一丁あがりだ
双子が置いてある草地は、俺から見て左手、エイプキングから見て右手だ。走り始めたエイプキングを追った俺は、視界の右手に奴を、左の奥の方にシュレンとエリーゼを収めながら追うことになった。
まずいまずい、と焦る気持ちと。
いや、大丈夫だ、と確信する気持ちが混ざり合う。
まずいのは、当然ながらエイプキングが双子を狙っていることだ。俺に背中を向けるリスクを負ってまで、奴がいつでも片付けられる赤ん坊を狙った意図は分からない。しかし、それなりの知能を持った魔物なら、あの二人を人質にとろうとしているのかもしれない。
大丈夫というのは、護剣結界による防衛だ。一本使ったとはいえまだ五本残っている。まとめて命中させれば、エイプキングでも一気に瀕死にまで追い込める程度の攻撃力は期待できる。
護剣結界の自動発動でエイプキングを迎撃し、勢い余って双子に倒れこみそうだから、そこは俺が二人をかっさらって救出というのがこの時点で俺が描いたシナリオだった。
だが、エイプキングの動きが一変した瞬間、俺は奴の狙いを知る。
黒褐色の毛に包まれた巨体が、急角度で向きを変える。狙いが双子から俺に変わる、それは足首の筋肉と獣ならではのバランス感覚を、ぎりぎりまで駆使した方向転換だった。
(こいつ、迎撃ポイントを仲間の死体で測ってやがったな!)
そう、地面に転がるガリードエイプ二体の死体がある位置、それはすなわち護剣結界の発動地点だ。どうやら赤ん坊とガリードエイプの死体から、近づき過ぎるとまずいということは分かっていたようだ。
つまり、シュレンとエリーゼを狙ったのは俺の動揺を誘うフェイク。本命はそこから隙が出来た俺への攻撃。
「ガアアアアアッ!」
エイプキングが吠えた。追い詰められたこの時点で、これ程頭が回るとは驚きだ。急な方向転換にもかかわらず減速を最低限に保ち、俺に右のストレートをぶち込んでくる。
上手い。猿とは思えない見事な作戦だ。しかし。
「しっ!」
だが、何度かこいつの攻撃を見ている俺には動きの癖が見えている。ヘッドスリップでその巨大な拳を回避、続く左の回し蹴りは跳躍して避ける。そしてここから反撃だ。左の肩を蹴る、そのまま飛び越えざまにその肩口に刀を一閃、切断まではいかないが十分な深手を負わせたことを確信する。
エイプキングの悲鳴と鮮血が同時にあがる。おい、俺のガキ共に汚い声聞かせるなよ。耳が汚れるだろうが?
「今度はこっちから!」
戦っているうちに錆が落ちてきたのか、俺の反応速度が徐々に増すのが分かる。着地から瞬時に反転、振り向いたエイプキングの左足の膝辺りに一撃、更にそのまま刀は止めない。一気に斜め下から斬撃を繰り出し胴を切り裂く。
舞えよ、俺の愛剣の一つ。久しぶりの戦いだ、存分に暴れろ!
ゴッ、と空気が震えるような呻きがエイプキングの口から洩れた。その牙の間から赤い血が滴るのが見える。大したもんだな、俺の刀の攻撃をこれだけ受けて、それでも立っているなんてさ。
「けどなあ、許しておけねえんだよな」
ぼそりと俺は呟いた。血刀を冬の空気に一振り、赤い血の跡が枯れ草の茶色に鮮やかだ。
勿論、もとから逃がす気なんか無かったが。
双子を狙ったのが何よりも。
「許せねえんだよ! あいつらがでかくなったら、俺がどんだけ育児に苦労したか聞かせてやるのだけを楽しみに生きてんだからな!」
理不尽と笑えばいいだろ、けど本気でそう思ってんだぞこの野郎!
俺の怒りにびびったのだろうか、一歩後退したエイプキングがその口を大きく開いた。ああ、それ空気求めて喘いでるだけじゃねえよな。体内で練った魔気がでかい口の中で、ちろちろと燃えているな。透明度の高い紫色の炎のようにも見えなくもない。
(ブレスか。最後の抵抗だな)
体内で産んだ火炎や凍気、果ては電撃を吐き出す攻撃の手段、それらを総じてブレスという。魔気を凝縮して吐き出すのも、ある種のブレスには違いない。
瞬時に判断、回避よりは受け止めての防御一手だ。今の俺の勘を鍛えるにはちょうどいい。
エイプキングがその巨大な顎を突き出した。途端にゴバアアアッ! と咆哮と共に吐き出された紫色の魔気の奔流、それが俺にまるでぶっとい柱のごとく襲いかかる。まともに喰らえば結構痛いだろうな。けれどよお。
「キレも威力も大魔王にはほど遠い!」
刀を振りかぶる、ブレス目掛けて真一文字に斬り落とす。多少は半年前よりスピードは落ちているが、それでも一流以上の一閃はエイプキングのブレスを切り裂きそれを雲散霧消させた。埃のように四散する紫色の魔気も、すぐに北風に巻かれて消える。ハッ、どうだよ、エテ公?
呆然とした(猿にそんな表情が出来るならばだが)エイプキングの前に、無傷の俺が立つ。刀にはひび一つ入っていない。もはや戦力差は歴然、奴の奥の手も俺には通じなかった。
「手ぇ出した相手が悪かったなあ、あの世で後悔しとけよ!」
もう受けに回る必要はない、刀を両手で握り、俺はエイプキングに切りかかる。ずしりと重いその手応えが頼もしいな。
さあ、行くぜ! まず奴の右足、間髪入れず左の二の腕に斬撃を浴びせダメージを与える。さすがの切れ味だ、エイプキングの堅い毛をものともせずに、美しくも凶暴な刃はあっさりと奴の皮膚を切り裂いてくれる。
赤い血が吹き出る。冬の空気が紅く染まる。聞こえてくる敵の叫び、それが朱に濡れていた。
ここまでやられたら、当然奴も黙ってはいない。無理矢理拳を振り回し、蹴りをぶっ放すが、最初に比べれば速度が落ちているし、それに焦っているせいか読みやすい。何発かはかわし、何発かは受けた。お返しと言わんばかりに、カウンターで左肩に猛然と突きを叩きこむ。
冬空に轟く咆哮は痛みにまみれたそれ、もはや本来の獰猛さはどこかに消えていた。だがな、手を止めないぜ。左肩に刺さった刀を更にえぐりこみ、奴の肩関節を完全に破壊する。手に伝わる筋肉がブチブチッとちぎれる感触、刀の切っ先が砕いた骨の乾いた感触、そしてドクドクと流れ落ちる流血、その全てが奴のダメージのでかさそのものだ。
「アギ、アギャアアアア!」
「へっ、悪あがき御苦労さん」
それでも必死に空いた右手で平手打ちをかましてくるが、もう避けるまでもない。パシッといい音を立てて、俺の左手が奴の巨大な右手を止めた。
もう力比べでも負けねえ、じわじわブランクによる勘の欠如も戻ってきてるし、エイプキングはダメージで弱ってやがる。ほら、負けるどころかこうやって......
ミキリ、と嫌な鈍い音が響いた。そして驚愕に歪む猿の顔。俺の左手の握力で捩曲げられたエイプキングの巨大な右手は、だらりと力無くぶら下がった。手の甲の骨にひびでも入ったか。
「ガアッ、ガアアアアアッ!?」
もう奴に出来るのは、無様に吠えることだけだ。全ての戦意を喪失し、俺に背を向ける愚さえ冒してエイプキングは川の方へ逃げようとする。無様な逃走だ、だが、それを許すほど俺は寛大じゃあない。右肩に担いだ刀に闘気を練り込み、あっさり奴に追い付きながら、銀色の刃を太い首筋に振り下ろす。
雪よりも真っ白な弧を描いた白刃は、魔物の太い首を綺麗に断ち割った。猿の首が赤い弧を描きながら宙に舞う、勢いあまりドウ! と音を立ててエイプキングの巨体が斜面を転がっていく。それら全てが、時間感覚がおかしくなったようなスローな風景の中で流れていく。
その妙にゆっくりとした視界の上から下へ、今しがた俺が飛ばしたエイプキングの首が落ちてきた。恨みがましい黄色の目がこちらを向いたと察知するより早く、反射的に刀を横に薙ぎ払う。刹那の斬撃に、ちょうど顔の真ん中辺りでその醜い顔は上下に分かれた。
「一丁あがりだ」
スローに動く世界が元に戻っていくのを感じながら、俺はエイプキングの死体に背を向けていた。ほら、"早く連れて帰れ"とうざ可愛い双子が泣き出したのが聞こえたからな。
******
「もうーこんなに遅くまでどこを散歩してきたんですかあ!?」
家に帰ると仁王立ちしたアイラが待ち構えていた。おい、ちょっと待てよ、俺必死に双子守って戦ったんだけど、と言い訳する暇すら与えてくれないだと!?
「シュレンちゃん、エリーゼちゃんお帰りなさい。ほら、お腹すいたわよね」とこれまた待ち構えていたメイリーンの優しい声に、さっきまで泣いていた双子がキャッキャと笑い出す。
「おい、お前ら現金だぞ。命懸けで戦った俺にはなんもねーのか?」
思わず毒づくと、アイラとメイリーンは顔を見合わせた。そして二人して「戦ったって何ですか?」「ウォルファート様、寝ぼけちゃいやですよ?」とのたまう有様だ。何てこった。
いや、本当にどういうことだよ、扱いひどくねー!? だからガツンと言ってやったよ、ああ、ガツンと。
「こいつら守りながらガリードエイプやっつけてたんだよ、ごっつい変異体も混じった群れを! だから遅くなったんだって!」
そうさ、言ってやったさ。だけど、こいつらったらさあ。
「え、そんなばればれの嘘止めてくださいよ、ウォルファート様」
アイラは白い目で見てくるしさ。
「まさか、昼間からいかがわしいお店行かれてたんですか! しかも赤ちゃん二人連れて!?」
メイリーンは汚らわしい物でも見るように口を手で覆っているしよ。
「「ひぎゃああああ!」」
何より、こんな時に限ってシュレンとエリーゼは泣くし!
(俺まじ可哀相......)
スゲーガックリきたわ、別に俺悪くないよな? ああ、もう誰でもいいから俺は悪くないと言って欲しいよ、本当にな。
ま、そのあとガリードエイプ五体とエイプキングの死体が発見されて、俺が嘘ついたわけじゃなかったと証明されたんで、いいんだけどね? アイラとメイリーンから「「すみませんでした、さすが勇者様っ!」」と謝ってもらったから、いいんだけどね?
けどまあ、こんな夜くらいは女の子いる店で遊んでも悪くないよなあ。子守は存分にしたしさ?
てわけで、その夜は平謝りのアイラにシュレンとエリーゼを押し付けて、俺はお楽しみでした。
「ねえ勇者様、こんなおっきいお猿さん倒したってほんとお?」
「おー、ほんとほんと。ま、俺にかかりゃ楽勝だったけどね。しかも赤ちゃん二人守りながらだぜ」
「きゃー凄い!私のことも守ってえ!」
あー、やっぱ一仕事終えた後は、こういうご褒美が無いとやってられねえよなあ。いいわー、生きてるって実感するって。