おじいちゃんとおばあちゃん、か
いつもの食卓のはずが妙に違って見える。原因は明らかだ。うちの両親が席に着いているから。それしかない。
「な、なんちゅうか、うちの息子はええとこに住んでおるんやな」
「こら、あんた。キョロキョロしたらあかんよ。みっともない」
おやじよりおふくろの方が落ち着いていた。とはいえ、おふくろもそわそわしていることには変わりないけれど。
シュレンとエリーゼはいきなり現れた二人を「おじーちゃんとおばーちゃん」としか認識出来ていないようだ。俺の両親と理解するのはちょっと難しいのだろうか。
「あの、先程は失礼致しました。私、逆上しやすくって」
「なんのなんの、あれくらいでわしらもびびりゃせんよ。うちの息子とやってくんじゃき、気性がしっかりしとる子の方がええ」
刺す、という物騒な言葉を発したことをセラが謝ると、おやじは鷹揚に流した。とはいえ、微妙に口元が震えてはいたのだが。
「んじゃ、とりあえず食べながら話そうか。あー、その前にですね。十五年も留守にしてすいませんでした」
「......いんや。わしらもちょっとな、驚かせてもうてすまん」
「ウォルファートがいつまでも帰ってこんから、もういても立ってもいられなくなってのう。一念発起して村を出てきたんよ」
お互い十五年も会っていないと、いくら親子でも喧嘩になる可能性があると見に染みたよ。ちゃんとお互い悪かった、と謝れるのもまた親子だと思うけどな。
しかし、村を出たって。
「おふくろさ、村を出たって言うけど。うちの家や土地は? もう売っちゃたとか?」
「いんやあ、そこまではせんよ。ただ、あの村、山ん中じゃろう。風の噂でお前が王都におるとは聞いておったが、片道一ヶ月以上はかかると聞いてな。とりあえず半年くらい、フィンクに任せておくことにしたわ」
「ああ、あいつ元気なのか。そりゃ良かった」
弟の名前を久しぶりに聞いて、少しホッとしたのは事実だ。歳は俺の三つ下。ああ、そう考えるとあいつももう三十歳超えてるんだな。俺の記憶の中ではまだまだ小さいままなのに。
こうして話している間にも、メイド達が料理を運んでくる。綺麗な食器に盛られたサラダに香ばしい香りのスープだけでも、うちの両親の舌には十分美味かったらしい。
「はあ、おめえが公爵様で勇者とはまーだ信じられんけどなあ。こうして使用人の人がいて、美味い食事を作ってくれるっちゅうのを実感すると......」
おやじがニカッと笑う。
「おめえ、出世したんやなあとやっと納得いったわ」
「ほんにねえ。俺は勇者になれる! と叫んで村を飛び出した時はねえ、このどら息子が! と思ったものやけんど」
「おふくろ、頼むからそれは忘れてえな。いや、ほんまに悪いと思ってんねん」
思わず故郷の言葉に戻りながら懇願してしまう。うん、あの時はさ。自分に素質があると分かって浮かれていたんだよ。若気の至りってやつだ、見逃してくれ。
******
「あのさ。おやじ、おふくろ。ちょっと聞いてくれよ」
「なんじゃ、ウォルファート? 畏まってからに」
「えらい真面目な顔やねえ」
記憶の中の二人は今よりだいぶ若い。小さなちょっとガタが来た家で、俺達一家四人は暮らしていた。
飢え死にする人間が出るほどの貧しい村ではなかったけれど、余裕のある家が無かったのも事実。いいことと言えば、あまりに山の中過ぎたのだろうか、魔王軍からも見放され被害が全く無かったことくらいだった。
今でこそオルレアンの家名と公爵位を戴いてはいるが、当時の俺の名は違った。ウォルファート・シリル。それがごく平凡な農家の長男である俺の名前だったんだ。
急に真面目くさった俺に両親が怪訝な顔をする。ちょっぴりの胸の痛みが突き刺さる。けど、それを遥かに凌駕する躍動する心が止められない。
今言わなくていつ言うんだ。そう自分に叱咤した。
「俺さ、家を出ること決めた」
すぐには返事は無かった。おやじもおふくろも固まったような姿勢になっただけだ。狭い家の中、空気が強張る。
先に口を開いたのはおやじだった。
「いきなり何を言ってるんだあ? ウォルファート、おめ、気は確かか」
「本気やき言うとる。これ見てくれや」
懐から取り出した一枚の用紙を見せる。そこに書かれているのは、俺の能力--主に剣や魔法など戦闘に役立つ能力だ--の可能性だ。"上限レベル50以上"という文字は、ぼろっちいランプの光の下で燦然と輝いて見えた。
「なんね、これは? あんたこんなんいつ測ったんよ」
用紙を見たおふくろが怪訝な顔で聞いてくる。俺は正直に答えることにした。
数日前、所用を片付けるために麓の町を訪れたこと。そこに一軒だけある冒険者ギルドに顔を出した時に、能力測定を薦められたことも話した。
「そこではさ、俺みたいな一般人でも鍛えたらどれくらいまで強くなれるかっちゅうことを測ってくれる。その限界を示すんが、そこに書いてあるレベル数や」
「そこまでは分かる。ほんで」
「レベルが高ければ高い程強いねん。普通の人は20前後。かなり腕の立つ奴でも30、達人級なら40くらい。ギルドの能力鑑定士はそう言ってたわ」
用紙と俺の顔をおやじの視線が往復した。構わず俺は話し続ける。
「つまりレベル50以上っていうのはな、アホみたいに強い人間にしか到達できん領域や。簡単に言えば天才」
一度言葉を切る。根拠は示した。だからもう一回言おう。
「--明日、家を出る。俺、自分の可能性に賭けたいねん。ほんまに天才なら俺、魔王軍やって蹴散らせるかもしらんし」
「馬鹿言うでねえよ! 剣の基本も知らん、魔法なんかかじったこともねえ。そんなおめえが天才? 魔王軍を蹴散らすって、そりゃおめえが勇者になるっちゅうことやねえか!」
意外なことにいきり立ったのはおふくろだった。俺の肩を掴み揺さぶりながら訴えかけてくる。その迫力に押された。
「......そんな、そんないきなり言われてもな、信じられるわけ無かろうが! 自分の息子が勇者で、明日から武器を手に取って戦いに行くなんてな。お願いやから言わんといてや」
「まあ、母さんや、落ち着けや。ウォルファートやって考え無しに、いや、考えが浅いかもしれんけどな、本人なりに真剣に考えた末の決断なんやろうし。気持ちは分かるけんど、真っ向から否定はあかん」
「いきなりこんなこと言ってごめん。でも俺......村出たいねん。この田舎に閉じこもって一生を終えたくは無いっていうのは本音としてある。だから、今回はチャンスやと思った。本当に俺が天才やったら、村出てもやっていけるから」
そうなのだ。その時の俺は勇者として世界を救うなんて大層なことは、全く考えていなかった。ただただ、自分にもたらされたとびっきりの可能性に目が眩んでいたんだ。
泣いてばかりで話が出来ないおふくろをなだめつつ、俺はおやじと話した。俺が本気だと分かると、流石におやじも根負けした。納得は出来ないが、とりあえず容認するということらしい。
「そしたらこれ、餞別にやるわ。もってけ」
「あ、ありがとう」
家の床板から取り出された500グランを手に取る。何故かずしりと重たく感じた。おやじはちょっと寂しそうに笑う。
「おめえがよ、うちを継ぐんを楽しみにしとったんやがそうも行かなくなってもうたなあ。しがない農家じゃ、継がんでも別にええか」
「んなこたねえ。すまん、わがまま言うて」
「アホ、男が簡単に謝るなや。明日には旅立つんやろうが」
そう言いながらおやじはフイ、と背を向けた。農作業で鍛えられたその広い背中が、妙に小さく見える。「俺、やってみせるわ」とだけ、その背中に声をかけると親父は「おう。楽しみにしとる」と振り向かずに答えてくれた。
******
「--とまあな、こんな形で俺は家を出て勇者としての一歩を踏み出したわけ」
長い話が終わった。夕食後、居間に席を移した後にセラに「ウォルファート様、どうして勇者になったんですか?」と聞かれたんだ。十五年も昔のことなのに、未だに鮮明な記憶に自分でも驚く。それだけ印象的だったのだろう。
「おー、やっぱり双子ちゃんじゃのう。目鼻立ちがそっくりじゃなー」
「うちの子が小さかった時よりよっぽど可愛いのう」
おやじとおふくろは二人ともシュレンとエリーゼにデレデレしている。一部ひっかかる言葉もあったが、無視しよう。二人が怪しい人間ではないと分かったせいか、シュレンもエリーゼもご機嫌になってるし。
「パパねー、本当のパパじゃないのー」
「あたし達、血のつながり? ないんだってー」
「「でも親子なんだってー」」
異口同音に双子がさらっと重い事を言う。「そうか、そうか」とうちの両親は笑っているけど、内心どう思っているんだろう。
そう、俺と双子は義理の親子だ。つまり、両親と双子は義理の祖父母と孫の関係になる。当然、血のつながりは無い。
「ウォルファート様、どうなさいました? 何だかぼーっとされてます」
「ん? いや、血のつながりなくても孫って可愛いのかな、と思ってな」
そう、結局のところ俺はやっぱりそれが気になるんだな。気にしたからといってどうにかなるもんじゃないけど。
おやじとおふくろが俺に執拗に結婚を勧める理由の一つには、やっぱり血を引いた孫を抱きたいというのもあるんだろう。それを思うとチクっと胸が痛む。
(どうしようもねえな)
けど、そればっかりは嫌だ。結婚というか、恋愛が嫌だ。三十半ばになっても俺はヒルダの影を引きずっている。
「おーい、ウォルファートやー。シュレンちゃんはええ子やのう。わしと手を繋いでくれたぞ!」
「エリーゼちゃん可愛いねえ。もうこのぷにぷにしたほっぺたがたまらんなあ」
「そりゃあ良かったね」
ご機嫌で何より。現金なもんだなと苦笑しつつも、両親の本音を推し量ってちょっと決まりが悪くなった。結婚と自分の子供、かあ。俺には縁が無くていいさ。
しんみりとそんなことを考えている内にシュレンがおやじに近寄った。わーいと言いながら手を上げる。
「おんぶしてー」
「やめとけって、シュレン。このおじいちゃんな、ちょっとお前をおんぶするには歳取ってるんだよ」
「いいやあ、まだシュレンちゃんくらいなら全然おんぶ出来ようもん。何ならエリーゼちゃんも二人いっぺんにどうじゃ?」
「何言ってんだ、おやじ。無理すんなよ」
俺は焦った。流石にこの年齢になると、シュレンもエリーゼもそれなりに重い。手足も赤ちゃんの頃とは全く違うし、体つきもそれなりだ。義理孫にいいところ見せたい気持ちは分かるけどさ。
「ちょっとあんた! 無理せんで!」
「あたしもおんぶ! シュレンと一緒!」
おふくろの制止の声をエリーゼが遮った。笑顔が怖い。ああ、もう知らねえぞ。
「あ、あの、ウォルファート様。放っといてもいいんですか?」
おろおろするセラに「やらなきゃ分からない」と断言する。ほら、老骨に鞭打ってうちのおやじが二人を持ち上げ--
「はうあっ!!」
--三秒もたずに沈没した。筋ばった体が前のめりになり、俺は慌てて抱き留める。だから言わんこっちゃない、と言いかけたところで俺の口は止まった。
こんなにおやじの体、軽かったっけな。
手にかかる重みは想像の半分程度だ。萎んじまったのか、とつい有り得ない考えが浮かぶ。いや、待て待て。まだ六十歳くらいだろ? 早過ぎるって。
「いったったった、筋を伸ばしてもうたわ......無理は出来んのう」
「だから言わんこっちゃねえ。大丈夫か、あんた?」
「おじーちゃん壊れちゃった!」
うん、おふくろの心配はもっともだけどさ、シュレンお前酷いよ......せっかくお前らを喜ばそうと頑張っていたのにな。そうこうしている間にセラとエリーゼがメイドを連れてきてくれた。準備がいいことに担架装備だ。
「ウォルファート様のお父様~」
「さあさ、横になって横になって。縦になって縦になって」
「縦......って担架に垂直に怪我人突き立てるのかよ! しかも頭から!?」
怖いんですけど、うちのメイド! おい、おやじ! 「都会の子は洒落が利いとるのう」とか驚いてるけど、それ違うからな!?
その夜、俺は寝る前におやじとおふくろを見舞いに行った。腰を抑えながらも痛そうな笑顔を見せたおやじ、おふくろはそんなおやじに「ほんまにあんたはええ格好しいで!」と怒るふりだ。長年寄り添った二人にだけ生まれる空気、それがある。
なんつーか、俺も大人になったからそういう微妙な空気が分かるようになったのかもな。そう思いつつ「また明日な。あれ、そういえば何か予定とか決めてるかい?」と聞くと、「「なあんも」」と力強い返答だった。
はあ、仕方ねえな。やっぱり職場に挨拶に連れていくしかないか......ギュンター公に知らん顔すんのはまずいよな。