アリオンテの語る一年 2
「--というわけだよ。今まで黙っていてすいません」
ベリダムに僕らの素性を明かしたのは、僕が奴の白銀驟雨を見たすぐ後だった。ほだされた、というのではない。あえて言うなら"こいつ狂ってる"という確信を得たからだ。
蝋燭がジリジリと燃える部屋の中、その場に佇むのは三人だけ。僕、ワーズワース義父さん、そしてベリダムのみ。平服の僕と義父さんとは違い、ベリダムは領主らしく仕立ての良い服にマント付きだ。ちょっと羨ましい。
「......なるほど。アリオンテにワーズワース、それが君達の本当の名前か」
「驚かないのか?」
ほとんど表情を変えないベリダムに対し、義父さんが聞く。ベリダムは金色の目を光らせた。
「少しは驚いているさ。だがただ者じゃないことは分かっていたからな。それに人間にしてはちょっとばかり、気配が妙な感じはしていた」
それはそれはたいしたもんだ。こちらも勘づかれている可能性は考慮していたから、そう意外でもないけれど。
「あのアウズーラの息子に元副官ね。勇者ウォルファートへの復讐を誓っていても、王都にいる限りは手が出せない。それで私に声をかけたと」
「そうだよ、辺境伯殿」
「いい度胸だよ、アリオンテ君。この私の軍を己の野心の為に使おうとは」
「それだけ貴方を買っているってことさ」
減らず口には自信があった。正直怖かったけど、ビビったら負けだ。
一分ほど睨み合っただろうか。根負けしたようにベリダムが視線を外した。チッと舌打ちしている。
「......ふん、乗せられたようで癪ではあるがな。そうさ、私はウォルファートが嫌いだよ。勇者、勇者と奴一人が讃えられている。こちらはこちらで君ら魔王軍を蹴散らすのに必死だったのにな。私はいつまでたっても陰の勇者止まりさ」
「結構こちらもやられたよ」
義父さんが苦い顔をする。間接的に戦ったことがあるのだろう。ベリダムは構わず言い続けた。
「とはいえ、私も大人だ。皆が皆、勲功に基づいた栄誉を得るわけではないのは承知、北部に根を生やし虎視眈々と中央を狙うも一興かとは思っていたが......やはり、それでは止められない気持ちはある」
分かる気はする。多分その中には、"個人的な実力ならウォルファートに負けていない"という自負もあるのだろう。闘技会の開催を画策した主目的がウォルファートの技の模倣だとしても、直接捩じ伏せたいという欲求もまたその一つだったに違いない。
僕を含めた全員が黙った。互いに手の内は明かした今、もう後には引けない。ベリダムは僕らを魔王軍の生存者として捕縛するか、あるいは打倒ウォルファートの協力者として扱うかの二択しかない。そして僕らはそれに応ずる必要があった。
剣か握手かしかありえない選択肢、ベリダムが選んだのは後者だった。
「本当に助力するのであれば私もやってやろうか。一時共闘だ」
「ありがたく」
「恩に着るよ」
ベリダムの差し出した手を義父さんと僕が握る。そう、賭けに勝ったのさ--少なくともこの時はそう思っていた。
******
ベリダムの本気を確固たる物にするために僕らが進言したこと、それは凍土之窪地の攻略だった。大陸最北端に広がる永久凍土の大地に何故わざわざ進むと? そこに得られる物があるからに決まっている。
古くから氷漬けになった希少金属や鉱物資源が確認されており、その奪取が目的の第一となる。だがその障害となるのが、この地を闊歩する魔物の存在だった。
凍土之窪地の異名通り、雪と氷に相応しい魔物がそこの支配者だ。下級の魔物であっても氷系の呪文や凍気ブレスは普通に使うし、上位の魔物は更にやばい。
体長4メートルを超える角のある白熊の魔物、バイラフ。雪の中から触手を放ち敵を捕らえる巨大な蛸のような魔物であるスノークラーケン。吹雪を操る狼、フェンリル。この三種類が主な強敵だが更に上には上がいる。
ネーリオンと呼ばれる魔物だ。氷の王とも称されるこいつは魔氷の剣を操り、かつ遠距離攻撃もこなす厄介な敵だった。実の父、アウズーラの呼びかけにも応えずに凍土之窪地に居続けたのも、その孤高を好む性格と高い実力がなしえたものだろう。
国力増強の為に凍土之窪地侵略を考えながら、ベリダムが躊躇っていたのがこのネーリオンの存在だった。一軍に匹敵する氷の王。それが睨みを効かせている内は、そうおいそれとベリダムも手を出せなかったのだが。
「ワーズワースが加入したのは大きいわよねえ」
「いや、僕もいるでしょ」
フカフカした毛皮に身を包んだネフェリーに思わず突っ込む。うん、いや、確かにさ。義父さんの方が全然強いし、おまけにベリダムの兵士に幾つか魔力付与された武装まで作ったりしてるけど。頭数くらいには入れてよ?
「あらら、ごめんね坊や。うんうん、アリオンテちゃんも頼りにしてるわよ」
「足を引っ張るなよ、小僧」
半分冗談のネフェリーと違い、ビューローはきつい。義父さんがカチンと来ていたが、まあ仕方がないや。実力で黙らせてやるからな。
ベリダム自ら指揮を取る侵攻作戦、その一翼を僕と義父さんは任された。あのアウズーラの忘れ形見ということで、兵士の一部は動揺したらしいけど知ったことじゃない。僕に出来ることは、実力を示してベリダムにとってプラスの存在であると示す。ただそれだけだ。
「私の言う通りにすれば勝てる。安心しろ」
ワーズワース義父さんの苛烈な気迫も兵士の不平を封じていた。大戦当時、"殲滅騎士"と呼ばれていた実績が、この過酷進軍においては頼もしさになっているのは間違いない。
(とはいえ、僕らの立場は微妙だからね。早めに兵士達と信頼関係結ばないと)
(承知。お誂え向きに私達の力を示す相手が見つかった模様)
僕とワーズワース義父さんはひそひそと話していた。そりゃまあ、魔族が自分達の味方なんて普通の人間なら戸惑うよね。それが分からない程、鈍感じゃなかった。
(ネーリオンがいたの?)
僕の問いに義父さんは頷いた。その顔に緊張感はあるが恐れはまるで無い。
(私達の力を示し畏怖させるには絶好の機会です。とりあえず私に任せてください)
(え、ちょっと! 一人でどうにかなる相手なの?)
焦る。凍土で出会ったネーリオンといえば、まさに大海を根城とする鯨も同然。相手のホームタウンではこちらが不利に決まっている。
しかしそんな僕の心配を余所に、ワーズワース義父さんは平然としていた。自慢の魔槍を収納空間から取りだし、ヒュンと一振りする。
「斥候からの報告では前方2キロの地点にいます。一人ではなく、砦を構えそこに手下がいる模様」
「尚更まずい気がする......」
辺りを見渡す。一面積もった雪は固く凍り、冷えた空気が天空から積層しているようだった。普通の気候ならともかく、この状況下で部下がいるネーリオンと正面衝突は--かなり怖い。
それでも義父さんは意に介さなかった。緑色の双眼をキュッと細め、ベリダムから借りた兵士達に号令を下す。
「聞け。これより私達はこの凍土之窪地随一の強敵、ネーリオンと戦う。しかし億することはない、アウズーラ様の副官であったこの私が--」
カッ、と槍の石突きが氷の大地に突き刺さった。たいして力もいれていないようなのに。兵士達が息を呑むのが分かった。
「--一対一で奴を相手どろう。お前達は周りの魔物をやれ」
傲岸不遜。その四文字以外に呼びようがない、そんな絶対の自信を見せつけてくれた。おぼろげな記憶の中の実父の背中を思い出す。きっと魔王軍に指示を飛ばす時の父さんはこんな感じだったのかな。
そうだよ。ワーズワース義父さんはさ、僕の実の父親の片腕だったんだ。恐れることなんか--あるもんか。
「僕もやるよ。びびってごめん」
「無理はなさらず。牽制だけ考えて動けば十分です」
交わす言葉、軽くチョンと合わせる拳。うん、怖くなんか無い。本当の意味での戦いはこれが初めてだけど、二人で戦えば負けるはずが無いんだ。
その戦いは小細工無しの正面からの激突で始まった。怒涛の一騎駆けで義父さんが戦端を切り開き、それに続く形で僕や残りの兵士が突っ込む。突然の敵襲に魔物達も慌てたようだ。小さな氷人形や海豹に似たウクルクといった魔物達が砦から飛び出してくる。
そいつらの動きを必死で抑えこむのが、僕らの仕事だ。弓を持った兵士は次々に矢を放ち、魔術師は火炎系の攻撃呪文を中心に敵を狙う。勿論僕もだ。
火炎球の呪文を唱え、スイカくらいの大きさの火の玉を叩きつけてやった。ご多分に漏れず氷の大地に生きる魔物は炎に弱い。逃げ遅れたウクルクが絶叫をあげる。
肉の焦げる臭いが鼻をつく。しかしそんなことを言ってられない。相手が戸惑っている間に二発目の呪文を完成させた。
「落雷!」
そうさ、僕がいつまでも初歩の火炎呪文しか使えないと思うな。上から下に振り下ろした僕の指の動きに合わせ、上空から数本の細い雷が降り注いだ。白く輝く電撃の槌は群がろうとする魔物達を無慈悲に焼いていく。
(義父さんは?)
当面の敵を狙いつつもやはり気になる。戦場で気を抜けば死ぬとは口酸っぱく言われたけど、それでも。
「うわっ!?」
突っ掛かってきたウクルクを何とかかわした。駄目だ、今は集中しないと。反射的に剣を走らせ、ウクルクの固い皮を切り裂いた。耳を塞ぎたくなる鳴き声をあげた相手から離れ、距離を取ったところで火炎球をぶつける。
燃え上がっちゃえ! 僕を誰だと思っているんだ、大魔王の息子アリオンテだぞ。凡百の魔物が手に、いやこの場合は牙か、にかけようなんて。
「千年早いんだよ!」
氷の大地に轟く爆音と燃え上がる火炎が視界を一杯にしていった。どうだ、これが僕、アリオンテの初陣だ!
血で血を洗う戦闘は僕達に優位に進み、徐々に掃討戦へと移っていった。白銀と青が重なったような凍土之窪地は人間と魔物の血で染まる。赤い血がほとんどだけど、中には白い血もある。氷の中で住む魔物の特徴らしい。
そう、このまま行けば僕らの勝ちなんだけど。だがそれを決定づける最後の戦闘はまだ終わっていない。
「つ、強すぎる......別次元だ」
兵の一人が呻くように呟いた。全く同感だ。今、僕らの視線の先ではワーズワース義父さんとネーリオンが死闘を繰り広げていた。互いに互いを削り合い、すれ違いざまに振るう武器はその衝撃波だけで氷の大地を割っていく。
「一人でやるっていうか、手が出せないよ」
そう言うしかない。それ程までにハイレベルな戦いだった。
ネーリオンは見た感じはちょっと背の高い人間にしか見えない。青白い髭を伸ばし、全身を鎖鎧で包んだそいつが武器を振るう。
魔氷剣と呼ばれる氷の剣だ。それが空を切り裂く度に空間そのものが凍てついていく。でたらめな魔剣だった。
「けど、そんな奴を相手に互角以上に戦っている義父さんはさ。やっぱり強いな」
そう、強いのは勿論知っていたよ? だけど全力を出したワーズワース義父さんの姿は初めて見るかもしれない。
ネーリオンの剛剣を魔槍で受け流し、のみならず反撃する。槍に顔を掠められたネーリオンが怒りの表情になった。しかしそこから更に義父さんが畳みかける。
速く、重い槍の突きを嵐のように浴びせる。咄嗟にネーリオンも氷の盾を呼びだし防御するが、それを更に上から削っていく。
"き、貴様っ!? ヌウウッ!"
「とろいな。氷の王といえどこんなものか」
違う。義父さんが速過ぎるんだ。事実、僕はネーリオンの動きも剣捌きも半分程度しか見えていない。周りの兵士達はもっと分かっていないだろう。
戦闘開始直後は、ネーリオンが用意周到に氷柱や氷塊を展開して翻弄していたようだけど。時間の経過に従い立場は逆転したようだ。
しかし、このまま終わるはずも無かった。窮鼠猫を噛むの例えの通り、ネーリオンが左手から凍気を一気に放射する。巨大な波のように雪原を駆けるそれは余りに大きく、回避する余地などまるで無かった。「ああっ!」と思わず声をあげた時には義父さんの体が氷の膜の中に閉じ込められていた。
視界は白一色。天から降る雪は激しく、地から立つ霜柱は厚い。その中に挟まれた空間は幾重にも重なった氷膜に視界を遮られている。
その場の誰もがワーズワース義父さんが死んだと思っただろう。そう思わせるだけの広範囲への強力な凍気攻撃だったから。
"全く......てこずらせてくれたな"
落ち着きを取り戻したネーリオンが氷膜の重なりへと剣を向けた。氷漬けになった獲物など防御力は0に等しい。恐らく氷ごと破壊しにかかるんだろう。
だけど。
不思議と怖くは無かったのは。
昔から僕の側にいてくれた無二の存在を--信じていたからだ。
剣を振りかぶったネーリオンの動きが止まった。その目に浮かぶ感情、それは恐怖。それもそのはずだ。獲物を捕らえた彼の氷の罠、絶対の自信を持つそれから声が聞こえてくるなど--
「浅はかだな。こんな薄っぺらい氷、何枚重ねようが」
--有り得るはずが無いのに。
「意味が無かろう」
響く声、続いて氷塊が割れる。ネーリオンが狼狽の表情を浮かべながら後退し、反対に僕らは歓声を上げた。
蒸気が爆発する。氷が解けて割れる。氷に覆われた大地の一角を一瞬だけ火炎が乱舞し、寒々しい風景を赤く変えた。凍土に燃え上がる猛々しい炎の奥底、長い黒髪を火の生む風になびかせて立つのは。
「勝負をつけさせてもらおうか、ネーリオン」
魔槍を構えた元魔王軍副官の勇姿だった。