花火
夏の終わり、裕也は花火大会に莉桜を誘った。
『行きたいです。よろしくお願いします』
莉桜から返信が届いた時、裕也の元にはK社の担当である城島が来ていた。
画面を見て、口元に笑みが浮かんだのをすかさず指摘される。
「彼女からですか?」
そう城島が付け加える。
「知り合いからだ」
「えー違うんですか?残念」
「何が残念だ!」
「だって結婚間近じゃないんですか?」
「なんだ、それ。どこからそんな話が出る?」
裕也は苛立ちを押えるためにタバコを吸いたかったが禁煙中のため家にはない。
城島の話だと5月ごろから裕也が結婚するらしいと噂が流れていたようだ。
「正式に決まったら僕には教えてくれるだろうと思って聞かなかったんですよ。
でも皆は僕なら知ってるだろうと思って聞かれるし、一生懸命、誤魔化しておきましたから大丈夫です」
そうにこやかに笑い、自分の気配り振りをアピールする城島に溜息が出る裕也だった。
「結婚するなんて話、ないからな」
「本当に違うんですか?残念だな。僕の担当は中野さんの他は皆、結婚している人だから、楽しみにしてたんですよ、結婚式」
27歳だと言う城島は本当に残念そうにそう言った。
Y社の担当者の顔が浮かぶ。
莉桜が入院した時に締め切りが迫っていたのはY社の仕事だったのだ。
何を誤解したのか知らないが、ただの隣人だと裕也は少し寂しく思う。
週末、花火大会に行くために裕也が迎えに行くと、莉桜は白地に可愛らしい花をあしらった浴衣を着ていた。
「自分で着られるのか?」
「はい」
「すごいな」
「祖母に教えてもらったんです」
「いいお祖母さんだ」
『よく似合っている、可愛い』と褒め言葉を口にするべきなのだろうが裕也にはできない。
何も言えないまま二人で歩き出す。
車で行ってもよかったのだが、電車がいいと莉桜が言う。
郊外の河川敷へ向かうと、駅から会場への道は既に大勢の人で溢れていた。
「まだ太陽は沈みきっていないのに気が早い奴らもいるもんだ」
と、裕也が文句を言うと、
「私達も同じです」と莉桜に笑われた。
日が落ちるにはまだ間があるが、会場の周辺はすでに混雑していた。
道沿いの商店は店先でビールやおつまみを売っている。
いくらか風が出てきたとはいえ、まだ暑く、飲み物を買う。
裕也はビールを莉桜はお茶の缶を選んだ。
「はい、これ持ってってね!サービスだよ」
威勢のいい若者が団扇を一つくれた。
商店街の名前と花火大会の名前がデカデカと書かれたものだが、そっと扇ぐと風が心地よい。
「疲れてないか?」
ビールを飲み、一息入れた裕也が聞いた。
「大丈夫です。でも、すごい人で驚きました」
見回せば家族連れやカップルで溢れかえっている。
「俺もだ。電車で30分で来れるから一度来て見ようと思っていたんだ」
本当は今年初めて知った。
城島が
「花火大会のいい所は女の子の浴衣姿が見れるところですよ。今度、○○でありますよ」
と、教えてくれたのだ。彼自身は仕事で行けないらしく残念がっている。
浴衣姿は女の子が数段可愛く見えるらしい。
裕也はそんなに良いものなら莉桜を連れて行きたいと思った。
「中野さんもここの花火大会、初めてですか?」
「ああ、日にちだけは知ってたが後はリサーチしていない」
裕也の言葉に莉桜はクスクス笑う。
「リサーチなんて、お仕事みたい」
「言わないか?」
「そうでもないけど、何だか可笑しかったの。ごめんなさい」
「オジサンだからな」
「また言ってます。中野さん、私といると直ぐにオジサンになりたがるんですね」
莉桜の言葉にドキリとする。年の差を感じているのは俺だけなのか?
「そんなことはない」
少しムキになり否定すると、莉桜がまたクスリと笑う。
莉桜は感情を大きく表すことはないが、よく見ていると表情でわかる。
川原の広いグランドが花火見物の人々で埋まっている。
土手沿いには屋台が並びお祭のような騒ぎだ。
「ここで見るのが一番よく見えるらしいが……」
そう裕也はつぶやく。あまり喧騒は好きではない。
腕が痒くなり蚊の存在に気がついた。
虫除けスプレーが必要だと薬局を探す。
ついでにもう少し静かに見られるところはないかと訊ねると、親切な店員が地元のお薦めポイントを教えてくれる。
「下の方が欠けちゃうんですけどね、そこなら人も多くないし見やすいですよ」
教えられた場所は住宅街の公園。周りは建売の家が並んでいる。
川は見えないが、何人か人が集まっているので花火は見ることはできるのだろう。
7時半を過ぎ、最初の花火が打ち上がる。
裕也と莉桜はブランコの周りにある柵に腰掛けて花火を見上げた。
ドンという音と共に空が明るくなる。
風に混じって微かに火薬の臭いもした。
人々が空を見上げ、歓声を上げる。
テレビ中継で見る花火大会では味わえない臨場感。
「あっ」
突然、莉桜が声をあげる。
「どうした?」
「思い出したんです。私、ママとパパと一緒に花火を見に行ったことがありました」
母を亡くしていることを知っている裕也は何も言わずに莉桜の言葉を待つ。
「その時もすごい人で、パパとママの二人に手を繋いでもらって……。
大きな丸い形の花火が綺麗で好きだってママが言って……」
亡くなった人の言葉を思い出すと、辛い気持ちも一緒に甦るのだろう。
莉桜の瞳が潤んでいた。
「私も丸く広がる花火が好きです。なんだかとっても潔くて」
「俺も昔からある、あの花火が好きだよ。潔いか、そうだな。それでいて奥が深そうだ」
尺玉の大きな円が丸く綺麗に開く。
莉桜の言うとおり潔い花火だと裕也は思う。
1時間半程で最後の花火が打ちあがる。
一瞬、真昼のように明るくなり、瞬きをする間に暗闇が戻ってきた。
辺りからは歓声と拍手が沸き起こる。
ガヤガヤと人々が帰り始めるが、莉桜は夜空を見つめたまま動かない。
裕也も何も言わずに横にいる。
花火を見に来ていた子どものはしゃいだ声と帰宅を促す母の声。
裕也の記憶には、母との触れ合いはない。
忙しく働く母。
大勢の患者から慕われて、病院を支えてきた。
家の中のことは家政婦さんが全て任されていた。
家族で年に1度は旅行に行ったけれど、日頃、接していないから話題がなく気疲れしたものだ。
それが嫌で中学に入った頃から理由をつけて行かなくなった。
花火を一緒に見た記憶など裕也には無かった。
莉桜は、段々と薄れていく母の温もりが悲しかった。
寂しい、それはずっと心の中で渦巻いている―――他愛もない話を母としたいと言う叶わぬ願い。
どれぐらい時間がたったのだろうか?
あたりは静かになっていた。
遠くからは、まだ人の声がする。
ほんの少し触れ合っている肌からの体温が暖かくて互いに黙って座っていた。
莉桜が小さくくしゃみをする。
「大丈夫か?」
あわてて裕也が聞く。夏の終わり、夜風は少しづつ秋を運んでいた。




