会議は踊る
総督府と王宮は実は馬車を使う程の距離じゃない。それでも馬車を使うのは、アリオンテの姿をあまり民衆に見られたくないからだ。魔族だということが一目で分かるような容姿じゃないが、用心にこしたことはないからな。
「オリオス国王陛下もいらっしゃる?」
「ええ。出席なさると連絡がありました」
俺の質問にイヴォーク侯は簡潔に答えた。ちょっと驚きだ。いくら力の制限をアリオンテに施し、かつ俺がいるとはいえ魔族の王子に国王陛下がお会いになるとは。裏を返せば、それだけ今回の事態が重大だってことだがな。
(どちらに傾くか)
ベリダムが謀反を起こすだろう、というのは今のところアリオンテから聞いたに過ぎない。これを拠り所として主戦論に傾くか、あるいはあくまで平和維持に努めるかを決めなくてはならないというのは色々と難しい。
ただ確実に分かっているのは、下手は打てないということだ。ここで舵取りを間違えれば、シュレイオーネ王国は発端から僅か五年で没するかもしれない。それを思うと流石の俺も緊張してきた。
「あ、もう着いたんだ」
馬車が速度を落として短い石橋を渡った時、アリオンテが呟いた。明るい白壁と三つの尖塔が特徴的な城が馬車の窓から見える。白亜の王城として名高いここに来るのは三回目になる。
全体の印象としては華美じゃあない。しかし荒削りというには程遠い、整然とした緻密さが城壁や堀にある。何より屋根が張り出した形で広がり、そこに馬車を停められる開放的な玄関--いや、玄関なんて規模じゃないな--は"シュレイオーネの歓迎庭"と呼ばれこの城の一番の特徴となっていた。
蔦が螺旋状に絡み合う柱の一つ、その隣に馬車が停まる。頭上に張り出した屋根が日陰を作り、馬車から出た俺達を日差しから守ってくれた。
「行くとしますか」
わざと軽めに俺は二人を促した。大丈夫、上手くいくさ。
******
(いやあ、甘かったかな)
会議が始まって一時間後、小休憩に入ったところで俺は椅子に背中を預けた。隣ではアリオンテが広い円卓に体を投げ出している。ぐだーん、という擬音がピッタリくる、そんな様子で。
周囲に座る会議参加者は休憩の為に外に出る者、俺達と同じように座っている者様々だ。アリオンテに好奇心と畏れを含んだ視線が投げかけられるのは仕方ない。本人も気にしてないようだし、放置しよう。
「僕さあ、会議って初めてなんだけどもっと静かに行われると思ってたよ」
「普段はな......俺もここまで大規模な会議は初めてだけど、普段は静粛に行われるよ」
アリオンテに答えながら首を回した。かくん、と首を鳴らしながらどうしてこうなったと振り返る。
そう、まずオリオス国王陛下が会議の開催の為に挨拶して、ギュンター公が議題を改めて発表したんだよな。もちろん何のための会議かってのは、既に周知されていたがそこはそれ、会議としては避けられない道だ。
「緊急ゆえ、余自ら第一の発言をさせてもらおう。アリオンテとは君か」
オリオス国王陛下が会議の先端を切った。元は公爵家の後継ぎだったこの人は俺より六つ上の四十歳だ。赤が混じった濃い茶色の髪を短く綺麗に揃え、黒っぽい目は理知的な光をたたえている。
切れ者というよりはバランス感覚のある陛下というのが、目下の俺達から見た一般的な見方だった。本人には恐れ多くて言えないけど。
「はい」
「この場で君の立場についてどうこう言うことはすまい。その暇はないから」
そう、陛下がこう言ったところまでは良かった。アリオンテもあからさまにホッとした様子を見せていたし。問題はアリオンテの口から今回のあらましが説明され始めてからだった。
アウズーラとの別離、ワーズワースとの二人暮らしから去年の王都で開催された闘技会、そして北方のベリダムの領地での一年。それだけでも平和にどっぷり浸かっていた貴族達には驚きだったが、ベリダムの裏切りとワーズワースとの別離をアリオンテが話し出してからはざわめきが更に大きくなった。
静かに、と陛下やギュンター公が控えに抑えてもまたすぐにざわめきが復活してしまう。動揺が会議室の主役となっていた。
彼らの名誉の為に言うが、普段こんなことは絶対に無い。つまりは今回の事態がそれだけ重大で意味があるってことか。気持ちは分かるけどな。
「諸君、静かにしたまえ! 心配なのは分かるがここで騒いでもどうにもならんぞ!」
ついにしびれを切らしたオリオス陛下が控えめながら怒鳴った。だが逆にそれが興奮を煽ってしまったようだ。会議に出ていた重臣の一人が立ち上がる。
「これが落ち着いていられましょうか! ベリダム・ヨーク、あの地方領主の中では最大の戦力を持つ男が、こともあろうに牙を剥き出しにしているのですぞ!」
「いや、しかしすぐに攻めてくると決まったわけでもない。あの辺境伯殿が本気で我々に向かってくるだろうか? それに情報源はそこの--魔族の子供だけだろう。全面的に信用してよいのかのう」
「私の領地も辺境伯とは付き合いがあります故、にわかに謀反などと言われても信じかねますな。百歩譲って軍備拡張しているとしても、あの辺境の地ならば致し方ないのでは?」
一人が言い出せばそれが呼び水となる。戦争が始まると信じる者、そんなことありえないと言い返す者、アリオンテの言葉自体をのっけから否定する者、それぞれがそれぞれの立場から自分の意見......いや、むしろ願望と想像の混合物を口に出す。
「何だよ、僕の言うことが信じられないって! 一年もいたんだ、それに、それに実際あいつは剣を突きつけてきて、義父さんが残ってまで僕を逃がしたのに!」
「よせ、アリオンテ!」
疑いをかけられたアリオンテが食ってかかろうとするのを、俺は必死で止めた。今のこの混乱の渦中にもう火種をぶち込みたくなかったからだ。だが一足遅かった。
「そもそもだな、あのアウズーラの息子が我らの利益になるようなことをするはずがないのだ! 聞けば勇者様への復讐を誓っていたというではないか、それが何故勇者様に匿われてこの場にノコノコ顔を出す!?」
「あまり言いたくはないですが、ウォルファート様もこんな魔族の生き残りなど信用すべきではないのでは? いいですか、あの大戦が終わってたったの六年ですぞ!」
カチンと来た。反射的に言い返そうとしたが、それより別の奴に言われてしまう。
「ここに参加している我らの中にも、妻や親、子供や親族を魔族の手にかけられた者もいる! 民衆の中にも同様の被害者がいるのは言うまでもない! この現実を踏まえた上で、それでもウォルファート様はそのアリオンテとやらをかばいだてするおつもりか!」
「そうですぞ! 攻めてくるか来ないかまだ分からない辺境伯より、むしろその方が問題ではあるまいか! 確かにウォルファート様のおかげで我らは平和を取り戻したが、酔狂が過ぎるのでは?」
「口を慎め、諸君ら! 今までどれだけ勇者様の力に助けられたと思っているのか!? 無礼にも程があろう!」
圧倒されかけた俺を見て、絶妙なタイミングでギュンター公の助け舟が入った。軍事府筆頭の一喝で静まり返った会議室の空気は重い。それを打ち破ったのはイヴォーク侯ののんびりした一言だ。
「頭冷やしましょう。休憩しませんかね」
全く、ほんとに全くだ。あの時何も言い返せなかった自分に腹が立つ。
休憩前の混乱を極めた会議を思いだしながら、俺はムカムカとする気持ちを抑え切れなかった。何言ってやがんだ、と叫び出したい。だがそれと同時に重苦しい物が、心の中にある。
沈痛な顔を隠そうともしないアリオンテも、きっと同じことを考えているだろう。そう、"大戦の犠牲者"という重い響きを孕んだ言葉をだ。
分かるよ。それが避けては通れないことだってのはさ。俺だって、アリオンテが直接人を殺したことを無いのは何となく分かるが--それでも複雑な物がある。ましてや魔王軍に身内が殺された貴族達が、無条件で反発するのは無理も無い。
アリオンテには辛いだろうが、ある意味それくらいの覚悟は当然だった。中には殺気だっている貴族だっているのだ。即決闘とならなかったのは、俺やギュンター公が睨みを効かせているからに過ぎなかった。
「......会議の方向がぶれましたな。いやはや」
「未曾有の事態だ、仕方ないさ」
イヴォーク侯とギュンター公が顔を見合わせる。円卓の向こうに目をやると、オリオス陛下が側近と何やら話しているのが見えた。本来なら国王の御前でこのような言い争いは許されないだろう。だが国という制度が出来てまだ十年にもならず、王としての威光もそこまで重みが無い。
「気持ちは分かるんですが、皆に現実を見て欲しいっすよね」
「ウォルファート様、彼らにとってはな、これが現実なんだ。魔族は許せない、信用出来ない。目の前にはいない辺境伯などよりよほど脅威だという認識がな」
「くっ......」
俺に答えたギュンター公も渋い顔だ。防衛態勢に責任のある軍事府筆頭として、会議がこうまで紛糾するのは好ましくないんだろう。
俺は考える。どうすればいいか、何をすればいいか考える。下手すりゃ明日にも、ベリダムが全軍率いて攻めてくるかもしれないんだ。内輪もめしている場合じゃない。
勇者としての力を誇示して力ずくで主戦論に持っていくか? いや、ダメだそれは。またすぐに紛糾するだろうし、最悪アリオンテ暗殺を企む者が出かねない。最後の最後の手段にしよう。
「僕は--間違ってたのかな。一体、何のためにここまで来たんだ」
「お前のせいじゃねえよ。ああ、まあ気にするなとは言わないけどさ。信じろ」
「何を信じろってのさ?」
アリオンテがこちらを向いた。つい口から出た"信じろ"という自分の言葉を笑いそうになる、そうだな、何を信じろってんだ。だが、心細そうに肩をすぼめるアリオンテの姿を見ている内に、記憶が刺激された。
ああ、そうか。
シュレンとエリーゼに似ているんだ。二年前、俺とは血のつながりが無い、本当の両親は既にこの世にいないと聞かされた時のあの二人に。
天涯孤独という言葉が持つ寒々しさ、それは人から表情を奪い明るさを消し去っていく。あの時の双子と今のアリオンテの顔が子供らしからぬ冷たく、痛々しい物を感じさせた。種族も立場も違うのにこんなところだけ似るなんてな。
もしベリダムが王都を落とすようなことがあれば、こんな顔をする子供がもっと増えるだろう。大人の争いのせいで何の責任も無い子供が感情を傷つけられ、表情を無くすんだ。駄目だ、それは。
何とか全員の関心をひきつけ、少なくとも一致団結させなくてはどうにもならない。
「ギュンター公、イヴォーク侯。お願いがあります」
気がつけば俺は口を開いていた。二人が神妙な顔でこちらに向く。
「会議再開されたら、まず俺に話させて下さい。俺がリードします」
「だ、大丈夫なのですか、ウォルファート様。下手なことを言えば火に油を注ぐことになりますぞ」
イヴォーク侯の懸念ももっともだ。だがもう決めた。「分かった。私が陛下に根回しする」とギュンター公が頷く。感謝するぜ。
「アリオンテ」
「何だよ、ウォルファート」
小生意気だなあ、とつくづく思うが。だがこんな小さな子が必死で意地張ってるのに、勇者の俺が気張らなくてどうするよ。
「任せとけ。俺がこの会議まとめてやる。ワーズワースが命を賭けてお前を逃がしたこと、無駄になんかするかよ」