出陣します
ベリダムの宣戦布告、それは大半の王都の住人にとっては寝耳に水の出来事だった。確かに北方領土で何やら不穏な動きがとは囁かれてはいたが、それはあくまで裏の世界で伝わる情報--表沙汰に出来ず流れる情報に過ぎない。その噂の当事者が正式に反乱を起こそうとは、噂話に興じていた人間も「まさか」と言いたくなるだろう。
噂レベルだから口に出せた。
所詮、裏付けがない物騒な話だから冗談で言えた。
人とは無責任な生き物であり、罪の無い噂ならいくらでも面白半分で話す。だがいざそれが現実となると、足元は崩れ目の前に恐怖が立ちはだかるわけだ。
北の狼の牙は確実に王都に向いている。その事実に狼狽する人間は多く、俺達の生活にも暗い影を落としていた。
「幼稚園まで一時休園か。仕方ないけど何だかな」
「つまんないよー!」
俺の目の前でエリーゼが膨れっ面になっている。そう、二日前--ベリダム宣戦布告の翌日だ--からグランブルーメ幼稚園はお休みになり、シュレンとエリーゼは屋敷から出してもらえない。いや、別に一歩も外に出てはいけないわけではないんだが、町が全体的に物々しくなり子供が遊びづらい雰囲気にはなっているんだ。
「ケビン君と遊びたいなー」とシュレンが言えば。
「クリュクス君と遊びたいなー」とエリーゼが応じ。
「「パパー、幼稚園まーだー!?」」と俺に向かって二人が声を張り上げた。くっ、言われても困るんだが。
暇を持て余した双子の気持ちも分からなくはない。幼稚園だとお遊戯や学習の時間で、半日以上は遊べるからな。ちなみにこれくらいの年齢の子供だと、何をやろうが遊びとして捉えられる。小さいっていいな。
だが、小さい子供には子供なりの弱みがある。ストレス耐性が低いのだ。我慢ということに対し、まだ慣れていない。そして自然とぐずりだす。
「早く行きたいなあ。皆と遊ぶんだー」
「いやな、ほら今はちょっと危険事態だからさ。それが終わったら行けるから」
シュレンが窓の外を見ながらぼやく。俺はなだめることしか出来ない。エリーゼの方がまだ諦めは早いようで、今はセラと遊び始めた。
「この箱にリンゴが二個、あっちの箱にリンゴが三個あります。合わせて何個になるかなー」
「0個!」
「えっ......」
確か前は出来た問題なんだがなー、と俺も思った。だがエリーゼにはエリーゼの理屈があるらしい。
「全部あたし食べるから0! リンゴ好きー」
「お腹壊しちゃうわよ?」
食えるもんなら食ってみろ、とちょっと意地悪に俺は思ったが、腐っていたシュレンも二人に近寄り一緒に遊び始めたので良しとしよう。
「そういえばリオンさんはどちらに行かれたのですか、ウォルファート様」
「あいつ? 今日は軍事府だろ」
セラに答える。俺が何で家にいるかって? あれだよ、出陣前の粋な計らいってやつが俺の身にも下されたんだ。ありがたいんだが、これはこれで落ち着かないものもある。
セラに言った通り、リオンことアリオンテは今日は軍事府に呼び出されていた。ギュンター公自ら彼の戦う気持ちを確かめたいらしい。何と言ってもあの大魔王の息子だからなあ。他の人間と混じって上手く戦えるのか、イマイチ確信が持てないんだろう。
「そうですか......やはり、リオンさんも戦場へ赴くんですね」
「そのために王都まで逃げてきたようなもんだ。今更逃げねえよ」
「勇者様は--」
セラが口をつぐむ。言おうかどうか迷っていたが、結局はまた話し始めた。
「--戦争は怖くないのですか? たくさんの人が死ぬんですよね。理不尽な暴力に巻き込まれることもあるし」
「怖いね。でも怖い気持ちを飼い馴らすことに慣れちまった。いいことか悪いことか分からないけどな」
俺の素直な本音だ。大概負けないとは思うが、何があるか分からないのが戦争だった。ふと敵兵のただ中にほうり込まれ、乱戦の内に討たれるなんてことは普通に起こりうる。
そういう目にあってきた人間を何人も知っている。強い奴、そうでもない奴、いい奴、悪い奴。色んな人間がちょっとした弾みで戦死し、後になって何故あの時あんな場所にと嘆かれたもんだ。
「--魔がさすって言葉があるが、あれは本当だ。本来とるべき行動が分かっていたはずなのに取れない。訳が分からないうちに窮地に立たされ、あっという間に飲まれる。それが普通に戦場では起こる」
シュレンやエリーゼに配慮して少し小声で俺は話す。聞いても何が何だか分からないだろうけど、気持ちの問題だ。
「それを俺は知っているよ。だから怖い。だけども何度も経験した。だから恐怖を飼い馴らせる」
「そうなんですか。聞いていて私は......怖くなりました」
「恐怖を飼い馴らせるってことがかい。ハッ、ある意味人間を辞めた精神力が必要になってくるしな」
セラの言葉に自嘲の気持ちを込めて笑った。そう、目の前で長年付き合いのあった戦友が切り飛ばされても、動揺もせずに戦い続けられるってのはどう考えても普通じゃない。その瞬間に恐怖は感じるが、同時にそれを捩じ伏せて戦い続ける。後で振り返って何故そんなことが可能なのか、疑問に思うこともあった。
ある意味人が人でなくなるのが戦争だ。肉体的、精神的なダメージに加え自分自身の存在が普段からかけはなれた物になる。異常な機会と言ってもいい。
セラへの視線にいたわりを込める。心配すんな、と目だけで言ってやる。ああ、駄目か? ちゃんと言わないとな。
「なあ、セラ。俺は大丈夫だよ。生きて帰ってくるし、俺が俺であり続けるって意味でも大丈夫だ。だから大人しくシュレンとエリーゼとお留守番しててくれ。お前にしか頼めない仕事だ」
「はい!」
「パパ、どこか行くの?」
「やだ、あたしたちも行きたい! 連れていって!」
セラに続いてシュレンとエリーゼが俺によってたかる。悪いな、お前達は連れていけないんだよ。
「うん、ちょっとな。危ないお仕事に行かなくちゃいけないんだ。だから二人は連れていけない。セラと待ってろ、なるべく早く戻るから」
えー、という顔になる双子の頭を撫でてやった。赤ん坊の頃と比べると全然違うな。シュレンは徐々に少年と言える顔立ちになっているし、エリーゼは小さな女の子になりつつある。
「うん、分かった。早く帰ってね」
「セラとシュレンとおうちで待ってるよ」
「おう。あ、そういえば--何でもない、悪い」
二人に答えながらふと思い出した。去年の夏に考えてから、これまで果たせていない事がある。「どうしたのですか?」と聞くセラに曖昧にごまかしつつ、そういや忘れてたなと軽く反省した。
うん、これは今は二人の前で言うのは止めておくか。言ったら何か不吉な気がするし。
******
出陣の準備は急速に進んだ。元々ベリダムの反乱の可能性については、あの会議以来真剣に検討されていた。そのため下準備は既に済んでいた。必要な兵数、それを束ねる指揮官の選出、陣容の整備、武器や兵糧の確認などが目まぐるしく整っていく。
「息つく暇もないね、全く」
「仕方ないっしょ、イヴォーク侯」
ぼやくイヴォーク侯を苦笑まじりになだめる。彼が筆頭を勤める総督府は直接戦闘には関わらないが、不安におののく住民の統治や軍事府との共同作業になる敵兵の動向察知に忙しい。加えてイヴォーク侯はオリオス国王陛下の相談役でもある。忙しいのは避けられない。
「シュレイオーネが建国されてから初の戦だ。まとまっていない部分があるのは仕方ないが......だからといって負けていいという物でもない」
頭痛がするのか、ギュンター公が額を押さえる。軍事府筆頭の彼は今もっとも多忙と言っても過言ではない。何せ何でもかんでも持ち込まれるのだ、たまったものでは無いだろう。
「すまん、私が文句を言うべきじゃあないな」
「いや、貴君もそれほど大差無いさ、イヴォーク侯。いずれにせよ、勝てば全ては報われる。今は我慢だ」
「そこは任せといてくださいよ、俺が決めてきますから」
二人の会話に割り込みつつ、俺は親指を立てた。今回集まった二万の兵の内、先鋒の四千を預かることになったのだ。騎兵中心の機動力と接近戦に長けるこの部隊はまさに敵の出鼻をくじくのに打ってつけさ。更に俺の希望を通してもらい、エルグレイ、ラウリオ、ロリスそれにアリオンテは同じ部隊にしてもらった。戦力的にはこれで十分だ。
「しかしいいのかね、ウォルファート様? いくら騎馬隊中心とはいえ配属された魔術師がエルグレイ君だけとは流石に少なくないか」
ギュンター公が心配そうな顔をするが、全然大丈夫さ。
「全く問題ないっす! あいつ一人で並の魔術師の三十人分は働きますよ? それにこういう大規模な戦なら、エルグレイほど向いている魔術師いないですからね」
「ほう、まあそこまで言うなら......頼りにしているよ」
「ま、まさか隕石落としや悪魔召喚などですかな! ドキが胸胸しますぞ!」
ギュンター公が落ち着いたと思ったら、今度はイヴォーク侯か。そういえばこの人、いわゆる劇場型の派手な展開好きだったよな。
「いえ、そういうのとはちょっと違いますが。でも遠距離攻撃系の攻撃呪文には違いないです。それに俺も遠距離攻撃系に集中したら、それなりにやりますよ?」
「うっひょ、あの天才とうたわれるエルグレイ・シーフォウスと大陸最強のウォルファート・オルレアン公爵の共演ですか! 有料でも見たくありますな!」
「いくら出します?」
「5,000グランまでなら即現金で。それ以上だと妻の決裁が--ガガガガガ」
うお、いきなりイヴォーク侯が固まっちまったぞ。そんなに奥さんが財布の紐握ってるのか、こええな。俺やっぱ独身でいいわ......
「イヴォーク、イヴォーク! しっかりしろ、帰ってこい!」
「あ、ああ、済まないね、ギュンター公。私が勝手に限度額を超えて使おうとすると、妻にこっぴどく怒られてね。今でも心に傷が--うっ、右手の封印が疼くっ!」
「......余裕じゃないすか、やだなーもうー」
なんだかんだ言いつつ、このクソ殺伐とした戦時中なのにギュンター公もイヴォーク侯もまだ気持ちの余裕あるな。いいことだよ。
******
それから一週間が経過し、今に至るってわけで。放っていた間諜から"ベリダム、出陣"の一報を受けとった俺達はそれに応じることとなった。王都の城壁を利用した籠城戦も考慮されたが、城壁周辺には難民達に解放した開墾地がある。それを荒らされたくないという点に加え、王都の住民達への被害は出したくないという意見が重視された。
その結果、当初俺が希望した通りの出撃しての野戦となったわけだ。ベリダムの奴がまっすぐ進んでくれば、王都と北方領土の丁度真ん中辺りで激突することになる。その辺りは適度に起伏のある野戦向きの地形であり、お互い望むところと言ったところだ。
「て、わけで行ってくるぜ。いい子にしてろよ」
「「頑張ってねー!」」
馬に乗りながら双子にしばしの別れの挨拶だ。俺と同じように、周りの兵達も親族や恋人に再会を誓っている。涙あり、抱擁あり、激励あり、人それぞれに形は違うが根底に流れる物は同じだろうよ。
セラはアリオンテに声をかけてからこちらに来た。照れ臭さもあるのか、少し伏し目がちになってやがる。
「あの、今更行かないでくださいとかは言わないです。言わないですけど」
「うん」
「--私を一人にしないでくださいって言ったら、わがままでしょうか?」
涼しさを増した秋の空気の中、俺の内縁の妻は声を震わせた。唯一見える右目は深さと透明さを兼備した不思議な青だ。
考えてみれば、セラとも結構長い付き合いだ。四年近くにもなるか。正式な妻でもない制限のある立場で良く頑張ってくれたよな。
「全然わがままじゃねえよ。ありがとな、セラ」
そして俺はほんの少しだけ、彼女を抱き寄せた。軽く腕の中に存在を感じ、そして放す。
感謝とか惜別とか、あるいはちょっとした好意とか--俺の中の感情全てを込めて。
「シュレン、エリーゼ! ちゃんとセラの言うこと聞けよ? 俺、すぐに戻ってくるからな!」
双子の、そしてセラの返事は聞けなかった。丁度その時、全兵士に出立を告げる声が大音量で響き渡ったからだ。声の主は誰かって? 国の一大事とくればあの人に決まってるじゃん。
「多くは言わぬ。この場に集いし全員に感謝を! 勝利を携えまたこの王都へ戻ってきてくれ!」
オリオス陛下も中々役者だな。長々とした言葉よりもよっぽど効果的だよ。高揚した士気を帯びたまま、兵士達が歩き始める。磨きこまれた武器や鎧が朝日を弾き、壮麗な光の列となっていく。
「先陣、ウォルファート隊! 出るぞ!」
大声を張り上げ、俺はそのまま先頭へと馬を進めた。黒鹿毛の逞しい軍馬が俺の声に応えるように一声いななく。ざわめき、戦意、そういった無形の物を背中に感じながら俺は前を向いた。
もう待った無しだぜ?
「なあ、ウォルファート」
「どした、アリオンテ?」
「あんた、双子ちゃんに何か約束とかしてないのか? 生きて帰ってきたらあれしよう、とかさ」
俺の隣で馬を進めるアリオンテの質問に、何と答えるか少し迷った。口に出したら笑われそうだが、でも誰かに言いたい気持ちもある。結局後者が勝った。
「去年な、シュレンとエリーゼにお前らの実の両親の墓参りに連れていくって約束したんだ。それをやらなくちゃな」
そう、去年の夏の休暇の際に交わした約束だ。あいつらにとっても俺にとってもきっと意味があるだろう。墓参りなんかしたところでシューバーとエイダが生き返る訳じゃないが......けど、俺達自身に何か気持ちの踏ん切りがつくさ。
俺の言葉を聞いたアリオンテは「そうか」と呟いたのみだ。父アウズーラがまさにシューバーを殺した張本人だけに、上手い言葉が見つからないのかな。
「てわけだ、俺が双子との約束を果たせるようにお前も奮闘してくれよ。せっかく刀も貸してやったんだしな」
「は? 言われなくてもやるし! お前こそ僕の足引っ張るなよ! いいか、ベリダムを倒すのは僕なんだからな!」
「へっ、泣きべそかいてたくせに良く言うぜ! なんなら居候してた間の家賃請求しようか、あーん?」
「ななな何だってー! き、貴様それでも勇者か汚いぞ!」
「そうですよ汚いですよ何か文句ありますかー」
うん。俺大人げないな。