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破れた夏の平穏

 風邪を引くというのは万人に起こりうる。それは俺も同じだ。勇者だからって風邪引かないなんてことは無い。



「あー、だりぃ......」



 その日、俺はベッドの上で唸っていた。頭が痛い。頭痛が痛い、あ、いや、これは違うな。喉がガラガラする。真昼間から夏用の薄いシーツに包まり、部屋に忍び込む暑気にイライラしつつ寝ていた。



 夏風邪だ。昨夜から発熱して今日は仕方なく休んだ。大した風邪では無いからすぐに治るだろう、と診てもらった薬師は言っていた。俺もそう思う。



「ウォルファート様、お加減いかがですか?」



 カチャリと部屋の扉が開き、セラが顔を出す。最近暑くなったので髪を後ろで結っていた。



「大したことない。ちょっとぼーっとするけど」



「ほんまに大丈夫ね? 無理したらあかんとや」



 セラの口から飛び出した俺の故郷の言葉に苦笑した。俺の両親に習ったらしい。十五年ぶりに会ってから四ヶ月、既に故郷に帰ったおやじとおふくろは元気にしているんだろうな、多分。シュレンとエリーゼの六歳の誕生日には顔は出せなかったが(帰郷したばかりだったから)、来年は呼ぼう。



 そんなことを考えているうちにセラが寄ってきた。僅かに汗が滲んだ俺の額を冷たい布で拭ってくれる。ホッとした。



「早く良くなるといいですね」



「ああ。多分明日には大丈夫だろ、ちょっと熱あるだけだし」



 俺の顔を覗きこむセラから微妙に視線を外しつつ答える。本人が気がついているか知らないが、襟が少し緩いので白い喉の辺りが目立つ。もうちょっと前屈みになったら何かとやばいだろう。



「あー、もう大丈夫だから。行ってもいいぜ?」



「分かりました。後で様子見に来ますね」



 そう言ってセラが出ていった後、俺はホッと息をついた。最近あいつ色気づいてきたな......いや、ちょっと不適当な言い方か。綺麗になったと言えばいいのか。もう十九歳にもなれば当たり前とも言えるけど、拾った時とは全然違うよな。



 ううむ、と唸る。寝ていて体力を持て余しているので、ちょっとこう不謹慎な気分に下手したらなりかねない。それならセラとそういう仲になれば? という声がどこかから響くが、すぐにその考えは打ち消した。



 冷たい水を飲む。スッと気持ちが落ち着く。大人しくベッドに転がりながら天井を見上げた。どうしようか。セラが俺のことを悪くは思ってはいない、という仮定を立てる。俺とセラは内縁関係だからそういう仲になっても問題無い、どころか今までが不自然だったのだろう。



 だが俺は--俺があいつをそういう目で見ていると知られるのは嫌だし、それにやはり怖かった。ブルリと身体を震わせたのは悪寒からでは無い。



 (体調戻ったら夜の街で発散するか)



 問題を先延ばしにすることにし、もう一度俺は寝ることにした。十代の若造じゃないんだ、悶々とするほどたぎることは無い。




******




 今思うとずいぶん平和な一日だったな、と思う。十五歳も下の娘に女を感じてハッとするなど、ほんとに平和だ。あの時誰かに"その平和は数時間後には木っ端みじんですよ"と言われたら、俺はどんな顔をしただろう?



 だが、俺の目の前にはその"木っ端みじんになった平和"がいた。そいつの元は高価であったろう服は擦り切れ、所々血が滲んでいる。普段は隠しているのであろう四本の腕、それがだらりと力なく垂れ下がっている。血と土の汚れがまだ取りきれない顔、それを彩る紫色の髪はほつれ、赤い目の輝きも鈍い。



 椅子に座らせたそいつはグッタリとうなだれていた。夕方から夜になろうかという時間だ。窓から差し込む西日の残照がそのうなだれた顔に当たる。



 唇が震えていた。秀麗な白い頬に一筋二筋、涙の跡がある。「大丈夫か」と声をかけると、無言で頷いた。小さな肩を震わせながら。



 六年前に俺が倒した大魔王アウズーラの息子、アリオンテの疲れきった姿がポツンとそこにあった。




******




 話は二時間ほど遡る。夕方近くになり俺はようやく容態が落ち着いた。微熱程度の熱しか残っておらず、ぼちぼち動き始めるかとベッドから起き上がった時だった。



 バタバタと騒がしい足音が聞こえ、更に部屋の扉が開かれる。足音の軽さからセラだというのは分かっていたが、後ろにシュレンとエリーゼもいた。幼稚園はもう終わったらしい。



「ウォルファート様っ! 一大事ですわっ!」



「だいじっ」



「ですわっ!」



 部屋に入るなり怒涛の勢いでセラが口を開く。シュレンとエリーゼが真似をしているのはいつものことだ。



「おいおい、落ち着け。何だよ、そんなに慌ててさ」



「落ち着いている場合じゃありませんの! 早く起きてください、階下にですね、連れてこられてるんですっ!」



「えーと、髪の毛紫のー」



「あの、ほら! 闘技会で売り子してた人!」



 俺が血相を変えたのは、セラの言葉よりはむしろ双子の言葉だった。そんな奴一人しかいないだろ。

 ベッドから跳ね起きる。階下から爆音や剣檄は聞こえてこないから、とりあえず戦闘にはならないと判断した。しかし、悠長に構えている場合でも無い。



「そいつ今どこにいるっ!」



「一階です! 兵士の方に縄をかけられて!」



「は? 縄? おい、何だ、弱ってんのか?」



 廊下を走りながらセラに叫ぶように質問した。彼女が答えるより早く、シュレンとエリーゼが答えてくれた。



「血出てるの、痛そう」



「手がね、四つあるの。シュレンとあたし合わせたのと一緒」



「「ボロボロの服でね、拾われたんだって!」」



 そうか、と頷くしかない。とにかく、いきなり危害を加えるような状態では無いのだろう。でなければ、どこの持ち場か分からないが、兵士達が俺の元へ連れてくるはずが無かった。



 階段を駆け降り、玄関へと急いだ俺の目に飛び込んできた物--それは十数人の完全武装の兵に囲まれた小さな人影だった。玄関の絨毯の上に更にもう一枚敷かれたぼろ布、そこに転がされているのは確かに見覚えのある顔だ。



「アリオンテッ!? てめえ、一体なんだこりゃあ!」



 驚愕の余り声が鋭くなる。なるほど、これほどボロボロなら直接攻撃も呪文も使えないだろう。見れば魔力付与(エンチャント)された縄をかけられている。これだけのダメージの上にこの厳重さだ、万が一にも悪さなど出来っこない。



「お休みのところ痛み入ります、オルレアン公爵閣下。手短にご説明させていただきます」



 兵の中の隊長格らしい男が進み出た。野太い声を震わせてその隊長が口を開く。



「一時間ほど前になります。王都の北門を警護していた我々の前に、この少年--魔族らしいですが--が現れまして。すぐに臨戦体制を取ったのですが、現れた時には既にこの通りでした」



 要はボロボロってことか。いや、一体何があったんだ。それにワーズワースはどうしたんだよ。

 とりあえず話を続けさせる。



「戦う前にバタンと倒れましてな。腕が四本ある魔族ということで、あのアウズーラを思い出す者もおりまして。すぐに抹殺しようという意見もあったのですが--」



 隊長の話を要約すると、それは止めたらしい。何とかその場の騒然とした雰囲気が落ち着いた後、倒れた魔族の少年が自分の名前--アリオンテ--と俺の名前を出して会わせろ、と頼んだそうだ。

 

 

 "早く......連れていけ。この王都がどうなっても知らないぞ"`



 虫の息ながらも強い光を放つ赤い瞳。それに気圧されるように、兵士達はアリオンテを俺の屋敷に運ぶことにした。軍事府筆頭のギュンター公には急ぎの連絡のみ入れて、何とか王都の住民に見られることもなくうちの屋敷に連れてきたのだという。



「--細かい事情は我々も聞いておりません。ただ、魔族とはいえここまでダメージを負っていて悪さも出来そうもなく、また、オルレアン公爵閣下と何やら浅からぬ仲らしいため。我々も慎重に慎重を期して運んできた次第です」



「オッケー、事情は分かった。おい、アリオンテ。お前どうしたんだ? まさかそんななりで、俺を殺しに来たわけじゃねえよなあ」



 隊長からアリオンテに視線を落とす。うん、どう考えても俺と果たし合いをしに来ましたって感じじゃない。身体のあちこちから血が流れ、打撲傷もあるようだ。それに何より、実父(アウズーラ)譲りの鋭い殺気が無い。確かにこれじゃ、兵士達も俺のところへ連れてくるかと思うだろうよ。



 ピク、とアリオンテが身体を震わせた。縄のかかった惨めな姿のまま、顔を上げる。カハ、と息を切らしながら何とか話そうとしていた。



「ウ、ウォルファート......ベリダムが、ベリダムの野郎が」



 予想外の単語が耳を叩いた。兵士達もざわり、とどよめく。セラが「え?」というように目を丸くした。双子が不安そうな顔を見合わせる。



「おい、どうした! ベリダムがどうかしたのか!?」



「裏切ら、れた。ワーズワース義父(とう)さんは、多分殺されて......あいつ、王都へ攻めてくる気、だぞ」



 そこまで言ったところで体力が尽きたらしい。ガクンと首が落ち、慌てて俺はその身体を受け止める。どうやら意志の力で傷口を無理矢理塞いでいたようだが、精神的に張り詰めていた物もさっきの一言で切れたと見える。



 アリオンテのまだ成長途上の身体を受け止めながら、俺は頭をフル回転させた。なんだ? ベリダムがどうしたって? ワーズワースが死んだ? 裏切られたってことは、こいつら手を組んでいたのか?



 矢継ぎ早に飛び交う思考をちぎり捨てる。兵士達に指示を飛ばし、俺がアリオンテを保護している、とりあえず必要なことは聞き出すからとギュンター公に伝えるよう命じた。そしてすぐさま、セラ達には空き部屋に湯と回復薬(ポーション)を運ぶように頼んだ。



「パパ、この子泣いてるよ」



「すごく悲しそう」



 シュレンとエリーゼがアリオンテの顔を覗きこむ。俺の肩に担がれた大魔王の息子の目を見た。双子の言う通り、うっすらと閉じた瞼の奥から流れる涙は--夕焼けの光を反射して赤く染まっていた。




******




 目を覚ましたアリオンテと俺は向かい合っていた。あんまり元気になられても怖いので、治療は最低限だけだ。傷口を湯で洗い、回復薬(ポーション)を二本与えたのみ。しかし基礎体力がそれなりにあるのか、たったそれだけでもある程度は持ち直したようだ。



「すまない」



「馬鹿、子供はありがとうでいいんだ」



 律儀というか何と言うか。頭を下げたアリオンテに俺は言ってやった。とりあえずアリオンテに殺意はなさそうだし、それに正直......憔悴しきっているこいつはただの少年にしか見えない。



 普段は隠しているらしい四本の腕も、今はそんな余裕も無いらしく全てさらけ出している。汚れは拭き取られてはいるが、その分だけ顔の擦り傷や切り傷が目立っていた。正直、育ちの良い魔族のエリートというよりは戦い疲れた傭兵のようだ。



「聞かないのか」



「何を」



「何故、僕が一人で王都までやってきたのかをだよ。いろいろ突っ込んで聞きたいことあるんだろ」



 そりゃそうだ。気絶する前にアリオンテが話した切れ切れの言葉だけじゃ、何が何だかさっぱりだ。きちんと整理された形で聞き出したいという気持ちは当然ある。



 けどな。



「聞きたいさ。けど、お前が話す気になったならでいい」



 俺の言葉にアリオンテは頭を上げた。それに構わず俺は話し続ける。半分物置がわりのこの部屋には、俺とアリオンテしかいない。さして広くもない部屋だ、声を張り上げる必要も無い。



「確かにお前は敵だ。だがあんなボロボロになってまで王都にたどり着いて、かつワーズワースもいないときたらさ。相当ショックなことがあったんだろう」



 --だから無理に聞き出すことはしない。



 俺の言葉はどう届いたのだろう。紫色の髪を四本の腕で掻き回しながら、アリオンテは唸った。



「優しい大人ってやつかい、勇者様」



「理性ある対応ってやつだよ。それに今のお前なら暴れねえだろ」



 そう、魔力付与(エンチャント)の縄が外されたとはいえ、武器も無い。体力も必要最低限しかない。危険性が低いアリオンテ相手だからこそ、俺も余裕を持てるという部分はある。仮にこいつが何かしようとしても、その前に抑えられる自信はあった。



 アリオンテはしばらく拗ねたように横を向いていた。俺は黙って付き合った。急かしてもどうにもならないからだ。

 チ......チチ、とどこかから入ってきた蛾が天井近くをユラユラと飛ぶ。



 蛾が部屋の奥へと揺れて飛ぶのを見やりつつ、アリオンテが口を開いた。俺は居住まいを正す。部屋の中の緊張感が濃度を増したようだった。



「順を追って話そうか。去年の闘技会から今まで、約一年、僕らが何をしていて。そして今ここにいる経緯を--」



 薄暗くなりゆく夏の夕方、大魔王の息子はゆっくりと語る。

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