したが、今ならもしかして食うかもしれない。
単なる期待、理由のない希望。いや、だけどな。必ず成功させるという信念が無ければ前進なんかしやしねえ。
一回自分の弱さを吐き出したせいか、妙に高ぶる心に任せて行動してみる。
天然の寒気に保存された裏ごしトウモロコシペーストに温めた牛乳を加える。とぷりとぷりと白い牛乳は黄色いトウモロコシと混ざり、随分と柔らかい色になった。
冬の夜、赤ん坊二人の為にこんなことしてる自分の姿を想像する。全く、格好よくも立派でもねえなあ。
だけどな。もし俺が育児を諦めたら。
俺が二人を......シュレンとエリーゼを見捨てたら、あいつらはどうなるんだ。
可哀相なのは俺じゃない。生まれた時には父親は戦死していて、母親は産後すぐ亡くなったあいつらの方だろう。
実の親の暖かさも愛情も知ることなく、一生を過ごさなくちゃならないあいつらの方なんだ。そのうち物事の道理が理解出来る年齢になったら、きっと悩むことになるんだろう。
まだ先の話だろうけれど、それを考えると俺がこんなところで疲れた、だの泣き言言うわけにはいかない。
心の淵からちょっぴり零れそうな感情を塞ぐようにギュッと唇を噛み締め、俺は離乳食を用意した。
頼れる人は誰もいない夜だ。だけど、だからこそ俺がしっかりしなきゃいけない。
ベビーベッドに近寄り「なあ、食うか?」と呼びかけると寂しかったのか、アーアー泣いていた双子が俺の方を見た。
シュレンの黒い目とエリーゼの焦げ茶の目が、俺の薄茶色の目を見る。赤ん坊らしいまだ何にも知らない目、人を疑うことを知らない目だなと考えてしまったが、多分俺なりにテンション高かったんだろう。
「まずはシュレンからな。ああ、エリーゼ、お前おんぶしてやるよ」
用意しておいたおんぶひもを使い、まずエリーゼを背中に背負う。赤ん坊らしくちょっと高い体温を背中に感じながら、グズグズいうシュレンを抱っこした。さあ、ここからが本番だ。
「もう熱くないからな、フーフーしたから大丈夫だぞ」
俺の声に泣きつつも、何やら不審そうに唸り声をあげるシュレン。トウモロコシの匂いを嗅いだのか、何だか物欲しそうに目をそっちに向ける。
背中のエリーゼはまだ泣き止まない。正直煩いがこの際仕方ねえ。二人いっぺんには面倒見れない。
「んー......あうー」
シュレンが唸る。俺の左腕に抱っこされながら、右手の匙ですくった離乳食をジイッと見ていた。
それを少しずつ近づける。キョロキョロと俺の顔と離乳食を交互に見ている。もう少しで食べそうなんけどなあ、その一口が始まらない。
(焦ったら駄目だ、落ち着け俺)
自分に言い聞かせつつ、俺はシュレンに話しかけ始めた。普段はメイリーンがやっている赤ちゃんへの話しかけだ。
正直馬鹿馬鹿しいとは思うが、この時は何故かやってみようという気になった。
「なあ、シュレン。エリーゼ。ごめんな、こんな優しくない男が父親でさ」
まだ背中のエリーゼは泣いていた。グズグズと不機嫌そうだ。シュレンもどうしていいか分からないように唸り声をあげている。
ここは子供部屋だ。火が怖いから暖炉は置いていない。隣の部屋の暖炉の熱も距離があるからイマイチ届かない。
だからなのか。腕の重みと背中の重みが--やけに暖かく感じるのは。実の親の顔も知らない二人から仄かに伝わる熱、それが妙に優しい。
「お前ら、ほんとの親の顔も知らないままさ、大きくなっちまうんだよな。考えてみれば可哀相だな」
哀れみなんか、赤ん坊には必要ないのかもしれない。泣き声は煩いし、好きなことが出来ないのは邪魔くさい。
けど、こいつらだって好きで泣いてるわけじゃない。
もしかしたら母親の暖かさが欲しいのかもしれないし、父親と遊びたいのかもしれない。
「シュレン、お前に与えてやれるもんなんか、俺にはたいしてねえ。だけど俺から食べられなかったら、お前大きくなれねえぞ。俺はさ......お前らの父親と母親に託されたんだよ。育ててあげてほしいって」
何となく語りかけてみる。普段見せない俺の様子にシュレンが唸り声を止めた。
生後半年の赤ん坊に傾聴なんかできるわけないが、その時確かに俺はシュレンが俺の言葉を聞いてくれていると思った。思いたかった。
ゆっくりとシュレンの口元に匙を近づける。
俺のためでなくていい、お前の為に俺から食べられるようになってくれ。お前が顔も見ることが出来なかった両親の分も、生きる為に。
大丈夫だ、シュレンは嫌がってない。とりあえず一口だけでも食べてくれたら......
渋々といった感じで開いたシュレンの口に、そっと匙を入れた。小さな口がパクリと閉じ、思いの外強い力で離乳食に食らいついた。牛乳でふやかしたトウモロコシペーストだ、赤ん坊のほとんど無いような咀嚼力でも飲み込むように食べられる。
「あっ、あー」
空腹には勝てなかったのだろう、初めて俺から離乳食をもらったシュレンはもっとと言うように声をあげた。
やった! と心の中で歓声をあげながら二口目、三口目を持っていくと、その度にパクリと匙に食いつくシュレン。
(やはり腹減ってたんだな、すまん)
心の中で謝りながら背中のエリーゼの様子を伺う。
こっちはまだぴいぴい泣いてるものの、シュレンが離乳食を食べているのを見てからは少し泣き声が変わってきた気がする。
「ああ、お前も食べるか? 悪いけど順番な。シュレンが喉詰まらせないように見ないといけないから」と声をかけると不満そうに「あー!」と泣いた。
ほんとはベッドに二人寝かせて離乳食あげられたら楽なんだろう。だが寝たままの姿勢だと、喉に食べ物詰まらせるから駄目なんだ。面倒でもかわりばんこに赤ん坊を片手で支えて、もう片方の手で離乳食をあげなくちゃいけない。
食べ終えたシュレンの背中を指で軽く叩いてゲップをさせて、喉詰まりを防いだら、こいつの番は終了だ。
今まで背中に背負っていたエリーゼをまた左手抱っこしながら、出来る限り優しく話しかけてやる。
「な、大丈夫だ、エリーゼ。シュレンだって食べられたんだ。お前にも出来る」
「うー?」
背中にいた時には泣いていたエリーゼが、少し落ち着いたように見えた。腕に残ったシュレンの温もりを感じたせいか、あるいは抱っこの方が好きなのか。
理由は分からないけれど、よく見るとフワリとした金髪が愛らしいかわいい赤ちゃんだ。そういえば、こいつらの顔をじっくり見たこともなかったなあ。
「よしよし、エリーゼ。いい子いい子。大丈夫、お前なら出来るさ」
ぽろりと出た言葉はきっと根拠の無い期待、言い換えれば俺の願望に過ぎない。
でも、この二人が大きくなってくれれば何でもいいや。
お前だって生きたいだろ、エリーゼ。こんなかわいい赤ちゃんなんだ、大きくなったらきっと美人になるだろう。
(エイダの顔くらい覚えておいてやればよかったか......)
エリーゼが成長してから母親に似てるかどうかも、今の俺じゃ分からない。ちくり、と後悔に痛む心を抱えつつ、笑顔でエリーゼに離乳食の一口目を持っていった。
******
「......ファート様、ウォルファート様! 起きてください!」
「......イラさん、寝かせておいてあげたら?」
何やら聞こえてきた声に、俺はゆっくりと瞼を開けた。
視界は夜の闇ではなく朝なのだろう、白く明るい。透明度の高い春の光に意識が覚醒していった。そして、俺を覗きこむアイラとメイリーンが俺の前にいる。
「......おはよ、あり、いてて。何だか背中が痛いや」
気がつけば座ったまま、俺は眠っていたらしい。背中がやけに固いものに当たるなあ、と思ったらなんとベビーベッドだ。冊の向こうには二人が黒髪と金髪を並べて仲良く寝ている。
「力尽きて寝ちまったのか、俺」
「大丈夫ですか? 一人で大変でしたよね」
頭をかきながら立ち上がる俺に、メイリーンが心配そうに聞いてくる。声を聞く限りは風邪は大丈夫そうだ。よかったな。
「ああ、大丈夫だよ。昨日さ、夜中に俺が離乳食あげたらちゃんと食べてくれたんだぜ。やれば出来るんだよ」
「凄いドヤ顔ですね......でも、嬉しそうでよかったです」
アイラが呆れたように、でも笑顔で言ってくれた。こっちも風邪は治ったらしい。
よし、二人が戻れば今日も一日生きていける。
振り返って並んで眠るシュレンとエリーゼを見ると、ちょっとだけだが自分が優しくなれたような気がして何だかむずがゆい。
「朝ごはん召し上がります? お腹空いてますよね」
「頼む、アイラ。あ、メイリーン、わりいけど二人のそばにいてやって。ぼちぼち起きると思うからさ」
「わかりました、ウォルファート様。何だかほんとのパパみたいですね」
メイリーンの言葉にきまりが悪くなり、俺はそっぽを向いた。ほんとのパパなわけないだろ、俺が。成り行きだっつーの。
「俺しかこいつらにはいないんだから、当たり前だろ。義理でもなんでもやってやるよ」
まあさ、育児ってしんどいけどさ。たまにはいいもんだと思えることがありゃ、何とか続けていけるかもな。