離乳食の時期なんですけど
「うーむ、やっぱ似てねえなあ」
「何の話ですか?」
「シュレンもエリーゼも俺に似てねえなあってこと」
しみじみと呟いた俺に、遊びに来ていたアニーが「それはそうですよ」と呆れたように言う。ガリードエイプ襲撃事件から一週間後、冬の合間の寒さが緩んだ日の午後に、双子の赤ちゃんと遊ぶ可愛い女の子を眺めるのはちょいといいもんだ。うん、俺の求めてるもんじゃないけどね。
本日、メイリーンとアイラはお休みしていない。原因は単純、風邪だ。双子にうつってはいけないからということでメイリーンは自分の家で、アイラは実家(つまり金鹿亭)でダウンしている。
で、代わりに、たまたま今日休みだったアニーが姉の代わりというわけではないが、うちに遊びに来たわけだよ。
「うーん、ウォルファート様の髪とか目の色を全然受け継いでませんよね。義理の子供だから当たり前ですけど」
そう言いながら、アニーは俺と双子を交互に見る。薄茶色の平凡な髪に同色の目をした俺。
それに対して、ぼちぼち寝返りとやらを出来るようになった双子は、シュレンがやや癖のある黒髪に黒い目、エリーゼはふわっとした感じの金髪に焦げ茶の目、と全く俺とは似ていない。
「あうー、あー」
シュレンが床に敷いた厚いシーツの上で声を上げる。生まれてすぐの頃は髪もまだたいして生えてなかったので、気にもしてなかった。けれども、確かにこうして見るとハッキリとした黒い髪の毛。父親のシューバーに似たんだろう。
「ふー、あーあー」
エリーゼは何やら見つけたのか、部屋の隅の方を指差した。何だとその視線を追うと、俺を描いた小さい抽象画がある。ああ、アウズーラ倒した後に描かれたやつだな。
「だめだよ、あれは玩具じゃねえ。ほれ、代わりにこれで遊ぼう」
俺が手元にあった木製のハンドベルを渡すと、エリーゼは声を上げて喜んだ。よく見ると少しその金髪にピンクがっているようにも見える。母親のエイダに似たんだろう......多分。
(俺あんまりエイダとは親しくなかったからなあ、印象薄いわ)
薄情なようだがあの時は会っている人も多かったし、皆を覚えてたわけじゃない。さすがに側近とも言えるシューバーは今でもハッキリ覚えているが、その妻のエイダはうすぼんやりとした印象しかない。出産から死亡までの衝撃が凄すぎて、記憶が書き換えられたのかもしれないな。
「うふふっ」
「気味悪いな、どうしたんだよアニー」
「いえ、赤ちゃんのお世話してるウォルファート様ってかわいいですね」
「アホか! 好きでやってねえよ!」
微笑むアニーに思わず突っ込むと、シュレンとエリーゼが目をパチクリさせて「ひゃー」と表現出来そうな声を上げた。あのなあ、俺は遊んでるわけじゃないんだぞ、双子!
しかしそんな俺の気もしらず、何故か機嫌のいいシュレンとエリーゼはにこにこしている。おかげさまであのわけのわからん泣き声地獄に会わずに済んでいるので、喜ぶべきことなのだろう......多分。
「うわあ、可愛い! ウォルファート様に似なくてよかったね、シュレンちゃん、エリーゼちゃん!」
「聞き捨てならねえな、おい! 俺だって別にぶさくはねーよ、多分!」
「まあ、確かにそうなんですけど、やっぱりこう......」
「こう、何だ。ハッキリ言えよ、アニー」
口をもごもごさせながら、アニーは気まずそうに視線を逸らした。だが俺は見た、こいつの口元が笑いで緩んでるのを。
「やっぱり色街のおねーさんに好かれる感じで、いい男ではあるんですけど可愛いって感じじゃないなあ、と」
「ずいぶんハッキリ言うね、お嬢さん......」
多分、この時点で俺は白目を剥いていた。うん、夜の蝶を追いかける不良勇者には当然そんな雰囲気もするだろうとは思っていた。だが覚悟はしていても、真っすぐに言われると結構ショックだ。
「それに」
「まだあるのかよ、早く言えよ」
「やっぱり三十路になると、お肌の張りが赤ちゃんと全然違うなあと。あっ、言っちゃいました!」
全然悪いと思ってない笑顔で、アニーが残酷なことを言う。くそー、てめえなんか一生嫁に行けない呪いかけてやる! と思いながら重要な点を訂正してやる。
「アホぬかせ、俺はまだ二十九歳だ、この前誕生日迎えたばかりだ、あと一年近くあるわっ!」
「「うふぁふぁふー、きゃー」」
ああ、真剣に俺が自分の尊厳を守ろうとしているのにさ。何がおかしいのか、双子は小さな顔をこっちに向けて笑っている。子供って残酷だよな、まだ幼児にもなってないかこいつらは、と悲しい自分ツッコミ。
「ウォルファート様、すいません。謝ります」
急にアニーが頭を下げたので、俺は拍子抜けした。「お、おう、分かればいいよ」と答えたが、頭を下げながらアニーが言った次の言葉は地味にショックだった。
「二十九歳にもなってまだ女遊びに夢中で、ちょっと目を離すと水商売の人の名刺整理して! そして挙げ句の果てには、それを赤ちゃん達によだれだらけにされて泣いていた二十九歳のウォルファート様に、あたしなんてことを!」
すごい声が笑ってんですけど、この人? しかも何故か意味分からずに聞いてるだけのシュレンとエリーゼまでキャッキャ言ってるのはなんで!?
「ねえ、アニーちゃん......君さ、俺が世界を救った勇者ってこと忘れてるよね? しばくよ?」
「し、しばる、んですか。え、そんな......縛るなんてマニアックなプレイ、あたしには早過ぎて......」
「ほんまにしばくぞゴラアアア!」
何生意気言ってんだ小娘、百年はええんだよそんな艶めいた冗談言うのはああああ!
******
俺とアニーがギャーギャーやってる間に、いつの間にか双子の飯の時間になっていた。「ちょっと見てて、今こいつらの飯持ってくるから」とアニーに頼み、俺は台所に行く。アイラが休みなので今日は家事が回っていないけど、一日くらいなら大丈夫だ、晩飯は金鹿亭が届けてくれるし。
さて、シュレンとエリーゼの飯だが、今までならメイリーンから母乳をもらっていた。だが母乳だけで育つ時期は終わり、赤ん坊用の柔らかい食事、つまり離乳食を食べる時期になってきていた。現在生後六ヶ月、そろそろ頃合いらしい。
(えーと、まだ全然固いもんは食えねえから......限られるんだよなあ)
正直に言おう。俺は緊張している。離乳食にチャレンジさせて四日目になる。確かにシュレンもエリーゼも何となく二口三口くらいは食べる。だがその時にはメイリーンがいた。
「食べられなくても大丈夫よ」と彼女が言うことで赤ん坊なりにリラックスしていたかもしれないし、実際に食えない場合、メイリーンが母乳をあげれば済むから安心していた。
(だがしかーし。今日は、奴らの飯はほんとに離乳食しかなーい)
腹を壊さないように温めた牛乳に、茹でたとうもろこしを裏ごししたペーストを合わせる。これは今朝作っておいた。冬だから保存が利く。最悪の場合、俺が冷却の魔力付与が働く容器を手に入れれば、それで長期保存が出来る。だが、多分微妙な温度調整は出来ない上に、あまり売っていないので今は断念している。
「これで食べてくれりゃいいけどなあ」
ちっちゃいスプーンを二本、器に入れた離乳食に添えて盆の上に置いた。俺の目から見たら、こんな味気ない飯で大丈夫なのかと思うが、赤ん坊には味がきついものは厳禁だそうだ。ちなみに作ってから一口味見したが、とうもろこしの甘みが牛乳で薄まり、大人には物足りなさ過ぎた。
「ほれ持ってきたぞ。あ、わりいアニー、シュレンこっちに貸して」
お盆を子供部屋の机に置いて床に座る。アニーから受けとったシュレンを左手で支えながら、膝に乗せた。汚さないように手早くよだれかけもしてやる。
ああ、今日はアイラがいないから洗濯出来てねえな、と頭の片隅で考えながら右手のスプーンで離乳食をすくい、ゆっくりとシュレンのちっちゃい口に近づけたのだが。
「う~~~」
恐れていた事態が起きてしまった。やはりメイリーンがいないと、双子共は飯を食いそうにない。よくよく観察すると離乳食自体には興味は示しているが、俺からもらうということに抵抗があるようだ。なんてこった。
「おい、意地張ってんじゃねーよ。ほら」
シュレンの前でスプーンをふらふらとさせてみる。匂いで釣られてくれるだろう、と期待したんだが強情にもシュレンは口を開けない。しかし腹は減っているだろうに。なんで赤ん坊というのは、こんな理不尽な行動を取るんだ。はあ、徒労感を感じるな。
「なー、食べてくれよおー。昨日食べたのと同じもんだぞこれ」
「アッ!」
くそ、いっちょ前に抵抗しやがるぜ。そうこうしてるうちにエリーゼを抱っこしてたアニーが「あっ、エリーゼちゃん漏らしちゃったみたいです」と、こちらを見た。その反応見る限り大の方か。ああ、こっちもあっちも忙しいぜ。
「選手交代だ、アニー。シュレンに飯やって。俺がエリーゼのおむつ替える、手伝わせてすまん」
「全然いいですよ、いつもアイラお姉ちゃんがお世話になってますから!」
情けない話だが、俺一人じゃこんなもんか。大魔王は倒せてもさ、赤ん坊に飯の一つも食べさせられねえなんておかしな話だよな。
「はあ......何やってんだ俺は」
エリーゼのおむつを替え、汚れた方をバケツから汲んだ水で手早くすすぐ。アイラがいればこれらの汚れ物は別に洗ってくれる。だが、不在の今は後でまとめて俺がやるしかない。茶色く濁った冷たい冬の水が手にかかり、嫌悪感でいっぱいになりながら消毒用の薬草液を小皿からすくい、指に乱暴になすりつける。
(俺のやってることってなんなんだよ)
商会を切り回してる時だって、大変だったさ。
魔物と戦うのは本当に命懸けだったさ、実際何度も死にかけたし。
軍を率い出してからは、敵を倒すことにも味方の戦死者が出ることにも心を擦り減らした。
「けど充実してたよなあ」
そうだ。あの辛い経験全ては、勇者ウォルファート・オルレアンに期待してくれる人々の為と思えたからこそ耐えられた。敗北の度に屈辱にまみれ立ち上がったのも、敵の策にはまり食糧閉鎖の憂き目にあって木の根っこをかじって耐えたのも、大意があったからだ。
即ち"大魔王を倒し人類が平和に暮らせる世を作る"。いやー、我ながら健気だったな。でも確かにさ、勇者って称号に憧れてたんだよな、俺は。
憧れだけが原動力なんて思わねえけど、皆が期待してくれて。それが時には重荷になっても、諦めることだけはするまいと意地張って十年やり続けたんだ。
でもさ。今の生活ってさ。なんか......目標がないんだよな。
育児って頑張っても結果出るとは限らないし。シュレンもエリーゼも、俺よりメイリーンやアイラに懐いてるみたいだし。なんか、褒めてほしいわけじゃないけど時々虚しくなる。そして懐かしくなる。あの戦場に立ち、商会を運営していたあの頃が。
"ウォルファート様、あなたに家庭は向いていない"
エルグレイの言葉が脳裏に甦った。エイダが託した命だ、嫌だけど面倒みると言った言葉にも、気持ちにも意志にも嘘はねえけど。
「なあ、なんでこんなに......悲しいんだよ」
ぽたりと自分の手の甲に落ちた水滴。それを俺は無理矢理見ないふりをした。そんなこと無理だと分かっていながら。