ワーズワース 2
森の中の街道は静まり返っていた。私達の戦いに巻き込まれるのを恐れたのか、鹿や兎などの野生動物の気配が無い。部下の戦いぶりに業を煮やしたベリダムと私が睨み合うこと数分、その間に起きたことといえば生き埋めになったベリダムの兵士達が這い出てきたくらいだ。
止めを刺そうかとも思ったが、打撲傷だらけの土まみれの彼らを見てその気は失せた。足止めという最低限の目的は達したのだし、それに。
目前の最強の敵から目が離せなかった。この一年の間に更に腕に磨きをかけた今、その実力は私やウォルファートに引けをとるものではない。ましてや他人の技や魔法を転送し、吸収できるベリダムは攻め手の多彩さでは間違いなく大陸ナンバーワンだろう。
それに加え、魔力付与をかけ続け自ら強化した装備の恩恵もある。万全の状態でも6:4でベリダム優位というのが私の見立てだった。
「てこずらせてくれたな、ワーズワース」
「元よりそれが目的だ。裏切った貴様にどうこう言う資格は無い」
「違いない。一つだけ聞いていいか」
聞いておきながらこちらの返事も待たず、ベリダムは問う。失礼な奴だ。
「アリオンテがそんなに大事か。自分の主君から預かったとはいえ、血を分けた息子でもない。傍から見れば主君と部下に過ぎない。命を捨ててまで守る価値があるのか」
--それは個人個人の価値観だろうと思ったが、ベリダムがそう言う気持ちも分かる。いつだったか彼の口から聞いたことがあった。
"私にも家族というものがいた日があったよ。あの戦乱の中で無くしたがな"
--珍しく酒に酔いながら奴が吐き捨てた言葉の中に、どうしようもない悔恨と空虚さがあった。後日こっそりとビューローの口から「お家騒動でな、ベリダム様の留守中に奥方様とご子息が暗殺された」とは聞いたものの、それ以上は詳しくは知らない。
この男のどこか歪んだ部分の一部はそういう過去から来るのだろうな、とはその時から感じていた。私とアリオンテ様を見るその目に時折混じる、侮蔑と羨望の混じり合った複雑な色には気付かない振りをした。
他に何が出来ただろう。
--ベリダムの問いに対する答えを己の中に探しながら、私は紐を取りだし髪を後ろでくくった。長い黒髪を束ね、子馬の尻尾のようにする。髪の毛一つで結果が変わることは無かろうが、己の死に場所と定めたこの戦いだ、悔いは残したくは無かった。
「簡潔に言おう。浮浪者の私を取り立てて、副官などという過分な地位をアウズーラ様は下さった」
紡がれたのは髪だけでは無い。己の決意も気持ちも紡ぐ。ぶれることなく、一つに。言葉にすると何と陳腐か、と自嘲しながら。
「......ウォルファートとの戦いを前に、何より大切な我が子を私に託していただいた。アリオンテ様も私を信じて、よくついてきて下さった」
最初は泣いてばかりでどうにもならぬアリオンテ様を持て余した。
だがいつしか小さなその手は私の手を握り、共に立つことを選んでくれた。
"僕、強くなりたいんだ"
父親譲りの赤い目と紫の髪をした若様が、決然としてその顔を上げた時に。
私は己の持てる全てを叩きこむことを決意した。
義理の親子と身を偽り、人間達の住む村に身を隠して生きる日々は楽では無かったが......そこには確かな暖かさと充実感があった。豊かでは無かったが、私はそれだけは誇りに思う。
「戦いしか知らぬ私のような無骨な男を、アリオンテ様は義父と呼んで下さった。それ以上の理由が必要か、ベリダム」
もうアリオンテ様にお会いすることはないだろう。だが、最強の敵を前にして胸を過ぎるのは、二人で過ごした何でもないような日常の風景ばかりだ。
机を買い替えてだの、もっと遊びたいだのと文句も言われたな。
義父さんは厳しい! と面と向かって言われたこともあったか。仕方ないとはいえ、少々口うるさかったかなと反省はしている。
アウズーラ様と別れたあの日を夢に見てうなされたアリオンテ様が、私に気付かれないようにそっと部屋を後にしたこともあったな。本人は気がついていないと思っていたようだし、私もあえて知らない振りをしていたけれどね。
それら全てが私の何よりの宝だ。記憶に、体に、心に、一つ一つ宿ったそれを戦意に変える。ゾクゾクとするような光の欠片が、私の手足の末端に至るまで駆け巡っていくような......戦慄にも似た旋律。
「故に元魔王軍副官たるワーズワース、この身に持てる全力を以って相手をしよう。アリオンテ様を追撃したければ、私の屍を踏み越える必要があるとしれ!」
「その覚悟受けとった!」
迷いなど無い。出し惜しみもしない。私の全てを燃焼させるべく闘気を全開にする。それに怯みもせずに凄みのある笑いを湛えるベリダムも流石だ。
どちらともなく睨み合いが解ける。魔力付与のレベルはともかく、ロングソードと盾の基本的な戦士仕様のベリダムに対し、魔槍一本と鎖帷子の私の方が武装では劣るだろう。だが、そんな差がどうした。今この手に満ちる気迫が全てだろう!
まだ互いに距離がある。示し合わせたわけでもないのに、初手は二人とも攻撃呪文だ。淀みの無い詠唱がほとばしり、抑えきれない魔力が両手を満たしてゆく。
「極火炎球!」
「聖十字!」
轟々と燃え盛る火炎は小型の太陽の如く真っ赤な光を放ち。
ベリダムが放った真っ白な光は清烈な十字を描いて飛び。
二つの最強呪文は真っ正面から激突した。
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視界を焼き尽くさんばかりの閃光は予期していた。目を逸らしてそれは防げたが、防げなかったのは物理的な衝撃だった。火炎を高密度でまとめ、爆発力を引き上げた私の極火炎球とベリダムの最強呪文がぶつかれば、それは必然の結果とも言えたのだが。
堪え切れず体が転がされる。急いで飛び起きると地形が一変しており、仰天した。破壊力が逃げにくい地形だけにもろに影響が出たのだろう。倒れた木々、削れた地面からはまるで大地震が起きたようだった。
ベリダムは? ああ、いたか。多少は爆風で揺らいだようだが無事らしい。その剣先がこちらを向いている。二発目!? 早くもか!
落雷が自分に落とされた、と分かったのは体に衝撃が走ってからだった。視界が明滅し、引き攣るような痛みが全身を蝕む。たまらず息を吐いた時にはベリダムが間合いを詰めていた。
奴の右手の剣が唸る。惜しみなく高度な魔力付与を施された剣、それがベリダムの剣術と合わさると脅威以外の何物でも無い。
一撃目は何とかかわした。だが低い位置から疾ってきた二撃目はかわしきれなかった。ごく浅かったものの、左脇腹を掠められる。+6相当の鎖帷子があっさり引き裂かれた。止められないか、と半ば覚悟していた通りだ。
「楽しませてくれよ、ワーズワース!」
そのままベリダムが攻勢に出てきた。普段なら上手く相手の攻撃の隙を突いてカウンターを取るが、それが出来ない。槍の柄で刃を食い止めること十度、次第にどちらが優勢か明らかになっていく。
(闘気全開の私でも押されるだと)
自画自賛になるが、私とてウォルファートとほぼ互角に渡り合える腕だ。大陸に並ぶもの無しといっても、さほど嘘では無いと思う。
油断? 勿論していない。本気? 最初から出している。
にもかかわらず、ベリダムはその私を更に上回っている。振るう全ての斬撃が鋭く、しかも一撃と一撃の間に遊びが無い。付け入る隙が無かった。
だがその中で僅かに生じた間隙を縫い、私は槍を繰り出した。踏み込み、呼吸、闘気の流れを一体化させた槍撃は必殺の突きとなる。
「鋼貫突!」
剣や斧で放つ闘気技の鋼砕刃に対して、槍で行うのがこの鋼貫突だ。穂先そのものが緑がかった闘気に包まれ、速度も力も乗ったこの一撃ならば--
盾ごと貫けると思っていた。回避せず正面から盾でベリダムが受けた瞬間には。だがこれですら、ベリダムを後退させるに留まるとは。手応えだけはあった、だがベリダムは眉を潜めただけに過ぎない。
「強化に強化を重ねたこの盾、早々貫ける物ではないよ。それでも左腕が痺れそうだがな」
「よく言う。私の鋼貫突を真正面から受けてその程度だと......」
冷や汗が出た。止めたこと自体はベリダムの腕なら分かる。だがあれは純粋に盾自体が頑丈だ。魔力付与の技術を私が教えたことが裏目に出たな。
そんな私の考えを読んだように、ベリダムがニヤリと笑った。
「君のおかげだよ。このロングソードも盾も+9まで至ったのはね。今や伝説の武具に肩を並べつつある」
ハッタリだと思いたかったが、そうも言い切れない。今の攻撃を真っ正面から受けてまるで壊れない盾の強度、それは尋常なものでは無い。だが+9ともなると現存する武具にはほとんど無いはずだ。
それこそベリダムが言うように伝説級と呼んで差し支えないだろう。
プレッシャーがかかる。死を覚悟してはいたが、ここまで戦力差があるとは予想していなかった。手傷の一つも与えられずに朽ち果てるというのか、この私が?
「それでも背中は見せられないさ」
無様に負けることだけは私の矜持が許さなかった。
「無駄とは思うがワーズワース、降伏勧告だけはしよう。このままここでむごたらしく死ぬか? それよりは名誉ある自決を勧めるがな」
「笑止」
私が断ることは織り込み済みだったのか。ベリダムは表情を変えず、油断なく間合いを測りながら口を開く。
「アリオンテはどこへ逃げた? 王都か?」
無言の私に構わず、ベリダムは喋り続けた。黄金色の目がこちらを見透かすように煌めく。
「それならそれで好都合だ。勇者もろとも踏みにじってやろう。手間が省けるよ」
「北の狼、このまま貴様が無事で済むか。反逆の意図を持った人間を看過するほど、この国は腐っていないだろう」
「魔族に評価される人間の国家か、滑稽だな!」
笑い飛ばしたベリダムにはそんな不安の色は微塵も無い。
本気で事を構える気なのは知っていたが、ここまで自信があるとはな。いや、だが......確かにかなりの戦力アップに成功してはいる。
ち、今はそんなことより一撃でも奴にダメージを与えねば!
「電撃槍」
「不意打ちのつもりか!」
いきなり私が無詠唱で放った呪文にも素早く反応された。白っぽい電光が虚しく空を切る。だがこれは布石だ。更に唱えた氷槍の呪文で奴の足元を攻めた。
「くっ、これしきで!」
そう、ベリダムの言う通りこんな小技の呪文では足止めくらいにしかならない。だからこそ本命の攻撃が次に来るのは、もはやお互いに自明の理。
ほんの少しだけベリダムの左足が氷片で動きを鈍らせている。隙とも言えない隙だが、それでも無いよりはましだ。地力の勝る相手には何でも工夫しなければ。
その左足を露骨に低い突きで狙う。盾で防がれた、予想内だ。むしろ反動を利用してまったく逆対角線の右肩に突き込む--しかしこれもフェイント。
私の槍は突きだけでは無いんだ。旋回させ下から切り上げた穂先がベリダムの頬を掠めた。真っ赤な鮮血が散った、目には当たっていないが一時的に視界は支障が出るだろうか。
「ガッ、おのれ、ワーズワース!」
「見くびるなよ、ベリダム!」
切り合いから突きの応酬へ、連撃から一旦静まり間合いの取り合い。
「少しはましな動きをするようになったじゃないか!」
ベリダムに答えてやる義理はない。横薙ぎの一撃を打ち込み、そこから更に押し込む。剣で受けたベリダムがじりっと後退した。
「貴様のような下賎の約束を信じた私が間違いだったよ。その命で償え!」
「フッ、王都に攻め込む為にこちらを利用しようとした身で--」
いなされた。再び間合いが開く。だがお互いに目は離さない。片頬から流れる血を舌で舐め取りながらベリダムが吐き捨てる。
「--生意気な口を叩くなあ! 他人の手を借りねば復讐も出来ぬ自分らが悪いんだろうが!」
「否定はしないがな! 野心を燻らせ腐っていただけの貴様にどうこう言われたくはないさ!」
斬り結ぶのは武器と言葉双方だ。ベリダムへの怒り、自分自身への怒りが私の体を動かす。確かにそうだ。もし私に敗残兵をまとめる器量があったならば、こいつの手を借りる必要も無かったかもしれない。
父親を無くしたアリオンテ様の周りに、私以外の誰かをつけてあげられたかもしれない。
悔恨の念が無いといえば嘘になる。
全てが上手くいかない、と不安に駆られた夜は幾度もあった。子育て? 無理だ。復讐? いつ出来るんだ、そんなもの。しかし幼いアリオンテ様の前でそんなことを言えるはずもない。
爆発系攻撃呪文、爆裂波を唱える。偶然なのか、ベリダムも同じ呪文を使っていた。互角......いや、僅かにベリダムの方が勝るのか、爆風と熱がこちらに迫る。
必死でそれをかわしつつも、何故かアリオンテ様の顔が脳裏を離れない。六年か。長いようで短かったな。
もっとああしておけば、こうしてあげられたらと思うがもう遅いのだろうな。
「しぶといっ!」
しびれを切らしたのか、ベリダムが爆裂波を連射してきた。元々効果が広範囲に及ぶ攻撃呪文だ。光弾が着弾した瞬間には、辺りの土や岩が閃光と共に蹴散らされ熱波が迫る。対魔障壁を張って直撃を防ぐのが精一杯だった。
ここまでか。打つ手は全て打ったが、及ばずか?
膝を着きそうになる。どれ程戦っただろうか、ビューローらの攻撃を凌ぎつつそこからベリダムとの連戦だ。そろそろ体力も尽きつつあるか。荒い息を吐き、それでも己を鼓舞する。
"義父さんて呼んでもいい?"
幼いアリオンテ様のためらいがちな声が--どこからか聞こえてきた気がした。
"......若様、あなたのお父上はアウズーラ様ただ一人です。私は"
"知ってる。でも僕、寂しいんだよ"
そう言った時のアリオンテ様の目は、子供に相応しくない孤独に満ちていた。いいのかと迷いながら気がついた時には、私はその小さな体を抱き寄せていたんだったか。
「--何故今、こんなことを思い出すんだ」
地面に叩きつけられながら呟く。何かの攻撃呪文を喰らったようだが、何だったのか。右肩の肉がえぐれている。左の二の腕は重度の火傷にやられ、使い物にならなそうだ。
反撃の余地すらないのか。ここまで粘りに粘ったが、そろそろ限界なのか......いや。
「あの世でアウズーラに挨拶してこい、ワーズワース!」
金髪をなびかせベリダムが迫る。ああ、最後は鋼砕刃で仕留める気か。やはり本質的には戦士なんだな、貴様。
ならば。
ならば、最後に見せてやる。
使い慣れた魔槍の柄は私の意志に応えてくれた。ピタリと手の平に吸い付き、いつも以上に軽やかに動く。右手一本で、しかも負傷だらけのこの体で撃てるかと過ぎった疑念すら力に換える。
避けるなよ、ベリダム。正真正銘、私の最後の一撃だ。
体の耐えられる限界を超えて一気に闘気を放出した。同時並行で火炎系攻撃呪文を唱える、脳がその負荷に耐えられずこめかみの血管が弾けた。同時に喉から血が噴き出す。
掟破りの魔力と闘気の同時併用、しかも出力全開だ。耐えられるはずもない、耐えられると期待すらしていない、覚悟だけで実行してやる。
血まみれの右手一本で縦一文字に振るった魔槍は、私の生涯最高の斬撃と化していく。真っ暗になっていく視界の中で、半ばどろりと溶けた灼熱の槍が見えた。
言葉すら惜しい。消えていく意識の片隅で微かに、本当に微かに。
ベリダムの絶叫が聞こえた気がした。
若様。アリオンテ様。私の可愛い義理の息子。
あなたと会えて良かった。