いや、だから俺にも言い分が。
不思議な感覚だった。俺が「俺、素質あるらしいから勇者になるわ」と言って、生まれ故郷の村を出てから十五年。その間、全く両親とは連絡を取っていなかった。
十五年の歳月はおやじとおふくろを老けさせるには十分長かったらしい。衛兵から解放された二人はこちらに歩いてくるが、よく見れば髪には白い物も多く、顔には深く皺が刻み込まれている。
「あのお二人が勇者様のご両親......?」
「ああ。俺もびっくりだ」
目を点にして聞いてきたセラに答える。俺の表情からそれが冗談でもなんでもなく、また、俺自身が予期していなかったことと分かったようだ。「ど、どうしましょう。あ、そうだ、ご挨拶しなくちゃ」と急にアタフタし始めた。
「どうもこうもねえ。とりあえず俺が全部答えるから、お前は黙ってろ。下手に答えるとややこしくなる」
それだけ注意している内に二人が目の前に来た。うわあ、いざこうして会うと緊張するよな。うん、あれだ。懐かしいとかそういう感情もそりゃあるんだけど。それ以上にさ、気まずいっていうかな。
けどやっぱり、ここは何か言わないと駄目だよな。縮こまりそうな胃を鼓舞して、口を開く。
「あー、久しぶ--」
「ウォルファート、何も言わんでええ」
「--はい?」
おやじの返答は予想外だった。微妙な表情で固まった俺。今度はおふくろが目を向ける。
「風の噂でおめえが勇者になった、大魔王をやっつけたってのは聞いただ。おっとうもわすも未だに半信半疑だけんど、町の人皆がそう言うだで、今はそれは疑ごうとらん」
「そ、そうなの? そりゃあ良かった。俺が立派に勇者様だって信じてく--」
「「立派?」」
俺の言葉は二人同時の言葉に遮られた。針のように鋭い視線を浴びせられ、思わずたじろぐ。
「家を飛び出したっきり、一度も顔も見せんと」
「しかもおめえ、まーだ結婚もせんとぷらぷらしとるらしいでねえか。とうに三十路超えとるのに何しとうだか?」
「おまけにでっかい家もろうて、公爵様とか言われて。あの悪童が何をどうやったらそんなええ身分になれるんだべさ」
「色々言いたいこたあ山のようにあっけどな、ウォルファート」
おやじとおふくろに詰め寄られた。たじたじとなる俺に更に追撃がかかる。
「「この馬鹿ちんがあ!」」
「あ痛っ!? な、何すんだか、いきなり!」
パッコーン! と二人の平手でいい音を立てた頭を抱える。う、つい故郷の言葉が出ちまった。
「何すんだか、じゃねえべっ! おめえ、魔王軍とやらを倒したんならなして戻ってこんか!? どんだけ心配かけたら気が済むんじゃ、この馬鹿息子が!」
「いや、そりゃ俺も色々事情があったけん、仕方なかろうが! どつくことは無かろうよ!?」
「便りの一つくらいは出せるじゃろうが! おめえのことだあ、都でチヤホヤされて浮かれて、綺麗なねーちゃんの尻追っかけとったんじゃろ。図星やろうが、こら!」
「う、いや、ちったあそういうこともあったけんども。だけじゃなくてや、俺、子育てに忙しかったけん!」
まくし立てる二人に必死に反論する。詰め寄るおやじとおふくろの動きが止まった。顔を見合わせてから俺の方へ振り返る。
その時初めてセラに気がついたらしい。小綺麗な格好をした銀髪の女の子の姿に、おやじとおふくろの顔が微妙な感情に支配される。
「ウォルファート、お前、結婚もしとらんのにこんな大きな子供さいるんだか?」
ちげーよ! 全力で勘違いしてるよ、おやじ! だがそう反論する前におふくろが畳みかける。
「あれか。嫁さんに逃げられて、おめさ一人で育てたっちゅーんか。そりゃあ......しんどかったろうや、うん」
だから違うって! 明後日の方に全力で勘違いすんな、おふくろ!
だが、どうやって二人のとんでもない勘違いを柔らかく否定していいか分からず言葉に詰まった。その間にセラは顔を赤くしたり青くしたり忙しい。さすがに黙っていられなくなったんだろう、キッとまなじりを上げた。
「おい、セラ。ややこ--」
ややこしくなるから止めろって言いたいだけだったんだが、間に合わなかった。
「お初にお目にかかります、勇者様のお父様、お母様。私、勇者様の内縁の妻のセラ・コートニーと申します」
「内縁の妻......?」
「あんた、こんの馬鹿息子の奥さんだべか? 子供じゃあなくて?」
「いや、それは俺が説明......」
「ウォルファート様は黙っていてください」
酷い。セラにぐいっと横に押された。もはや何が起きるか全く予想出来ず、嫌な予感だけが胸を支配していく。
春風に揺れる銀髪を一度手で抑え、セラが二人に向き直る。
「事情がありまして、正式な婚姻関係では無いんです。ウォルファート様が育ててらっしゃる二人の子供、そのお世話をさせていただいております」
うん、完璧に事実だ。何も問題無い。けどさ、何でおやじもおふくろも不審そうにしてるんだろう。
「話せば長いんだけどさ。俺、今二人の子供の義父なんだよ。シングルファーザーってやつ。で、今日はその二人、あ、双子なんだけどね、がこの幼稚園に通ってるからさ。用があって来たわけ」
「つまり、こういうことだべか、ウォルファート?」
おー、やっと分かってくれたようだ。これで安心だな。
「おめ、結婚もせんとだな。こんな可愛い若い娘っ子さ手元に置いて」
「え......」
「しかも二人の子供さいるっちゅうことは、誘拐してきたんだべか! なんちゅうことしてんだ、情けなか!」
「んなわけあるかいや! よう考えーや、おやじ!」
流石に憤慨した。どこをどうひっくり返したら誘拐などという発想が沸いてくるのだろう。しかし、結婚していないのだから子供がいるはずがないという前提は、おやじの脳に深く染み込んでいるのは理解は出来る。出来るんだがこの言われかたは納得出来ない。
「しかしやね、ウォルファートや。あんた、まだ結婚もせえへんのに子供だけいるってどういうことなん? はっ......まさかあんた、普通の大人の女性を好きになれへん体質なんか!?」
「人を幼児愛好者みたいに言わんといてや、おふくろ! ごっつ人聞き悪いやろうが! 戦友の遺した双子引き取ったんや、悪いんか!」
「あんた、なんでそんなすぐばれるような嘘つくん! あの面倒くさがりのあんたがそんなことするわけないやないの! 素直に"自分は子供やないと満足出来へん体です"って言うたらどうなん?」
「その哀れむような目を止めえ、今すぐ!」
「そうです、酷いですわ! いくらウォルファート様のお父様とお母様と言っても、これ以上言うなら刺しますわよ!」
おお、やっとセラが援軍に入り......え、最後何て言ったの? 刺すって言った? ねえ、そのポケットの中に入れた手は何を握りしめてるんですか、何で目が澱んだ暗青色になってるんですか、セラさーん!
「は、離してください! 勇者様を馬鹿にされるくらいなら、いっそ私がこの手で葬りますから!」
「止めてええええ! 頼むから止めてええええ!」
凄絶な殺気を放つセラの肩を掴み、俺は必死で止めた。ひいい、怖いよお。流石のうちの両親もビビって腰が引けている。幼稚園の衛兵に至っては「セラさんやべー」「まじギレだぜ、あれ」とドン引きだ。
そんなこんなでバタバタしていると背後から小さな足音が聞こえてきた。振り返ると、見慣れた黒髪の少年と金髪の少女がこちらを見上げている。
「おお、シュレンとエリーゼ! いいところに来たな! とりあえずそこにいる二人に、俺の子供だってこと言って! 早く!」
俺があまりに必死になっているので、双子はちょっとびっくりしたようだ。無理もない、見知らぬ二人の高齢者、彼らに噛み付かんばかりの勢いで食ってかかるセラ、それを必死で抑える俺。まだ六歳にもならないシュレンとエリーゼにとって、びびって当然の光景だった。
しかし、かって雪狐の群れにさえ立ち向かった二人は退かずに声を張り上げた。素晴らしい。
「僕がシュレンでー」
「あたし、エリーゼ!」
「「パパに何か御用?」」
「ほらな、ちゃんと俺がこの二人を育てているって分かっただろ?」
おやじとおふくろはシュレンとエリーゼをまじまじと見た。あらあら、可愛いねえなどと頬を緩ませる。ふう、ようやくこの混乱にも終止符が打たれたぜ。そう思っていたんだが。
「なあ、ウォルファート。悪いことは言わん。はようこの子達さ、元のご両親のとこさ返してこんか?」
「あんたも根っからの悪人じゃないことは、うちらもよう知っとるから。罪を償って人生やり直しするいい機会と思うて。な?」
「だから何で俺が誘拐したことになっとんねん! 何聞いとったんじゃ、ぼけえ!」
「やっぱり刺すしかないんですよね、ないんですよね、ハアハア!?」
うん、間違えた。
また初めから説明をやり直す羽目になっただけでしたよ。
どこの世界に誘拐犯と実の親に疑われる勇者がいるんじゃ、死にさらすかコラアアアア!
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ああ、夕方というものは何故あんなに美しいのだろう。そう、それは一日の終わりを告げる時間だからか。それとも、太陽が一時その姿を隠す際に別れの涙を流すからか。
ボーッとした頭で俺はそんなことを考えた。幼稚園での騒動が終わった後--いや、無理矢理収めた後、屋敷に帰ってくることは出来た。無論、おやじもおふくろも連れて帰ってだ。
(拉致が開かないからイヴォーク侯爵に説明を頼んだのは、結果的には正解だったかな)
精神的に疲れた俺の頭にそんな考えが浮かぶ。いや、正直に言おう。半分は成り行きだ。庭で発生する騒動にびっくりしたイヴォーク侯が出てきたのをいいことに、俺の事情を説明して説得を願い出たのだ。
正直悲しい。どこの世界に自分の親への事情説明を、他人に依頼する人間がいるのだろう。確かに家を飛び出して十五年も戻らなかったのは悪かったが、これじゃまるで俺が罪人みたいじゃないか。
(あー、明日にはギュンター公にも説明しなきゃいけないよなあ。面倒くせえなー)
やだやだ、と俺は独りごちた。窓を透かして届く夕日は赤い。そう、落日だ。俺の平穏な日々の。
一応誤解は解けたようだが今日のおやじとおふくろの様子からして、俺に「早う結婚せんか」と攻勢をかけてくるのは間違いない。なにぶん田舎の出なので、長男の俺が三十超えて未婚なのは外聞が悪いらしい。屋敷に戻ってからのやり取りが脳裏に甦る。
「俺、そういうのが嫌だから飛び出したんじやき。構わんといてんか! シュレンとエリーゼおるし、もう別にええねん、結婚なんて!」
「それはそうとしてもや、お前この先どうすんじゃ。確かに先入観から誘拐したんじゃろ、とか言うたんは悪かったわ。しかし、なんぼ家を飛び出したアホな息子でもな、やっぱり心配なんじゃ」
老いたおやじにそう言われると、邪険に突っ張ねるのも気が引けた。そこにおふくろが加勢する。
「そうじゃあ、ウォルファート。おめえがな、今は確かに、こうしてセラさんやシュレンちゃんやエリーゼちゃんに囲まれて。賑やかにしとる内はええよ。けんど、いつかは子供は出ていくし、セラさんじゃって出ていくかもしれんじゃろ?」
「えっ、私はウォルファート様の傍にいるつもりですけど」
「セラさんは今は若いからそんなこと言えるんじゃ」
口を挟んだセラにおふくろが言い放つ。だがそこには突き放した感じは無く、むしろ厳しい思いやりがあった。
「考えてみなっせ。セラさんだって女じゃろう。そりゃ今は、うちの息子の内縁の妻でもええかもしれんよ? けどもうちょい歳とって、ああ自分も結婚して子供欲しいなあと思った時にな」
意外にも真摯な言葉にセラも反論を止めた。おふくろは優しく言葉を重ねる。
「......それがどうしても出来ない立場でもええんやろうか。自分も家庭が欲しいとか、絶対思わへんていう自信はあるん?」
「それは......先のことは分からないですよ」
攻撃的では無い態度を取られて、セラも表立って反論は出来ないようだった。去年の夏休みの際には、断固として「一生を俺に仕える覚悟」と言い切っていた。それが揺らいだわけではないだろうが、女の幸せという言葉を真っ向否定するにはセラもまだ若いということか。
「おじーちゃん、おばーちゃん、あーそんでー」
「これ、エリーゼのお人形なのー。可愛いでしょー」
絶妙と言っていいタイミングでシュレンとエリーゼが声を上げてくれた。正直助かった。エリーゼの持ってきたゾンビ紛いの生体人形だとしても、些細なことだ。
「おうおう、ええぞー。ほんまにシュレンちゃんとエリーゼちゃんはええ子やのう」
「あんたがちゃんと子育て出来てるっちゅうのは、ほんまに驚きやわ」
「別に俺一人でやってた訳でもねえけんどな。じゃあとりあえず、一旦中止でまた夕食ん時にな」
「「けんどなー」」
駄目だ、ついつい故郷の訛りが出る。双子に面白がって真似された。
そうなんだよなあ。うちの両親もさ、便り一つ寄越さなかった俺にしびれをきらして、田舎から出てきたんだよな。文句の一つ二つくらいは別にいいか、とも思うけど。
はああ、明日また結婚の話とか持ち出されるのは嫌だよなあ。
ため息をつきながら、俺は机にべったりと突っ伏した。行儀悪くても構わない。そのまま視線を上げると、夕焼けの空が広がっていた。オレンジから藍に変わり行く空、俺の人生も黄昏れ時なのだろうか。
止めよう、落ち込み過ぎだ。