小さな亀裂、大きな転落
次の日の早朝。
僕の目は一瞬にして覚めた。
「おはよう、周寺くん」
撃沈した告白から一夜明けて今、目の前に桃香ちゃんがいる。
「あ、え、あ、うん。おは、おはよう」
「周寺さん、じゃなくて周寺くん」
どうやら桃香ちゃんの中で僕は“妻”な設定らしい。
今まで意識したこともなかったけど……
「ほぉ。彼女が噂の……めんこいのぅ」
「周寺くん、おはよう。ラジオ体操、一緒に行かない?」
その言葉にじいちゃんの眉間にしわが寄る。
「それは……デートになるのか?」
「なりませ──」
「デートの為の準備運動ってとこかな」
「なっ、なんと! ジャージに着替えてくるわい」
「寒さに負けず短パンにしないかな?」
「生足は寒さに弱いんじゃ!」
じいちゃんとのやり取りを見ながら、昨日までの紡いできた桃香ちゃんとの関係が崩れ去ったのを実感した。
「待たせたのぅ」
じいちゃんが履いていたのは、短パンではなく明らかにももひきだ。
「……朝は寒いもんね」
桃香ちゃんは、じいちゃんをポジティブに受け止めた。
と、その時──
「ふぐぅ……!」
「じいちゃん!?」
突然、じいちゃんが胸を押さえて倒れた。
恋に落ちて胸が痛んでるワケじゃないと思う、念のため。
「生足が寒さに負けたんだよ!」
じいちゃんは苦しそうに病院へ連れて行けとジェスチャーをする。
「わ、分かってる!」
スマホのボタンを押しながら、何故だろう?
嫌な予感が、胸騒ぎがする──
「まぁ、末期のガンですね。半年生きられたら大したもんだ」
医者は笑顔で言った。
悲しむのは、手の施しようのない人だけでいい。
その人の代わりに周りが笑うといったスタンスの医者、はっきり言ってKYだ。
「折角、モテはじめたというのに……」
「あの世では周寺さん天下ですよ、はははーん」
「黙れ、やぶ医者! じいちゃん別の……ちゃんとした医者に見てもらおう」
「いや、帰るぞ」
じいちゃんの小さく震える背中に僕は逆らえなかった。
誰だって死ぬのは怖いよな……
だが、このあと同情を後悔することになる。
「劣よ! ガンを賭けたルーレットじゃ!」
「風邪じゃないんだから」
「わしはまだ死にたくない!」
「それは僕も同じだよ!」
「じゃろう? そう言うと思ってだな、桃香ちゃんも呼び出しといたぞ」
「なっ! 僕ですら番号もメアドも知らないのに……というか、彼女を巻き込むなよ!」
「いくらなんでもわしは妻を犠牲にしたくない!」
「僕は桃香ちゃんを犠牲にしたくないよ!」
「え? 私が何?」
桃香ちゃんが現れると同時に、じいちゃんがルーレットを回して叫ぶ。
「1と2が出たら劣が! 3と4が出たら桃香ちゃんが! 5と6が出たらわしがガンを引き取るんじゃあ!」
どう考えても割に合わないルール。
僕は桃香ちゃんにだけは間違っても当たらないことを願った。
そして、ルーレットはゆっくりと止まる──
“6”──
「のぅあぁぁー!!」
僕は胸をなで下ろして、そっとじいちゃんの肩に手を置く。
「じいちゃん、大学病院に行こうか」
じいちゃんは二つ返事で僕に従ってくれた。