ワーズワース 1
戦場ではけして感じることの出来ない、心が通じるという暖かさに心地好さを覚えたのはいつからだったろうか。
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駆けてゆくアリオンテ様を見送る。ずいぶんと背が伸びたな、とその背中にたのもしさを覚えた。あと数年もすれば良い若武者になるだろう。
(それを見届けられないのが残念ではあるがな)
糸が纏わり付くような感傷を振り払う。森の中の細い街道だ。ベリダムらが押し通ろうとしても、私を倒さない限りは進めない。最大でも三から四人が並べるといったところか。包囲される心配が無いのは、味方のいない私には助かる。
「いたぞ! ワーズワースだ!」
私から50メートルほど前方で道は大きく曲がっている。その木々の合間から顔を覗かせた仮面の男の声に、私は口元を歪めた。白い長衣を翻し、鹿毛の馬に乗った彼--ビューロー・ストロートが先陣を切っている。
ベリダム軍の副将格だ。しかし最早この距離ならば攻撃呪文の間合い、手を打たねばならない。
(死ぬ覚悟は出来てはいるが......無駄死にはしない)
一年という短い間ではあったが、ベリダムの領地での暮らしは居心地が良かった。若様と二人だけの生活とはまた違う、他人との協力関係を通して育む生活というものも悪くは無かった。それがこのような形で奪われ、流石に少し動揺もした。
だがそれはそれだ。向かってくるならば容赦はしない。体力と魔力が尽きるまで存分に戦ってみせる。
胸の奥で闘志が燃え上がる。その気持ちを制御するように冷静に呪文を紡ぐ。出来れば先制攻撃を取りたいが、ここは自重しなくては。敵は先陣だけではない。
「土塊呪壁」
「なっ、くっ、構わないわ、氷嵐!」
読み勝ちだったようだな、ネフェリー。私が唱えた防御呪文、土塊呪壁が効果を現した方が速かった。小石や砂を含んだ固い土がメリメリと街道から盛り上がり、道全体を塞ぐ壁となる。
出来たのは人一人分の厚みのあるごつい壁だ。道幅一杯の横幅に加え高さは6メートル以上とくれば、ちょっとした城壁に匹敵するだろうか。ネフェリーの氷系の攻撃呪文が壁の向こう側で炸裂している音はしているが通しはしていない。
ビキン、ビキンというのは土壁の表面が凍りつく音だろうか。なるほど、構わずに凍結させ、それを押し砕いて進む気か。強引ではあるが悪くはない。
だが壁を設けた理由は時間稼ぎだけではない。防御の為もあるが、むしろここからが本番だ。
「ネフェリー、頼むぞ! 一気にこの壁を凍らせてくれ、奴を取り逃がす訳にはいかない!」
「分かってるわよ、もう一発叩きこめば!」
壁の向こうからビューローとネフェリーの声が聞こえる。街道を無理矢理迂回して後方に回られることを一番恐れていたが、どうやらそれはしていないようだ。奴らが馬から下りたのか、蹄の音が乱れた。そうだな、馬上からでは戦い辛かろう。賢明な判断だ。
私の目的はアリオンテ様が逃げきる可能性を少しでも増やすことだ。馬から一旦下ろしただけでも、乗り降りの時間は稼げた。僅かではあるがこういうチマチマした時間を稼がせてもらう。
その為にもう一度、土塊呪壁を唱える。さっきより静かにだ。壊されつつある最初の土壁のすぐ近く、私の方に作る。当然奴らからは見えていない。
気付かれないようにするため、二つ目の壁の作成時の音を極力小さくする。ただ、それだけ作成速度が遅くなるので気は焦る。メリメリと黒っぽい土が盛り上がり、第二の壁が伸び上がっていくのがもどかしい。
早く、だが静かに。相反する二つの要素を両立させながら、呪文の詠唱に集中する。そんな私の行動を知るよしもなく、壁の向こうでは「しぶとい壁ねえ、でもこれでおしまいっ!」とネフェリーが叫び、何発目かの氷嵐が唱えられた。
バキバキバキッと土が凍らされる甲高い音が響いた、そうだな、そろそろ限界だろう。だが第二の土塊呪壁はぎりぎり間に合った。
槍や槌で凍った第一の壁が打ち壊されていくのが聞こえた。人がせっかく作ったのにもったいない、と憤りはしない。私が狙うのはこの第一の壁が壊された直後、言い換えるならわざと壊させる為に第一の壁を作ったのだから。
(壊された直後が勝負だ)
目の前に立つ第二の土壁には小さな覗き穴がある。壁の向こうをその穴から見ると、やはり第一の壁は今にも崩されそうだ。一発、二発と打撃が押し寄せる度に、グラリと揺れて土がボロボロ崩れていた。
タイミングを計る。落ち着け、相手に気取られぬよう作った第二の土壁は防御用ではない。その為にわざわざ第一の壁に隣接する形で作ったのだ。
「よおしっ、やっとこれでワーズワースに辿り着け......え?」
轟音と共に壁が崩され、その穴から兵士がこちらに踊り出た。だがその視界を占めるのは--
「勇み足ご苦労様、潰されろ」
私の皮肉を込めた呟きに従い、第二の壁は向こう側へと倒れた。動き出しこそゆっくりだが、ある角度から先は一気にその速度を増していく。
平常時ならこの倒れこむ壁を避けることくらい、ベリダム率いる兵達ならば出来ただろう。だがやっと壁を壊し、意気揚々と前に走り出した体勢ではかわしようもない。
しかも広くはない街道いっぱいに壁は広がっているのだ。おまけに後ろからは味方が押してくる。動きが取れない状況で視界を塞いだ土壁が倒れてくる、これは中々の恐怖だろう。
「や、止めろ、押すなあーっ!」
「あああああ、か、壁がこっちに倒れてくる!?」
正に正面衝突だ。自分達が突っ込む勢いと壁が倒れてくる衝撃が見事に加算されていた。土とはいっても固く練り上げてある、まともにぶつかれば相当痛い。
グワッシャ! と言うような音に続き、悲鳴と土埃が辺り一帯を占めた。目をやられた者もいるだろうし、土塊に押され打撲傷を負わされた者もいるだろう。しかし一々確認している暇は無い、この混乱を利用する。
まずビューローとネフェリーを狙わせてもらうか。あの二人なら土壁の崩壊に巻き込まれずに後退しているだろう。隊列が乱れた今がチャンスだ。
「斬風!」
手始めにまずは暴れる風の刃を。いまだ収まらない土埃を巻き込み、不可視の風が薄く研ぎ澄まされ唸りをあげた。運よく土壁の崩壊は回避出来た兵士達もいた、しかしこの攻撃までは回避不能。
風が斬る。鎧の上からでもお構いなしに斬ってゆく。鋼まで切り裂けるような威力は出せないが、それならそれで風圧を叩きつけてやるまでだ。
風で歪む風景の向こうにビューロー、ネフェリーの二人が見えた。やはり回避していたか。前方に出ていた兵達の損害に狼狽しているのか、動きが鈍い。だがそう長くは無いだろう。思った通り、斬風の効果が薄い辺りに身をずらしていた。やるな、せいぜい浅い切り傷程度に抑えているか。
「ワーズワースゥ! 貴様、ベリダム様よりお預かりした兵をよくも!」
ビューローがこちらとの間合いを潰そうと駆けてくるのが見えた。ようやく土埃が落ち着いた今、私も最低限の状況は把握出来る。土壁の崩壊で生き埋めになった兵が五、六人か。
何とか回避はしたがダメージを受け退いた兵が八人ばかり......ちっ、全く無傷の兵士達がずっと後方に控えている。ベリダムもその中にいた。なるほど、用心深く前衛組と後衛組に分けていたか。恐らく前衛組のビューローとネフェリーが強引に私の裏を取り、自分が率いる後衛組と挟み撃ちにするつもりだったのだろう。
それがこんな形で効くとはな。奴も運がいい。
まあいいだろう、まずは目の前の二人と雑兵からだ。
立ち直りを見せたネフェリーが攻撃呪文を唱えてくる。私も得意とする電撃槍が高速で飛来し、直撃を避けるのが精一杯だ。しかも足場の悪さをものともせずに、ビューローと手傷の浅い兵達が迫る。
「呪文の一発くらい耐えてやる!」
仮面の中から響く怒声が耳に突き刺さる。大した度胸だ、ビューロー。ネフェリーの支援があるとはいえ、こうも素早く私との間合いを詰めてくるとは。ならばその意気に応えるとするか。
「火炎弾」
小さな球形にまとめた火炎、それが十も二十も私の周囲に現れた。殺到する兵達に怯えの色が見えたが、足色を鈍らせないビューローは一気に跳躍した。呆れた勇気だ。しかし空中ならばもはや回避は不可能。赤く燃え上がる全ての火炎弾、その射線を空中のビューローに向けた。
地上は仕方ない、放置だ。二方向にばらまくと密度も薄くなるからな。燃え上がる炎の弾丸の一斉掃射がビューローを襲う。一撃ならば、と言ったがこの何十発もの攻撃に耐え切れるか!?
身を捻り何とか攻撃に晒される箇所を減らそうとするビューローだが、やはり完全にかわすことなど出来ない。くぐもった衝突音と火炎の燃焼音、それに奴の叫び声の三重奏をやり過ごした。息つく暇もなく、目の前には四人の兵士が迫っている。
右手に握った魔槍を振るう。一人を蹴散らしたが、あとの三人がそれぞれの獲物を構えて攻撃してきた。魔力付与のレベルこそ低いがどれも一応魔法の武器だ、まともに当たりたくは無い。素早く槍の柄を回し迎撃する。
「さ、三人がかりで止められた!?」
兵の一人がうろたえた。何を驚いているんだ、元魔王軍副官の肩書きは伊達では無い。蹴りで一人をひきはがし、その反動で後方に跳ぶ。
複数の敵を相手によくやっているのかもしれないが、一人に集中出来ない為に止めをさせない。一撃で殺せるほどやわな相手ではないのだ。
忙しい。ネフェリーが次々に唱える攻撃呪文を何とかいなしながら、ビューローや兵士に包囲されないよう後退しながら戦う。火炎弾で焼け焦げを負いながらも、仮面の戦士は猟犬のようにしつこく私を追う。まったくうざったい。
「悪いがベリダム様の命令は絶対だ、死んでもらうぞ」
「断るね」
ビューローの攻撃はシミターと呼ばれる緩く曲がった剣を左手に、それにダガーを右手に持った二刀流だ。変則的でトリッキーな動きは読みづらいし、武器も+4まで強化されている。私の+7相当の魔槍に比べると劣るが、かなりいい方だろう。強い。
それでも一人なら何とかなる。だが彼だけではなく、兵士達も群がってくるとなるとあしらうだけでも体力を使う。
剣による突きをかわす、更に連続して襲う斧の横薙ぎを防ぐ。体勢が乱れたところに、ビューローが切りかかってくるのが見えた。
槍の柄で何とか奴のシミターの一撃を逸らし、足で蹴りとばそうとした。だがビューローもその一撃を避け、代わりに右手のダガーを突き込む。顔面狙いのそれを反射的に体を倒してかわし、そのまま側転するように距離を取った。
「ちょこまかと! ネフェリー、一気に抑えちまえ!」
まずい、間髪入れずにくる。
ネフェリーが唱えた火炎球がこちらに向かってくる。その瞬間だけやけに周囲の動きがゆっくりに見えた。防御は、いや、防御だけではもうジリ貧だ。
火炎球の爆発から完全に免れるのは不可能、それならば最低限の防御だけ取る。即座に攻撃呪文の詠唱を開始、当たった瞬間に反撃してみせる。これだけの算段を瞬時に立てた時には、既に目前に赤々と燃える火炎球が迫っていた。
「......っ!」
覚悟はしていたがかなりくる。全身を火炎に包まれ、爆発の衝撃で骨が軋む。だがこれしきで。
これしきで私の覚悟を曲げるな。
アリオンテ様を生かしてあげたいという覚悟を。
せめてあの子を守る盾になりたいという意志を。
捩曲げられてたまるか。
「--落雷」
唱えきった。まだブスブス立つ煙を散らしながら私は呪文を完成させた。攻撃範囲は目に見える全範囲、魔槍を媒介として放たれた電光が疾る。
ビューロー達も、更にその後方のネフェリー達も落雷に包まれたのは見えた。追い詰めたと油断したか、ビューロー? 呪文の使い手は自分だけと驕ったか、ネフェリー?
「悪いがそう簡単には終われん」
手傷を負わせた今が好機だ。追撃をと目論む。
だがその気勢を削いだのは、一人の男の声だった。
「もうよい、下がれ、ビューロー! ネフェリーも兵をまとめて下がらせろ」
悠然と後方から進み出てくるその男に、私は視線を叩きつける。その場を覆う空気が重さを増したような--嫌な感覚がする。
木々がおののき、道を空けたかのように感じたのは流石に錯覚だろうが。
そう思わせるだけの圧倒的な雰囲気が奴にはあった。
「やはり私自身がやらねば埒があかないな」
「遊びは終わりか、ベリダム」
漆黒の全身鎧に身を包んだその姿からほとばしる圧力を堪える。遂に引きずり出したぞ、ベリダム・ヨーク。
北の狼を前に、私は高ぶる戦意を隠しきれなかった。
それはあるいは--初めて私がベリダムに感じた恐怖なのかもしれない。