アニー・オーリー、見知らぬ隣人を語る
(誰だろう? どこかで見たような気もするんだよねえ)
ウォルファート様のお屋敷を覗いた時--覗くと言ってもあたしとアイラお姉ちゃんの借家は同じ敷地内にあるんだけど--あたしは首を傾げざるを得なかった。
庭の木に登りキャッキャ! とはしゃいでいるシュレンちゃんがいるのはいつも通りだ。その木の根本にかじりつき自分もよじ登ろうとしているエリーゼちゃんがいるのも、いつも通りだ。
「おい、危ないから下りてこいよ! 怪我しても僕知らないからな?」
「やだよーだ。シュレン、木登り上手いもん」
「エ、エリーゼだって、エリーゼだって......!」
誰なの、あの子?
そう、いつも通りじゃないのはあたしの視線の先にいる。双子ちゃんのちょっと危なかっしい遊びを止めようとしている、紫色の髪をした男の子だ。少年と言った方が適切かもしれない。
客人なのかな? でもそれにしては、双子ちゃんがずいぶん親しげにしているな。ああ見えてシュレンちゃんもエリーゼちゃんも、普段関わりがない人には遠慮する。でも、庭を挟んで見える二人の様子には遠慮の欠片もない。何日かあの屋敷に滞在しているのだろうか。
どなたなのかしら? 勇者様は知己も多いから、当然訪ねてくる方も多い。けれど長逗留する方はほとんどいないはずだ。四ヶ月程前にご両親が訪ねてきた時くらいじゃないかな。
小さな庭の手入れをしながら考える。見た感じ、双子ちゃんより三つか四つくらい年上。仕立ての良い服をきちんと着こなし、まだ子供にも関わらず気品のある面立ちをしている。お屋敷に仕える召し使いの子供という線はなさそうだ。
「アニー、まだお庭にいるの? ちょっと手伝ってくれるー」
「はーい、お姉ちゃーん」
あっ、そうだ。お姉ちゃんなら何か知っているかも。家から聞こえてきたお姉ちゃんの声に答えながら、そう思いついた。家に入る前に一度振り返ると、三人がまだ遊んでいるのが見えた。「止めろよ! 髪引っ張るなよ!」と名前も知らない少年が叫んでいる......。
うーん、謎だ。でもどこかで見た気もするんだなー。
******
「私は何もお聞きしてないわよ。ラウリオさんは?」
「いや、僕も何も。あ、でもそれらしき子、この前軍事府にいましたよ。髪が紫色で目が赤い少年」
「そうそう、ちょっといいとこの子っぽい子!」
善は急げとお姉ちゃんと、うちに遊びに来ていたラウリオさんに聞いてみたんだ。あ、この秋にね、ラウリオさんとお姉ちゃんは挙式する予定で、その打ち合わせも兼ねているから遊びとも言えないのかな。
って、あたしが言いたいことはそうじゃなくって。ラウリオさんの言葉に引っ掛かった。
「軍事府? 勇者様の勤め先でしょ、何でそんなところに子供が入れるの?」
「いや、僕もその一回くらいしか接点無くてね。名前も知らないんだよな。勇者様と一緒にいたよ」
「怪しいわね」
ウォルファート様がお勤めしている軍事府は、国の防衛を司る重要な機関だ。そんな場所にまで入り込めるなんて、あの少年はそれ相応の立場にある人物なんだろうか。
突如現れた謎の少年か。しかも勇者様の近くにいるとか、ますます怪しいな......あっ、まさか!
「勇者様の隠し子ね! そうに違いないわ!」
これ以上無いほど真剣に頭を働かせて末の結論。あたしは真剣だ。キリッと謎の音が部屋に響くほど真剣だ。だけどアイラお姉ちゃんとラウリオさんは、何故か可哀相な子を見る目であたしを見ている。
止めて! そんな痛々しい人を見る目であたしを見ないで! 特にラウリオさん! そしてあたしの口はそんな思いとは裏腹に、軽口しか叩かない。
「ラウリオさん、もうあなたとは義理の兄と妹の関係になるんです。そんな熱っぽい目で見られても--あたし困ります」
「アニー」
「ひゃいっ!? い、痛いっ、嘘、冗談、あの謎の少年について考える緊迫した空気をっ、少しでも解きほぐそうとしただけなの!」
ああー、止めてよお、お姉ちゃんー。年頃の乙女の耳引っ張らないでよおー、ちょっとした冗談、ジョーク、冗句じゃないのお。
「ああ、うん。僕、悪いけど姉妹両方愛するとか無理だからさ......そういうのは薄い本だけでいいと思うんだよね」
「ラ、ラウリオさん! 私という女がありながらそんな本持っているんですか!? 捨ててください、燃やしてください、今すぐ家に帰って家ごと燃やす勢いで!」
「ははは、ダメよお姉ちゃん。結婚前の女がそんなことでうろたえてたら。ここはもっと正妻の余裕らしくどーんと構えて。あんまりキーキー言ってると嫌われちゃうよー」
うふふ、お姉ちゃんたらこんなことで狼狽して可愛いなあ。本当にラウリオさんのこと好きなのねー。でもあたしも、義兄にラウリオさんみたいなカッコイイ人がいたら鼻が高いなあ。
ハッ、今気がついたけど、お隣りにコブ付きだけど、内縁の妻ありだけどとりあえず見てくれは文句無い勇者様がいて。かつ、義理の兄にラウリオさんがいて。おまけに謎のイケメンショタまで身近にいるなんて--あたし、ある意味恵まれてるんじゃないかしら。
ある意味が何の意味か何て考えないけど。考えたら負けな気がするし。
「アニー、アニー! 何ぼーっとしてるの、しっかりしなさい!」
いけない。妄想に囚われて現実を見失っていたわ。心配そうに覗きこむアイラお姉ちゃんに悪いわね。危うくこぼれかけていた涎をさりげなく隠す。
「ううん、何でもないわ。あたし、お姉ちゃんとラウリオさんに囲まれて幸せだなあと思っていただけよ!」
「まあ、この子ったら」
「はは、アニーちゃんは素直だなあ」
あら、アイラお姉ちゃんもラウリオさんもあっさり騙されちゃってるわ。そう、あたしは素直よ。自分の欲求と妄想に素直なのよ、悪くないわよね?
******
「......ほう、勇者様のお屋敷にそんな謎の少年が」
「そう、謎の少年なのよ。ロリスも誰なのか知りたいでしょ」
数日後、あたしは友人のロリスと会っていた。クエスト帰りのロリスは少々お疲れのようだが、あたしの誘いは嬉しかったらしい。「僕は同年代女子との会話に飢えています」という一言がそれを証明している。
適当に選んだお店でご飯を食べながらの、気楽な会話だ。多分、クエスト中の殺伐とした雰囲気の反動もあるのだろう。口数こそ多くないが、ロリスは楽しそうだった。
「そうですか、勇者様の家にね。どんな縁でいるのか、ちょっと興味ありますね」
「でしょ? あたし思うんだけど」
「はい」
「きっとウォルファート様の隠し子ね!」
きっぱりと言い放ったのにロリスの反応は鈍かった。怪訝そうに眉をひそめ、あたしの顔を見る。
「あの勇者様が? 素人に手を出せない勇者様が? 隠し子って--ないですよ」
「水商売の女の人と過ちがあったかもしれないじゃないの。そりゃ今でこそ節度ある遊び方をしてるんだろうけど、若い時は凄かったかもしれないじゃない」
「う、ううん......一概に否定は出来ませんがあの人、そういう面ではそつがないと思うんですけどね」
どうもロリスは納得いかないらしい。その様子を見ているとあたしも自信が無くなってきた。そもそも、あの子、あまり勇者様に外見が似ていないのだ。双子なのに髪と目の色が違うシュレンちゃんとエリーゼちゃんという例外はあるけど、普通は血縁があるなら髪と目のどちらかは似るものだし。
そう考えると、存外に真相はつまらないものかもしれない。付き合いのある貴族の子弟を預かっているだけとか。
あれ?
その時、唐突にあたしは思い出した。あの紫色の髪をした男の子をどこで見たのかを。
そう、確か一年くらい前だよ。ウォルファート様やラウリオさん、ベリダム辺境伯が参加した闘技会で。
「ねえ、ロリス。あたし、あの子どこで見たか思いだしたわ」
「え? 今回が初めてじゃないんですか、アニーさん」
「うん。最初見た時にどこかで会ったことあるって思ってたの」
記憶に焼き付いた風景が甦る。そうだ、屋台の中にいたんだ。闘技会の会場に立てられた屋台で帽子被って、売り子してた子だ。あたし、あの子からじゃがバタ買ったもの。
それをロリスに話すと、彼女は驚いたように目を見開いた。そうだろう、貴族の子弟ならそんな屋台の売り子などしない。
「ますます謎ですねえ。しかもアニーさんが見た限り、高貴な感じがするんでしょう。そんな子が屋台で働いていて、しかも勇者様と縁があるなんて」
「ミステリーね。あー、そういえばその屋台、背の高い男の人が一緒にいたと思うんだけどな。あの人は何だったんだろう」
うん、確か黒い長い髪をした人だ。ちょっと頑固そうだけど、整った顔してたな。ただの屋台の仕事仲間かもしれないけどね。
ロリスがぐいっとエールの杯を傾ける。小柄な体格にも関わらず、いい飲みっぷりだ。プハッ! と息を吐くと少し赤くなった顔をあたしに向けた。
「アニーさん、ここでうだうだ考えても仕方ないです。直接聞いてしまいましょうよ」
「......そうね。下手な考え休むに似たりっていうしね」
「お隣りさんなんだからちょっと遊びにいって、あら見ない顔ね♪ って聞けばイチコロですよ」
「うっ、でもこちらが警戒されたら? どうしたらいいかしら」
「ふっ、おねーさんといいことしないと色仕掛けで迫れば......ガッ!」
ロリスが阿保なことを言うので、思わず反射的に頭を皿で叩いていた。衝撃のあまり、卓上のスープに顔面を突っ込んだ彼女が何か喚いていたが気にしない。
「あたしはね! ショタは好きじゃないの! 確かに可愛らしい顔はしてるけど、オネショタプレイとかお断りなの!」
「だ、だからって本気で叩かなくてもいいじゃないですか! 僕、顔面火傷しそうでしたよ!? 女の子の顔になんてことするんですか!」
「大丈夫よ、そしたらあたしが貰ってあげるから」
「え、アニーさん......ポッ、なんて言うか、馬鹿ー! 百合は趣味じゃないです!」
うん、やっぱりこのノリの良さはロリスとでないと中々出せないのよね。やっぱり持つべきはいい友人だなあ、とあたしはつくづく思う。おっといけない、肝心の謎の少年についてどうにか正体を探らなくちゃね。
あー、なんかお酒飲みながらこういうたわいもないこと話すの、楽しいなあ。あの男の子が誰でも良くなってきたわ、こういう楽しい話題を提供してくれるってだけで十分なのかも。
「まずはこんにちは、からよねー」
ぽつりとあたしが漏らすと、ロリスは「何の話れすか、ヒック」と反応してきた。あ、駄目だ。もう酩酊状態だわ。クエスト終わって弾けちゃった部分もあるのかしら。
「やーねえ、勇者様のお屋敷にいる謎の少年にお近づきになるって話よ。忘れたの?」
「忘れないですよー、このロリス・クラインちゃんは......昔、助けられなかった霊のこととかも、ちゃんと覚えて......ヒック」
あたしに答えるロリスの言葉の語尾が段々小さくなっていく。耐え切れなくなったのか、卓の上に上体を投げ出したロリスを見た。ほんのちょっとだけ、その閉じた瞼の端が濡れているようにも見える。
ん、何か辛いことでも思い出したんだろう。そうね、今日はもうお開きにしようかな。ロリスはうちに連れて帰ればいいしね。
色々考えたにもかかわらず、あたしはその少年とあっさりと声を交わすことが出来た。数日後、冒険者ギルドへ出勤しようとした時だ。隣のお屋敷から出てきたその子にばったり出くわした。
「アニーちゃんだ!」
「おはよう!」
シュレンちゃんとエリーゼちゃんが挨拶してくれた。その後ろに憮然と立っているのは、あの謎の少年だ。訝しげにこちらを見ながら軽く会釈したので、こちらも挨拶を返す。
「おはようございます。双子ちゃん、幼稚園に連れていくの?」
「......おはようございます。ええ、居候なので」
ほんの少し自嘲が混じった笑いを残し、少年は双子ちゃんを促した。「行くよ、遅れるぞ」という声と共にさっさと二人を連れていく。
ふーん。悪い子じゃなさそうだけど。あんまり愛想ないなあ。
まあいいか。挨拶出来たし。今度、ロリスと一緒に勇者様に聞いてみようかな。