禁煙
次の週、彼女は退院した。
父親の秘書と言う女性が迎えに来ていたから、俺の役目はここまでだと裕也は思う。
オートロックのマンション。防音も完璧。
隣に住んでいたって、そうそう接点はないだろうと思っていた。
しかし、一度結ばれた縁は切れないものかもしれない。
食事に行こうと玄関を出ると莉桜に会った。
大学から帰ってきたところのようだ。
「莉桜ちゃん、もう学校に行ってたのか?」
「ええ、課題の提出が迫っているんです」
「無理するなよ。そうだ、食事終わったのか?」
「これからです」
「ちょうどいい。快気祝いだ。一緒に食事行こう」
「え、でも・・・・・・」
「おじさんとじゃ嫌か?」
裕也が言うと莉桜は慌てて首を振る。
「そんなことありません」
「じゃあ行こう。何か食べたいものは?」
遠慮しているのか返事を返さないので、裕也は勝手に店を決めて莉桜を連れて行く。
初めは若い女性に人気だと言うイタリアンの店に行こうかと思っていた裕也だが、緊張している莉桜の様子をみて気を変えた。
「いっらしゃい!」
威勢よく声が上がる。そこは馴染みのラーメン店。
小さな店だが人気が有り込み合っている。
「おや先生、お連れさんがいるなんて珍しい」
「たまにはな」
裕也は常連のようで気安く店長と言葉を交わし、カウンターに二人で並んで座った。
「ここのチャーシュー麺は最高なんだ。なんたって苦節15年の味だからさ。莉桜ちゃんもそれで良い?」
莉桜が頷くと裕也はチャーシュー麺を二つ注文した。
「こういう店、あんまり来たことないだろう」
裕也に問われて莉桜は頷く。
嫌がる素振りもせず、手書きのメニューを眺めたりカウンターの中を見たりと興味津々としている姿を裕也は楽しんでいた。
「学校は楽しいか?」
「はい、いろんな人がいて話を聞いているだけでも飽きないんです」
「美大には個性の強い奴、多そうだからな」
「ホントにみんな面白い人ばかりで」
何度も見舞いに通っていたのに、お互いに自分のことはあまり話していなかった。
二人の共通の話題は本の話。
莉桜は本を読むのが好きで、裕也も商売柄、本とは縁が切れないわけで話題は尽きない。
裕也の書くハードボイルドな作品まで読んだことがあると言われて驚いたのだ。
「さっき思ったんですけど、中野さん、『蝶の孤独』にでてくる『宗』ににている」
と、莉桜が言う。
『蝶の孤独』は大木賞を取った裕也の出世作だった。
主人公は高校教師の男で、成り行きで事件に巻き込まれていく。そんな話だった。
その男が裕也に似ていると莉桜は言うのだ。
その小説の始まりは高校教師だった宗が子猫を公園で拾ったことだった。
裕也の頭の中で莉桜は『猫』のイメージで、莉桜が自分を『宗』と似ていると思ったなら、二人の気持ちがリンクしているような何とも不思議な感覚だった。
「印象が似ている気がしたんです。やっぱり自分の性格とか反映するのですか?」
「俺はあんなに堅物ではないよ」
莉桜はクスリと笑う。
「でも、私のこと捨てておけなかったじゃないですか」
「そうだな。そう言われれば宗と一緒か」
裕也も笑う。
事件に巻き込まれたのは『宗』の見なかったことに出来ない性格からだ。
でも『宗』は着実な人生を歩いていた男だったから、自分をアウトローと捕らえていた裕也には意外だった。
莉桜の感性を好ましく思う。
表面ではない内面や本質を捉えようとすることは、とても重要なことだと裕也も思っているのだ。
「はい、お待ちどうさん」
会話の途切れた二人の前に透明なスープに細めんのラーメンが置かれた。
厚切りチャシューからは香ばしい香りがする。
「美味しそう」
莉桜が言い、スープを一口飲んで「美味しい」とつぶやいた。
「だろ」と裕也は答えて、暫し二人は無言で食べた。
小食なのかと思っていたが意外にも莉桜は完食し、ご馳走様でしたと器に向かって頭を下げる。
「多くなかったか?」
「美味しかったので、全部食べちゃいました。私、結構、食べるんですよ。それに祖母に育てられたので残すこと出来ないんです」
無理しているわけではなさそうで、本当に美味しかったことがわかる表情にホッとする。
そして、きちんと躾のされた子なのだと感心する。
裕也の職業に惹かれて寄ってくる女の子の中には、大量に注文して、ほんの少ししか食べずに「私、小食なんです」というアピールをする奴がいる。
小食なのが女らしいとでも思っているのだろうか?
本当に小食なら、食べられるものだけ注文してほしいと、いつも腹立たしく思っていたのだ。
それから3日後、再び裕也は莉桜と会った。
駅からマンションへ向かう道で、莉桜が大きなバックを持って歩いているのを見つけたのだ。
「重そうだな」
そう後ろから声をかける。
振り返った莉桜は『大丈夫です』と言ってはいるが、額に汗を浮かべ疲れているように見えた。
「持ってやるよ」
「でも……」
「いいから、持ってやるよ」
そう裕也は言ってバックを持つが、思いの外に重くて驚く。
「重いな……。何、入っているんだ?」
「塑像」
「えっ?」
「石膏で作った作品が入っているから」
「へー学校の課題なのか。見てみたいな」
「駄目!」
珍しく莉桜が大きな声を上げる。
「気に入ってないのか?」
裕也の問いに莉桜は頷く。
「この課題やってた頃、体調悪くて……イメージが固まらないうちに始めたら滅茶苦茶になっちゃって」
「専攻は油絵なんだろ?」
「はい、でも一応いろいろやることになっているので……今週中に持って帰ってくれと言われて取りに行ったんですけど、あまりの出来の悪さで……。余計に重く感じて」
自分の作品の出来の悪さにショックを受ける―――小説家を目指した頃、何度、そういう思いをしたことだろうか。
裕也は莉桜に自分の姿が重なって見えた。
「そういうこともあるさ。でも、これ捨てるなよ。何年か経って、この時、自分が何をしたかったのか見えてくるかもしれないしな」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものなんじゃない」
裕也の言葉に莉桜は少し考えてから
「ありがとうございます」
と、礼を言った。裕也は莉桜を見て微笑んだ。
「お腹、空かないか?」
「えっ?あ、はい」
「何か食べよう。ほら、この間のケーキの店、なんて言ったかな」
「キガタですか?」
「そうそう、その店、カフェにもなっているんだろ。俺、一人では絶対行かないから、いい機会だ」
「え、でも・・・・・・」
莉桜はいつも遠慮する。そして、そんな態度を裕也は少々物足りなく思う。
店の前はオープンカフェになっている。注文は中で行なうらしい。
平日の昼間と言うのは女の世界で、裕也は一人違和感を感じていた。
でも隣でニコニコとケーキを選んでいる莉桜を見ていると何も言えなかった。
店内は混みあっていたからオープンスペースで食べることにする。
裕也がバックを持っているので、トレーを莉桜が持つ。
キョロキョロと見回して莉桜は木陰になっているテーブルを選んだ。
「ここでいいですか?」
「どこでも良いさ」
「あっ中野さん、タバコ吸われるんですよね」
そう言って莉桜は灰皿を取りに行こうとするが裕也は止める。
「タバコ、忘れてきたからいらない」
本当は持っている。
でも祥子が莉桜は肺の機能が普通の人より弱いと聞かされたのを思い出したのだ。
莉桜も裕也が無意識にポケットからタバコを取り出そうとしているのを見ていたから、それが嘘だと気が付いた。
祥子が具体的な莉桜の病名をもらしたわけではないが、大学病院時代の患者らしいことは会話の中から読み取れた。
そして莉桜の周りにいる大人達がどれほど心を砕いて守ってきたのかを感じたから、土足で踏み込むことは出来ないと裕也は思った。
だから莉桜が話さない限り裕也は病気のことを訊ねるつもりはない。
「ありがとうございます」
莉桜の言葉に裕也が微笑むと、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
ケーキは思ったほど甘くなく、クリームに包まれたフルーツの酸味が美味しかった。
「意外と美味しいものだな」
裕也の感想に莉桜が喜ぶ。
「良かった。私に合わせて無理させているのではないかと気になってたんです」
「そんな事はないよ。いつも同じパターンで生活しているから、こういう事は新鮮でいい」
嬉しそうな莉桜の表情を愛しく思い、裕也はうろたえた。
ポケットからタバコを取り出そうとして慌てて止める。
それに気が付いて莉桜が言う。
「中野さん、タバコ吸ってください」
「いや、いい。タバコ、止めようと思っているから」
裕也はその時、真剣に禁煙を誓ったのだった。




