始まっちまうぜ?
噂レベルで漂っていた話が徐々に真剣味を増して語られていく様子は、霧が濃くなる風景にも似ている。最初はほんのちょっと景色に霞みがかっていたような、その程度の状態だ。それが知らない内に視界を埋め尽くし、完全に自分を包囲しているようになる。
(その時にはもはや逃げられないってわけだがな)
軍事府で開かれた会議の席に座りつつ、ふと俺はそんなことを考えていた。周りの喧騒が妙に遠く感じられる一方、先程ギュンター公から告げられた事柄が頭の中で反響する。その情報に絡んで浮かぶのは黄金の髪と目を持った男の姿だ。
「先の会議で話に上がったことが、遂に現実化したということだ。開戦の宣言は陛下が下される。それまでの間は表立っては軍を動かせないが、いつでも出陣出来るように準備だけは怠りなきよう」
声に巌の厳しさを加え、ギュンター公が告げた。具体的な作戦は追って告知する、とのことであり会議が一旦解散となる。
周囲の空気は、ぴりぴりとした緊張感と得体の知れない興奮で僅かに熱を帯びているようだ。「ウォルファート様がやはり先陣なのですか?」と顔見知りの軍事府の人間に声をかけられた。そんなことは知らん。
「さあね、それはギュンター公らが決めることさ」
「そうですよね、済みません。何だかいきなり戦争ということが告知されて、こう、舞い上がってしまって」
まだ年若い武官の彼は正直に自分の気持ちを吐露した。落ち着け、と言いたくなったが無理もない。六年前の戦争時にはまだ子供だったのだろう、初めての戦を前に浮き足だっているんだ。
「俺達があたふたすれば下の者も皆がたがたする。自信を持て、とは言わないが表情だけでも繕えよ」
「はい、しかし相手がまさかあのベリダム・ヨーク辺境伯とは......驚きました」
「そうだな。けどな、誰が相手であっても戦争は戦争だ。相手が魔族でも人間でもやることは変わらないさ」
半分は自分に言い聞かせながら、俺はポンと彼の肩を叩いた。それで気が軽くなるなんてことはないだろうが、今俺がしてやれるのはそれくらいだ。
ベリダム・ヨーク辺境伯、謀反。ご丁寧に使者を立てて王都に通知を寄越してきたのは昨日のことだ、とは先程ギュンター公から聞いたことだ。
初秋の月の十六日、正午。秋の風と夏の名残の日差しが溶け合う季節、このシュレイオーネ王国の王都では俺達人間が生み出す熱狂が渦巻き始めていた。
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現在確認出来た情報によると、ベリダムの奴はすぐにでも出陣可能な状態らしい。もっともそれが出来ない状態で宣戦布告する輩もいないだろうが。間諜が調べたところによれば、その兵数は九千強を数える。表に出していない兵がいれば別だが、仮にいてもそうそう隠せる訳じゃない。だから多くても一万は超えないだろう。
俺個人としては、やるべきことははっきりしている。ベリダムを引き受ける覚悟はとうに出来ていた。最初から一対一でやるかは分からないが、いざそうなったら全力でぶちのめすのみ。
一年前は所詮は模擬戦だったからな。それにいけ好かないとは思っても、精々軽く反発を感じる程度だった。今回は違う。野心を剥き出しにした辺境伯は正式に国の敵となった。戦って本気で屈服させなくてはならない。
ベリダム・ヨークか。相手にとって不足は無い。
「って訳で戦争になるって話だ。分かったか、お前ら?」
「軽っ!?」
「普通もっと重々しいものじゃないんですか、勇者様ー!」
とても端的に話し終えた俺に容赦の無いツッコミを入れてくるのは、アニーとロリスだ。その隣にいるラウリオとエルグレイは苦笑している。
何でこいつらが俺の目の前にいるかというと、軍事府代表として俺が冒険者ギルドに赴いたからさ。将軍や兵士と違って自由業の冒険者達は戦争に赴く義務は無い。無いんだが、報酬次第では参加する輩もいるし腕のいい冒険者なら頼りになる。
そういう訳でこの俺、ウォルファート・オルレアンが直々に出向いてきたってわけだ。最近足を運んでいなかったので目ざとく見つけたアニーからは「あーら、ウォルファート様、ご無沙汰ね?
最近お店に来てくれないからボトルも下げちゃったわ」などと軽口を叩かれた。
「アニー、俺は一つ忠告していいか?」
「はい、お聞きします、お聞きしますよこの可愛いアニー・オーリーは!」
「そういう冗談ってさ。もっとこう色気のある姉ちゃんが言わないと寒いだけで--って、何でそんな重い机持ち上げてやがんだ! 止めろ、話せばわか......」
ふう、危なかったぜ。鬼のような顔になったアニーがギルドの受付机持ち上げた時は、一瞬死を覚悟したが。アニーの背後にいた先輩らしき女性--ああ、確かミランダさんだっけか?--が止めてくれなかったら、俺はベリダムと戦う前に命を落としていたかもしれない。
「ハア、ハア、ハアッ、すみません、ミランダさん。あたし、頭に血が上っちゃってつい......勇者様を亡き者にするところでした」
「ダメよ、アニーさん。あなたが例え色気に欠けようと、肝心なところで抜けていようと私の可愛い後輩には変わりないんだから! 軽率な真似をして人生棒に振らないでね?」
「刺さるっ! ミランダさんの言葉がグサグサくるっ!」
カハッ、と血を吐くような真似をしてアニーは突っ伏した。何を遊んでいるんだ、こいつは......
「アニーさんを連れていったら戦力になるかもしれませんね」
「ラウリオ、それはマジで言ってるのか、それとも冗談で言ってるのか。それによって俺のお前への評価は大きく変わる」
「僕はいつだって大まじめです」
うん、そうだったな。妙に真剣な顔で答えたラウリオを見て、俺は心の中でため息をついた。そう、真面目も通りこすと良くないのだ。だが確かにアニーがたまに見せる怪力は魅力だ。岩でも与えておけば敵兵目掛けて投げつけて--くれるわけ無かろうが。しっかりしろ、俺。
「ウォルファート様、あたし戦闘要員なんかになりませんからね。応援団ならやってもいいですけど」
「応援団って何する気さ。旗でも振ってくれるんか」
「それはもう華やかに後方から戦意高揚の歌と踊りを捧げ奉るんですよ! 疲れなんか吹き飛びますよ?」
「うん、気持ちだけでいいわ。そしてお前と遊びに来たわけじゃねえんだわ」
軽くあしらうと、アニーはショボーンと音が聞こえてきそうな様子でうなだれた。はいはい、後で遊んでやるから俺の用事を済まさせてくださいな。
「で、今日は何のご用なんですか、夜の勇者様」
「夜の付けるな。決まってるだろ、戦争発生に伴う出陣クエストの依頼に来た」
ロリスにそう答えると、周囲の冒険者達がざわめいた。流石にエルグレイは落ち着いている。ラウリオは元々決心が固まっているせいか微動だにしない。というか、イヴォーク侯の私兵であるこいつは最初から出陣しないという選択肢は無いのか。
「でだ。クエストの内容や報酬、諸々の条件についてはこの用紙を見れば済む話だが。せっかく足を運んできたのでもし疑問や質問があれば、ここで受け付けるよ」
「--はい、私も聞いてもいいでしょうか」
「勿論」
一番手はエルグレイだった。最近揃えたらしい魔力付与がかかった白いローブを纏い、すっくと立ち上がる。
それだけで周囲にどよめきが起きた。俺、ウォルファートとエルグレイといえば六年前の大戦で肩を並べた仲と誰もが知っているからだ。勇者とその一の仲間の魔術師がこうして顔を合わせる状況は、なかなかあるものじゃない。
「私は参加するつもりではありますが、基本的なことは知りたいですね。敵兵力はどれくらいですか」
「凡そ確認出来ている数が九千。多くても一万は超えないさ。こちらは今動員数をカウントしているが、二万は超える」
「ベリダムだけでこちらの半数? 多くないですか」
「奴が王都をまっすぐ狙うか分からないから、貴族が所有する私軍からあまり徴用出来ねえんだよ」
そう、俺の説明通りこれはこちらの弱みだ。王国の持つ領土は広いものの、王都を中心とした直轄地を別にすれば後は貴族達の所有地だ。そこを守るのは、基本的には貴族達自身が持つ私兵である。それを全部討伐の為に差し出せとは、流石に言えなかったのだ。
「イヴォーク侯くらい国の重要人物になると、私兵を差し出さないとか有り得ないんですけどね」
ラウリオが自分自身を指差した。その表情に悲壮感は無い。エルグレイは「二倍もいれば十分でしょう」とだけ答え、周囲を見回す。
「さて、皆さん。私は勇者様とは古い仲なので今回の戦には参加します。戦争なので流れ矢一つで命を落とすかもしれませんが、腕に覚えがある人はどうぞ」
「俺からも改めてお願いするわ。国軍だけでも数の上なら圧倒しちゃいるんだが、何があるか分からないからな。乱戦になれば、場合によっては正規軍より力を発揮する冒険者の底力を借りたい」
エルグレイに続いて口添えする。そう、何があるか分からないのが戦争だ。それにこれはここでは言わないものの、ベリダムの揃えた兵種について俺は一つの推測を持っていた。外れてくれればそれにこしたことは無いが、もし当たっていればとても正規軍だけではどうにもならないだろう。
今回の冒険者達への出陣クエストの依頼は、俺自身が発案してギュンター公の許可を得ていた。それもあって自分からギルドに足を運んできたのさ。
エルグレイの質問を皮切りに、他の冒険者達も俺にいろいろ聞いてくる。募集期限はいつまでか、報酬はいつ支払われるのか、戦死した際の遺族への保証はあるのか、俺この戦いから戻ったら結婚するんだはやはり言わない方がいいのかなどなど......最後の一つはもろに当てはまる奴が近くにいるな。
「そういえばラウリオさん、アイラさんとの結婚式ってこの秋でしたよね」
「え、ええ」
「それはその、うん、生きて帰りましょう」
ロリス、不吉だからあまりそのことを言うな。周囲が同情するような目でラウリオを見るのは止められないにしても。
俺自身はどうなんだろう。もし死んだら双子とセラはやっぱり悲しむだろう、と少し考える。そもそも俺が死ぬような事態になれば、それは国軍全体の敗北に高い確率で繋がるだろう。
そもそも死にたくはないが、後の事を考えてもやはり死ねないものはある。
「ロリス、お前はどーすんだ。退魔師ってあまり人対人向けの職業じゃないよな」
無理するな、という意味を込めて言ったんだが、ロリスは退く気はなさそうだった。青いショートカットの髪を帽子の中に押し込みながら、俺の方を見る。
「呪符による支援も出来ますし、僕も参加しますよ。皆行くのにお留守番とか嫌ですからね」
「なら無理には止めねえよ。アニーは絶対駄目だからな。来るなよ?」
うん、ロリスはいいや。でも非戦闘員のアニーはなあ。応援団とか言ってたけど、まさか本気じゃないよな。
「あたしは無理ですから。行っても足手まといだし、行かないですよ」
「了解、無事を祈っててくれよ」
そう言うと珍しくアニーが黙った。ちょっと身構えていると向こうを向かれてしまった。
「--絶対皆戻ってくるって信じてますからね!? あたしが言いたいのはそれだけです」
「分かってるさ」
待つ身だって怖いよな、そりゃ。今は意気揚々としている奴らだって、いざ敵を前にしたらどうなるか分からないし。
勝って帰ってきてやる。それしか言えない。