アリオンテの語る一年 1
それは賭けだった。王都へ侵入し競技会を見ていた僕達は、本来なら終わったらさっさと退散する予定だった。その気持ちが変わったのは決勝戦を見た後だった。
「若様。見ましたか」
「見たよ。なんて奴だ、あのベリダムって男。勇者の技を吸収していた」
移動式の店舗を畳みながら、僕と義父さんは顔を見合わせた。まさかウォルファート以外の人間に驚かされるとは。他の観客は見抜けなかったと思うけど、闘気や魔力の流れに敏感な僕らはそれが分かったんだ。
辺境伯ベリダム・ヨークによる技の強奪、まさかそんなことが可能とは。見た感じ、ウォルファートの方が地力では上回っていた。実際、試合を優勢に進めていたのはウォルファートの方だ。ベリダムは最後に見せた二連式の斬撃で、かろうじて引き分けに持ち込んだだけに見えた。
「けどさ、あの技だって準決勝でラウリオって奴が見せた技だよね」
「そうですね。それほど難しい原理の技では無いですが......それにしても一度見ただけでとは」
ワーズワース義父さんが唸る。人間に化けている時はウェインという偽名を使い、今もこうして売り子の格好をしているが顔つきが怖い。「ウェイン、顔。怖がられる」と指で突いて気付かせなくてはならなかった。
「すみません、リオン。ふう、どうやら勇者以外にも傑物が人間側にはいるようですね--けれども」
クス、とワーズワース--ウェインと呼ぶか--は笑った。実に楽しそうな笑みが口元に踊る。
「獅子心中の虫とはこのことか。今までの噂と今日の試合を見ても、あのベリダムなる男。勇者に弓引く覚悟に見える」
「あー、やっぱりそう思う? 僕も同意見だなあ。隠しているつもりでもさ、悪意がビンビン伝わってきたもの。この--」
闘技場を離れながら僕は振り返った。同じように試合を見終わった観客達がぞろぞろ出てくる。今日見た試合の感想を興奮しながら話すこいつらは、何も分かっていないな。
「--一般人達は見抜いていないだろうけどね」
「同意見です。全てを見抜いたのは、気配と眼力に自信がある私達くらいでしょう」
「......利用出来ないかな?」
「と言うと? あの辺境伯をですか」
「うん」
雑踏に紛れながら僕は声を潜めた。ウェインにしか聞こえない音域で囁く。
「あいつをさ、たきつけてやろう。僕達も勇者の敵だってことを明かしてさ。確か北に広い領地持ってるんだろ、僕らの話次第では王都に攻め込むきっかけを掴むかも」
「......人間の手を借りるのは今ひとつ気が進みませんね。それになんだかんだ言って、彼もシュレイオーネの人間です。我々の正体を知ったらその場で捕縛か、あるいは殺害しかねない」
それは僕も考えていた。確かにウェインが渋るのも道理だ。ハイリスクな選択、だがリターンは限りなく大きい。
「けどね、このまま僕が順調に腕を上げても王都に攻め込めなければ、どうしようも無いんだよ? 魔物達を集めて軍にするには時間がかかりすぎるし、少し大規模になったところで見つかって叩き潰されるよ」
「む、おっしゃることは良く分かります。ううん」
「それにベリダムが僕らを殺そうとしても、ウェインと僕なら逃げるだけなら何とかなるよ。目くらましの一発叩きつけるくらいのことは可能だ。奴と真っ正面から切りあう必要は無い」
「ふむ。その場合、ベリダムにとって、我々と手を組むメリットはいかがお考えか」
少し興味を持った顔でウェインが僕を見た。人通りが少ない街路で足を止め、彼に答える。
「純粋に武人としての僕らの技量、そのきっかけとしてベリダムが勇者の技を盗んだことを見抜いたと明かす」
ウェインは何も言わない。これは試験だ。僕がどこまで真剣に、深くこの賭けについて考慮しているかという。
賭けるのは僕達の命だ。慎重さと大胆さ、両方が問われるだろう。
「ある程度奴との信用関係が築けた時点で、僕らの正体を明かす。勇者ウォルファートに復讐を企む大魔王の息子と元副官だとね」
「さて、仮に彼がそれでも私達と協力する気になっても、周囲が納得するかどうかですね」
「それも考えた。ベリダム・ヨークは独立心が強い男と聞いている。それなりに強引さとカリスマ性が無ければ、北の民もついてはこないだろう。つまり、ベリダムが僕らを信用しさえすれば、彼に従う者達も僕らに剣は向けないさ」
「......楽観的過ぎませんか?」
「野心家ってのはね、僕らを上手く使おうとするよ。多勢に無勢でアウズーラを倒した勇者ウォルファートの正当性を問う、その為に--」
これは僕の考えに過ぎない。だが、頭の回る野心家ならこういう策は思いつくだろう。
「--あの大魔王の忘れ形見すら心服させ、北の大地から反乱の戦火を広げるということだってね。言おうと思えば言えるんだよ」
「私達二人は宣伝に使えるいい材料だというわけですか。しかしよくそんな策の可能性を思いつきましたね」
「辺境伯はさ、燻った炭みたいなもんだよ。火種が投下されれば燃え広がる」
正直これは僕の願望だった。ベリダムが野心家で無ければ奴を利用して、王都に攻め込むという計画は成り立たないからだ。人の手を借りるのは癪だが背に腹は代えられない。
しばし思案していたウェインだったけど、最終的には僕の案に賛成してくれた。彼が持つ魔力付与の技術の提供も条件として組み込む、そう決めたようだった。
「交渉次第ですが、奴の軍勢の装備を魔力付与した物に変えてやりますか? それだけでもだいぶましになりますから」
「話の流れによるよね」
こうして僕達はベリダム・ヨークに接触を試み、その賭けに勝ったわけだ。
******
"北の狼"の異名通り、辺境伯の領地は王都から見てまっすぐ北側にある。住んでいた小さな家を引き払い、僕とウェインはその領地へと引っ越した。
最初は人間のふりをしてリオンと名乗っていたが、多分ベリダムは見抜いていたんじゃないかと思う。ただ時折胡散臭そうな視線は投げてくるものの、僕達への対応は悪くなかった。
「はっきり言うが、私は君らを全面的に信用はしていない。客人待遇として連れていってやる、力を示してもらおう」
轟然と言い放つベリダムに内心腹が立ったけど、それはぐっと堪えた。現状ベリダムだけなんだ、王都に攻め込める程の軍勢と気概を備えたのは。ここはじっくり取り組む必要がある。
奴の側近である仮面の男--ビューロー・ストロートは僕達二人に話しかけようとはしなかった。精々ベリダムの指示があった場合だけで、あからさまに嫌がっている。どうやら最初にウェインに捻られたのを根に持っているらしい。
(胡散臭いのはむしろあいつだよなあ)
(しかし腕は立ちますよ)
意外にもウェインは評価はしていた。準決勝で勇者相手にそこそこ戦えていたことは事実だし、接近戦だけならかなりのものだと言い添える。
「魔法はからきしみたいですがね」
「根っからの戦士か」
もう一人の側近は女だった。僕は女性の年齢はよく分からないけど、ウェイン曰く「二十台半ばから後半」だそうだ。栗色の長い髪を巻くようにして垂らし、それを指でいじる癖がある。
「ネフェリー・カーシェンよ。よろしく、お二人さん」
ネフェリーと名乗った彼女は意外にも親しみやすかった。ベリダムの指示なんだろうけれど、向こうからこちらに話しかけて色々教えてくれる。勿論それは当たり障りの無い範囲の話であったが、世の中に疎い僕らにはありがたかった。
「へえ、お二人さんは実の親子じゃないんだ。仲良さそうだし、どことなく似てるからそうだと思ってたけど」
「良く言われるんです」
ウェインはいけしゃあしゃあと真顔で答える。実際のところ、僕とウェインは顔の造作などは似ていない。血のつながりがないから当たり前だけどね。似ているとしたら、雰囲気かな。長年寝食を共にしてきたからね、そういうのってあると思う。
「坊やがリオンで、こっちの兄さんがウェインか。それって本当の名前......って聞くのは野暮よねー」
「今はちょっと」
「お、リオン君は真面目ね。おねーさん、そういう子好きだなあ」
「そういうの、ショタって言うんですよね?」
「良く知ってるわね、そういう言葉」
「最近の子供は耳年増でね」
僕の返事にネフェリーはカラカラと笑った。あまり上品な動作では無いけど、この女は嫌みっぽさが無いだけいい。
「ねえ、ウェイン。あなた、面白いお子さんをお持ちね?」
「どうも」
「ええー、つまらない反応ねえ。そんな素っ気ないといい男が台なしよ」
「別にいいじゃないですか、顔で生きてるわけじゃないし」
妙に絡んでくるネフェリーにウェインはたじたじとしている。無理も無い、人間、魔族を問わず異性と接する機会がこの数年間はほとんど無かったのだから。本人曰く「私はアリオンテ様......いえ、今はリオン様ですね、をあの方からお預かりした身です。チャラチャラしている暇など無いのです」ということらしかった。
「そんな釣れないこといわないでさ、仲良くしようよ? ビューローが全然しゃべってくれないから私、暇なんだよねえ」
「......分かりましたよ、あまり面白いことは言えないと思いますけど」
渋々という感じで頷くウェインと、満足そうなネフェリーがすごく好対照だったなと今なら思い出せる。ああ、そうか。これは確か、ベリダムの屋敷での記憶だ。
城みたいにでかい、けど無骨さが拭えない屋敷に案内されて。僕らは客人待遇として一部屋与えられたんだったな。今から思えば、ネフェリーは僕らのお目つけ役も兼ねていたのか。
何が。
何が「仲良くしようよ?」だ。嘘つきが。
******
北に移ったということもあり、少し気温が下がっていた。秋口、それも早朝となると長袖無しでは思わず震えがくる。
ベリダムの領地に移って二ヶ月程が経過したある日のことだ。客員待遇をもらってはいたが、タダ飯喰らいは居心地が悪い。自然と僕とワーズワース義父さんは、ベリダムの家臣に混じって仕事をするようになった。
「おーい、坊主! 馬の扱いなんかできるんか!?」
「平気、平気! ほら、見てよ!」
軍馬らしき大きな馬の引き運動を任せてもらう。馬の飼育係から手綱を受け取り、僕は屋敷の外に出た。ああ、凄いな。王都と違って北の領地には住宅街が無い。かなり広々とした範囲に砦が何個か建てられ、その内側に家と農地があるんだ。
「ところ変われば何とやら、か」
勿論この景色を見るのは初めてじゃあない。けど、自然の景観を生かしつつ人がそこに溶け込み、上手く街作りをしている。それが気に入った。
「おーい、リオン。お前そんな小さいのに馬なんか引けるのかあ」
「無理すんなよー」
「楽勝だって! 見てなよ!」
すれ違った兵士達に拳を振り上げた。多分この時間なら朝の訓練が終わった頃だろう。ワーズワース義父さんに思い切りしごかれたはずなのに元気だな。今日は手加減したに違いない。
振り返り、褐色の馬を見上げる。北方産の馬は南部の馬より一回り大きい。確かに僕を踏み潰すくらい、簡単に出来そうだけど。
「よっと。乗せてくれるかい、お馬さん」
軽く跳んで僕は馬に跨がった。実は馬に乗るのは初めてだけど、自信はあったしこんな機会逃せない。ワーズワース義父さんがいたら「注意一秒、怪我一生!」とか絶対言うもんな。
馬上からの景色は最高だ、とつくづく思った。初めて馬を走らせたのに、全然危なげなく乗れた。うん、瞬間的な速度なら僕の方が速いけど、こういう持続的な速度は馬の方が速いな。馬術は練習して損はなさそうだ。
「ハッ!」
軽く拍車をくれて木々の間を抜ける。馬のブフルルという声が聞こえ、その疾走感が体に伝わる。木々が後方に飛び去り、視界が一気に開けた。
「お。こんなところで......」
巨石に囲まれた草原に出た時、僕は思わぬ人物を見かけた。てっきり屋敷にいるだろうと思っていたんだが。
やや冷たさを孕んだ陽光を斜めに受け、その人物は立っている。背中に流した金髪は確かに狼の異名に相応しい。北に覇を唱える辺境伯、その人がただ一人でそこにいた。
こちらには当然気づいているのだろうが、振り向きもしない。僕もあえて声をかけなかった。馬を止めて地上に降り立つ。何をしているんだろう?
フッと空気が張り詰めた、と感じた。みるみるうちにベリダムを中心としてその緊張感が増していく。固唾を飲んで見ていると、馬がおじけづいたのか暴れそうになった。
「どうどう、落ち着いて。ほら、いい子だから」
馬をなだめる為に視線を外したのが良くなかった。僕は肝心要の光景を見逃したのだから。
ピキィと鋭さと鈍さ両方を感じさせる音が聞こえた。ベリダムの方からだ。慌ててそっちを振り向く。視界の中心に大きな岩があった。高さ5メートルはある灰色の巨石、苔むした岩肌が年月を感じさせる。
「え?」
ベリダムの真正面にあるその岩を見てびっくりした。その岩肌に本来無いはずの物があったから。銀色の刃をきらめかせるショートソード、それが六本も岩に突き刺さっている。まぐれで岩の割れ目に刺さった、というレベルじゃない。刀身の半ばまで深々とだ。
(嘘だろ? いつ投げたんだ、馬に目をやったのって精々数秒だぞ!)
自問する。いや、答えは分かっているさ。この短時間の間に手でショートソードを六本も投げるなんて無理だ。それが出来るのは--
「念意操作」
ベリダムの声が聞こえた。背中を向けているので顔は見えないが、傲慢と言えるほどの自信に満ちているんだろう。そう思わせる声だ。
彼の指示に応え、六本のショートソードが動く。岩に突き刺さったまま、それでも強引にメリ、メリと更に剣達は前進した。ガコン! と鈍い音が響き、巨石にひびが入る。パキ、パキと岩の表面に細かい亀裂が走っていった。
「白銀驟雨・緋嵐」
ベリダムの指示が飛ぶ。主の命に忠実に従うショートソードの群れは、岩の抵抗をものともせずに一気にその圧力を増した。真っ赤な光と熱が剣から放たれ、細かくひびが入った巨石の中を蹂躙していく。
「う、うわっ!?」
なんだ、あれは? 勇者の技を模倣しただけじゃない。あれは--操った剣に火炎系呪文をかけて!?
思考が最後まで走るより、岩が爆発する方が早かった。内部から傷つけられ、たっぷりと暴れる火炎を飲み込んだ岩はまるで破裂するかのように--破壊された。
赤い光が舞う。火の粉がこっちまで飛んでくる。怖がって暴れる馬をなだめながらベリダムから視線が放せなかった。
(あいつ、まじで天才......!?)
「ククッ、アハハハハハッ! 見たか、ウォルファート! 私は、私の才は! 今、貴様という最高の教材をバネに、更なる高みへ昇華するっ!」
炎と土が煙まじりに飛んでくるのに、ベリダムはまるでそれに気付かないかのように笑っていた。高笑いという言葉がピッタリの笑い声が響き、炎舞う風に散る。
こいつ、とんでもないかもしれない。
ぞくり、と背中が勝手にざわめいたのは。興奮なのか。それとも恐怖だったのか。分からない。分かるのは一つだけだ。
北の狼は全てを飲み込む貪狼だと、僕は熱く痺れる頭でそれだけを考えた。